第一章22 月光の狩人
じんじんと伝わってくる、この迫力。
じわじわと浸透してくる、この恐怖。
今まで狩ってきた獣や以前のヘキサ・アナンタとは違った強き者の眼。そんなもので睨まれてはひとたまりも無い。
来るもの全てを地に伏せ、更にその上から叩き潰してくるような悍しい結末さえ想像できてしまう。確かに、このファヴァールと言う魔獣は試練にピッタリな敵だ。
「グランさんだけでは倒せないかもしれません。でも、今は私がいます。だから、ふたりでならできる!」
「そうだ。困難は分割、それぞれがそれぞれの役割を持って戦いに臨む。そうすれば、勝てる!」
ひりひりと肌をなぞる緊張感。
どんどんと溢れ出る高揚感。
弱くもありながら、確かに強くなりつつあるこの時。
前回の試練達成後、黒龍ラグラスロの言葉によって自覚させられた己の慢心。それを払いのけて克服した今、グランは戦うことに関して絶対の自信は持たない。
だからと言って、負けるつもりなど毛頭ない!
( 昨日の感覚を思い出せ。ルーシャが『月の光』を使ったときのあの感覚だ。あの武器を、ルーシャの魔法無しで生み出せ。それができれば、それこそ目に見える成長だ!)
昨晩、寝る前に教えてくれた。
『月の光』はアプス家とその保護下の魔法研究施設が連携して組み上げたばかりの魔法で、まだ世に広まってはいないこと。
また、それは『ヤクト』という魔法の応用版としてさらなる武器の進化を促進させる為に作られたこと。
そして第二形態となった三日月は、普段から第一形態のそれを武器として使用していない者にとっては扱い難く重い、ただの物置き同然であること。
最後に三日月にフォーカスが充てられた理由として、もともと『ノイモント』を使い始めたのがアプス家の起源だったから。
よって、彼らは三日月の新たな姿にこう名を付けた。
『明けの月弧』と。
「よっしゃいくぞ、」
グランは強く手に力を込め、手に武器を持っている姿を脳内想像する。あの時の感覚、武器の重さ、切れ味。昨日みたままの姿をイメージして、詠唱する。
「『明けの月弧』! 来い!」
この世界は暗いが、一体どうしてか周囲は普通に見渡せる。でも、そんな不思議な状況にあるからと言って、
「すごい」
暗い中に刺す光の存在感はすこぶる圧倒的。
光のない世界だからこそよりそれは引き立ち、三日月のシルエットは淡くグランを照らす。
「本当に、直で創造できちゃった……」
ルーシャは、目の前でとんでもないことをやってのけ燦々と照るグランを間近で見て思った。
( グランさんには何かと変なイメージが多いけど、でも、やっぱこの人はしっかりと、やる時にはやってのける凄さがあるんだ )
「私も、負けてられませんね。……グランさん!」
「どした?」
「サポートは、私に任せてください」
「ふ、任せる以外に何しろってんだ?」
その言葉に、グランの信用全てが詰まっていた。
この場に於いては、任せることしかできないイコール完全な信頼がはっきり成り立つ。
「その言葉、嬉しいです!」
ルーシャには戦う力などない。でも、戦いを有利に進めることはできる。
間合いをはかっていたグランとファヴァール。その間を先に崩したのはファヴァールの方だった。
雄叫びをあげ噴水跡から跳び発ち、鉤爪で身体をごっそり抉りとらんと振りかざす、その直前。
「『アボイダブル』、とそして『肉体強化』!」
そして直後、鋭爪が宙を斬る。
瞬発力も攻撃力も忍耐力も上昇したグランは魔獣の一撃を余裕ですり抜け、既に背後へ回り込んでいた。そこから繰り出されるのは上から下に振り落とされる斬撃。
ガリガリと音を立てながら、硬いものと衝突したときの強い反動が腕に伝わるのを感じる。
