第一章39 それが法則であるならば
________翌日。
残念にも雨天が空を包み、ひんやりとした水滴が髪から頬へと這う。
そんな中だが、メイアはグリムと宿を出てアンスターの役場に赴いていた。その目的は裏世界への道を開けるか否かの最終決議が下される会議が開かれるからである。
昨日の内にメイアは一人で街を騒がせる緊急指定生物のフェストグリフォンの群れを討伐。グリムは改めてその強さに感動していたが、同じく監視していたアンスターの役員は「嘘だろ……」と言って硬直していたという。
さて、何はともあれ準備は整った。
二人は昨日の町長室とは違う、広い会議室へと入室する。
中央に大きな長机がひとつ設置されているだけの簡素な部屋でで、ただ対談する為だけに存在してます感が凄まじい。
だが、
ゾワリ_______ッ、と。
そんな感想を心中で溢す暇すらも与えてはくれなかった。入室と同時に集まる議員らの視線。『まだ可愛い子供じゃないか!』というものから『手間とらせやがって』というものまで、様々な感情の入り混じったそれは、一気にメイアの余裕すらも打ち消してしまうように思われて。
「皆さん、今日はどうもありがとうございます!!」
なんて、そんなことは完全な杞憂だった。
それどころか唐突な感謝の言葉に場が騒めく。集まってくれたことに対して、という風に議員総勢は感謝の意図を解釈するに収まるも、実のところは違った。
( ふふ〜ん。『禁忌の門』を開いてくれて、ありがとうございます!!ってね )
昨晩、グリムから言われたことをメイアは脳内復唱する。
禁忌と呼ばれるに至っただけあって議員達は扉に封をすることを頑固一徹して固守するだろうことは予想の範囲内。メイアの願いに反対の声を挙げる者がほとんど、全員の場合も考えられる。
『だからこそ、自分は全く否定されるなんて思ってない。許可してくれるんてでしょう? と語りかけるような態度で臨んでください』
会議室には町長の他に計11人の議員が集まっている。若い男性女性も居れば顔に深い皺を刻んだ者もいる。
メイアは彼ら全員の顔を一通り見渡して、その上でにっこりと満面の笑みを浮かべてみせた。緊張が走るのはメイア達でなく、アンスターのお偉い様方の方である。
「______早速だが」
盤外戦術が型にハマろうかとしていたその瞬間、町長カイがついに口を開く。
「メイア・スマクラフティー氏とそのお付きの者、グリム・ベム氏。本日は貴殿らの要望であった『禁忌の門』の開閉について、ここで最終的な決定を下したいと思う」
「はい!!」
「宜しくお願いします」
「まず最初に、昨日、我々だけでこの件についての討論をさせていただいた。その際に議員達から出た意見を簡単に紹介しよう」
「……簡単に、ですか」
グリムはたったの一文節も聞き逃さなかった。二人にとっては非常に重大な議題であるのに、討論で出された意見が簡単にしか説明されないというイレギュラー。
( まあ、粗方その理由は想像付きますが…… )
「まずひとつ、『反対』。そして次に、『禁忌は解くべきでないから禁忌である』。最後に、『いかなる理由も禁足地に踏み入る理由にはならない』だ」
「つまり、総員が賛成とは真反対であると」
「さよう」
カイが短く答えると、他の議員達もそれに頷く。
全員が全員同じ意見であれば、それこそ細かく説明する必要など皆無だった。
どんな条件、状況、背景があろうと、彼らの意志が揺らぐことは決してあり得ない。
「なら、もう結果は目に見えて分かっている訳ですか」
「なんだ、案外素直に認めるのだな」
「え、何を? 開けてくれるってことなら最初から分かりきってることですけど______ 」
ガタン!と一人の男性が机を叩きつけ怒りの形相で立ち上がる。空気に似合わぬ戯言を吐いたとして眼光を煌めかせ睥睨すると、メイアにその怒りを吐き散らす。
