天才天然お嬢様は今日も迷子
「もしもし? あ、やっと出た。……今どこ?」
スマホから聞こえるのは、低く、少し苛立ちを含んだ、けれど聞き慣れた声。幼馴染の悟だ。
「どこって……学校」
「学校? どこのだよ」
「え?」
「わかってんだろ、もうバレてんの。俺、今さっき校門の前に着いてんですけどぉ?」
日和は足を止めた。目の前には見知らぬ公園。道行く人は皆、制服姿の彼女を不思議そうに見ている。
「……ごめん」
「は?」
「迷った」
電話の向こうで、深い、深いため息が聞こえた。
「やっぱりな。そんなこったと思ったよ。で? 今はいったいどちらにいらっしゃるんでしょうか?」
「……わかんない」
「だろうな。いいか、北を向け。そっちは南だ。……いや、そっちは東だっつーの! 結局南に戻ってんじゃねぇか、天丼かよ。……いいから、半周回って、ワンしろ」
「え? ワン?」
「犬の真似しなくていい! 分かりやすいから言っただけだ。……ったく、ほんとは可愛いから見たいんだけど、拗ねるとめんどくせぇからな」
「何?」
「いいから、後ろ振り返れ。何が見える?」
振り返った日和の視界に、肩で息を切らしながらスマホを耳に当てている、背の高い少年の姿が飛び込んできた。
「……悟」
「正解。だから一人で行くなっつってんだろうが!」
駆け寄ってくるなり怒鳴られ、日和は思わず唇を尖らせた。
「怒らないでよ!」
「怒ってませんけど?」
「怒ってんじゃん」
「心配なんだよ! お前、勉強はなんでか知らんができて成績優秀のくせに、日常生活はからきしダメでさぁ! 心配すんなって方が無理なんだよ!」
「なんで?」
無垢な問いに、悟は一瞬絶句し、それから顔を赤くして吐き捨てた。
「何度も言わせるな! 好きだからだよ、お前が! ……なあにフリーズしてんだよ」
「……そんなこと言うから……」
「俺、ずーっとガキの頃から言ってきてるけどな」
「初耳……」
「お前が話を聞かねぇだけだろ!」
「違う、聞く気はあるの。でも、興味が薄いと入ってこなくて……」
「知ってるよ。処理能力がレベル酷すぎてついてこれなくて、頭に残らない。よって、いっつも初めてだらけ〜ってことだろ?」
「うん」
「うんじゃねぇよ……。まぁいいけど。とにかく、金輪際俺から離れるな! どこか行きたいなら俺が連れてく。これは決まりだ。命令! まもれよ!」
「やだ」
即答した日和に、悟は凶悪な笑みを浮かべた。
「あっそ。じゃあ今晩、泣くほど説教してやるよ。お前の親父とおふくろに、お前のことは俺に一任されてんの。それぐらいは覚えてんだろ?」
「……ひつじ?」
「……突っ込んだ方がいいか?」
「いい」
「助かる。さあ、行くぞ。学校に決まってんだろ! ほらカバン貸せ。お前が持つことは許さん」
「なんでぇ!」
「拗ねるなすぐ! ほら来い。どうせ一人じゃ行けねぇんだから。わかったろ、バカでも」
「……」
「置いてくぞー」
「待ってよ……!」
ふと、悟が足を止めた。
「そうだ。スマホ貸せ」
「え? なんで?」
「いいから黙って渡せ。心配すんな、消してねぇし、ラインも何も盗み見てねぇから。その代わり、クラスの奴らの電話番号とアドレスも入れといた。なんかあったら、助け呼べんだろ」
「……でも……」
「でも?」
「あ、心配いらん。もう誰もお前が『何でもできるお嬢様』だなんて、思ってねぇから」
「嫌われないかな……」
「嫌うか? そんな奴こっちから願い下げだ。学校行きゃわかんじゃねぇ? どう思われてるか」
「そうか……」
「なんもできねぇんだから、せめて信じろよ。な?」
