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蝕まれる体

みちるの悪夢騒動のあとには、いつもと変わらない朝食風景があった。

「翔太いたの?」

それ以外は。

「俺だってたまには早く起きるよ…」

母にむくれて答える。みちるは早朝からの騒動で疲れたのか、沈んだ顔で朝食を取る。それを心配そうに見る勇一郎。

「あら。その手どうしたの」

飛鳥がみちるの右手に気付く。

「ちょっと…火傷しちゃって」

「朝っぱらからコーヒー沸かしてたんだ」

勇一郎が助け船を出す。

「休みだから早く起きなくてもよかったのに」

何も知らない飛鳥は笑って言う。


朝食が終わるとみんなはそれぞれに散った。

父の光司は自分の事務所へ。来客があると言っていた。光司は弁護士なのだ。

勇一郎は相変わらず靴の手入れに余念がない。隆哉はカレンダーの関係のない飲食業なので、9時半には家を出て行った。

みちると翔太はユリの部屋へ呼ばれていた。

「おばあちゃん、なあに」

「改めてどうしたんだよ」

「まぁ、座りなさい」

すすめられるまま、2人は座る。

「みちる、あたしにその右手を見せてみな」

ユリにはなにも隠せないと思ったのか、右手に巻いている包帯をスルスルと解き、右手の平を差し出した。

「話すと長くなるんだけど…」

今朝の一連の騒ぎと勇一郎からは怪我ではないという診断がおりたことも話した。

「すごいよな。夢の世界から砂を持ってくるなんて」

翔太は関心しながらみちるの手のひらを覗き込む。

「勇一郎は冴えてるね。もっとも、普通の医者だったら火傷だの凍傷だの言うだろうけども」

「どういうこと?」

「女に生まれなくても多少は感じるものがあるんじゃないのかね」

「じゃぁ、俺が見えたり感じたりするのも?」

「あながち嘘じゃないよ」

「おぉ~」

翔太は少し喜んでいる。

「じゃぁ、私の能力ってなんなのかしら・・・」

「いつかそのときが来るよ。焦りなさんな」

ユリはみちるの右手を両手で包んで言う。ユリが言うことはなんだか全て受け入れられるから不思議だ。

「でもみちる。気をつけなさい。この右手は・・・」

ユリが眉間に皺を寄せて言葉を切る。

「ばあちゃん、なんだよ」

翔太が次の言葉を急かす。

「誰かがあんたに呪いをかけたかもしれない」

「うそ・・・」

「一気にかかるもんじゃない。少しずつ時間をかけて相手の体も思考も蝕んでいくのさ」

「じゃぁ今朝見た夢も?」

「可能性はある。誰かがあんたの思考に入り込んできているかもしれない」

「なんだかすごい次元の話になってきたな・・・」

翔太も固唾を呑んで話を聞く。

「それでね、おばあちゃん。私からも話があって。これなんだけど」

緋色の石をはめている枠からいつものように金色に輝くチェーンが通されているのだが、途中で切れていた。

「今朝翔太たちに起こされたときは手に巻いて寝てたわ。夢の中でそうしたまんなになってたのよ」

「ちょっと待ってな」

ユリは立ち上がり、鏡台の引き出しからくたびれた革の袋を出してきた。中から紅い華奢な革紐が出てきた。

「ちょっと貸して」

みちるが石を渡す。ユリはなんでもないように、チェーンを外し、石をはめ込んでいる枠に華奢な革紐を通して、最後は解けないように結びきる。

「これは井戸に捨てないといけないね」

チェーンを和紙に包んだ。

「じゃぁ、今度の満月の日に?」

「みちる自信をお清めして、それはいつもの井戸の中に投げ捨てるんだ。どんな悪い奴もあそこから這い上がれた奴はいないよ」

「というと?」

翔太は話が飲み込めていなかった。

「切られているということは、そこが入り口。チェーンを切ったと同時に相手はみちるの体にも傷をつけているはずさ。そこから呪いを仕込まれたかもしれないよ」

「みちるちゃん、じゃぁ首の傷は・・・」

「そうね。おばあちゃん、この前私が会社を早退した日なんだけど・・・」

あの街全体が停電で闇に包まれた日の話をした。翔太はついでに、みちるのいた倉庫が開かなかった話もした。

「気をつけるに越したことはないね。ただ、まだ誰があんたを狙っている者かもわからない。変に警戒してもこっちが気づいていることになってしまうからね」

「わかったわ」

ひとしきり3人で話したあと、みちると翔太は縁側でお茶を飲んでいた。

「みちるちゃん、俺のお札貸すよ」