「おい今なんて言いやがった! 門を開けてくれるだと? まだガキだからって調子に乗るんじゃねぇぞ。カイさんの話を聞いとらんかったのか? 俺らはみんな、反対してるって言ってるんだよ!」
怒号が部屋中に行き渡ると、同じく気分を害したその他数人が乗じて文句を言い垂らし始める。
「あなたがどれだけ苦労して絶望したか、そこについては心中察するけどね、だからって確証もないことで遠い過去から守られてきたことを破れるはずないでしょう!」
「はぁ……ほんっと〜に子供は何でも好きに言うのよねぇ」
「人の話を聞かず自分の願いだけ押し通そうとするたぁ、この先君が大人になってからを考えると本気で思いやられるのよな」
「一言で言って、理解不能」
部屋はメイアの爆弾発言を受けて罵詈雑言の嵐と成り果てる。文句を言わずに静観している議員も呆れ顔といった様子で、空気はことさら最悪だ。
「黙れぃッッ!!!」
しかし、たった一言で全ての罵倒の音を薙いでみせたのは他でも無い、アンスター最高権威者カイであった。
シーンと冷たく停止したような会議室の中、ただ雨の降る音が静寂の気まずさを和らげる。
「メイア氏、貴殿は場違いなことを言うような人間ではない。それで間違いないな?」
「そりゃ当然です!」
「そんな彼女が自信満々に言うのだ。とんだ酔狂だと罵る君らアンスターの議員よ、まずは話を聞こうじゃないか」
その言葉を聞き、グリムはその顔を見られないよう俯きながら不敵な笑みを浮かべた。作戦通りだ、と。
メイアと目を合わせ「予定通りにどうぞ」とアイコンタクトで指令を送ると、メイアも「了解!」と頷いていつもの調子で語り始める。
「まずひとつ、これは単純な疑問。なんで裏世界への道を閉じているのが扉なの? 禁足地なら、もう絶対に何人たりとも入れないよう固めてしまえばいいじゃない。扉である以上、それってつまり開けることを想定してるんじゃないの?」
「ふむ、それで?」
「次にカイさんについて。皆さんが私の要望に反対しているのは承知してます。ですが、カイさんはどうなんでしょうか。先程も『議員達の意見を簡単に紹介する』と言って、自分の意見は並べ立てなかった」
実際のところ町長はどうなんですか、と言うような目線がカイに集中する。目前のことに躍起になるが余り誰もが気付かなかった盲点をすかさずメイアは突いてきた。
「誰もが怒号を浴びせるなりする中でも冷静に対処してきたカイさんなら、この場で最も最適な判断が下さるはずでしょう?」
「ふふ」
カイの顔が若干綻んだ。
「いやいや、本当に貴殿らは聡明だな。そうか、私が己の意見を出していないことに気付いていたか」
「というか、そもそも私達はカイさんだけをあてにして今日、この会議室に来てますから」
「はっは、いやはや素晴らしい。私が賛成派の立場であることまでも見越してあの立ち振る舞いとは、こりゃ私の予想を越されたな!」
「なっ____!! そ、それは本当ですか町長!」
「こんな場面で嘘は付かんよ。私は賛成だ」
転機はやってきた。
ここまでの非難轟々を超えたその先に、グリムが予想していた通りの展開が回ってきたのだ。
カイは堂々とした様子で語り始める。彼の独壇場だ。
「ここまで種が明かされたところで、本題に入ろうか。ここで私が提示するのは3点」
三本指を立てて分かりやすく説明を始めていく。
「一点目、メイア氏の過去の業績等について。申し訳ないが、昨日我々の方で貴殿の情報を調べさせてもらったよ」
「え!? 情報って、私に何か調べるほどのものがありましたっけ?」
「勿論とも。貴殿はつい最近まで大都市ユニベルグズの方で魔法について学んでいたそうだね。それで、大手魔法研究施設アルティで第三位であった我が息子、アルベド・ロダンを抑えてメイア氏が第三位の座を得たと、そういう情報が入っているよ」
ユニベルグズからアンスターまで大分離れた距離にあるはずだが、たった一日でそこまで調べられてしまうのかとすこぶる驚嘆させられる。
