閑話 魔界将軍会議
年中、昼とも夜ともつかない、陰鬱な曇天の空。
淀んだ空気を排出するのは、苦しむ罪人を思わせる、ねじくれた木々の森。
そんな物に覆われた大地には、晴れることない暗い影が落ち、強い獣が弱い獣を食らう殺戮の日々が営まれていた。
ここは魔界。
邪神ギレザビーンが支配する、魔族の領域である。
そんな弱肉強食を絵にかいたような魔界において、ある一定の強さを誇る者のみが住むことを許される、魔王都ニッズーム。
その中心部にそびえる巨大な城こそ、邪神ギレザビーン及び、その大幹部である魔界十将軍の居城である。
今現在、邪神城の幹部用会議室で、十将軍達の緊急会議が開かれようとしていた。
していたのだが……。
「他の連中は何をやっているのだ!」
激昂した一人の魔族が、魔界の鉱石で作られた円卓に拳を叩きつける!
並みの魔族が同じ真似をすれば、拳の方が破損するだろう。が、怒れる彼の拳は、鉄より固いそのテーブルの一部を砕き、細かいヒビを走らせる。
彼こそ魔界十将軍の筆頭、邪神の片腕とも呼ばれる最強の魔族。
その名を「壊剣」のザラゲールという。
苛立ちを隠そうともしない彼の他に、将軍達による会談が行われるこの部屋には、四つの人影があった。
弱い者ならショック死するであろう、ザラゲールの怒りの闘気を受けても平然としていられる彼等こそ、同じく魔界十将軍の名を冠する猛者達である。
「カカカッ、どいつもこいつも、マイペースな奴等ばかりよな」
金の鬣をユサユサと揺らして、暴力を練り固めたような獅子人間が豪快に笑う。
傍若無人、唯我独尊の概念を具現化したような彼は、「暴牙」の異名を持つ十将軍の一人、バウドルク。
その名に相応しい、全てを噛み砕く牙を剥き出しにして、彼は隣の席に座る男に声をかけた。
「のぅ、ジャルジャウ殿もそう思わんか?」
「………………」
ジャルジャウと呼ばれた魔界将軍は、パクパクと口を開くがバウドルクの問いには答えない。
いや、正確に言えば、答えるための発音できないのだ。
「害来」の二つ名で呼ばれる彼は、人間大の魚に手足が生えた、うなされた時に見る悪夢のような外見をしている。そんな彼の種族、魚人間は地上で声を出す事ができないのだ。
代わりに、空中に指を滑らすと、見た目とは裏腹に繊細な文字で『まとまりが無さすぎるのは遺憾でありますな』と記された。
表情らしい表情が無いため、何を考えているかは解りかねるが、高い知性と思慮の深さを感じさせる返答に、ザラゲールもまったくだと同意する。
「この場にいない人達を、そう悪く言わないでもらいたいわ」
会議に出席していない連中を庇うように、この場での紅一点、「毒火」のルマルグが口を開いた。
気だるげな口調で艶やかな口元からこぼれ落ちるその声は、眼鏡の奥の切れ長な目付きと相まって、ゾクリとするほどの色気を放つ。
「ほぅ……珍しいな、お前が他の連中を擁護するとは」
訝しげなザラゲールの言葉に、ルマルグはクスリと笑う。
「だって……他の連中が来ないのは、私が連絡するのを忘れたからだもん」
次の瞬間、ザラゲールのチョップがルマルグの頭に炸裂した!
「いたーい!」
「『いたーい!』じゃねぇだろ、このアホが!」
実力は申し分なく、見た目も『出来る女』っぽいのに、彼女はとんでもなく抜けている上に、誰よりもマイペースなポンコツだ。
だからこそ、ザラゲールも重要な話がある際には、彼女を介さない連絡網を構築していたはずだった。
それ故、彼女に仕事を振ったであろう犯人を、ザラゲールは睨み付ける。
「ベルフルウ……ルマルグに任せたのは、お前だな」
それは質問ですらない。確信をもって尋ねるザラゲールに、ルマルグと同じ顔をした魔族の青年が頷いた。
ルマルグの双子の弟、「死水」のベルフルウ。
彼は何かと自分の仕事を姉に振り、他の将軍達ともめる事が多かった。
「このバカを大事に関わらせるのは、暴れていい時だけだと言ってあるだろう」
しかし、怒るザラゲールに向かい、ベルフルウは悪びれる事無く一言、
「姉上はやれば出来る子だから……」
と告げた。
「いや、出来てねーだろうが」
『さすがに今回のは引くわー』
ベルフルウの物言いに、バウドルクやジャルジャウも非難するのだが、言われている本人はどこ吹く風だ。
そんな態度にカチンと来たためか、さらにルマルグのダメなポイントを皆が早口で捲し立てる。
すると、圧し殺したような声で、ルマルグ本人が口を挟んできた。
「そのくらいにしておきなさい。さもなくば……泣くわよ」
そう言っているそばから、彼女の声は震え、目の端に涙が浮かぶ。
いい大人……しかも魔界将軍の一人であるにも関わらず、情けなさ過ぎるその主張と様子に、再びドン引きした一同は言葉を無くしていた。
そんな中、一人ベルフルウだけは内心、ほくそ笑む。
(ああ……やっぱり、姉上の泣き顔は最高だ……)
魔界将軍「死水」のベルフルウ……彼の真の恐ろしさは、重度のシスコンであり、それでいて姉の泣き顔が大好物という、極まった変態性なのかもしれない。
「……あー、もういいや。お前、後でちゃんと他の奴等に、会議の結果を伝えておけよ」
何かを諦めた感じで、ザラゲールが投げやりに言う。
