旅立ちの物語・前編
悠久より神魔入り乱れ、数多の命の輝きが大地を埋める世界、レイブリア。この世界には、エヴェル=ファーリアと言う名の大地がある。
世界最大の大陸である北アルレイディス大陸の更に北にあるそれは、島と呼ぶには大きく、大陸と呼ぶには小さいものであり──その中に様々な種族、様々な自然環境を内包し、それが故にこう呼ばれる。
『神々の試験場』と。
この世には、数多くの"神秘"が存在する。
エルフの森の精霊樹。妖精達の住まう妖精郷。西方大陸の竜の峰。天空に浮かぶ浮遊大陸……上げれば枚挙に暇がないほどに、数々の神秘が。
中でも、様々な神話、伝承に登場し、人々の心に刻まれ、子供達の憧れになっているものがある。
──天装騎士。
神の使徒たる『天使』が、己が存在の全てを『武装』へと変換した『天使兵装』。天使が認め、己が全てを託すに値すると定めた只一人へと与えられるそれを授けられた、天使と共に歩む者に贈られる称号である。
◇
未だ幼い少年が、険しい山道を懸命に駆け登っていく。
その顔に浮かぶのは『恐怖』であり、その表情と合わせて見れば、彼の足取りは紛れもなく"何か"から逃げているのが明白であった。
必死に駆ける少年の視線の先に、ほんの小さくではあるが、何か建物の影のような物が映る。
それに気付いた少年の表情に安堵のようなものが生まれ──一瞬緊張が途切れてしまったからか、足をもつれさせてその場に転倒してしまった。
直ぐに起き上がろうとするも、ここまで限界以上に動かして来た足も身体も、上手く動いてくれない。
その時、焦る少年の耳に、バサリと、羽が空気を叩く音が聞こえ、ビクリと身体を震わせた。
「ヒハハッ! もう逃げねえのかぁ?」
次いで聞こえてくるのは、バサバサという羽音と、耳障りな笑い声。
恐る恐る振り返った視線の先に見えたソレは、背中かから生やした蝙蝠のような羽で空を飛んでいた。
肌は青く濁り、顔は人と犬を足した上で醜く歪めたように醜悪で、側頭部から拗くれた一本の角を生やした、奇怪な人物──否、悪魔であった。
この悪魔こそ、少年が逃げていた原因。山の麓の辺りで出遭い、それからずっと、少年を嬲るように煽り続け、追い立てていた存在だった。
「ヒッ……!」
上げかけた悲鳴を飲み込み、疲れ切って動きの鈍い身体を必死に動かし、這うように逃げようとする少年だったが、進む先に立ち塞がった存在によって、直ぐにその動きを止めることになった。
赤く濁った瞳と、闇のような黒い毛皮。グルルと唸り声を上げながら、口の端からよだれを垂らす、立った少年よりも大きな犬型の魔物。
「ヒハハハッ! そいつぁ俺様のペットだ! 人間の肉が大好物でなぁ……お前ぇも喰わせちまおうかぁ?」
見るからに飢えていると言った様相の魔物は、大きく口を開けて、今にも少年に飛びかかろうというような気配を何度も見せていた。
その度にビクリとする少年を見ながら、嬉しそうに奇怪な笑い声を上げ続ける悪魔は、不意にその口調をネットリとした物に代えて、少年に言葉を投げかけてくる。
「そうだなぁ……泣いて許しを請えば、特別に命は助けてやらんこともねぇぞぉ?」
それに対して一度身体をブルリと震わせた少年は、けれども気丈に悪魔を睨み付けて、叫んだ。
「ぜったいに、いやだ! 父さんがいってた。男なら、さいごまであきらめるなって!」
恐らく己が望む言葉を、姿を引き出せなかったからだろう、悪魔の額に青筋が浮かび、「そうかい……だったら……」と一段と低い声を出した、その時だった。
「よく言った、少年」
凜とした声が聞こえた。
直後、ズドンッと何かが大地にぶつかる音と振動と同時に、「ギャインッ」と悪魔のペットである魔犬の悲鳴が響く。
次いで聞こえてきたのは、バサリと言う羽音。それも悪魔の羽が生み出すような、皮膜が空気を叩く音では無く、言うなれば柔らかな羽毛が空気を孕んで生み出す音。