辺境の村に住んでいてメイアが知らないだけで、世界の情報網は人が馬車で移動するよりも恐ろしく速かったようだ。
「って! いやいやそうじゃなくて、アルベドさんって黄色い髪色で元気な、あのアルベドさんですよね? カイさんと血が繋がってたんですかっ?!」
「確かにそのアルベド・ロダンは私の息子だよ。昨日私がロダンの姓を名乗ったときに不思議な反応をしたのはどうやらそういうことだったらしい」
「メイア女史、中々に運命的な出会いをしていらっしゃいますね」
「うん、私が一番驚いてるよ」
と、若干路線をズレてしまったことで議員の不満が再び積もり始めていた。無言の圧でピリついた空気を和ませるのは不可能と判断し、カイは「うぉっほん!」とわざとらしく咳払いをして再び本題に入る。
「そういう訳で、メイア氏の業績・過去については十分な評価に値する。では二点目だが、彼女の強さだ。まあ、これは一点目での内容を踏まえれば明らかだが、加えて昨日フェストグリフォンを単独掃討。我々の予想を遥かに上回る結果をもたらしてくれた」
「まあ、ちょっと三方向を囲まれた時はちょっと焦りましたけど……」
「それでもちょっとなんだ、何も恥じることはない。それに、最も重要なのは次の三点目、『禁忌の門』とその奥地についてだからな」
カイがそう言うと、「ええ、当然です!メイア氏がどんな人間であろうと、『禁忌の門』の特別性を無視してはいけない!」と若い議員が再び声を荒げる。
それを受けカイはきりっと目を尖らせ、圧を掛けるように質問する。
「君は、その発言から考えるに扉の特別性にしか注目していないと捉えていいのかな」
「え、いや……別に、そんなことは!」
「そこの坊主、とりあえず黙れい。素直に認めろ」
更に高齢の議員が口を挟む。
「そこな奴とは違い、わしはその先の裏世界とやらにも焦点を置いていてな。過去の記録によれば、フェストグリフォンなど塵芥にも思えるほどの災厄が向こうにはいるという。そもそもこれが『禁忌の門』で侵入禁止になった理由だが、なら彼女がいくら強いと言えども無駄に散るだけだろうよ」
「うむ、一般に災厄がこの世界に来ること、そして犠牲者を無くすことを理由にあの扉は閉ざされているとされているな」
同調するように首を縦に振りながらカイは老獪議員の言葉に追加情報を加える。
しかし次の瞬間、綺麗に手のひらを翻した。
「しかしながら、これは偽りだ」
その一言が空気を澱ませる。何を言っているんだと表情が曇り、冷めつつあった苛立ちはより勢いを増して再燃し始める。
「なら何故、我々には真実の情報が伝わっていないのですか。どうして町長だけが真実を知っておられるのですか」
「当然の疑問だな。簡単に言えば、厄災を理由にしておいた方が人々が封印に納得できるから。それと、過去何者かが勝手に提唱した偽の理由がいつの間にやら世界中に広まっていて、既に手遅れだったことも含まれる」
すると、続いて女性議員がため息をついて尋ねる。
「では、何が正しい情報だといいますのよ」
「元々あの扉が建てられた要因は、裏世界には人間が立ち入ると死に至る領域があるからだ。この領域と、それを突破するための方法については昨日の会議で話しただろう。昔、不可侵領域を開拓する手段を持たなかった人々は裏世界の開発自体を諦めた。だが、今はどうだ?」
「彼女には道を切り開く手段があるからもう『禁忌の門』が閉ざされている必要がないと?」
「その通りだ」
カイは即答した。
「メイア氏は今まで私たちが不可能として塞ぎ込んできたものを可能にする術を知っていて、そして実際に持ってきた。では、我々はどうする。このまま停滞を続けるか? それとも先へ進むか?」
===================
熾烈を極めると予想された会合は、それから数分の内に結論が下されることになった。