「な、尻尾っ?!」
体全体を回転させ尻尾をムチのようにしならせることでグランは軽く弾かれる。
「こいつ、器用に硬い部位を使って防御してきやがるのか」
「『赤い糸』。安心してください、これさえあれば負けるようなことは有り得ない」
「うわわ! こ、これで勝てるのか?」
グランとルーシャの右手人差し指に文字通り『赤い糸』が巻き付かれる。赤く淡い光を発しながら糸は天高くに向かうように上へ伸び、30センチ程のところで途切れている。
「それさえあれば未来は決定されるんです。勿論未来と言っても限りありますけど、それが切れない限りは『この戦いに勝つ』という未来は保証されるんです」
「ナニソノツヨスギルマホウ!」
「その代わりとても魔力を消費するので連発はできませんが、勝つだけですので、心配は無用です!」
一見して最強とも思える『赤い糸』だが、これはルーシャの言葉通り未来を保証する、決定する魔法だ。突き詰めて言えば、これは結果が確定しているだけであってその過程に於けるダメージは考慮されていない。
例えば、どれだけ瀕死の状態になったとしても勝てたのならば、それで魔法の効果は成立したことになる。
結局のところ、グランは極力敵の攻撃を避ける努力をしなければならないのだ。
でも、
「まだまだ行きますよ。『アボイダブル』と『肉体強化』の重ねがけです!」
その心配も、ルーシャの支援があれば解決される。
同じ支援魔法も2度使えば二段階強化となって最強の効力を発揮できる。
「よっし、こいつの硬いところもへし折って_____おっと!」
ルーシャと話してる間も魔獣の攻撃は止まない。でも、ことごとく当たらない。で、軽く明けの月弧を振り回してあしらう。
ほんのそれだけの攻防がひたすら続く。
恐ろしい反射速度で攻撃を見切り、死角に回り込むように多方向から攻めるグラン。それだけでも末恐ろしい才能と言えるのに、それで満足していないのもまた恐ろしい。
己より強い存在がいることを絶対に許さないと言うような貫禄さえあるその男と対等に戦う魔獣ファヴァール。
巧みな防御技術で重いひとつひとつの攻撃を弾いていき、グランに隙は与えない。果たしてこの勝負に進展は訪れるのかとさえ思わせる。
_____果たして、そんなつまらない戦いで終わるだろうか?
いいや、そんな筈はない。
魔獣の咆哮がこだますると共に、爪を弾いた月の刃を通じ、腕に麻痺が勢いよく流れ込む。
「がッ! な、なんだこれ、魔法か!」
気付いた時にはすでに、ファヴァールの周囲には蒼い雷の矢がグランを的に定めて漂っていた。その影響か魔獣の体表は逆立っており、先程までとはまた違う種の生物のようにも感じられる。
「楽に倒せるなら嬉しかったんだが、まあ、これもまた楽しそうでいいじゃねえか」
「な、なんか凄い強い殺意を孕んだ雰囲気ですけど、大丈夫ですか?」
「やればわかるさ」
電撃の矢が一斉掃射されると同時、グランもファヴァールに向かって走り出す。武器を巧みに振り雷を切り裂きながら進むが、刃から電気が身体に伝わってこない。
「さっきの痺れはまた別の魔法ってことか?」
身体に異常が無いなら突っ切るまで。一方向からの直進攻撃に全て対応できない為弾きつつスレスレを避けて懐まで入り込む。
今ここで矢を放たれればこの至近距離では避けられるかも分からない。この一瞬の攻防が戦いの鍵を握るはずだ。
そう思った矢先、グランの真横を雷撃矢を通り過ぎた。
だが意外にも、絶対に命中するはずの距離にいるはずなのに、当たらなかった。躱した訳でもなく、そもそも矢がグランを向いてすらいない。
( まさか、ルーシャか!)
