第一章12 過去の者
闇の世界と表現する他ない空間の割に、だからと言って何も見えないこともなく、ただ仄暗い程度。
暗いなりに周囲のものは見えるし、普通に生きる上での問題点は太陽の光が拝めないことを除けばそんなに無い。
黒龍ラグラスロによれば、もともと豊かだったこの世界を闇で覆った元凶、この闇の世界の王は、ここを「魔界」と称していたらしい。
それもそうだ。
生物は皆悪に呑まれ、さらに寿命で尽きることもない。死んでも、時間が経っていなければ悪の心を植え付けられて蘇ることもできたりするとか。
中でもとりわけ怖いのが、いくらその悪の生物を屠ったところで、まるでゲームのように敵が恒久的リスポーンをするということだろう。
と、その話はさておき。
グランがヘキサ・アナンタを倒し試練を達成してから1週間が経過していた。
だからと言って油断はできない。
ラグラスロの『汝が慢心するには早計というものである』と言う峻厳な言葉がグランの脳裏に張り付き、ここ7日間、拠点の外にでて魔物を狩りまくって修行に勤しんでいた。
ラグラスロはそれを黙って見守り、今はただグランを自由に強化させようという魂胆らしい。
そして、ひと修行終えたグランは拠点に戻る。
「戻ったか」
「ああ、何か用か? もしかして、また新しい課題的なものがあったり、新情報でもくれたりするのか?」
「……どちらかと言えば、後者だ」
新情報があると聞きグランはじっと黒龍の顔を見る。
「グラナード、汝はこの世界に初めてやって来た者に会ってみたいと思うか?」
「それは、古代のアル・ツァーイの王様だったって言う?」
ラグラスロは静かに頷く。
「会えるなら会ってみたいが、なぜいきなり」
「今更ではあるのだが、実はな、彼の者は太古よりこの拠点で生き続けているのだよ。悪の心をはめ込められて、永続する命を宿してずっとここにな」
グランは息を飲んだ。
ずっと、ということは歴代の失踪者がここで奮闘している時も拠点に居座っていたということだ。それも、悪サイドでありながら。
( いやでも、それは逆に安心できるかも知れない )
堕した存在でありながらも、彼はおそらく歴代の失踪者達に危害を与えることはしなかったはずだ。だからこそ、ラグラスロも王を追い出すことはしなかった。
いや、その王に仕えていた身からすれば、どんな状況であれ追放したくないと思ったかも知れないが。
「なら、俺は会ってみたいな。わざわざ会いたいからどうかを聞くくらいだ、害はないんだろ?」
「うむ。デアヒメル王は既に御老体、自らの力で動くことは叶わない」
「いいじゃないか。何せ、俺の故郷を治めたんだろ? そんなの、行くしかないだろ」
彼らが拠点とする遺跡は上空から見ると円形になっている。今までグランは円周に沿った部分、つまり外壁付近でしか行動していなかったのだが、どうやら例の王はそんな遺跡の中心部にいるらしい。
とても小さな小庭のような場所で、到底ラグラスロは立ち入れそうにない。なので王のもとへはグランがひとりで行くことになるのだが。
「この世界は、本当に醜悪だぜ……」
この「魔界」で恐ろしいのは別に、そこら辺を当然かのように魔物が蔓延っていることではない。真に恐ろしいのは、意思疎通のできる存在がいないことだ。
唯一会話可能な黒龍ラグラスロを除けばグランは完全に孤独であり、環境も醜悪。
現に、孤独という鎖がグランの心を蝕みつつあることに気付いているが、彼は負けじと知らぬふりをしていた。自覚してしまえば、侵食が加速すると考えたから。
グランは、気付かぬ内にメイアのように気楽に話せる存在を渇望していた。
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拠点の中心、やや開けた中庭のような空間。
そこに到着し、王の姿を認識できたは良かったものの、グランはとんでもない圧力を受けているかのように、顔を引き攣って身体を硬直させていた。いや、実際に威圧をひしひしと身に受けていた。
当然、その原因は目前のデアヒメル・ターヴァという男。