結果は、堂々の【開門許可】である。議員らの条件付きの妥協の末に、ついに全会一致の賛成を貰うことに相成ったのだ。
その条件と言うのが、以下の三項である。
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・問題が発生した際は町長カイ・ロダンとメイア氏、グリム氏の三者に全責任を負うこと
↓ ↓ ↓
【修正】責任は全てカイ・ロダンのみに負われる
・グリム氏はメイア氏の帰還までの間、『禁忌の門』の見張りとその他問題解決等に尽力すること
・メイア氏は必ず目標達成し、無事に帰還すること
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会合が終わると、会議室にいた面々は皆同じくして役場を出て『禁忌の門』前までやって来た。
先程まで降っていた雨は止んでいて、曇天の中から差し込む暖かい陽光が斑に各地を照らす。その明かりはまるでメイアのこれからを応援するかのようにも見え、吹く風も優しく髪を撫で靡かせる。
「しかし、ここまで早く終わるとは思ってなかったですね」
グリムは予想外だったと心中を吐露する。結果的に認可を貰えるだろうと楽観的に考えてはいたものの、議員全員を説得するのは時間と根気が勝負になるだろうと考えていた。
しかし見事なカイの情報量と説得力があっていい意味で予想は裏切られ、こうして相手の根気負けを誘うことができた。
「カイさん、私の願いに賛同してくれてありがとうございます!! カイさんの説得のおかげで先へ進めます!!」
「はっはっは! メイア氏の覚悟が生半可なものなら私も反対していたんだがな。徹底した楽観的なメンタルと鍛えられた実力共に素晴らしかった。どれも君の活躍の賜物だよ」
「いえいえ、そんなぁ〜」
謙遜することなく照れ照れと頬を赤らめ、自分の実力に軽く酔いしれる。これもメイアのポジティブシンキングの賜物か。
( 前々から思ってたことだけど、やっぱり私って幸運な女なのかも〜? )
「私って幸運な女なのかも、なんて考えてそうな顔してますよメイア女史」
「なっ!何故バレたし!」
「図星でしたか。どうしても何も、そんなニマニマされてちゃ予想できますよ」
緊張から解き放たれたことでグリムだけでなくメイアも ( 会合中から元気だったような気がしなくもないが ) 殊更柔らかい雰囲気を放ち続けている。
「ですが、厳しいのはもしかしたらここからの可能性もある。いや、どちらかと言えば可能性は高いでしょうね」
一度顔を上げて先にある巨大な扉に目をやると、その微笑の顔もマジメモードに切り替わる。
「そんなことはわかってる。それに、お兄ちゃんが帰ってきたとき、お兄ちゃんは私がどうあることを望んでいるか、でしょ?」
「………ええ、そうですね」
約4ヶ月前、メイアは兄を失い絶望に明け暮れていた。
その時グリムが言ってくれたその言葉を、メイアはまだ覚えていた。グランが帰ってきて、果たして妹に絶望していて欲しいと思っているのかと、そんな意味を込めて放った言葉。
「いよぉおおおおおーっし!! すぐ迎えに行くよっ!!」
今までの経験と想いを刹那的に振り返り、意気揚々と両腕を振り上げて言う。
メイアがこれほどに元気に振る舞っていると、誰も彼女ら兄弟が壮絶な過去を体験しているなど想像できないだろう。彼らの過去を見てきたグリムですら想像し難いと感じている程なのだから。
「メイア女史、そんな大声出してると何も知らない街の人々から変な目で見られますよ。まったく、絶望と一緒に恥ずかしいと言った感情もどこか置いてきたんですか」
「いやそんな簡単に感情って手放せないからねっ?! 」
「天真爛漫はメイア女史を特徴付ける最大の側面ですから悪いことじゃないですけどね」
「あら、そ〜お? じゃあ……」
悪戯っぽい笑みをグリムに向けると再び両腕を振り上げ、