「させるか、『オリオクタ』ァァァァッ!!」
号声と同時に射出された豪速の魔球は稲妻を追い抜き、ルーシャに直撃する寸前、2つの力は相殺される。なんとか間に合った。
「せ、セーフ……」
「いや、グランさん! 気を抜いちゃ駄目!」
「え」
濃い影がグランに覆い被さる。重い音を立てながら、魔獣ファヴァールは見下すように睨む。グランは完全に雷撃矢に包囲され逃げ場を失っていた。
ルーシャを狙ったのはこの隙を作るためだった。つまり、獣でありながらその戦略を立てられる知能がある。
「くっそ、今までの獣とは何もかもが違うってか」
「グランさん、今から補助を_____ 」
「いや」
グランは手を軽くあげて制す。
「囲われたところで、俺には意味のないことだ」
「何言ってるんですか、試練に油断は禁物ですから私の」
ルーシャの言葉の途中で、それを区切るように誦んずる。
「魔法球第二式、『デアヒメル』」
ボワッ!!と、気体が勢いよく膨張するような音が鳴る。
一見して、視界を覆うのは霧のようなものだ。おそらくそれが魔力であることを初見で気付けるものはそう多く無いだろう。
白いもやは渦を巻くように大気中を流動しているが、その規模は大したものでは無い。ひと月前に見た本家『デアヒメル』に比べればまだまだちっぽけだ。
( 一応ちゃんと戦闘で利用できる程度にはなったが、まだあの時見た銀河の様にはいかないよな )
ほんの僅かな時は過ぎ、自然と視界を塞ぐ白は晴れていく。
完全に周囲が見渡せるようになったとき、もうグランの周囲に魔法の矢など残っていなかった。なんなら、ファヴァールの体表を這っていた電気すらまるで最初から無かったかよような状況だ。
「終わりだな、魔獣ファヴァール。俺ら2人の方がちと上手だったらしい」
左手には微かに青い電気がへばりついていて、しかしそれはグランを傷つけることなく優しく空気中に拡散していく。
「お前の力は受け取った。つまり次は、俺がお前に与えてやる番って訳だ」
本能で危機を察知したか、ファヴァールが即座に行動を起こす。が、それより早く、一呼吸置いて動く。
「『オリオクタ』!」
八つの魔力は一点に集中され、ほぼゼロ距離の状態から、一気に魔獣の心臓を貫く直線が引かれた。
血肉を引き裂く音は魔力爆発の音に負けて聞こえない。血飛沫は魔力のもつ熱量で蒸発されて噴き出ない。
でも、堅牢で力強かった魔獣ファヴァールがあっけなく脚から脱力していく姿は、間近で拝むことができた。
( こんなに呆気なく、簡単に貫けてしまうとは。これもルーシャの支援があってのことって訳か )
ズシンと重い音と共に魔獣は横たわる。
よくよく考えれば、この攻防で唯一ダメージを与えられた攻撃は今の『オリオクタ』だけだった。刃と鋭爪、刃と堅殻のぶつかり合いはただ拮抗するだけで、つまり一撃で葬ってしまったようなもの。
「なんか、物足りない感じもするな」
「いいじゃないですか。それだけ私たちコンビが強かったってことです」
グランは振り返る。
「助かった、ありがとう。俺ら2人なら、もしかしたら世界を攻略できるかもしれないな」
純粋な感謝の気持ちにルーシャは一瞬たじろぎそうになる。が、しかし、何か思い出したかの様にすぐ立場を逆転させる。
「______いいえ? さっきはなんか強引に話遮られましたけど、いくら凄い魔法が使えるからと言って慢心は駄目ですからね! 調子に乗るといいことないんですから!」
「おい、ここにきて、そしてこの流れで怒られるなんてことあってたまるかよ?!」
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黒龍ラグラスロは拠点に戻り、誰もいない寂しい遺跡の中で2人の帰りを待っている。それがいつになるかも分からないし、帰ってこれるかすらも分からないのに。
ただ、ひとつ言えるのは。
どんな状況でも、絶望的でも、たった少しでも未来に望みが見えた時、人はその流れで希望を拡大することができる。言い換えるなら、調子付いてより行動力を増すと言うこと。
そして連鎖的に良いことが起きると、調子はいつしか身に付くものではなく、身を呑み込むものになる。
「グラナード、そなたは弱者ながら非常に優秀だ。恐るべき学習能力を持ち、無限とも思えるほどに柔軟に進化していけるだけのポテンシャルがその内にある」