「いいわよ。だって私使い方わからないし」

「念じたらいいんだよ。敵を倒したいときは槍かなんかだと思って念を込めて投げつけるし」

「ふうん」

「相変わらず信じてないなぁ」

「だって翔太がお札使ってるところ見たことないもん」

2人で話をしていると、みちるの携帯が鳴った。

「電話だわ」

「めずらしいな」

「電話くらい鳴るわよ」

立ち上がり、食卓の上においてある携帯を見る。相手は会社の同僚からだった。

「もしもし」

「みちる?今なにしてるの」

「今は家にいるわ」

「今から河川敷おいでよ。みんなでバーベキューしてるんだ」

「本当?行く行く!なんか適当に買って行くわ」

「もう始まってるから早くおいでよ」

「わかったわ。じゃぁ」

いつもの屈託のない笑顔で電話を切る。

「男?」

不仕付けに翔太が聞く。

「会社の同僚の子。今からバーベキューに行ってくるから!お母さんには私のお昼いらないって言っておいて」

「はいはい」

慌てて支度を始めるみちる。10分もしないうちに

「いってきまーす」

「いってらっしゃーい」

あくびをしながら翔太は答えた後、何か思いついたかのように慌ててみちるの後を追う。

「みちるちゃん!」

「もう、なに?急いでるの」

「これ持っていけよ」

翔太はお札を差し出す。

「昼間っから必要ないってば」

「敵はなにも暗がりばっかりにいるわけじゃないぞ」

2人でにらみ合ったが、翔太が一歩も引きそうになかったので、渋々、それを受け取ることにした。

翔太は渋々お札を受け取った姉の後姿を見送る。

「なんにもなければいいけどな」


30分もしないうちにみちるは河川敷に着いた。気候のいい時期なのでみんな考えることは同じようで、お弁当を広げたり、バーベキューをしたりしている。

「みんなどこだろう・・・」

ビールと簡単なおつまみをコンビニで買ってきた。みんなそれぞれ持ち寄っているだろう。

しばらく歩くと聞きなれた声がしてきた。みんながいる。同僚の1人がみちるに気づいた。

「みちるー」

「お待たせ。待ったでしょ」

「いいの。まだ全然人数そろってないし」

みちるが今話している同僚は先ほどみちるに電話をしてきた夏川ちはるといった。

みんなそこそこに挨拶をして、みちるも手伝いに入った。野菜を切っていると声をかけられた。

「凪野さん」

まな板から顔を上げると、そこには氷室がいた。

「氷室さんもいらしてたんですか」

ニコっと笑顔を見せる。氷室の私服はみちるの想像していた勝手なイメージを覆さず会社の外でも洗練されたものを身に付けている。2人で話を続けていると

「ほら、お2人さん手が止まってるよ」

ちはるが茶化すように横槍を入れる。

「はいはい。ちはるは人1倍食べるからね」

みちるがやり返して、再び野菜を切り始める。野菜を切りながらもみちるはこの場の面子を見て気づいた。そういえば山田がいない。

「山田君、いないんですね」

「あぁ、彼か。そういえばいないね。気になる?」

氷室は微笑んで聞く。

「いえ、そうじゃないんですけど・・・いつもなら行事に参加しているのになと思って」

「そうだね」

それ以上山田の話は出なかった。あとはメンバーが入れ替わり立ち代り、普段仕事場では話せないようなこともたくさん話せてとにかく楽しい時間だった。

陽も傾きかけた頃にバーベキューの会は解散となった。みんなそれぞれに家の方向へと帰って行く。

みちるは1人で河川敷から土手にのぼり、紫がかり始めた空と、淡く黄色く光る菜の花を眺めて楽しんでいた。みちるは夕方が好きだった。夕方は曖昧になる。空の色も空気も全部。1秒1秒、移りゆくのが美しい。そう浸っていると、突然目の前が真っ暗になった。誰かに目隠しをされた。

「!?」

びっくりして振り返ると、

「ごめん、びっくりした?」

少し鼻にかかったような、低く甘い声。いつも会社で聞いている声だ。

「どうしたんですか?」

風が強くて目が開けられない。少し薄目になる。風が軽くウェーブのかかったみちるの髪をさらっていった。

「僕も帰り道こっちなんだ。一緒にいいかな」

相変わらず、嫌味のない爽やかな笑顔をみちるに向ける氷室がいた。

「もちろんです」

間髪入れずみちるは笑顔で答えた。

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