想像と創造世界
もはや逃げ去ってしまったのだろう。
仄暗い夢現の瞼に浮遊するそれは、しっかりと光る小さな点であった。そこはとても近い距離にあるのだった、私の脳髄深く、河のように流動する世界は、しかし覚醒した現実世界からすると、ピッタリと重なっているかに見えるそれらの場所は、遠く隔たった二つの地点に他ならなかった。思い出そうにも当てがない…逃げ去った世界は霧散を極めていく、もう少しで、現実が全てを奪いに来るのだ。
想像と創造。
二つは入れ替わり層をなしており、それらは互いにそれぞれの母体となって切り立っている。夢は便りだった、この生活から飛び立つ為の優れた切符、定期的に送られる私への送り主は、いつも親切で驚かせ好きなのだ。夢の入口で、私はいつも待ち続けている。
白昼、待ち遠しい夜を待っている、太陽が昇る世界が私には少し退屈なのだ。夜を過ぎ、次の夜を待ちて…
そんな毎日だった。夜はとても美しかった。世界は湿度を増して、雨は時間いっぱい夜のはじまりに灌がれた。しとしとと柔らかな雨…。人々の眠りの刻…
空に浮かんだ巨大な怪獣が殺されるのだと言い伝えられている、真実味を帯びた伝説の吹聴。
雨はそれほどに、赤かった!
街を染め上げる赤、標高高くには、霧のように分散された赤が舞っていた。赤いビル、赤い傘…
ほどなく雨は止む、そして夜はようやく更けていく…
これがこの世界の毎夜のリズムである。夜は深みを増していく、それから、世界は仄かに眩さを放ち始めた。
太陽光が遮る白昼には想像も出来ない世界が、世界の隅々にまで創造された世界…
眩い太陽も、この世界の自発する発光を目の当たりとした後には、むしろ分厚い翳のようにイメージされてしまうのがとてもユニークであった。
夜…世界は隈なく塗り替えられて強烈な虹色だった。
夜の散歩道は白昼よりも眩く幻想的だ。人々は必ず一度は風景を確かめに外出するのである。帰宅して、歩き疲れ精神は満腹になってすやすやと眠りの境界線までほどなく到達するのだ。
今日もあの方は便りをくれるというのか?
私は嬉しさを表情に出さずにはいられなくなる。
夢は漆黒の夜だった、慣れない…闇とはとても心地の悪い世界なんだと知覚する。誰かが私の前方を足早に歩いていく…私は暗闇の中、その彼を追い掛けねばならなかった、しかしどんどん差は大きくなっていった。立ち止まる、大きく息を繰り返す、胸が痛く、とても苦しくて不快だった。時間が経過した、息はだいぶ整っていた。
街…
現実世界における想像が、この夢の世界においてはことごとく創造へと転換されゆくのが、とても不可思議でとても病みつきになるのだ。私は気分次第では壮大な世界転覆をやってのけてしまえる立場なのだった。
心もとなかった…世界の空気が希薄になり始めている…圧迫される…私はそろそろ夢世界から去らねばならないようだ…
遠くから響いて来る…ズシンと重く地を震わせる巨大な音…
動悸が鳴っている、それは私の心臓の鳴る音で、同時に夢世界の巨大な拍動であった…
逼る…限界…世界……
「アメンボは赤いのか?」
「……」
部屋…
天井は光に薄暗く塗られている…太陽が地平線を割り顕れた証拠であった。虹色に光輝する夜の闇はもう、消されてしまっていた。「アメンボは赤いのか?」いつもだ。夢の世界はその決まったフレーズにて破り去られてしまうのである。
もう一度だけ…想像の世界…創造のための…幸福な世界へ……
今は白昼であるか?それとも…
錯綜する感覚や認識…
記憶喪失にでもなってしまったのだろうか?
突然知らない世界へと産み落とされてしまったかのようだった。いつも、夢の世界を跨ぐとするならば、必ず異国の門を潜るように、しっかりと記憶に刻まれる標があるのだったが、しかしこれが現実だというのにも、自信が持てなかった。ここは一体どこなのだろう?
雨の音…
夜?
赤く染まった世界…
人々の地を踏みしめる足音…
そして雨が止み…
世界にはますます人が溢れていた、私は脳髄の奥にじりじりと焦げつくような熱さと痛みと焦げ臭い匂いを感じている。
人々が異常な足音を立てていた。
赤い雨が止んで、世界は堰を切ったかのように虹の発光をばら蒔いていた…
鈴虫のようなキンキンと甲高い涼しげな波紋が空中を波立たせていくのだ…
空中は増幅されて…
人々の囁きが伝播しながら街を覆うのだ。
「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」「アメンボは赤いのか?」……
無数の声が聞こえている、私は気が触れてしまいそうだった。
血溜り…赤い地面の水たまり…
夜の虹を写したそれ、照らされた赤の血溜りは夜の色に滲み…
人々が集まっている…その全てのつぶらなちいさな鏡面が…
創造と想像を隔て、架橋となっている奇跡の国境にて。
無数の、虹色に輝く瞳は列をなし…まるで対になったかのように正面にそれぞれ立ち止まり互いを見据え、夢の国の切符をポケットに押入れた群衆の渦が、境界を跨いで果てしなく並んでいるのだった…