「待ってなさぁぁい!! 【恐れ知らず】の私が今から向かってやるんだから!!」
恥ずかしさを振り切った大声で扉に向かって言ってみせる。グリムはやれやれと手を頭に当てて、
「あの、なんでまた叫ぶんですかね?」
「はっはっは! いいじゃないか元気で! 前途ある少女の雄叫びとはこれほど頼もしいものなのだな」
「雄叫びとはちょっと、いや結構違うと思いますが」
「細かいことは気にするなかれ、だよ」
町長カイも厳かな風格をしてはいるが、メイアと同様に元気なアルベドの親だ。こんなことには慣れきっているのだろう。
( 私もメイア女史のお陰で慣れてはいますが、街中となるとやはり別の恥じらいはありますし……)
「ところでカイさん、この扉はどうやって開けるの?」
グリムがあれこれ思考に耽っている間にメイアは単純な疑問をぶつける。
何の準備もせずに扉前まで来てしまったが、『禁忌の門』について説明している看板には人力で開けることは不可能と書いてあったはずだ。
見たところここに居る町長を含め議員全員が先程と変わらず手ぶらで、これから途方もなく重い扉を開ける準備ができているとはとても思えない。
しかしカイは微笑して自慢げに話す。
「なに、簡単なことだ。歴代の町長にのみ伝えられている秘伝の方法があるのだよ」
「なにそれカッコイイ」
「そうだろうそうだろう。聞くより見たほうが早いし、では早速やろうか」
カイはそう言って巨大な扉に両手で触れるとたった一言、魔法の詠唱を誦じた。
「『解錠』」
すると、びくともしなかった至極頑丈な巨大扉に青い線が走り、不思議な幾何学的紋様が浮かび上がる。最後に青線が扉の中心を縦に走り抜けたところで、その中央線を境に扉が開き始めた。
「ま、まさか魔法で開ける仕組みだったとは……」
「凄い以外の言葉が出てこないね、これ」
メイア、グリムがそれぞれ感想を溢す間にもゴゴゴゴと轟音を鳴らしながらゆっくりゆっくり、『禁忌の門』は開かれていく。
そしてピタッと、半分くらい開いたかと言った程度のところで動きは止まってしまった。
「あ、あれ? ここまでしか開かないの?」
言ってカイの方を見ると、先程までの元気な姿とは打って変わって膝をついて荒い息づかいをしていた。
「カイさん?! ど、どうしたんですか!」
「い、いやぁ……この魔法、とんでもなく巨大で重い扉を開けるからその分尋常でない魔力を消費するらしくてな。齢五十を過ぎた私にはもうこれで限界らしい」
「でも十分に人が通れるだけ開いてますから、とてもありがたいです!ありがとうございます!」
ちらりと開いた扉の先の様子を見てみると、奥の方に城塞のような建物が見える。あれが、裏世界への入り口がある場所か。
扉の先にもアンスター外に見られたような石柱やらが散在しているらしく、元々存在していた入り口を無理やり囲っているだけのよあだ。
扉横の看板によると、空からの侵入には撃墜システムが発動するとのことだが、パッと見だけでは視認できない。
「でも、これでやっと裏へ進めるよ」
「ここからはメイア女史だけで行動することになります。もう、準備はいいですね?」
「うん!!」
力強く頷く、たったそれだけの仕草なのに信頼できてしまう。だからグリムも返事をするように静かに頷く。
扉が開いたことでアンスターの住民が集まり始めているが、遂にここまで来たという心の高なりで気にならない。二人は真っ直ぐ前を見据える。
「メイア氏、グリム氏、人も集まって騒めき始めておる。そろそろ発った方が良いだろう」
「わかりました。必ず、お兄ちゃんを連れて帰ります!」
「私はいつまでも、スマクラフティー兄妹の帰りをここで待ち続けます。いってらっしゃいませ」
「ありがとう、行ってきます!」
メイアは途中まで開かれたその『禁忌の門』を最後に一度見上げると、「よしっ」と呟いて一歩ずつ踏み出していく。