彼は「王」の称号に似合わずレザーアーマーを着用し、腕にはガントレット、下半身もしっかりと鎧で固められた、完全に闘う者の姿をしている。
また、白い髪は顔を覆うほどに伸び、その影の中から赤く力強い瞳がギョロリとグランを掴んで離さない。
「俺は、グラナード・スマクラフティーと言います。あ、貴方が、デアヒメル王ですか」
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このような状況下に於いて、沈黙ほど怖いものはない。グランの心中はずっと「なんですぐに答えてくれないんだよおおおおおおおおお!!」という言葉で溢れかえっている。
「いかにも。爾も吾と同じく光の世界から来た者であるな。して、此度は何用だ?」
デアヒメル王は何も悪くない。普通に会話ができる人間なのだ。なのに、彼が言葉を発するだけでも勝てないと悟ってしまう。
あわよくば王との対話で孤独を紛らわそうなどと心の奥底で考えたものだが、どうやら無理そうだ。
グランは圧倒された意識を無理やりに叩き起こし、
「俺はこの世界から抜け出して、もとのいるべき地へ帰りたいと考えている。今も待っているであろう皆んなの所へ帰るために、どうか、助言を頂きたいと思いまして……」
両者の視線が交差する。
王の眼力からは、話に聞いていたような賢王のような様子は全く見て取れない。それもそうだろう。彼は歴代最強の失踪者だとラグラスロは言っていた。
つまり、彼も必死に奔走して、強くなったのだ。次第に彼は威風堂々とした気迫を自然と放つようになり、加えて悪を孕んだ現在の状態。
彼の最盛期と比べたら劣るだろうが、その力は未だ底知れず、だからこそ弱者グランは萎縮してしまう。
グランは王と目を合わせながら、こんなことを思う。
( なぜ、王は悪を埋め込まれても普通に会話ができているんだ? ダークサイドに落ちたら最後、暴虐の限りを尽くすだけの存在になるものだと思っていたが )
だが、グランが脳内でその答えを導き出すより先にデアヒメルが言葉を発した。
「吾が今、爾に言えることはひとつだ。若かりし頃の吾、彼奴に勝てぬようでは爾もここで死すのみよ。そう、なりたくはないのだろう? 我が故郷に住む者よ」
「お、おい、なぜ俺が王様の故郷の子孫だなんて分かったんだ?」
と、グランはデアヒメルの視線がグランの服に刻まれた村の紋章に向けられていると気付く。
「この紋章………いや、だとしても昔のマークと今のそれでは異なっている筈だ。あの黒龍もこの紋章がアル・ツァーイのものだと知らなかったようだし」
「ふん、あの黒龍が知らぬか。簡潔に言うならば、我々の使用していたものと非常に似ているから、それだけだ。大都市に打ち落とされたという話だけは奴から聞いているからな。おそらくは、本来の紋様に罅を入れたものなのだろうと予想はできる」
「すげえ、その通りだ」
「ほう、我ながら中々良い推察であったか」
何やら少しではあるものの、デアヒメル王の雰囲気が柔らかくなった。無意識的な威圧は未だ溢れ出ているがそれでも、最初ほどの謎の不快感は無い。
「主題が逸れたか。ふむ、結論から言って、爾は強い。だが、それは弱いなりに強いと言うことであって、まだまだ生き抜いていける段階には無い」
弱いなりに強い、という評価はせめてもの慈悲だろう。デアヒメル・ターヴァの賢王性がちらほらと健在であることにグランはホッとする。
「王様の若かりし頃って、全盛期ってことですよね。一体、どんな鍛錬の日々を過ごしたんですか?」
「全ては、己を學ぶところから始まる」
予想外とはこのこと。
グランが予想したのは、全ての邪念を捨て狂うかのごとく経験を積むだとか、そういう回答だった。
でもやはり、真に恐ろしく強い者はそうではなかった。
「闇雲な運動に意味があろうか? 確かに、体力面で見ればあると言えなくも無い。だが、それだけだ。修行とは、無理なく安全に、そして長続きするものである必要がある」
しかし、それだけでは結局、闇雲な鍛錬になってしまう。そして何より、今の話は「己を學ぶ」という彼の言葉とは無関係だ。
だから、その欠陥を補うようにデアヒメルは続けて言う。