すると、任せてちょうだいとルマルグが元気よく答えたので、オメーじゃねぇよと一蹴する。
そして、しょんぼりとする姉の姿に、ベルフルウは熱のこもった視線を向けるという、負の連鎖。
何度と無く繰り返されたその光景に、無表情のジャルジャウでさえ、うんざりといった雰囲気を醸し出していた。
◆
「……さて、今日お前らに集まってもらったのは他でもない。単刀直入に言うが、ジャズゴが殺された」
切り出したザラゲールの言葉に、狼狽える者はいない。
弱肉強食の魔界では、弱い仲間が死ぬなど日常すぎて、いちいち驚いてなどいられないからだ。
「ふん、奴は俺達の中でも一番の小物……十将軍の恥さらしよ」
バウドルクが冷たく切り捨てるように言う。しかし、言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうな響きがそこにはあった。
「お前、『奴は一番の小物……』的な台詞が云いたかっただけだろ」
誰に殺られたかを言う前に、お約束な台詞を言うバウドルクに、ザラゲールはツッコミを入れる。
何かと悪役ムーヴにこだわるこのライオンマンは、「バレたか」と口にこそしなかったが、ちょっとだけはにかんで見せた。
可愛くねぇよと、内心で毒づきながらため息を吐き、ザラゲールは話を進める。
「ジャズゴを殺ったのは、人間。しかも、《神器》を持った連中だ」
その言葉に、「《神器》ってなに?」と首を傾げるルマルグ以外の表情が変わった。
『まさか……勇者が現れたのか』
ジャルジャウの筆談に、ザラゲールは頷く。
「恐らくな。我らが神である邪神ギレザビーン様を討つために、人間の神や天使どもが送り込んできた刺客といった所だろう」
確信を持って言い切るザラゲールの様子に、室内は一瞬で静まりかえった。
「そしてこれが、ジャズゴが死の間際に送ってきた、敵の姿だ」
円卓の中央に、モニターのような光が浮かび、そこに男一人に女が二人といったパーティの姿が浮かび上がる。
「小娘が二人と……褌一丁の中年?」
「そうだ。そして、こいつらが恐らく勇者の一行だ」
盾の《神器》を持つ少女と、槍の《神器》を持つおっさんを指して、ザラゲールは断言した。
「もう一人の小娘はなんです?」
ベルフルウの質問に、さあなと、ザラゲールは「さあな」首を振る。
「たぶん従者かなにかだろう」
そう彼が告げると、皆もそれに納得したようだった。
一見すれば、ただの人間。《神器》を持っていた所で、魔界将軍に勝てるような雰囲気は持ち合わせていない。
ただの偶然だったのでは……そんな事を思い浮かべていた皆の心情を読みきったかのように、ザラゲールは更なる驚愕の事実を口にする。
「情報によれば、こいつらはたった一撃でジャズゴを殺した上に、竜をも使役しているという」
「なっ、なんだと!」
さすがの魔界の猛者達も、信じがたいザラゲールの言葉に大きく反応した。
身体能力的には魔界将軍の中でも下の方にいたジャズゴではあったが、いくら《神器》持ちとはいえ、人間ごときに一撃で殺されるというのは考えづらい。
しかも、神に次ぐ強さを誇る竜種を使役するなど、魔界においても例の無い事だった。
「なるほど……人間の勇者、警戒に価するようだな」
「そういう事だ」
どうやら勇者の危険性を理解してくれた仲間達に、ザラゲールは満足気な様子だった。
「いいか!これよりこの勇者一行は、最優先の標的とする!」
速やかに殲滅せよ!と、ザラゲールが激を飛ばすと、気合いの入った返事が各々から返ってきた!
「よし。これにて会議は終了する。各自、戦いに備えよ!」
魔界将軍筆頭の宣言と共に、やる気に満ちた様子で皆が退室していった。
最後まで部屋に残っていたのは、ルマルグとベルフルウの双子の将軍のみ。
怒られてヘコんだ上に、強敵の出現にテンションが下がるルマルグに、ベルフルウは声をかけた。
「姉上、俺も色々と準備があるので、今日不在だった者達へ連絡するのを、代わってもらっていいですか?」
「うん……それはいいけど……」
「なに、元気を出してください。ここでしっかりと仕事をこなせば、汚名返上のチャンスですよ」
「そ、そうね!」
弟がくれた機会に、ルマルグはフンフンと気合いを入れて、やる気をみなぎらせる。
「よーし、お姉ちゃんは頑張るから、ベル君も見ててね!」
「ええ、頑張ってください。ところで、美味しいプリンが手に入ったんですが、おやつにどうです?」
「食べるー!」
一瞬前の落ち込みも奮起もどこへいったのか、おやつのお誘いに破顔したルマルグはご機嫌でベルフルウについていく。
そんな姉の様子に、変態弟は表情には出さずに腹黒い笑みを浮かべる。
おやつに夢中の彼女は、きっと連絡の仕事を忘れるだろう。そうしてまた、皆からバカにされてベソをかくのだ。
(ああ……姉上。ひどい弟を許してください……)
微塵も反省の無い謝罪の言葉を心の中で告げる。
そして、少し先の未来に訪れるであろう、無様な姉の姿を思い浮かべて、ベルフルウは胸が熱くなるのを感じていた。
魔界十将軍……。
エアル達を勇者と勘違いした魔界最強(一部変態)の一団が、本格的に動き出そうとしていた。