第一章30 with ハンニバル・K ②
ヴヴヴヴぅぅぅーーーーと音を立てながらその機械、エレベーターは3人を乗せて降下している。ガラス張りの面から見える景色が暗闇から一転すると、地下に広がる大空間が姿を見せる。
白を基調とした空間、その中で闘う者やひとりで魔法を放つ練習をする者の姿が伺える。
つまり、目下に広がるのはトレーニングルームである。
「へぇ〜、これが大陸随一の魔法研究主要都市最大の研究施設たる所以ってことか。岩山をうまく利用した建築構造が一層その名声に貢献しているんだろうね」
初めて施設に来たアールは目前の光景に感嘆しながらも、冷静に情報を整理し始める。
「先々代の所長が大改革と銘打って地下にこの部屋を作るまでは並みの研究施設だったがな」
「それは批判の声が多かったろうねぇ」
「そうらしいな。だが先々代が批判を押し切り強行すると、大衆はすぐ手のひらを返したように大絶賛。そうしてここは街で最大になったと聞いている」
ハンニバルは既に畏まった喋り方を止め、徐々に素を出し始めている。メイアにとっては出会ったばかりと言うのもあってか喋り方の差に困惑はなく逆に話しやすく感じていたが、本来、ハンニバルの丁寧な物言いに慣れ切っている研究員からすれば彼の少々乱雑な言葉には動揺を隠しきれないという。
ポンッという鐘の音と共にエレベーターの扉が開いていく。
一歩二歩、自慢のトレーニングルームに入ると中にいた数人が振り向く。彼らはすぐに降りてきた人達の中に所長ハンニバルがいることを視認すると、それぞれに軽い挨拶をする。
「ハンニバルさん!こんにちはっす!」
「こんにちは。ここに来るなんて珍しいですね」
「今日はなぜここへ?」
「僕たちの魔法研究風景の視察ってところですかね」
「いやいや、私の練習に付き合ってくれるに決まってます!」
数人が喋っている言葉の中に、施設名物となりつつある女子の声が混じっていた。言わずもがな、メイアだ。まだ発展途上の胸を張り両手を腰に置いた姿は自信の顕れだろう。
「えーっと、メイア君。別に君は彼らに混じって私に話かけようとしなくてもいいんですよ?」
「え、だってこう言う流れだったじゃないですか」
「な、なるほ、ど」
噂には聞いていたものの、ハンニバルは実際に見て感じて、改めてメイアという人物を知った。トレーニングルームに入ったばかりにも関わらず元から部屋にいた複数人に溶け込み、違和感なく発言する。
彼女には勇気と行動力があると、そう評価する。
______などと考えていると、集まった人々が何やらざわざわと騒めき始めた。
「ハンニバルさんに特訓を監査してもらうって本当ですか?!」
「まさか直々に教えを乞えるだなんて、すごい体験ですよ!」
「これもメイアさんの努力の成果ですね」
「なら、俺らも上位勢のお眼鏡に適うようにもっと研究を積み重ねていかなければなりませんね!」
「よーし、皆んなでもっと発展を目指しましょう〜!」
「「「「おぉーー!」」」」
たった一瞬の間に、人々を指揮するリーダーのような立ち位置にまで上り詰めたメイアがそこにいた。
( おいおいマジかよ。とんでもない才能だな、陽気すぎる性格っていうのも)
「こりゃあ、俺たちには出来ない所業だね?ハンニバル」
「ごもっともだ、ウロボロス」
そう言って話している間にも、盛り上がる彼らの声を聞いて部屋の奥にいた人々も集結している。その様子は言うなれば、餌に群がる蟻の___と、少々気味悪いのでやめておこう。
( お祭り騒ぎになる前に、なんとかしないとな )
所長は億劫に感じながらも皆の前に出て大騒ぎの群衆に呼びかける。
「みんな_______
「「「うええええぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇイッ!!」」」
「………元気なのはいい事だが、そろそろ練_____
「「「昇格してやろうぜぇぇぇぇぇぇ?!」」」
ブチっと、頭から嫌な音が鳴る。
だが、そんな不穏な音は喧騒に打ち消され、誰にも聞こえない。
ハンニバルは静かに考えていた。所長になってから今まで、ここまで怒りのボルテージが昇りつめたことがあったろうか?と。
「君た……いや、お前ら」
ハンニバルの背後で静観しているアール以外は知るよしも無かった。そう、
