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令和四年 祖父の戦死

作者: 野中 すず
掲載日:2026/06/29

 お話を聞かせて下さったM様、O様、N様ありがとうございました。

 

 遠山(とおやま) (たくみ)は、転勤先の愛媛から長崎へ大慌てで帰って来た。


 昨夜、入院中の祖父の体調が悪化した報せを母から受けたから。


 前回、長崎に帰って来たのは半年前。そのときはまだ祖父は実家で暮らしており、匠の仕事の話を楽しそうに聞いていた。

 父方の祖父、遠山 勝久(かつひさ)は来年百歳になろうとしている。子供の頃に可愛がってもらった記憶は、五十歳になった匠に今も深く刻まれている。

 父方の祖母、母方の祖父母は既に他界している匠にとって特別な存在。


 

 祖父がいる病院の最寄り駅からタクシーで病院へ向かう。

 車内で匠は祖父を想う。

 特攻隊の生き残りの祖父を。

 死を覚悟し、台湾で順番を待っている最中(さいちゅう)に終戦を迎えた祖父を。

 


 匠自身は、勝久から直接戦時中の話を聞いたことはなかった。


 匠も勝久も()()()()はタブーとしていたから。お互い確認したわけではないが、間違いなく避けていた。


 ――――


「最後の被爆地である長崎県」の影響だったのか、匠が小学5年生のときの担任教師が偶然「そのような思想」だったのか匠にはよく分からない。

 とにかくその担任教師の教育は全て「反日」だった。


 教室内の小さな本棚に並ぶ本も。

 授業の一環として全員参加で行う劇も。

 夏休みの宿題などの読書感想文で題材に選ばれる本も。


「反戦」「平和」「近隣諸国への謝罪」。

 その教師は匠たちに何度も熱弁を振るった。


「この頃の日本は、中国など多くの国々に非道なことばかりしていた」と。


 今思えば、真贋さえ分からないグロテスクな写真を大量に見せられたこともある。その内容に吐き気を催した女子もいた。



 しかし、匠の中では疑問も芽生えていた。

「その極悪非道な集団」と祖父が繋がらない。自分を可愛がってくれる優しい祖父。

 匠以外にも、祖父母が戦争体験者である同級生は少なくなかった。(みな)、心の一部に引っ掛かる違和感を覚えていた。


 ――うちのじいちゃんがそんなひどいことを?


 当然、誰も担任教師に噛みついたりしない。出来る訳がない。


 その頃は「学校の先生が言うこと、やることは正しい」と決まっていたのだから。


「モンスターペアレント」なんて言葉さえなかった。体罰は当たり前に行われていて、親に「先生から殴られた」などと言おうものなら「何をやらかしたんだ!?」と更に親から殴られたのだから。


 何も言えず、担任教師が求める「感想」を答えていた。匠たち生徒が、教師の機嫌を取っていた。

 そんな日々を送る中、匠たちの心に渦巻く違和感を察したのか、担任教師の説明に新たな情報が追加された。


「あの頃の国民は『日本』から騙されていた」と。


「あなたたちのおじいちゃん、おばあちゃんは何も悪くないのよ。ただ騙されていただけ。被害者で可哀想なのよ」と。


 ――――


 やり方が(きたね)え――。

 子供相手に汚え――。


 揺れる車内で匠は目を強く閉じた。


 あの教師は「国を加害者」「国民を被害者」と分断することでオレたちを納得させようとした。騙そうとしたのはお前だろう。


 しかし、結局オレは…………。


 今なら分かる。

 子供同士の喧嘩でさえ「片方が完全に悪い」なんて珍しいのに、国家間の戦争で「片方が完全に悪い」なんて説明、狂っている。


「……お客さん」




「……お客さん、着きましたよ」

 タクシードライバーの声に匠は目を開けた。


 ――――


 匠は病院に入り、受け付けに祖父が入院している病室を教えてもらった。


 面会は制限され、一日一回15分までとなっている。昨日の母の話では、匠の見舞いの為に今日は誰も来ていない。


 病室のスライドドアを開ける。

 ベッドが六床あり、匠は入口から各ベッドを見回す。入院患者たちの中から祖父を探す。


 ――いない。部屋を間違えた?


 一瞬そう考えたが、病室入口に一番近いベッドを再度見た匠は息を呑んだ。


 祖父が横になっていた。匠が記憶している祖父とは別人の様に痩せ細っている。

 頬は()け、寝巻きから覗く腕は骨と皮しか見えない。


 鼻に透明のチューブが繋がれ、微かな呼吸音が続いている。


 匠は目の前の光景が信じられず、ベッドに取り付けられたネームプレートを確認する。


「遠山 勝久」


 やはり祖父の名前が記載されている。

 枕元に匠が立つと、祖父の目が天井から匠へ向いた。


「…………じいちゃん。分かる? 匠、匠」

「……ああ」


 喋ることも出来ないのか、うめき声をあげる祖父が右腕を伸ばしてくる。匠はその手を両手で包み込む様に握る。直接触れることで、そのか細さを再確認してしまい匠は胸が苦しくなる。


 祖父の手から感じる。

「死」を感じる。

「奇跡的な回復などあり得ない絶望」を感じる。


 ――なんでオレはあんな馬鹿な話を。




「じいちゃん……、ありがとう」


 自然と匠の口から出た言葉は感謝の言葉だった。

 謝罪ではなく、感謝の言葉。

 謝罪の言葉を口にすれば、それは何に対しての言葉なのか祖父は察する。

 そして、それは祖父を傷付ける。


「じいちゃんがいるから、この世にオレがいる。じいちゃんがいなかったら、オレはいなかった。ありがとう」

「あああ…………。ううう……」


 涙が溢れてくる。

「泣いて何になるんだ」と分かっているが溢れてくる。


「ううう」

「じいちゃん、しんどいやろ? 無理に喋らなくていいから」


 祖父が匠の手を握り返して来た。その力強さに匠は驚く。何故か「まだ戦っている」と感じる。


「じいちゃん……」


 匠もその手を握り返した。


 言葉は必要ないと思った。


 匠の涙は止まらない。


「こんなときくらい泣いていいだろう」と開き直っていた。



 ――――


「遠山さん、そろそろ……」

 看護師から呼ばれて、匠は面会に時間制限があったことを思い出した。

「あ、はい」

 洟をすすり、涙声で応えた匠だったが看護師は全く無表情だった。匠はその気遣いを内心ありがたく思う。


 祖父の手を離し、そっとベッドに戻す。


「じいちゃん、また来るよ」

「ああ……」


 祖父の死を覚悟し、諦めた匠にとって白々しい言葉だったが言わずにいられなかった。


 祖父に小さく手を振り、匠は病室を後にした。



 匠はトイレの個室で、まだ流しきっていない涙を流す。



 もう会えない。

 ()()()()ならないと大切な存在に気付けない。

 

 自分の愚かさに打ちのめされていた。


 ――――


 五日後、祖父は旅立った。


 母からその報せを受けた匠は願った。


 ――あっちでまたばあちゃんと楽しく過ごして下さい。もう戦う必要はないから。


 

 普段全く神も天国も信じていない匠が、そのときは心から願っていた。


 自分勝手だと分かっていたが、願っていた。



 最後までお付き合いくださりありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
>子供同士の喧嘩でさえ「片方が完全に悪い」なんて珍しいのに、国家間の戦争で「片方が完全に悪い」なんて説明、狂っている。 この部分、本当に仰る通りですね。 国家同士の問題になれば国民に下ろされる情報は…
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