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しばらく回想編続きます。

出会い、と言っていいほど甘いものではなかったと思う。

 本当に偶然と偶然が重なっただけだ。

 中谷結衣にとって高遠直也という名は特別な意味を持っていたが、正直あちらはどう思っているのか今でもわからない。最後には拒否されてしまったし、これからも直接顔を合わせることはないかもしれない・・・・・・いや、事実もう二度とないだろう。

 結衣は昔から地味で目立たぬ存在だった。両親を交通事故で亡くした結衣は、以後ずっと祖父母の元で育てられた。彼らは厳格というわけではなかったが、結衣は子供ながらに遠慮を覚えていた。だから自分でも迷惑をかけぬように質素でいることに努めたし、目立つことで得られるものなどなにもないと思っていた。派手な同級生たちや同期を見ていると、確かに彼らの交際関係は華やかではあったが、とても楽しそうには見えなかった。結衣のような人間では疲れ果てて萎れてしまうだろう。

 そうやって学生時代は交友関係も狭く質素に過ごし、それに何ら不自由も覚えず、短大を卒業するともに《情報審査会》に就職した。成績も概ね良好で、情報処理に関しては得意科目との自負もあった。それに生き甲斐を覚えた、とまではいかないが自分には適職だと思ったのだ。

 そうして一年が過ぎ、仕事に慣れ始めたころ。

 結衣にある辞令が降りた。《真実書記官》の仕事や、その処理過程・結果を監視する担当に回されたのだ。最初の数年間は、あらゆる部署をたらい回しにされるから特に驚きもしなかった。ただそれは、一人でやらなければならない初めての仕事だった。《真実書記官》の監視は、一対一かもしくは数の多い彼らを複数担当する《情報審査会》側のベテラン監視役がいて成り立つ。監視の仕事に関して結衣は素人もいいところで、今回は一対一での仕事だ。当然あちら側に悟られてはならず、抜き打ちで監視するわけだ。実際に《情報審査会》の新人職員である結衣が、夜の賢者である《フクロウ》の異名を冠する彼らの目にとまらぬように監視できるかは当人でさえ疑問だったが、始めてみればどうということはなかった。

 《真実書記官》は職務に忠実だ。故に、命令された以外のことに気を回さないし、できない。《真実書記官》たちは命令された地区の記録行為以外のことには決して関心を向けなかった。自分が担当する地区、時間帯に正確に勤務し、そして帰宅する。その繰り返し。高遠直也もその例にもれなかった。結衣のほうも彼を監視するために毎日同じ時間に同じ場所に正確に赴いた。それは任期が終わるまで続くだろう。そう思っていた。

 だが結衣は、高遠直也が禁忌を犯すその瞬間を見てしまった。

 それはありがちな荷馬車同士の接触事故だった。手旗信号をする人間さえいない人気のない道路で、直也が担当していた地区からは外れるものの、隣接している場所で起こった。ものすごい轟音があたりに鳴り響き、直也は筆記を続ける手を止めて振り返った。その行為でさえ、正直禁忌ぎりぎりのものだ。自分の担当時間に監視地区から目を外してしまうなど、《真実書記官》にはあってはならない。

 結衣もその音を聞いてはいたが、自分の職務を果たすべく報告書にその旨を記載していた。だが、その胸中には靄がかかったような息苦しさがあった。本当にこんなことをしていていいのか。助けにいかなくていいのか。結衣自身も現場入りする前に調査をしていたので知っていたが、事故があったらしいその場所は人通りも少なく、発見や通報が遅れる可能性もある。迷ったが職務を選び、口を真一文字に結んでそのまま直也の監視を続けた。

 だが、一方の直也は違った。そのまま《フクロウ》の異名の元である光学ゴーグルを外し、果てには制服であるコートを脱ぎ捨てて事故現場に駆けていったのだ。結衣には信じられなかった。それは禁忌も禁忌。《真実書記官》が最もしてはならない「職務放棄」に該当する行い。《真実書記官》の仕事はあくまで「監視と記録」であり、通報や救助ではない。それは市民の義務ではあれど、《真実書記官》は事実を保証する存在だ。むしろいつ事故が起き、誰が救助を呼び、どういう結果に終わったか。そういった事実を、俯瞰する立場でいなければならない。当事者になってはならないのだ。その不文律どころではない、確かに明文化された規則を、直也は目の前で破った。しかも、厳密には自分の担当地区からは外れる場所だ。本来なら無視してよいーーいや、しなければならない事例だった。

 結衣は信じられないものを目にし、そして彼女自身も直也を追って駆けだしていた。

 なぜだか熱いものがこみだしてきて、結衣の瞳を濡らす。

 本来なら決してあってはならないことなのに。そう胸中で呟きつつ、結衣は直也の背中を追いながら泣いてしまっていた。何の涙かわからない。安心なのか、それとも別の何かなのだろうか。

 そうして、一足早く現場についた直也が、馬車の下敷きになった人たちを助けようと懸命に持ち上げようとしている姿を見たとき、結衣はやっとその涙のわけがわかった。

 両親が事故にあった時、実はそこには一人だけ《真実書記官》がその場にいた。それはのちに《情報審査会》の資料を調べた時に確かに出てきた事実だ。間違いないことだった。そして、その《真実書記官》はあくまで”理知的”で、職務に忠実な人間だった。二人が死んでいく様を彼は詳細かつ冷静に記述し、そして報告した。その報告は《記録省》から《情報審査会》に原文、口語訳ともに回され、その職員である結衣も目にすることができた。両親の死に関する新しい事実を知った結衣は、その時怒りというより絶望と諦観を覚えた。人間はここまで冷徹になれるものなのか。そういった絶望だ。そして、自分もそういう人間になりつつあることを、結衣は確かに自覚していた。

 自分は、彼らを責めることなどできない人間だ・・・・・・。

 そうして、結衣は自分の人間性さえ否定してしまっていた。いや、人間というもの全体を否定してしまっていたのかもしれない。

 だが、直也は違った。

 彼は、自分で禁忌を犯してまでこうやって助けにきたのだ。

 その時、きっと結衣の中で何かが変わった。結衣は服の袖をまくり上げて、直也の元に駆けだしていった。男といえど一人の力ではとてもではないが馬車を押しのけることなどはできない。隣で一緒に持ちあげたその時、驚いたように見開いた直也の瞳の色は、今でも結衣の中に確かに残っている。

 二人は一瞬見つめ合い、うなずきあうと、一気に馬車を押しのけた。


 これが二人の出会いだった。


続く……

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