「わかった……」
「素直じゃん。意地悪したくなるー」
「いい加減にしろ!」
「しーませーん。って言うかお前、何命令してんの? 骨の髄まで可愛がってメチャクチャにしてやるからな。覚悟しとけ」
「可愛がってくれるならいいか」
「……呑気というか、なんでこんな奴に全教科負けなんだよ、俺……。あーもう……」
「大丈夫?」
「うるさい!」
「八つ当たりぃ!」
教室の前まで来て、悟が足を止めた。
「行け」
「うん……」
教室に入ると、周囲の視線が一斉に集まった。
これまでは「才女で近寄りがたい高嶺の花」だと思われていた日和だったが、柑咲悟のあまりの過保護っぷりのせいで、そのメッキはすっかり剥がれつつあった。
「桜町さん?」
クラスメイトの女子が恐る恐る声をかけてくる。
「はい?」
「ひよちゃん……って、呼んでもいいかな?」
「……」
「どしたの?」
「私は、良いけど……」
「あぁ、柑咲?」
隣にいた男子がニヤリと笑う。
「いいじゃん、あいつに遠慮することねーよな」
女子生徒が日和の顔を覗き込んだ。
「ひよちゃん、悟に虐められてない? 嫌だったら言いなよ」
「ありがとう。でも。いい人だよ」
「……みたいね」
「え?」
「ひよちゃんってさ、才女なのに、それ以外からきしダメなんでしょ? だから柑咲がお守りしてるんだって聞いたよ」
日和は少し俯き、小さく呟いた。
「……ごめん」
「なんで謝んの?」
クラスメイトが笑いながら日和の手を握る。
「うちらが勝手にひよちゃんのこと誤解して、距離できてただけじゃん。これからは、柑咲になんかされたりしたら、守ってあげるからね」
「言えよ」
「ありがとう」
「おいヒヨコ」
背後から、低く鋭い声が飛んだ。いつの間に戻ってきたのか、悟が壁に寄りかかってこちらを睨んでいる。
「黙って聞いてりゃなんだ? 俺がお前のこといつ虐めた? 守ってんだろ? もっと否定しろよ!」
「ごめんなさい……」
悟は日和の腕を掴んだ。
「カバン貸せ。ついてこい」
「え?」
「気分が悪い。早退だ」
「でも」
「でもじゃねぇよ! いつも一緒だって言ったろ! お前が帰る時は俺も帰るし、俺が帰る時はお前も帰るんだよ!」
「私……」
「は?」
「皆勤賞が……」
「あぁ……皆勤続いてんもんな。幼稚園からだっけ?」
「うん」
悟は、日和の泣き出しそうで、けれど誇らしげなその瞳を見て、毒気を抜かれたように頭を掻いた。
「ったく、お前のそんな嬉そうな顔見たら、無理やり拉致って連れて帰れねぇだろ! わかったよ。ただし、絶対一人で帰るな。どうせ迷子は決まってんだから。もし破ったら今夜は朝まで説教で泣かしてやる」
「守る」
「俺に電話しろよ。勝手に一歩でも門外出てみろ。マジで泣かすからな」
「わかったよ……」
「よし。保健室で寝てくるわ。帰り寄よ〜。」
「つーか勉強しろよな」
「ひよちゃんに負けたくないならねー」
クラスメイトが茶化すと、悟は顔を赤くして「うるせぇ!」と怒鳴った。
日和は不思議そうに小首を傾げる。
「勉強って、必要?」
「え?」
「私、なんかわかんないんだけど、一回習ったら、頭から離れないの」
教室が一瞬、静まり返った。
「いいなぁー……」
「文ストの世界じゃん」
「特殊能力、ほしいわ」
廊下から、柑咲悟の叫び声が響く。
「あのガキ、いい気になりやがって……! あー、ムカつく!」
不機嫌そうな幼馴染の背中を見送りながら、日和はほんの少しだけ、この騒がしい日常が心地よいと感じていた。
例え自分の家の方角がわからなくても、振り向けば、必ず彼がそこにいるのだから。
おわり。