ラグラスロは知らない。たった今、西北西のエルカジャ遺跡でグラン達が試練の課題の一つ、魔獣ファヴァールを倒したことを。
グラナード・スマクラフティーとミステルーシャ・アプスは知らない。何故、この試練の内容が比較的簡単に感じられるのか______否、彼らが知らないのは、簡単に感じられるのが今だけであること。
「ミステルーシャ、汝も優秀な人間だ。攻撃魔法を使えないならと、完全な支援役として回り、中途半端なサポーターにはない判断能力も備わっている。グラナードとの連携があればどこまでも伸びることができよう」
2人は戦闘における役割が異なる。
だからこそタッグを組むことで互いに性能を引き立てることも容易となる。
「では、仮に。その能力を分断しなければならない時がきたらどうする。もし仮に、普通の常識では推し量れない敵に遭遇したらどうする」
ラグラスロは考える。
「グラナードの優れた学習能力は成長をもたらす。しかし逆にそれは一度体験したことがある場合にしか当てはまらないとも言える。ミステルーシャの判断能力は場を円滑に有利な方向に持っていける。だが時として_____ 」
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「あとは奇鬼忌琴をゲットするだけか。こんなにスラスラ進むのはこの『赤い糸』で勝利の未来を決定してくれたからってのもあるんだよな」
グランは右手人差し指に巻かれた『赤い糸』を見る。それは切られてしまえば効果は無いが、切れない限りは未来を確定させられると言うもの。
それが今、まだ切れずに残っている。
「どうした?」
「『赤い糸』はご存知の通り未来を確定してくれます。なら、確定した未来が達成されたなら、糸は役割御免ですから普通自然と消えていくはずなんです」
「なにが言いたい? つまりその、俺たちはまだ『ファヴァールに勝つ』ことが出来ていないとでも……おいルーシャ?」
ルーシャの顔は青ざめていた。目を見開いた状態で静止していて、それが驚きか恐怖かは分からない。
それでも必死に身体の硬直を解いて、ルーシャは叫ぶ。
「グランさん! 後ろ、後ろです! グランさんは今、ファヴァールの攻撃射程距離内にいる!」
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ラグラスロは孤独で静かな拠点で独り呟く。
「だが時として、戦闘中に支援役からの掛け声があったとしても、肝心の警告を受けた側がそれに速やかに対応できないことがある」
期待も焦燥も、特に何も孕んでない無味な声で龍は続ける。
「例えば勝ったと思い込んだ瞬間の、背後からやってくる不意の攻撃。振り返った時にはもう手遅れとなるその様子」
一瞬、ラグラスロは微笑んだ。
「この試練には、斯く要素があっても良きかな」
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「グランさん!後ろ、後ろです!グランさんは今、ファヴァールの攻撃射程距離内にいる!」
「なっ?! 」
流石のグランも、元から持つ戦闘センスとルーシャの支援魔法の効果もあって素早い反応を示す。振り返ると同時、すぐ目の前まで迫った攻撃を認識し構える。
この瞬く間に状況の把握と準備を整えてみせる。
跳び、明けの月弧を振るう。
そして、白い一閃が空間を裂いた。
今度こそ、戦場に血肉が引き裂かれる音が響いた。
今度こそ、この噴水広場に血飛沫が吹いた。
しかし、
「グ、グラン、さあああああぁぁぁぁぁぁんッ!!」
叫ぶルーシャの瞳に映っていたのは、グラナード・スマクラフティーの右手が弾け飛びグランごと宙に放り出されるその瞬間。
それが血の絨毯を敷きながら地に落下するその瞬間。
試練は、ここからが始まりだ。
今回もお読みいただきありがとうございます!
さて、既に皆さんも「主人公弱くね?いつ強くなるんだよ」なんて思ってる頃でしょう。
安心してください。
第一章の間は多少の強化はあれど劇的なインフレなどありません!でも第二章からはちゃんと強いですから、安心してください。
では次回もよろしくお願いします!