悪魔の方を向いていた少年は、ゆっくりと魔犬が居た方へと視線を移し──そこで見た光景を、少年は生涯忘れることはないだろう。
魔犬はその胴体を光で出来た槍のようなもので刺し貫かれて地面に縫い付けられており、その槍の穂先に、一人の女性が立っていた。
蒼穹の鎧で包んだ、一見華奢にも見える少し小柄な身体、白雪のように白く長い髪に、切れ長の瞳、小柄な顔立ちは、まだ幼い少年にしても見惚れる程に整っていて──事実、しばしの間少年は茫然と女性を眺めていた。
そして何よりも、彼女の存在を示す最大の特徴。
先程の羽音の正体。
その背より生えた、鳥の羽を思わせる、二対四枚の翼。特徴的であったのは、上の二対の根元から半ばまでが純白で、その先と下の二対の羽が灰色であることだろうか。けれどもその姿は、まさしく話に聞く──
「……てんしさま」
ぽつりと呟いた少年に、女性──天使がチラリと視線を向けると、「おや」と物珍しげな表情を浮かべた後に、ふわりと少年の側に舞い降りた。
「もう大丈夫」
そう言って優しく抱き起こし、微笑みかける天使の言葉を聞いた瞬間、少年の意識は急速に遠くなっていく。
絶対の信頼感を漂わせる存在により、続いてきた緊張を取り除かれた安堵によるものか。瞼が重く、抗えそうもない。けれども、最後の最後まで、その姿を目に焼き付けようと、少年の瞳は天使を見続けていた。
◇
エヴェル=ファーリア西部に位置する、人族を主とする国、エルヴェート王国。その更に北西端に存在する霊峰エスティニアの麓にある村、エストナ村。
その村の中心部にある広場には、六名の子供達を中心に、幾人かの大人達が集まっていた。
時刻はまだ日も昇らぬ早朝。子供達の顔に浮かぶのは、期待と不安。そして好奇心。
対して大人達の顔に浮かぶのは、そんな子供達の様子を見守る温かさと、そして幾許かの心配だった。
子供達は皆、簡易の皮鎧に厚手のマントを羽織り、山に登るために必要な道具を入れた袋を背負う。そしてその手には剣や弓。あるいは杖を持って武装している。
彼らはこれから、数年ぶりに行われる成人の儀を執り行うのだ。
エストナ村では、その年に十五になる子供は、成人の儀を受ける事になっている。
成人の儀の内容は、村の背後にそびえる霊峰エスティニアの中腹にある教会に、祈りを捧げに行くこと。
その教会はいつ、誰が建てたのかも解らず、どの神の宗派に属する教会であるかも定かではない。故に神父もシスターも居らず、常に山の厳しい自然に晒されている。
実際、この村には大地母神を信仰する教会が建てられており、そこに派遣されてきた神父が一度山の中腹の教会を訪れた時も、どの神を示す印も見つけることが出来なかったという。
だが、この村に住まう村人達は知っていた。その教会が神のために建てられたものではないことを。
その教会には、天使が住まうのだから。
「レイル、しっかりね」
ダークブラウンの髪に同色の瞳、少し幼さの残る顔立ちの少年に、母親らしき女性が心配げな表情で話しかける。
レイルと呼ばれた少年は、「はい」としっかりと頷いてから、女性の隣に居る男性──自身の父親へと顔を向けた。
「教会までの順路に強力なモンスターは見られたことはないとはいえ、何が起こるかは解らん。順路を外れれば予想外なものが居る恐れもあるからな。油断はするな」
父親はそうレイルへと言葉を掛けると、それ以上言うことは無いというように、少年の頭をガシガシと撫で、少年の後ろで彼を待っている友人達へと顔を向けた。
「リック、ルティア。レイルを頼むぞ」
男性に言葉を掛けられた二人のうち、燃えるような赤い髪の少年、リックは「はい、師匠!」と大きく頷き、リックに寄り添うように立っていた、彼よりも頭一つほど小さい、深い紺碧の髪の少女──ルティアは、小さくこくりと頷いた。
