第一章40 しじまの旅立ち
「ふわぁ………」
陽光差し込まない朝、今日も今日とてグラナード・スマクラフティーは決まった時間に目が覚める。
生活習慣の整った暗闇異世界生活が始まってはや4ヶ月。眠気さっぱりで気持ちのいい朝だ。
「あ、おはようございます」
部屋を出ると、同じく暗闇異世界生活を続けている失踪者仲間のミステルーシャ・アプスと出会う。これも、起床時間が定まっている人間達の毎朝のルーティーンである。
だが今日の彼らの心持ちは、今までの少し違っていた。
「ついに、ですね」
「ああ。俺たちにも、自分から動かなくてはいけない時が来たんだな」
彼らが何について話しているのかと言えば簡単なことだ。
今日は以前から少しずつ計画されてきた、拠点を去って北を目指していく日なのである。
そう、失踪事件の犯人説が非常に濃厚な黒龍ラグラスロの支配下から抜け出し、彼ら敵集団の本拠地を目指すあの作戦が遂に始まろうとしていた。
「まあ、まずは黒龍が例の如く北へ飛び去っていくのを待つとしますか」
「ええ、そうですね」
軽く朝の挨拶を済ませるとそれぞれ解散して自由にする。
グランは森へ朝食狩りに、ルーシャは川へ身体を洗いに出かけるという昔話スタイルだ。だからと言って川から「どんぶらこ〜どんぶらこ〜」と何かが流れてくるなんて事は起こらないのだが。
こんな日々を続けてはや四ヶ月。
今日も今日とて黒龍ラグラスロが散歩と題して何処かへ飛んでい?くのを確認すると、グラン、ルーシャ両名は早速部屋から荷物を持っていつもの特訓場に集まる。
「よし、荷物に不足はないな?」
「はい、何度も何度も確認したので問題ありません!」
「じゃあこれで俺らはいつでも出発できる訳だが……そういやさっきラグラスロの奴飛んで行ったが、いつもより少し出ていくの早かったよな? それに心なしか急いでたような気もする」
「早めに出て行ったというのは私も同じ意見ですが、急いでたかどうかはちょっと分かりかねます」
「うーん、多分俺の気のせい、かな。 敵陣営に何かあったってんなら仲間割れとかしてて欲しいけど」
小言を挟みながらリュックサックくらいの大きさの荷物を背負う。
「いざ、敵本陣へ!」などと言いながら意気揚々として拠点を出ようとしたその瞬間、
「うお、やっべやっべ、俺が忘れ物してた! すまん、一瞬もどるわ〜!」
「って、え? あれだけ確認確認と急かしておきながらグランさんが忘れ物って、ほんと信じられませんね!」
こんな場面でも緊張感に欠けるほのぼの暗黒世界生活がこれからも続いていくのだろうと考えると、ダッシュするグランの背中を見つめながらルーシャはため息をつくのであった。
これからグラン達が歩む目的地までの道のりは険しく、本当に人の手が加わっていない自然の姿をしていると言ってもいい。
所々で拠点やエルカジャ遺跡のような人工物もあるかも知れないが、所詮は千年以上も前の遺産にすぎない。
迷子、食糧の枯渇、強敵( 特に敵軍 )との遭遇などから始まり、後は単純に退屈や疲労といった困難が道中ふたりを襲うことになるだろう。
どんなに訓練された人間だって同じ人間だ。
結局、グラン達を困難に追い込むのは強敵だけに留まらず、精神的だったり基本的なことだったりするかもしれない。
グランがわざわざ戻ってまでもってきた道具おは、そんな困難に備えてのものらしいのだが、
「で、結局グランさんが急いで取り行ったのがそれですか」
ルーシャはジト目でグランの手のひらに握られた小さな鈴玉を見て、再びため息をつく。
どうやら御守りのようなもので、戦闘以外のあれこれは神頼みとでも言いたいのだろうか。
「まあまあ、無いよりゃマシだろ」
「別にいいですけど……随分と戻ってくるのに時間かかりましたね?」
「それについては本当にすまないと思ってる」
「仕方ないですね。もともとゆっくり歩いて長旅になることを想定してのことでしたので不都合はありませんし……まあ談笑しながらいきましょう」