扉を潜ったのはメイア一人でも、決して自分は孤独ではなかった。グリムが、ダルジェンが、エスティアが、ハバキリが、ナハトが、バッハが、ハンニバルが、アールが、カイが、そしてグランが皆、メイアの成長と前進に期待して見守っている。
そんな期待を背負った少女は振り返ることなく進み、女性が開けるにはやや重い扉を開けて要塞の中へ踏み入る。
中は質素なもので、特に装飾が施されていたりはしない。ただひとつ、部屋の中央、そこの床に空いた大きな穴だけが異質であった。
「もしかしなくても、これが裏世界への入り口だよね」
ゆっくり顔を覗かせてみると、その先はどこまでも闇だった。底など見えず、深く深く奈落まで続くような真っ黒な世界。それは、本当に落ちてもいいのだろうかと不安を煽ってくる。
「ん? なにこれ」
大穴の横に短く、『ここをくぐるものよ あたまからいけ』と文字が刻まれていることに気付く。
「頭から飛び込めってことね。怖い、怖いけど、やるっきゃ無いんだ」
落下死するかも知れないという恐れが本能を刺激する。実際、これで裏へ辿り着けたとしてもこの高さでは何がなんでも助かるとは思えない。
だがしかし、
「ここで、立ち止まってられないんだよおおおおおお!!」
手を頭の上で合わせ飛び込む!
どれだけ落ちても先の見えない常闇の底へとてつもない空気抵抗を受けながら進んでゆく。その上がりきった落下速度が故に、いつの間にか全身が水中に包まれていたことに気付けなかった。
______否、空中と水中の境界面が無かったと言うべきか
水中に突入したにも関わらず、身体を襲う感覚は空気中にいるのと全く大差無い。
水中を沈んでいるのか、だとしたら沈んで沈んで沈んだ先に待ち受けるのは空気のない世界なのか。
ザバァンッ!!と。
水飛沫を上げて、メイアは大きく息を吸った。それが無意識的に行われた行動だったから気付くのが遅れたが、メイアは既に浮上していたのだ。
( 沈んでいた訳じゃ無かったってこと?)
奈落へ落下していたはずなのに、気付いたときには浮上していた。おそらくそれが、この場所が裏世界と呼ばれる原因。
「じゃあ、私は裏世界へ来れたんだ。そうか、ここが」
目下にあるのは広大な大自然だった。
一言で表すならば、緑に富んだ世界。メイアが辿り着いたのは深く美しい小さな池で、背後には絶壁が広がっている。どこからか鳥たちの歌う声も聞こえてくる。
「そう言えば、肝心の異世界への入り口……歪み、だっけ? それがあるのが地点(0,5,1)付近という話だったけど」
池から地上へ上がり、見える範囲の自然を見渡す。何故か全身濡れておらず、乾かすなどは気にせず進めそうなのは幸運だが、何より今から行くべき場所がわからなきゃ進めない。
「えっと、地点(0,5,1)ってのは確か数学的に座標を考えたときの表現方法だったよね。となると基準となる地点(0,0,0)がどこなのかが問題だけど……流石にここか」
つまり、異世界への入り口である歪みがあるのは現地点から北に500メートル、そして高さ100メートル程辺り離れた場所ということになる。
とは言え、侵入不可域は半径1キロほどに渡るらしいから実際の歪みはもっと遠い可能性があるが。
「じゃあ私が目指すべきは………多分、あの山かな」
これから行くべき場所を大まかに見据えると、メイアは再び歩き出す。
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闇と、そう表すのがピッタリな場所だった。
そんな寂しい場所の枯れた木の枝に寄りかかるひとりの男がいた。彼は退屈そうにくつろぎ、一点を見つめている。
視線の先にあるのは何の変哲もないただの洞穴。
入ってもすぐに行き止まりに差し掛かってしまうような洞穴なのだ。
彼はここをもう何年も観察し続けている。退屈でつまらないと感じながらも、しかしいつか面白いことが起きるんじゃないかと今まで観察を続けてきた。