「けど、どっちかと言うとリックの方が頼まれる側だと思うけどね」
リックを見ながらそう言って、くすりと笑ったルティアに対し、リックは「ひっでえなぁ」と不満そうに口を尖らせる。
そんな二人のやり取りに思わずプッと噴出したレイルは、もう一度両親へと視線を送り──そのタイミングで、カラーン、カラーンと、村に建てられている教会の鐘が鳴り響いた。
「父さん、母さん、行って来ます」
両親へと声を掛けたレイルに続き、リックとルティアも「行って来ます!」と声を揃えて口にする。
そんな三人へ、レイルの両親は「行ってらっしゃい」と異口同音に言葉を返した。
成人の儀の始まりである。
村の北から山へと足を踏み入れた六名の少年達は、二つのグループに別れて進んでいた。
一つはレイルとリック、ルティアの三人。
彼らは元冒険者であるレイルの両親に、剣や魔法を習った仲間であり、それぞれの両親もまた仲が良く、兄弟のように育った間柄である。
もう一つは村長の息子であるデュレンを中心に、その取り巻き二人が固めているグループだ。
彼らは何かとレイル達……主にレイルとリックに張り合う事が多く──その度に、デュレンの視線はチラチラとルティアに向けられており、彼が何ゆえに二人に張り合うかは誰の目にも明白なのだが──今も先行してどんどんと先に進んでいた。
「なあレイル、俺達も急がなくていいのか?」
先を越されちまうぜ? と問いかけたリックに対し、レイルは静かに頭を振る。
今はまだ背の高い木々が続き、ある程度の登りやすさが確保されているが、もう少し登れば徐々に岩肌の露出した風景に変わることを、レイルは幼い頃の経験で知っていた。
恐らく教会に近づけば、未だ残る雪によって更に登り辛くなるだろう。
霊峰エスティニアは急峻で、奥まで入れば強力なモンスターも住まう。
それ故に、本来教会までの道行きはそれほど危険ではないのだが、この成人の儀を終えるまでは、子供達は森の浅い部分は別にして、ある程度以上に深く入る事は禁じられていた。
……だが、冒険者であった両親に憧れ、自分もまた『冒険』をしてみたいと思っていた幼い頃のレイルは、両親に無断で森へ入り、そして運良く手におえないモンスターに遭うこともなく、山道へ入った事があったのだ。
尤も、山道へ入った後に経験したことは、その後のレイルの成長に大きな影響を与えることになる程に衝撃的だったのだが。
「もう、リックったら。別にこれは競争じゃないんだから、自分達のペースで上ればいいのよ」
「ルティアの言う通りだよ。父さんも言ってたけど、何が起こるか解らないんだから」
二人にそう言われて、リックは「解ってるけどさ」と頷く。
実際にリックとて、二人が言うように慌てる必要は無いと言うことは解っている。この成人の儀の目的は一つ、教会に辿り着いて祈りを捧げ、天使の加護を得ること。それに尽きるからだ。そこには辿り着いた順番などは関係ない。早く着いた順から強い加護を得る、と言うわけではないのは、これまで何度も執り行われた成人の儀が証明している。それでもリックが不満気なのは、
「……って言っても、やっぱり先を越されるのは悔しいじゃん。特にあいつらにはさ」
彼のこの台詞が全てを語っているだろうか。
リックの言葉を聞いて、ルティアは「まったく、リックってば」と溜め息を吐き、レイルは苦笑を浮かべて「まぁ、気持ちは解るけどね」と頷く。
それでもやはり、無理に急ぐ必要は無い、と言うのがレイルの結論で、リックとしても二人の反対を押し切ってまで、と言うつもりはないので大人しくペースは抑えているのだが。
その時だ。レイルとリックが揃って足を止め、腰に刷いたショートソードを抜き放ち、構える。
その様子にルティアも二人の後ろで立ち止まると、口を噤んで腰に刺していた杖を抜いた。