「さっさと本来やるべき事をやりやがれ餓鬼共ォッ!!!!」
ゾワリッ!と。
第一位の座に就く所長の、限界を超えた怒りの覇気が各人に恐怖を植え付けることになると言うことを。
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大勢の研究員を扇動し大騒ぎにさせたとして、ハンニバルは施設最高責任者としてメイアに注意勧告を呼びかけた。
そのニュースはその日のうちに施設中に行き渡り、むしろ所長ハンニバルの恐ろしさがトレンドに入ることになるのであるが、まだそんなことは誰も知らない。
「落ち着いたか、メイア・スマクラフティー君」
「はい、今の私はかつて無いほど冷静沈着です」
「だろうな。でないと逆に困る」
正座して反省の意を示すメイアだが、その表情は無だった。
トレーニングルームはとても静かな空間になり変わっている。とは言え、誰も人がいない訳じゃない。曰く、先ほどのあの恐怖心で音を立てることすら躊躇ってしまってまともに鍛錬が積めないからとのことだ。
ハンニバルは普段通りやるように呼びかけたいのだが、話しかけようとすると怖がられるのでそれもできていない。現在はアールを派遣して説得させているところだ。
異質な状況下だが、所長たる者動揺してはいけないと雑念を取り払う。まだ成人して数年のハンニバルには荷が重い役だが、それも耐えなければならない。
「落ち着いたなら、早速はじめようか?」
言って、メイアを立たせる。
「これから特訓を始めるが、そっからはいつも通りだ。いいな?」
「はい」
未だ落ち込んだ雰囲気の抜けないメイア。16歳の少女ゆえ、そうなることも必然で不思議ではない。
だが、高い目標を掲げる者としては、それではいけない。
「メイア君。君にひとつ、モチベーションを保つためのちょっとした秘訣を授けよう」
曰く、
「『それはそれ、これはこれ』だよ。たったひとつ失敗しただけじゃないか。何が起きても、自分だけは屈しちゃいけない。必死に前に前に縋り付くんだ」
実際にそう割り切れる人間はいない。
ハンニバルもこれが中々の暴論であるということは承知の上であり、でも、それが正しいと確信してもいた。
たったの出会って数時間の中で、彼がメイアと言う人類を分析した成果として得られたのはただひとつ。
彼女は純粋である、と。
「悔い、とは反省と同義。決してタラレバの思考をして逃避しようとするものではない。ナハト君から少し聞いていた話によれば、君は兄を探しているんだったね。なら、一度は通り過ぎた道だ。なら、一度は再起したはずだ」
だから、今言えることは。
「早く立ちなさい。そして、強くなるんだ」
怒号が全身を貫いた。凄まじい覇気が体を薙いだ。だから落ち込み、お叱りつけるハンニバルの顔色を伺った。
それは、間違いだった。
彼の叱責は、咎める為じゃない。
上下の立場を理解させる為でもない。
________ただ、メイア・スマクラフティーを鼓舞する為に。
「ハンニバル所長、心を鬼にして、宜しくお願いしますッ!」
メイアは強く立ち上がった。
可愛らしい容貌に凛々しさ・勇ましさが加わり、その姿は、ひと月前の刺客の言葉を借りて表現するなら正しく「戦乙女」だ。
「うん、いいじゃないか。もとより心を鬼にするつもりだったが、そうなると私の化けの皮が剥がれるから注意されたし」
「化けの皮って、口調が一変するアレですか? もう既に隠せてませんよ。なんならもう普段から本来の口調の方にしていた方が良い気がするんですけど……」
「ぐッ……なかなか痛いところを。だが、所長として皆の模範となるようにいろいろと」
「誰も気にしませんってそんなこと。ほら、さっきので所長の素がハッキリ露見してしまいましたし、意味ないですって。いつまで模範とか矜持とか言ってるつもりですか」
メイアはここぞとばかりに捲し立てる。つい数秒前まで落ち込んでいた人間とはとても思えない。
「『それはそれ、これはこれ』とは言ったがな、別にこれは過去の過ちを無かったことにしろと言う訳では無___ 」
「ささ!早くトレーニングを始めましょうよ!何するんですか?模擬戦じゃないとなると、私には他に案はありません」
「(こ、こいつぅッ………!! )」
