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「上等な茶はない。これで我慢してくれ」

 そういって出された薄い粗茶をすすりながら、両者は向き合っている。三畳一間の寂しい独身男性の一人所帯そのものの部屋。

 会話はなかなか弾まず、湯飲みを持つ真美の手は汗ばむ。危うく持ち上げたそれを取り落としそうになるが、踏みとどまって取り繕う。

 高遠の部屋はあまりにも簡素にすぎた。基本的な調度品以外に彼の個性を表す者は皆無に近く、人となりは全くと言っていいほどわからない。

 それ故か、本棚に哲学書や数学書がいくつか積み重なっている中、ずいぶん日の経った雑誌が一冊、粗雑に放り込まれているのが真美の目に留まった。本棚に立てかけてある他の重厚な装丁で難解そうなタイトルに比べて、それはあまりにも猥雑にすぎる印象だったのだ。それは同時に、真美がずいぶん見慣れたものでもあった。《オペレーション・ジャーナル社》が発行している雑誌の一つ、《週刊OJ》だった。

「《週刊OJ》、購読してくださっていたんですね」

 会話の種に、と真美がそう言うと高遠はあからさまに不機嫌そうに自分の背後の本棚からその雑誌をつかみ取ると、そのまま古傷の目立つ作業机の中にしまい込んでしまった。

「俺のことはいい。お前の用件を話せ」

 ぶっきらぼうな高遠の声音に、真美は仕方なくそのまま本題に入ろうとバッグの中から手帳を取り出した。いつもなら取材対象の人間とはある程度会話を重ね、その性格を把握してから取材を行うのだがそうも言っていられないらしい。

「《778号事件》について、あなたに元《真実書記官》としての立場からご助言いただきたくて」

 そういって真美は一つのメモを高遠に差し出した。高遠は胡乱げにそのメモを見つめ、真美に一瞥をくれてやってから受け取った。

 そこには蛇の這ったような線や、モールス信号のなり損ないのような線の組み合わせ、象形文字のごとき簡易的な記号が無作為に羅列されていた。素人が見ればそれはただの落書きにしか見えないはずだが、高遠にはそれが一発で《真実書記官》の記述であるという事がわかった。

 そしてその内容も、まるで映画を一編見るがごとく一瞬で脳内で再生されてしまう。特別な訓練を受けた《真実書記官》でしかわからない暗号と、その解読。

 真美は絶句している高遠の顔色を伺うように声をかけた。

「わたしにはそれが何のことかさっぱりわからないんです」

「これを、どこで手に入れたんだ?」

 高遠が震える声で聞いた。

「識別番号778号《真実書記官》が証言した際の裁判の物証です。とあるルートから実物を手に入れました」

「弁護士でも検察官でもないのに物証を持ち出すなど・・・・・・これは違法行為だ」

 高遠が頭を振って咎めるように鋭い声を発した。

「真実が隠されるよりは幾分ましだわ」

「国家に忠誠を誓ったものとして、違法行為には荷担できない」

 真美の信念のこもった声をまっぷたつに切り裂いて、高遠はそういった。

「しかしもうあなたは《真実書記官》ではない。国家レベルの犯罪を糾弾するのは市民として義務でもあり権利でもあるでしょう? そもそも、なぜ生涯雇用のはずの《真実書記官》をその若さであなたは辞めることができたんですか? いや、辞めさせられた、というほうが正しいかもしれませんが。そう考えると、あなたもやはり《記録省》という制度自体がおかしいと思う人間なのではないですか?」

 真美は畳み掛けるように連続してそう質問責めにした。押しの一手だと判断したとき、もっとも効果を発するのはこの方法だというのは、彼女が自らのキャリアで得た経験則である。

 しかし元《真実書記官》はそんな小手先の会話術で籠絡されるような男でなかった。

「知ったような口をきくな!」

 机に手を叩きつけたせいで、湯飲みから茶がこぼれた。真美は息を荒くして睨みつけてくる高遠に負けじと視線を交錯させ続ける。やがて彼も落ち着いたのか、ため息を一つ付くと、本棚から本を二冊取り出して真美に押しつけた。

「もしそれでもやるというのなら一人でやれ。この本を読んで他の《フクロウ》に当たれば、お前の知りたいことが多少わかるかもしれない。お前もジャーナリストならラカンのRSIの概念やソシュールのシニフィエ、シニフィアンくらいは知っているだろう?」

 渡された本には、確かにその両名の名前が刻み込まれている。

「悪いがもうあんたと話すことはないよ。もう帰ってくれ」

 真美は何事か話そうと口を開こうとするが、高遠に力づくで部屋の外に連れ出されてしまう。

「わたしは諦めません! また絶対来ますから」

 そう決意を込めて言うが、高遠は冷ややかな視線を真美に向けてこう言い放った。

「来ても何も言うことはない。それとーー中谷結衣にはもう会うな。お前のせいで彼女に危険が及ぶかもしれない」

 そうとだけ言って、彼はドアを閉めてチェーンをかけた。

 真美は彼のその声音に、「仕事上の知り合い」に対する心配以上の何かを敏感に感じ取った。


続く・・・・・・


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