数秒の時間をおき、ガサリと彼らの右手の茂みが音を立て、次いでそこから三羽のウサギが飛び出してきた。
体毛は白く、その額には鋭い一本の角。この地方に生息するエストナラビットだ。
モンスターの一種ではあるが、皮や角は素材に、肉は食用に使え、罠を上手く使えば子供にも仕留められる程度の強さ。また、総じて繁殖能力の高いモンスターであることの例に漏れず、このエストナラビットも良く増えるために、エストナ村を含む周辺の村にとって、冬の間の貴重な食料源として重宝されていた。
とは言え今この場に置いては邪魔者以外の何者でもなく、「どうする?」と小声で問いかけるルティアに対し、レイルは僅かに考えたあと、
「追い払おう。出来れば一羽は仕留めたいところだけど、無理はしない」
「解った!」
レイルが決断を下した瞬間、リックがエストナラビットに向かって一気に駆け出す。
リックはエストナラビットに肉薄すると、ショートソードを掬い上げるように一閃。三羽のうち、中心に居た一羽の角に当てる。
ガインッと硬質の音を立てて角と剣がぶつかり合い、衝撃でエストナラビットは吹き飛んで地面を転がった。
エストナラビットは角で敵の強さを測ると言われている。それ故に今リックが行なったように、角に強い衝撃を与えてやると、「適わない」と見て逃げ出すことも多い。
これは子供達が森に入るようになる直前に教えられることであり、現に今しがた現れたばかりのエストナラビットも、吹っ飛ばされた一羽が小さく「キキッ」と鳴いたのを合図に、出てきた茂みに飛び込んで逃げようとしていた。
先に攻撃を受けていない二羽が茂みに飛び込んで行き、次いでリックに吹っ飛ばされた一羽が起き上がり、茂みに入ろうとし──
「ごめんね」
トンッと、その首筋に、接近したレイルのショートソードが刺し込まれた。
小さく断末魔の声を上げて事切れるエストナラビット。そのまま周囲を警戒するも、逃げ出した二羽が戻ってくる様子は無い。
レイルはその場で簡単に血抜きし、背嚢から取り出した布に、同じく背嚢から取り出した臭い消しの香草と共に包むと、剣の邪魔にならないようにぶら下げる。
「よし、行こう」
一連の作業を終え、周囲の警戒を続けていたリックとルティアが頷くのを見て、三人は再び教会へ向けて歩き出した。
その後しばしの間モンスターと出遭うことなく順調に歩を進めるレイル達。
本来であればここまでモンスターに出遭わないのは可笑しく、当初は疑問に思いつつも慎重に進んでいた三人であったが、道中でその理由を知った。
「……派手にやってるみたいだなぁ、デュレン達」
リックが呆れたような声でポツリと口にする。
それもそのはず、進むにつれて、何羽もの放置されたエストナラビットの死骸や、戦闘の形跡であろう乱れた茂みや草花が目に付いていたからだ。
そう、レイル達がここまで敵に遭遇しなかったのは、彼らに先行しているデュレンのグループが当たる側から倒しているからのようだった。
それでもやはり警戒は怠ることなく進んでいた三人であったが、先頭を歩いていたリックが不意に立ち止まり、ハンドサインで後ろの二人に止まるように促す。
それを受けて、真ん中を歩いていたルティアが止まり、ルティアの更に後ろを歩いていたレイルが、ルティアの前に出てリックの横に並ぶ。
周囲に視線を走らす三人。と、レイルが左前方に目を向けたところで動きを止めた。
一瞬固くなった彼の雰囲気に疑問を覚えたリックとルティアが、レイルが視線を送っている方向を確認したところ、そこにはエストナラビットの死骸を咥えた、野犬型モンスターであるフォレストドッグの姿があった。
それを見て、件のレイルの様子に合点が行ったリックとルティア。二人は一瞬視線を交わして頷き合う。
一方のフォレストドッグは、どうやら三人には気付いていないようで、直ぐに去って姿を消し、レイル達は揃って大きな溜め息を吐いた。