まだ幼い、それも初対面のはずの女子に弄ばれるとはつゆにも思わず、言葉にならない心の叫びが僅かに漏れた。
だが、流石の所長と言ったところか。普段からフォーマルモードとプライベートモードで口調を制御している彼はなんとか冷静さを保つ。
「よし、じゃあすぐに特訓といこうか。ではね、君にはこれから、無限に攻撃を受け続けてもらうよ」
ハンニバルの言葉通り、その特訓は無限地獄を展開した。
「おい、また背後がガラ空きだぞ!」
側から見れば信じられないような光景だが、メイアは最強と名高い所長から一方的に殴打・蹴りを叩き込まれている。
「 どんな戦闘であったとしても、死角を作っちゃぁ駄目だ。少なくとも反応できるようになれよっ!」
「あ"ぃ!!」
まだ始まって数分だが、既に何度も何度も地に叩き伏している。それでも体力の続く限り立ち上がり、そしてまた重い一撃を喰らう。
彼ら2人が現在行なっている特訓とは、簡単に言えば「対応」だ。メイアを遥かに上回る実力を持つハンニバルが全方向360度から自在に攻撃を繰り出し、その刹那的な攻撃を全反射神経を以って防ぐ。たったこれだけの単純なトレーニングだ。
なんて、メイアも最初は考えていた。
反射神経に自信があったメイアは、その予想に反して開始数秒で地獄を見る。魔法『コルティツァ』で氷の武器を錬成し、それで防御することを許されている。だが、そもそもの時点でガードすらできないのだ。
「反応はできてる!だが、動きがトロい!」
気付いたときには既に相手に背後を取られている。気付いたときにはもう拳が目の前に迫っている。気付いたときには……と、心頭滅却の意気も遂には意味をなさなくなる。
脳が敵の動きを認識するのと身体が動き始めるのに誤差が生まれ始めるのをメイアはひしひしと感じていた。
ゴガッ、という様な鈍い音が何度も体内から響いてくる。
「仕方ねぇ、特別サービスに真正面からの攻撃をくれてやる!」
情け。
どんなに攻撃されても防御すら叶わないメイアを案じての妥協の一撃という訳なのか。ハンニバルの言葉をそう直感で認識して、少なからず劣等感に苛まれる。でも、メイアはそれすらもエネルギーに変換して身構える。
( なら、特別サービスは止めなきゃお仕舞いだ!)
ハンニバルの行動は本当に分かりやすいものだった。構え方と拳の向きからして、アッパーで顔を狙ってくると推察できる。
( これなら、拳の軌道を予測しやすい。これなら止められる!)
そう確信して氷の薙刀を予測軌道に設置し、重い殴打を受け止める用意を済ませる。後は、武器を伝ってやって来る破壊力にどれだけ耐えられるか、という攻撃をやり過ごした後の事に集中する。
「判断はいいかも知れねぇが、まだまだ甘いなぁ?? 」
そんな言葉が、聞こえた気がした。
しかしメイアにはもう、今から新しいことを考えるだけの容量も速さも持っていなかった。
(これは…… )
ハンニバルの腕が上に振り上げられる。
しかし、それはメイアに当たらなかった___否___当てようとしていなかった。
振り上げられた腕はメイアの顔の目の前で急に向きを変え、上から顔面めがけて放たれる。時間にして1秒にも満たない、コンマ数秒の世界に行われた超人的攻撃軌道に、手も足も出せず。
「なんだ、あれ」
遠くで見守っていた研究員達が唖然としていた。一方的に殴り、いつになっても止むことのない暴力の嵐に戦慄がはしる。
「容赦を知らないね、ハンニバル」
近くで静観していたアールが笑みを浮かべて呟いた。目の前の光景をひとつのアトラクション、サーカス気分で見ているらしい。
「はぁ……はぁ……はぁ……まだ、まだでずッ!」
常に殴る蹴るを受け続けるメイアはそれでも猶、立ち上がる!
「よし、まだまだ行くぞ!! よく観て動けよ!」
「はい!」
その言葉とほぼ時を同じくして、目にも留まらぬ高速連打がメイアの身体____腹部から鎖骨下、更には腕も含めた広範囲____を打ち抜く。『コルティツァ』の防御など軽く潜り抜け、ガードは無意味。
「ぐっ_____あああああぁ!!!」
重い攻撃が何度も撃ち込まれ足が下がる。絶叫が広いトレーニングルームを包み込むようにこだまして。そして、耐える。ぐっと、もっと後退したいと望む心を押し切り前に一歩。
ドッッッッッッガンッ!!!!!