「周囲の警戒を怠らずに、だぞ?」
「それは当然のことです!」
今まで普通にやってきたことだが、暗闇に揉まれて雰囲気まで陰鬱にならぬように談笑で紛らわす。これこそが現在彼らにできる最も簡単な暗黒世界生活の必須スキルであり、絆を深める効率的な手段なのである。
人口の少ない辺境の村で過ごしてきたグランにはメイアしか同世代の人がおらず、アプス家の家系に産まれたルーシャもルーシャで姉妹くらいとしか仲良く話すことは無かった。
案外、初めての友達ができたという感覚が最も絆を深める最大の側面なのかも知れない。
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それから数日が経過した。
ここまで計画通り順調に歩みを進めており、森を抜け、更に数日前にもやって来た断崖の絶壁をも降っていた。つまり、そこから先は完全に初めて足を踏み入れる地ということになる。
視界に広がるのは草木のほぼ無い平野。もう当分の間森林を見ることは無いだろう。食糧問題については、森でモンスターを乱獲しておいたので気にする必要なし。
この世界じゃ皮肉なことにモンスターは無限リスポーンされる。生命が機械的に湧いてしまうこの現象は自然の摂理に反するものであり、懐かしきもとの世界だったら大バッシングに繋がるだろう。
とは言え使えるものは使う。
無限リスポーンするなら乱獲しても絶滅しない。されば、ありがたく狩り三昧となるのは必然のことだった。
ここまでの道中でグランの料理スキルもだいぶ成長した。
肉料理に限ったことではあるが、焼く・煮る・蒸す・燻すなどなど、何をしてもルーシャが絶賛してくれる。
特に大絶賛だったのはローストビーフを模した肉料理。
焚き火を利用しての料理とあって火加減が高難度の料理だが、遂にグランはローストビーフを作る事にさえ成功させた。
それに加えて、ルーシャ作のソースを垂らせばそれは絶品から超絶品へと格段に進化し、暗い世界が眩く輝くかのような心地にさえなってしまう。
口内でとろける脂身と爽やかな果実由来のソースの味を忘れることはもう不可能。
食べたが最後、ローストビーフの虜にされた男女は無我夢中でその肉を口いっぱいに頬張り、正気に戻った時には腹はこれでもかと膨れ上がり、数時間動くことすら不能に陥ってしまう。
そのせいでローストビーフが当分禁止になったことは言うまでもない。
「「ふわぁ……」」
月光差し込まない夜、本日もグラナード・スマクラフティーとミステルーシャ・アプスは決まった時間に眠気に襲われる。
体内時計で言えば23時を過ぎた頃だが、一日中歩きっぱなしと言うこともあり完全に脱力モードである。
「夜間に魔物の類はほとんど居ないし、念には念をで高台に登ってるし、更にはルーシャの結界魔法もあるしで、もう普通に寝ちゃっていいじゃん」
「そう、ですね」
今日の彼らの心持ちは、先日までと異なっていた。
「「おやすみなさい!」」
焚き火の炎を消して、二人はぐっすり眠りにつく。
旅に出てから数日。
彼らは夜中の警戒心を完全に捨て去り、遂に見張り役を撤廃して普通に就寝することになる。
そして遂に、拠点を発って1週間が過ぎる。
岩肌の大地をようやく抜けた先は山岳地帯で、その麓と周辺には再び緑の世界が広がっていた。
敵軍の拠点はその山々に隠れて見えず、今どれだけ近づいているのか予想も付かない。
「はぁ、今日は早めですがここで休憩しましょうか」
「そうだな。にしても、麓に丁度いい遺跡があって良かった」
「多分ですが、この山地を越える為の拠点的な役割をしていたんじゃないでしょうか。昔の人々がわざわざこれを越えようと拠点を構えていたのなら、この先には相当なものがあると言うことですし、なら一層ラグラスロ一派はそこを本拠地としそうですよね」
とは言っても、だ。
「ここまで歩いてきて今度は山越えですか。キツいとしか言いようがないです」