とは言え、単体のフォレストドッグ自体が脅威と言うわけではない。
無論モンスターである以上、油断する事は出来ないが、レイル達三人であれば、襲われたとしても問題なく撃退することは出来る。
むしろ、今の光景で問題であったのは──。
「……やっぱり、放置された死体に惹かれてモンスターが集まって来てるね。少し急ごうか」
「解った」
「うん」
レイルの言葉にリックとルティアが了承の返事をし、三人は先ほどまでよりもペースを上げて、森の中を進む。
「それにしても、相変わらずレイルは犬系が苦手なんだな」
チラリとレイルを見つつ言ったリックの言葉に、レイルは「まあ、こればっかりはどうにも」と苦笑を浮かべる。
リックやルティアからすれば、何でも卒なくこなすイメージのあるレイルではあるが、目に見えて唯一解る大きな弱点が、この犬やそれに類する物が苦手、と言うものであった。
「確か、昔一人でここに入った時から、だっけ?」
そう確認するように訊いてくるルティアに、その当時を思い出したか、少しばかり苦い表情で「うん」と頷くレイル。
その時のことは、リックとルティアにすら多くを語ってくれないレイルではあるが、彼の当時からの様子を見ていれば、相当恐ろしい目にあったのだろうと言うのは推察できた。
「ほら、それより急ごう」
少々ばつが悪くなったか、そう言って足を速めるレイル。そんな彼に対して顔を見合わせて苦笑を浮かべたリックとルティアは、レイルの後を追って足を進め、その後も敵に遭う事なく山へと入った。
相変わらずモンスターにも野生動物にも遭遇することなく山道を登ることしばし、足元に残雪が目立つようになってきたころ、レイル達の耳に、戦闘音と思わしき音が聞こえてきた。
顔を見合わせた三人は、その音が聞こえる方──山道から少し外れた場所のようだ──へ向けて同時に駆け出す。
やがて彼らの目に飛び込んできた光景は、右足を押さえて蹲る、眼鏡を掛けた暗灰色の髪の少年と、恐らく気を失っているのだろう、倒れ伏して動かない茶髪の少年。そしてその二人に背を向けるように前に立ち、剣を持って戦う金髪の少年の姿。
そしてその少年達に対峙し、鎌首をもたげる、小柄なルティアであれば一呑みにされそうな……と言えば大げさに聞こえるが、そう言いたくなる程に大きい蛇。その蛇の体表は見るからにゴツゴツとしており、まるで岩をその身に纏っているかのような姿だった。
「あれは……多分ロックスネーク。父さんが持ってる図鑑で見たことがあるよ。とは言え、あそこまで大きいとは書いてなかったけど」
「師匠の言う通りだったな。デュレン達も真っ直ぐ教会に向かえばいいのに!」
それを見たレイルが、リックとルティアに聞こえるように蛇の名を告げ、リックが思わず文句をこぼす。
ロックスネークは、こういった岩場などに生息する蛇型モンスターの一種である。
毒はなく、その名の由来にもなっている体表は見た目の通りに岩の如く硬い。とは言え、棍棒やハンマー、メイス等の打撃属性の武器には弱く、頭を叩き潰せば割と簡単に倒すことも可能だ。
その逆に剣等の斬撃属性の武器には強く、並みの剣では傷つけることすら出来ないとも言われており、そして今この場に居るメンバーの武器は、四人が剣、一人が弓、もう一人が杖と言う、ロックスネークを相手取るには最悪と言ってもいい構成だった。
唯一鈍器として使用できそうなルティアの杖であるが、本来の使用用途はそんなことに使うものではないし、恐らくロックスネークのような硬い敵を殴りつければ、簡単に折れてしまうだろう。
となれば、本来の使い方をするのが一番である。
「ルティア、準備しといて」
レイルは彼女にそう促し、「多分剣は効かないから」と続けると、リックに「行こう」と声をかけ、ロックスネークへと駆け出す。
リックもそれに「おう!」と応えてレイルに続くと、ルティアはその場に留まりつつ杖を構えた。
