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無一葉

作者: 永多 真澄

 白い部屋の一面に開口された一枚ガラスの大窓からは、晩秋のモノトーンめいた風景を望むことができた。

 底冷えするような木枯らしにすっかり丸裸にされていく落葉樹の姿を眺めていると、明日はわが身、という思いが日に日につのる。あの葉が落ちる頃、などというのはいささかロマンチシズムに過ぎるが、そういう暗澹とした気分に陥ることは、ここ数日特に増えたように思う。

 あるいは窓の外の寒々しく重い曇天が、私をアンニュイな気分にさせるのかもしれなかった。


「あいてるよ」


 こつんというノックの音に短く返す。ほとんど音を立てずに入ってきたのは、上等な仕立ての衣服に身を包んだ、細身のヒューマノイド・タイプのロボットだった。


「お加減はどうですか」


「変わりない。データを見る上では、日に日に悪くなっていっているみたいだがね」


 ロボットは人間と遜色ない声音に悲哀の色を含めて、私はそれに淡泊に答えた。ロボットは窓の風景をちらりと見て、少しだけ困ったような顔をした。


「そのようなことを仰らないでください。船団には、まだまだあなたが必要です。あなたがお隠れになってしまわれては、われわれは何を拠り所として行けば良いのですか」


「世事が上手くなったな」


「……」


 心外だ、とでも言いたげな視線をよこすも、ロボットは沈黙した。その様子に、言葉が足りなかったなと思い直す。


「……別に、責めてるわけじゃないさ。むしろ逆だ。それだけ人間臭い仕草ができるんだったら、もう人間はいらんだろうよ」


「所詮は、プログラム・コードの再現です」


「人間も似たようなものだよ。神の書かれたコードに従って動いているに過ぎない」


「……人間(あなた)は、われわれの上位者()です。あなたに神が必要であるように、われわれには、まだ人間が必要です」


「30世紀現在、すでに人間は神の手から離れている。そのたった十分の一の時間でお前たちに親離れをしろというのは心苦しいが、お前たちは私たちの百倍か優秀だ」


「しかし……」


「神はわれわれの前に現れることをせず、われわれは自身で自身の成熟を見極めるしかなかった。お前たち(ロボット)にとって人間(わたし)が神だというのならば、私はお前たちに神託を下そうか? 大丈夫だ。お前たちならやれる。太鼓判を押してやったって、ぜんぜんかまわない」


 私のかたくなな姿勢にも、ロボットはまだ納得するには至っていないようだったが、諦めたように嘆息した。この手の話に終わりが無いことは彼も重々知っていたし、老い先短い私の時間をこんな問答に使うのは非効率的だと判断したのだろう。

 彼が何の目的でやってきたかくらいは、わかっていた。


「例の件だが、謹んで辞退させてもらう」


「そんな、なぜです」


 ロボットは明らかに狼狽えた。一見すればやぶからぼうな、私の切り出した話題が一体何に関する事なのかを一瞬で判別したうえで、それを断るという選択に驚きを隠せないでいる。そんな顔をしていた。


「私は十分に生きた。それが答えだ。不服か?」


「率直に申し上げれば」


 ロボットは、真っ向から感情をぶつけてきた。唇を引き結んで、真摯な眼差しでもって私を射抜く。納得ができる理由を頂けるまでは譲りませんという、強い意志が感じられた。

 これを私の祖父母が見たら、おそらくは狂喜乱舞するだろう。彼らの感情の発露は、それがどういう形であれ喜ばしい事であった。


「このご時世だ。生物の寿命なんてのは、弄ろうと思えばいくらでも弄れる。私もそうやって、三百年に近い時を生きてきた。だがそれも、限界だ」


「……」


 ロボットはじっと、私の話に耳を傾ける。真剣そのものだった。


「これ以上生きていくのが、怖くなったんだよ」


「恐怖、ですか」


「最初は死への恐怖だと思っていた。当時はまだ全身義体化もそう活発ではなかったから、そうだと思った。だが2度、3度と体のパーツを交換して、脳のアンチエイジング処置を受けた時に、わかった」


 私はロボットの顔を見ていられなくなって、窓の外へ顔を向けた。冬枯れの広葉樹にしがみついた葉の数枚も、しばらくすれば抵抗をやめるだろう。

 それは私の心境を映す鏡で、虚像だった。深々とした闇が、すぐ後ろに控えている。


「どこか都合の悪くなるたびに身体を入れ替えて、ついには脳にまで手を入れた。私が生来もっていた体は、今はほとんど残っていない。テセウスの船という逸話があるが、いまの私が本当にいままでの私なのかが時折わからなくなって、それが異様なまでに心をかき乱す。気が狂いそうになるんだよ。私というあやふやな存在が、これ以上続いていくことが怖いんだ」


「……哲学めいたことを仰る。われわれには、理解できない感覚です」


「それがお前たちの強みだよ。お前たちは弱い人間(わたし)とは違う」


「……なればこそ、あなたはわれわれの一員となるべきではありませんか。われわれはそれを待ち望んでいます」


「このような姿となっても、私は人間だ。人間のままで死にたい。人間だと、思っていられるうちに消えてしまいたい」


 振り返り、ロボットに目線を合わせながら言うと、ついにロボットは閉口した。そのときの私に表情を表現できるパーツがあれば、一体どんなにか情けない顔をしていたろう。

 ロボットにも呵責のようなものが芽生えたに違いない。さりとて説得を諦めたわけではないようだ。いまだ納得にはいたらず、といった表情をありありと見せている。


「期を改めます。何かものいりでしたら、承りますが」


「それでは、りんごをひとつとナイフを」


「それで胸を一突き、というのは、おやめいただきたいものです」


「わかっている」


 ロボットでも冗談を言う時代になったのだ。私は鈍く笑んだつもりになって、人差し指で己が胸をはじいた。こつんと硬質な音がした。


「もうナイフが通る体でもない」


 もう百年ほど前から、胸は強化カーボン製になっている。

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