「はぁ、今日も収穫なしか。最近になって面白い出来事が沢山起きてるからこっちでも何か起きるんじゃないかと思ってたんけどな〜」
そうぼやきながら深いため息を付いて移動しようとした、その時だった。
コン、コン、コン………と。
何もないはずの洞穴の中から何者かが歩く音が響いた。
彼は一度も人が中に入るのを確認してないし、先程中に誰もいないことは確認済みだ。
ニヤリ、男は顔を歪めた。
「( へぇ? これはこれはこれはこれはキタキタキタァ。やっと、楽しめそうじゃん ♪♪ )」
そして、洞穴の中の人物は姿を現した。
それは桃色の髪をした少女だった。髪が肩に掛かるか掛からないかといったくらいの長さの可憐な女の子。
そう、彼女の名をメイア・スマクラフティーと言う。
「ここが、異世界。こんなに禍々しい世界なの?」
太陽も月も星も無い闇の世界にやってきて、少女は戸惑った。
光源がどこにも無いのに視界は明瞭。そんな世界に来てここからどうすれば良いのか迷っている感じだ。
だが。
「………っ!!」
少女は突如として全身を貫いた恐ろしい殺気に足を止めた。
兄のグラナード・スマクラフティーと同様、するどい感覚で他者の悪意や殺気を感じ取れる後天的能力の賜物だ。
敵が背後にいると察知した瞬間、彼女は大都市で培った反応速度で振り向き臨戦体制を取ろうとし、
ぐしゃり、と。
少女の胸が、青い棒状の何かに貫かれた。
それが特異的な形をした槍だったと気付いたときにはもう口から血を噴き出し、膝から崩れ落ちる。
「やあやあ、こんにちは。いや、暗いからこの世界じゃずっとこんばんはかな? どっちでもいいけど、残念だったね〜。君もグラナードと同じで殺気探知型の人間だと予想してすぐ槍を投げたんだけど、正解だったらしい」
「あな、たは……お兄ちゃん、を、知っている……?」
「うん、知ってる。やっぱ君がグラナードの妹で間違いないようだね。君たちは兄妹で戦闘センスがあるのか、驚いたよ。とても良い反応だった」
突如現れた謎の男の話に耳も貸さず、少女は血反吐垂らしながら氷塊の魔法を放つ。
「そんな状態で無理するなって。ほら、素手でキャッチできるくらい脆くなっちゃってるよ」
パリンッという風に氷塊は砕け散る。それを見て四つん這いになっていた少女メイアは完全に崩れ落ちた。起き上がるだけの執念も残されていない状態らしい。
「ま、だ。おに、いちゃん、に、あって、な、い。まだ…………しね、ない………!! 」
「その状態じゃもう無理だよ」
こんな法則があったのを覚えているだろうか。
良いこと、つまり幸福があっただけ、その者を不幸が襲ってくるという法則を。
今までメイアという少女に起きた幸福にはどんなものがあっただろう。
大都市にやってきたこと。そこでナハトに認められたこと。ナハトの家に居候させて貰えたこと。所長のトレーニングを受けれたこと。兄のもとへ至る鍵を手に入れたこと。『禁忌の門』を開けてくれたこと。そして異世界へ辿り着いたこと。
もしかしたら他にも沢山の幸福があったかも知れない。
そんな幸福の和がしかし一気に「死」という代償に変化して今、メイアを襲ってしまった。
「僕の名前はフィースト・カタフだ。死ぬ前に覚えていってね、宜しく」
段々と意識が薄れていく。
視界がぼやけて、温かい血の絨毯に身を投げ出して、甚だしい睡魔が意識を断ち切らんと主張する。
あっけなく、本当にあっけなく。
この日、この暗い世界で、一人の少女の命は尽きた。
今回もお読みいただきありがとうございます!
以前に「法則」の話が出たのは「グラナード・スマクラフティー①」の時ですね。
他にも地点(0,5,0)なんかも随分前の「平行した世界にて」で出た話なのでお忘れになっている方がほとんどだとは思いますが、ぜひ振り返ってみて下さい!
では、また次回と評価もよろしくお願いします。