レイルとリックは、今にも金髪の少年に噛み付こうとしているロックスネークに駆け寄ると、二人同時に、鞘に入れたままの剣で横合いから殴りつける。
「デュレン、大丈夫か?」
二人は金髪の少年──デュレン──を挟み込むように並び立つと、二人に殴られて僅かに身を引いたロックスネークに向き直った。
「なっ……お、お前ら、なんで……」
いつも目の敵にしていた相手──思わぬ援軍に、デュレンは途惑ったような声を漏らす。
そんなデュレンに対して、リックは「何言ってんだよ」と呆れたような顔を見せ、
「村の仲間がピンチなんだ。助けないわけねーだろ」
どこかぶっきら棒に言うリックに対して、レイルは思わず噴き出すように笑ってしまった。付き合いの長いレイルには、リックが照れているのが解るからだ。
「おいレイル、笑うなよ! あーもう! ほら、来るぞ!」
「リック、解ってるよね?」
「俺達の役目は時間稼ぎ!」
獲物を仕留めるチャンスを邪魔された上、横合いから殴りつけられ怒っているのだろう、その狙いを丁度真正面にいたリックに定めたロックスネークは、幾度もリックに噛み付こうと首を伸ばす。
それを何とか捌きながら、レイルに叫ぶように返事を返したリックは、自分の足に噛み付こうとしてきたロックスネークの口を、右足を咄嗟に下げて躱すと、その伸び切った頭に渾身の力で鞘に入った剣を振り下ろす。
ガッと鈍い音を立て攻撃の当たったロックスネークは、スルスルと後ろに下がって鎌首をもたげる。
その動きが鈍った様子はなく、今のリックの攻撃は痛打とはならなかったようだ。
とは言え、恐らく油断の出来ない相手と見て取ったのだろう、ロックスネークは直ぐに攻撃を再開するのではなく、警戒するような様子を見せ始めたあたり、決して無駄な攻撃ではなかったようであるが。
その時だ、デュレンを庇うように並んで立つレイルとリックの耳にルティアの声が届いたのは。
「レイル、リック! いつでもいいよ!」
その声にチラリと後ろを窺ったレイルの目に入ったのは、ロックスネークに向けて杖の先端を向けているルティア。
彼女の足元には青色の魔法陣が展開され、彼女が構えている杖の先端は淡く青く光っている。
それを確認し、レイルが直ぐに視線をロックスネークに戻すと、恐らく今のルティアの声に触発されたのだろう、ロックスネークがレイルに向けてその口を開け、飛び掛るように襲い掛かって来るところだった。
「レイル!」
リックの声に反応し、レイルは咄嗟に剣を横にして腕を伸ばし、ロックスネークの顎を受け止める。
横にした剣を咥えるように閉じられたロックスネークの口は、レイルの鼻先を掠めるように過ぎ、そのギリギリの距離にレイルは内心冷や汗を流しつつも、リックとルティア、そしてデュレンに向けて声を張り上げた。
「リック、デュレン、こいつを押さえて! ルティア、動きが止まったら撃って!」
「おう!」
「わ、わかった!」
レイルの声に、リックは即時に反応し、ロックスネークの剣を咥えたままの頭を、デュレンは一拍置いてから慌ててその長い胴の、尾に近い部分を、それぞれ全身を使って押さえる。
次の瞬間、ルティアの魔法が撃ち放たれた。
「行くよ! 『水精よ、我が声に応えて眼前の敵を撃ち貫け! アクア・ブレッド!』」
ルティアの発した【声】に応じ、彼女の周囲に、ルティアの頭と同じ程もある水球が四つ出現する。
それは次の瞬間、空気を振るわせる音を立てて、三人が押さえつけてなお暴れるロックスネークへと撃ち放たれた。
飛来した四つの水球のうち、まず二つがロックスネークの胴体に着弾。その硬い岩の様な外皮を破り砕く。
その瞬間、ロックスネークがそれまでで最も激しく暴れ、溜まらずレイルとデュレンが吹き飛ばされる。一人何とか堪えることが出来たリックではあったが、その直後、押さえる者の居なくなったロックスネークの尾が、リックをしたたかに打ち据えて弾き飛ばした。