「そしてまず動く前に、吾は自らの弱点と強み、そして魔法について研究し、識るということから始めた」
「研究、ですか」
「これに関しては、どうも言葉で説明しようにも難しい。百聞は一見にしかずとも言うことだ。千年以上の時を超えた同郷の者を歓迎するという意味を込め、餞別をくれてやろう」
言うと、老体の腕が動く。
そして、その手の上に現れたものがひとつ。それはもう何度も見たことがある、魔法球だった。
( 魔法球だって? そんなものを取り出して何を____ )
「刮目して見ろ、小童」
グランは気付く。王は、ラグラスロによれば老体で動くことができないらしいが、魔法は使えるのだと。つまり、やろうと思えば攻撃だってできる。
一瞬、グランは構えを取ろうとしたが、改めて考えれば王が攻撃をしてくるなんてことは考えられない。餞別だと、彼は言った。
( 王からの殺意、敵意の類は感じ取れない。試練の前に出会った獣みたいな能力でも使えない限りは俺は安全。なら、魔法球に意味はないはずだ。だってあれはただの )
「魔法球とは、唯の練習用のツールなどでは決してない」
グランの思考は一瞬にして否定される。
「今から見せるのは吾の原初魔法、魔法球第二式『デアヒメル』だ」
第二式と、そして『デアヒメル』という名前。
いずれも初耳だし、魔法名が王の名と一致する。すぐにデアヒメル王が直々に作ったオリジナル魔法であるとわかる。
彼の魔法球の中には大量の魔力が注がれていた。いや、それだけではなく、同じく大量の魔力が纏わりついてもいるのだ。
それらが満タンに注がれ、それでも力の奔流は止まることなく溢れ始める。ドライアイスを持っているかの如く、白い煙はゆっくりと沈んでいく。
ボワッ!という風に、いきなり溢れる煙が膨張した。
変化はそれだけではない。
膨張したそれが渦を巻き、デアヒメルを中心とした魔力の渦巻きが拡大していく。
グランは思わず、銀河のようだなと舌を巻いてしまう。しかしそれと同時に、グランにはこの第二式『デアヒメル』とやらの必要性に疑問を抱く。
銀河のように拡大しながら渦を巻くその力は壮大で、新たな魔法球の使用方法には驚きを隠せない。それは事実だ。
だが、それはそれでしかなく。
ただ溢れさせただけ。たまたま限界量より多く注入してしまっただけ。そう考えれば、この行動になんの意味もない。
( でも、そんな意味のないことをするか?)
魔法を使う前言っていたではないか。「刮目して見ろ」という言葉には必ず意味はある。
( そうだ。弱者に過ぎない俺が、何を疑えるっていうんだ。よく観察しろ、グラナード・スマクラフティー!)
直感がグランに訴えかけてくる。
この奔流を生み出しているものの根幹はどこにある?
全ての謎はあの球体にあるに違いない。
この渦。これを生み出す理由はなんだ?
いや、この渦は自然とこうなるだけで、本質は溢れることであろうか。
____________。
グランは思い出した。
かつて、好奇心で球体の満タン以上の魔力を注ごうとしたことがあったことを。だが、結論から言って失敗した。
魔法球はガラス球のように割れ、消失してしまったのだ。
つまり、だ。
今、デアヒメルがこうやって中庭全体を覆い囲むくらいまで拡散させることは本来は不可能。だからこそ、何らかの工夫がそこに施されている筈。
( もしかして、、)
「魔法球に魔力を入れるだけではなく、纏わせている。それに意味があるってことか……!! 」
確か。
グランが失踪に巻き込まれる少し前、妹に質問された。
『魔法球の中に魔力を込めるのって普段どうやってるの?』
そう、メイアは纏わせることしかできず、それに対しグランは何と言った。メイアのそれは纏わせているだけだ、と。
自分が間違えていた。
纏わせるということに意味はない。その考えからして既に誤りだった。意味は確かに、存在したのだ。
デアヒメルの言っていたことが少し理解できた気がする。
「己を識る、か。自分の誤りに気付く為の研究、そして克服することで高みを目指すということ」
修行を始めて10年弱。
自分がまだ幼い雛であったことを悟る。
グラナード・スマクラフティーは凱旋をなし得るのか?