「それな。丁度いい乗り物でもあれば楽なんだがな」
「乗り物は……当然ですが無いですよ。ラグラスロさんみたいに飛べるのがやはり一番便利。いいなぁ、あれ」
言いながら、ルーシャは横目でグランの顔を覗く。
『ねえ君、飛びなよ』と目が訴えている。明らかにグランの望みに応える魔法『オリオクタ』に期待している。
「あー、魔法の噴出力で浮くことくらいならできるぞ。この世界に飛ばされた時にもそれで高所から落下せずに済んだし」
「っ!!」
目を輝かせてあからさまにグランの顔を覗き込む。『明日からそれで行くぞ。私も乗せなさいよ』という表情だ。
「すぐ魔力切れで墜落死エンドだぞ。それでいいなら明日やってやるから楽しみにしてな」
「や、やめてくださいごめんなさいいいいぃ!!」
「わかってるって、冗談に決まってるだろ! てかルーシャがそこまで取り乱すの案外これが初めてだな」
「何言ってるんです? 取り乱したのは演技ですよ。いいオチになったでしょ」
急に真顔に戻るルーシャの切り替えっぷりに、グランは『よくもやってくれたないつか仕返ししてやるぞ慌てふためく姿を楽しみにしとくぜがはは』という気持ちを込めた不敵な笑みを送ってやることにした。
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ふたりが闇の世界を北へ歩き続けているその頃。
とある山脈と峡谷を越えたその先、そこには広い平原に居座るがごとくして存在する巨大な城がある。
何を隠そう、プロスペリテ城と呼ばれるその古城こそが黒龍ラグラスロ率いる軍の根城である。例の如く、その屋上には彼ら一派の参謀たちが集結していた。
刺客としてメイアと対峙したご存じカラピアとゴース、そしてフィースト・カタフを始めとして、バーティ、イッポス、ザガン、アスタロと言ったメンバーからなる黒龍の参謀達。
今まで何度も会議をして来たりしたが、しかし、本日の集まりはいつものそれとは異なっていた。
否、彼らの心持ちは普段と異なる、の方が正しいか。
「ここに来て初めてやる盛大なイベントだッてのによォ、柄にもなく若干緊張が残ッてやがるぜ、俺は」
「なんだカラピア、ビビってやがんのか? だらしねぇ、もっと堂々としてりゃいいんだよ」
「逆にザガンはいつも通りすぎるのよね。この計画、カラピアもザガンも両方お似合いだと思うのだけれど」
かねてから計画されてきた大イベントの勃発を目の前にして様々な言葉が仲間内で交わされていく。この場面だけ見れば、彼らの集まりは和気藹々とした様にも思えても何らおかしくはない。
しかし一度黒龍ラグラスロが口を開けば、場は一気に冷徹な空気に包まれる。
「我の予想通り、奴らは拠点を出て旅立ったようだ」
その言葉にフィーストが即座に反応する。
「おおおお、楽しみになって来たじゃん。このイベント、盛り上がること間違いなしだよ」
「それで、ラグラスロ。確か奴らが行動を始めたらそれが『大侵攻』の開始合図だったよな? じゃあもう、」
「始めてもよいのではあるが、できることならグラナードらを先に陥落させておきたいところではある。それが最善の道であり、現段階で可能な最大の戦力に繋がる」
ザガンの口から出た『大侵攻』の名を冠する計画。
それにはラグラスロのかねてからの支配願望が込められていた。この世界を闇に染め上げたのは、何もただ自らの力を見せつける為だけではない。
「統制された世界の構築には、必ずシナリオ通りに行かないことがある。まずは、その異分子なり得るそれを先に排除しておくべきだ」
くどい言い回しの文言だがフィーストはその意図を完璧に汲み取ってみせ、志願する。
「そこで僕の出番ってことでいいのかな?」
「全力で臨むと言うのなら任せよう」
「それは当然さ。今度こそ決着が付くんだ、手を抜くなんてとてもできない」