「って~……」
思わず呻くリックに対し、ロックスネークは噛み付こうと鎌首をもたげ──ドンッと、残り二発の水球が、先程外皮を破損させた傷跡へと直撃した。
衝撃で吹き飛んだロックスネークは後方にあった大きめの岩に激突し、ずるりと崩れ落ちる。
「やった!」
デュレンが歓声を上げ、ルティアがレイル達の下へ来たところで、まだ息があったのだろう、ロックスネークが辛うじて動き出すと、レイル達から逃げ出そうとする。
その時だった。
それまで快晴とまでは行かずとも、空が見える程度に晴れていたにも関わらず、はらりと雪が舞い落ちたのだ。
もう春先と言えど、山の上ともなれば雪も降ろう。だが、今の今まで晴れていたのに……そう思ったレイルが空を見ようと顔を上げたそこに、それは居た。
「……あ……」
呆然とした声を上げたレイル。構えていた剣先が小刻みに揺れる。……震えているのだ。その身体が。レイルのその尋常ではない様子にリック達もまた彼が視線を向ける先に目をやり──その動きが固まった。
吹き飛んだロックスネークが激突した岩。その上に威風堂々と佇む、白銀の毛皮。それは、仔牛程の大きさもあろうかという、銀狼であった。
「……氷雪狼……」
ぽつりと搾り出すように呟かれたレイルの声に、「あれが?」とリックたちが息を呑む。
この霊峰エスティニアに君臨すると言われる、最上位モンスターの内の一体。その身に氷の精霊力を多く宿すスノーウルフの最終進化形態とも言われるそれは、既にモンスターと言うよりも精霊種に近いとすら言われる存在。それが今、彼らの目の前に居た。
「ウォオーーーーーーーン……」
氷雪狼が遠吠えを上げると、それに応じるように、レイル達をぐるりと囲むように無数のスノーウルフ達が現れた。
「ひっ!」
「マ、マーク、おち、落ち着けって!」
デュレンの取り巻きの一人である、眼鏡の少年──マーク──が悲鳴を上げそうになったところをデュレンが宥める。
自分とて恐ろしいだろうに、それでも自分を慕ってくれる仲間を護ろうとする姿勢は、いつも張り合って争ってばかりのリックから見ても、感心するものであった。
彼らにしても、この絶対絶命ともいえる状況に置いて、この程度の取り乱しようで済んでいるのは、偏に側に居るリックとルティアが妙とも言える程に落ち着いているからである。
そのリックとルティアにしても、自分達のもう一人の仲間──レイルが取り乱さず、自分達の先頭に立って氷雪狼と向かい合っているからこそ、必要以上に混乱も焦りも無く居ることが出来た。
そしてそのレイルは。
自身にとって弱点とも言える、最も苦手な犬系のモンスターに囲まれたこの異常な状況に置いて……その最上位種であり、世界がひっくり返ったとしても勝てない相手であろう、氷雪狼を目の前にして、身体の芯から震える程の恐怖を感じつつも、そのどこかで懐かしさにも似た思いを感じていた。
とは言え、今はそれに対して意識を向けるべき時ではない。そう、今最も考えるべきことは、如何にしてこの場を切り抜けるかだ。レイルはそう自身に言い聞かせ、じっと氷雪狼を見やる。
目を逸らすな。相対するは絶対者なれども、決して視線を外さないように。そう思いながら氷雪狼の顔を見るレイルは、ふとその瞳に理知的な光が宿っているように思えた。明確な根拠は無い。だが、不意に以前両親から聞いた話を思い出した。
『精霊とか竜種、そこまで行かずとも上位の魔物というものの中には、人種よりも高度な知性を宿している存在が居る』
その言葉と己の直感に従い、レイルはゆっくりと、氷雪狼を刺激しないように腰に吊った、麓の森で仕留めたエストナラビットを氷雪狼へと差し出し、地面に置いてから再びゆっくりと下がる。