己の実力を疑い、そう自分に問うた。答えのない問題。でも、分からないことは何もしなくて良い理由にはならない。
最悪、「帰る」という目的の達成だけにフォーカスを当てることで決戦は避けられる可能性もある。
(やり方は幾らでもある。そんで、まずは動くことから )
今日この日の出会いは、大きくグランを変えた。
これがまだ1週間目の出来事で本当に良かったと、荒唐無稽に自己流を貫いていなくて良かったと、心の底から安堵した。
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「どうであったか、吾が魔法は」
王による披露会が閉幕し、既に霧のような渦は消え去っている。
「枠に囚われないと言うべきか何と言うべきか、凄え。その境地に至るためにどれほどの歳月を費やしたのやら」
「吾は焦らず、ゆっくり時間をかけて凱旋を果たせればよいと考えておった。だからこその産物よ」
「となると、俺もそのくらいの覚悟は必要って訳か」
「いや」
デアヒメルはグランの言葉を否定して、
「今は既に、何もかもが吾の時代とは随分異なっているはずだ。これは吾の勘でしかないが、これから爾は多くの助けを得ることになる。そう、きっとな」
「助けを得るって、こんな誰もいない世界でか? それはなんか解釈の不一致があるような気がしてならないが」
「それはいずれ、どちらの勘が正しいか判る時が来る」
なんだか上手くまとめられてしまった為にグランは発言の機会を失ってしまう。だったら、とこのチャンスを逃さぬよう別の話題に切り替える。
「なあ、さっきの魔法球についてだが、やっぱり力を球体表面上に覆い被せることにも意味があるって考えていいんだよな?」
もはや敬語を使ってすらいないが、王は気にしない様子で質問に答える。
「是だ。纏わせるという行為にも大きな意義がある。例えば支援魔法などがひとつ、対象をオーラで何層にも覆うことで強度や力を底上げさせるという点で合致する。では逆に質問するが、他に考えられる魔法は何がある」
突然の問題だったが、グランには思い当たる節があった。
「もしかして、造形魔法なんかがそうか?」
「いかにも。造形魔法もその例のひとつだ。基礎となる魔力の型を軸として、そこに何層も纏わせることにより強度の強い魔力産物を生み出している」
妹、メイアは魔法『コルティツァ』という武器を生成することに長けていた。加えて、魔法球に魔力を纏わせることしかできないと不満を垂れているのも知っている。
メイアは攻撃魔法をそこまで得意としない。グランとは違ったタイプのアタッカーであった。
そこにはしっかりとした因果関係があったのだ。
( 一応、俺は注ぐことも覆うこともできるし、もしかしたらそれを応用した色んな技を編み出せたりするかも知れない。可能性は、いくらでもあるってことか!)
「爾は過去の者らと比べても優れた位置にある。そうだな、後は、オリジナルと己で自信を持って言えるだけの何かを作ってみせよ。ゼロから作らずとも良い。既にあるものを応用することにより新たな特性を引き出す。それだけでも優れた術者となれる」
「新たな、力を……」
「とまあ、今宵は少し喋りすぎたか。一度に大量のことを啓蒙することが必ずしも良い訳ではあるまい。少しずつ確実に識ることが何よりも重要だ」
「な、なるほど、ありがとうございます。あ、じゃあ最後にひとつだけいいですか?」
すがるような問いに王はゆっくり頷く。
「何故、デアヒメル王は会話が成立するんです? いや、それだけではなく、俺に害を与えようとする気配すらない。てっきり悪を埋め込まれた存在として、少なくとも害意を見せるかと内心予想していた」
「簡単なことよ。本能で動くか、或いは思考能力を持つか。人間は自らの意思で動けるというだけのこと。ただし、全ては悪であることに変わりはない。注意は、怠るな」
その言葉を最後に、グランは王を一瞥して場を去った。
会話している間は慣れで気にせずにいられたが、やはり背後から感じる圧は凄まじかった。早くその重圧から逃れるように早歩きで退場する。
いつもの場所に戻るとラグラスロがいるが、「散歩でもしてくるわ」とだけ言って外へ。気分入れ替えの為の散歩であり、外は考え事には最適なのだ。
王から直々に伝授された強化方法。まずは驕らず、確実に強くなっていこうとグランは決意した。もう落ち込んでなどいられない。
( メイア、待っててくれ。いや、あいつのことだ。村のみんなが支持してあちこちを奔走しているかもな。けど、ただひとつ言えるのは、絶対にまたメイアの顔を見る。それは確定事項だ )
妹の存在は、常にグランの心の癒しとして機能してきた。村には同年代の者も少なく、とくにスマクラフティー兄妹は修行ばかりしていたのもあって友達と呼べる者は余りいなかった。
だから、妹がいるだけでも救われる気持ちになれる。
しかし。
それは逆説的に言えば、それでしか孤独に対応することができないということでもある。
でも。
グランは逃げなかった。
今まで、自らの孤独を無理矢理に忘却の彼方へ押し込んでいた。だが、ついに、グランはそれを認める。
( 孤独が俺を蝕むか……けど )
「敗北は許せないし、許してなるものか!!」
その瞳に、強い光が宿った。