今までよりも遥かに重い回し蹴りが躊躇なく振るわれる。しかしメイアの意地と矜持が、全反射神経を研ぎ澄まさせその一撃をガードすることを成功に持ち込む!
「ぐぁぁぁぁぁぁ……!! 」
( 攻撃を防げても、衝撃は防げない!!)
決死の防御も虚しく、軽々とメイアは吹き飛んでいく。空中では何もできないが、しかし、それでも精神を研ぎすまさなければヤられると理解しているから。
メイアは氷の薙刀を構えることをやめなかった。
受け身をとってメイアが床とぶつかる音が響く。
すぐに立ちあがろうと武器に縋り付く。
「ま、、まだぁ!」
が、しかし。
「5分経過。よし、休憩しようか」
と、その言葉を疲れ切った脳で理解した時、メイアは膝から崩れ落ちた。
それから、5分休憩→5分防御のセットを数回か繰り返した。5セット目が終わったところで遂にメイアの体力も空っぽになり、とりあえず動けるようになるまでまた休むことになった。
最初は遠くで見守っていた人達も「止めに入るべきだろうか」と話し合ってもいたが、メイアが自分から次のセットを懇願する姿を見て、干渉を諦めたらしい。
「トレーニング中は言わなかったが、なかなかどうして、凄まじい反射だな。それに成長スピードも素晴らしい。この5セット間にまさか16回も防御されるとは」
「いやいや、ハンニバルも鬼畜なことするよねぇ〜。それに喰らい付いていけるメイア君も恐ろしいけど」
「もう少し防御が様になってきたら、今度は往なす術も叩き込んでやらねばな」
「まずは『反応』するだけでも十分だしね。その先の技術はそれができてからでも問題ない」
「ああ。今日はナハトに頼まれたから彼女の指導を引き受けたが、いやはや、これは良い。当人からすれば迷惑かも知れないが、今後も彼女の指導をやりたいくらいだ」
ははっと笑みをこぼすハンニバルにアールは「それはメイア君が不憫すぎるな」と苦笑する。
横を向けば、毛布を掛けられて昏睡するメイアの姿がある。5セット、つまり25分もの間ハンニバルの動きに翻弄され続けた少女にアールは感動を覚えている。
(昼飯の前にも言ったことだけど、これ本当にハンニバルを追い抜かす日が来るんじゃ? なんて言ったら怒られそうだから言わないけど、でも、あれを見させられたらもう笑い事じゃないね)
アールは静かに、目を細めて未来のメイア像を想像した。
その後、メイアが目覚めるのは真夜中の事。
夜には伝記『神殺し』を解析していたナハトがやって来て、目覚めるまでメイアを見守っていたらしい。
ちなみに昏睡に追いやった張本人ハンニバルは「つい興が乗ってしまった」などと宣った挙句にナハトに叱られたと言う。
こうして、次の日には『豹変?! ハンニバル所長まさかの大暴れ!』という見出しと共に魔法研究施設アルティ内で発行される新聞でハンニバルの新たな一面が公開されることになるのであった。
ところで、目を覚ましたメイアは後日どうしているのかと言うと。
「ハンニバルさん! また今度『反応』のトレーニングやってください!私、まだまだ未熟でした。ですから最強と名高い所長と特訓すれば私もっと気を引き締められそうです!」
『も、もう分かったからとりあえず扉をガンガン叩いて大声で叫ぶのはやめてくれたまえ?!』
所長室の外から頻繁に、ハンニバルをトレーニングを誘おうとしていた。新聞で色々と晒されて若干傷心している彼を更に圧迫しているとは知らず今日も元気に騒ぐ。
「じゃあまたやってくれますね?! お時間がある時だけ、数分でもいいですから! 是非とも戦い方をご教示ください!」
(今後も指導をしてやりたいなんて思ってはいたけど、ここまで過剰に催促されると逆に怖い。なんなんだあのメイア・スマクラフティーとか言う奴は!全身を粉々にする勢いで叩き込んでやった筈なのに、これっぽっちも心折れないなんて、尋常じゃないぞ?! )
まだまだハンニバルとメイアには明白な戦力の差がある。
しかしこの数日を境に、精神面でメイアは第一位最強の人間を追い詰めることになった。
お読みいただきありがとうございます!
久々に1週間以内の投稿が出来ました…………
ではまた、次回も宜しくお願いします。