フィーストの言葉に合わせるようにして手に握られた青槍が妖しく微光を放つ。永らく存続するカタフ家に伝わる秘宝の一つがこの槍であり、彼が失踪する時にこれを使用していたことから今もこうして力を発揮できている。
「最初はフィーストも槍頼みで君自身は普通の強さって感じだったのに、今ではそれがなくても十分戦えるほどだよね」
「なんだいイッポス、褒めたって何も出ないよ」
「褒めてるだって? まさかまさか、君本体が弱すぎて蟷螂の斧の構図にならなくて良かったねって言う皮肉に決まってるだろう」
「だからよぉイッポス、ガキのなりして難しい言葉使うのやめろっての。なんだ、言わないとダメな呪いなのか?」
「癖を呪いと表現していいのなら、呪いだね」
フィーストに軽く皮肉を溢し、柄の悪い男ザガンの絡みにも優雅に対処してみせたのは、姿形が完全に子供のイッポスである。
子供だからと言って舐めてかかると瞬殺されかねない本当に恐ろしい存在で、単純な攻撃力で言えばラグラスロ軍の中でもトップを争うくらいだ。
左腕には包帯が巻かれていて、まさに「左手が疼く」状態になっているらしい。
「それでラグラスロ、新入りの方は今どこに居るのかしら? あの人もこの作戦で活躍する重要な人材なはずなのだけれど」
質問したのは、常にイッポスと行動を共にするゴスロリ服を見に纏った魔女のバーティ。彼らの中で最も魔力量・魔力はずば抜けて秀でている。
「DOWNSSSTAIRRRRRRRS !! 」
「……ああ、下でおねんね中だったわね」
「相変わらずアスタロの話し方は翻訳に時間を要するけど、初期の艱難辛苦に比べればスムーズに話せるようにはなって来たよね」
「DEFFFINATELLLYYYYY!!!!!!!!!!! 」
かく方々で常々叫び散らかしているこの男はアスタロ。全身を特殊な金属で作られた鎖で包み、その全貌を見ることも彼の精神状態を読むことも全くできない。
まさに彼は狂人の一言でしか言い表すことはできない。
「それで」
魔女バーティが再度聞く。
「あの子は今後どこで活躍させる予定なのかしら。やはり『大侵攻』の前線で頑張ってもらうくらいの実力がなきゃ困るわよ」
表情からは何も悟らせない二者による視線の交わり。
魔女帽の影から覗かせる眼光が『真面目に答えなさい』と黒龍を捉えて離さない。
黒龍はそんな彼女の、上の者に対する高圧的態度を何ら気にする様子もなく、ただ翼を広げて威丈高に主張する。
「心配無用だ。力を試すという意味でも他の意味でも、とにかく、最初の仕事として最善の役を用意してある」
「他の意味でも、と言うのは?」
「何、簡単なことだ」
「 ______ 」
黒龍の顔に笑みは視認できないが、ただ確かにいま、邪悪ともとれる凄みを含んだ笑いを呈したことにこの場の誰もが気付いた。
それだけでない。フィーストのよくやる悪巧みとはまた一線を画した爆弾計画が執行されるのだと、そこまで確信する。
「………………まさか、ラグラスロ」
「………………これは余興だ。フィーストと共に、グラナード及びミステルーシャの撃破に向かわせる。それから、待ちに待った『大侵攻』を始めよう」
ラグラスロがそう宣言した丁度その時、階下で眠りについていた人物、つまり例の新人が意識を覚醒させていた。
「ここは、、、」
周囲を見渡すと、どうやら自分が暗く狭い部屋にいたらしいことが判る。
感覚が鈍っているのか、まだ頭が完全に目覚めていないだけなのか、とても気分が宜しくはない。そもそも、ここが何処なのかも分かっていない。
ただ、
( ああ、行かなきゃ )
光沢の消えた虚な目をしたその人物はただそう思った。
ふらりと立ち上がり、部屋の扉を開ける。
( まずは、行かなきゃいけない。そんな、気がする )
でも何処へ? 何の為に? なんて、そんな考えはとことん破棄して、謎の使命感に心を委ねる。
( そう、私は_________あの男のところに行く。そうすれば、何か大事なことをハッキリ思い出せるはずだから )
桃色の髪をした新入りの少女は、今日も戦う。