「僕たちは麓にある村から、『成人の儀』でそこの教会へと向かっているところです。差し出せるものはそれしか有りませんが、ここは……」
レイルが言葉を最後まで言い切る前に、氷雪狼の耳がピクリと動き、次いで顔を上空へと向ける。
──その者達は村の者です。通しなさい。
声が聞こえた気がした。
レイルは思わず顔を上に向けかけるも、流石に今の状況で氷雪狼から目を離すことは恐ろしく、その動向を固唾を飲んで見守る。
と、氷雪狼は直ぐに視線をレイル達へと戻すと、一度「ヴォウッ!」と吼えると、その声に応えるように囲みの中から出てきた一匹のスノーウルフが、レイルが置いたエストナラビットを咥えて持ち去っていった。
「ウォオーーーーーーーン……」
それに続いて、再び響き渡る氷雪狼の遠吠え。
すると、レイル達を取り囲んでいたスノーウルフが、一斉にばらけて去って行く。
そして残った氷雪狼は、しばしの間レイルをひたと見つめた後、立っていた大岩の上から大きく跳躍し、その場から消えた。
氷雪狼達が居なくなった後、十を数えるまでの間誰も言葉を発せずに、二十を数えるにあたって、ようやく全員がその場にへたり込んだ。
「た……す、かったああぁーー」
心底安堵した様子で、リックが大きく息を吐くと、「本当に、ダメかと思ったね」と言うルティアと顔を合わせて笑い合った。
「それにしても、あんな形でエストナラビットが役に立つとはなぁ」
「うん、本当は『成人の儀』が終わったら、お祝いに食べようって思って狩っておいたんだけど」
何が役に立つか解らないね、と笑うレイルに、まったくだなと頷くリック。そんな彼らの元に、気絶していたもう一人の仲間──ルース──を起こしたデュレンが、足を怪我しているマークに肩を貸しながらやってくると、ばつが悪そうな顔をしつつも、少々意気消沈した様子で「あのよ……」と声を掛けて来た。
「あー……その、えっと……」
気まずげに言葉を詰まらせたデュレンだったが、意を決したように大きく息を吸うと、「助かった! ありがとう!」と声を張り上げ頭を下げる。
そんな彼の、今まで見たことの無い様子を目の当たりにしたリックは、「ええっと」と今し方のデュレンのように言葉を詰まらせたあと、
「別にいいよ……村の仲間を守るのは当たり前なんだし」
少しばかり顔を背けつつ、ぶっきらぼうにそう返した。
その耳は少々赤く、端から見れば照れているのは丸解りで、実際にレイルとルティアは思わず顔を見合わせて、同時に吹き出してしまったところで「お前ら笑うなぁ!」とリックに見とがめられ、二人はごめんごめんと笑いながら返して──そんな彼らの様子に、デュレン達もまた楽しげに笑い合う。
濃密な緊張と恐怖に包まれていた反動か、しばしの間、その場には子供達の楽しげな声が響いていた。
しばしの休憩を挟んだレイル達は、デュレン達も加えた六人で、再び教会への道を登り出す。
リックが先頭に立ち、その後ろにルティア。続いてデュレンとルースが、マークを両側から挟んで肩を貸して支え、その三人の後ろ、最後尾をレイルが固める。
そうしてデュレン達の足に合わせつつ、ゆっくりと、慎重に山道を登っていった一行の前に、とうとう教会が姿を現した。
教会は、恐らく村の大人達がこまめに修繕に訪れているのだろう、長い間霊峰エスティニアの厳しい環境に晒されているにも関わらず、多少の痛みはあるものの、朽ちた様子は無い。むしろ、近づいただけでもその建物全体がどこか神秘的な雰囲気を醸し出しているように感じられるぐらいだった。
大きな両開きの扉は、どうやら外側に開く構造になっているらしい。
「……んじゃ、開けるぞ」とゴクリと喉をならしたリックが、そっと手を掛け、ゆっくりと引き開けていく。
ギギッと小さく軋みを上げつつも、想像以上にスムーズに開いたそこから見えたのは──厳かで、神秘的でありつつも、どこか暖かみを覚える空間だった。