追う影
最近ペース上がってるな…。この調子でがんばりたいです。
朝日の柔らかい光がカーテンのすき間から差し込んで顔をわずかに照らす。
早朝の静けさがやけに耳について勇一郎は目を覚ました。手探りでいつもかけている眼鏡を探し当て、部屋の時計を見る。
「6時か…」
昨日のことが他人事のように思えてならない。ベッドに腰掛けてしばらく昨日のことを思い出した。
確かに自分は祖父の刀で得体の知れないものを切ったし、みちるも襲われていた。実際に自分は怪我だってした。怪我は飛鳥に治療をしてもらったので、傷は残らなかった。
そしてせつなとの出会い。
本当に、翔太が今まで見て聞いてきた世界はこの世に存在したのだ。
「あるはずないと思ってたのにな…」
凪野家では一番現実的な性格の勇一郎なだけに、昨日の出来事は事実であるのは理解してはいるが、なかなか素直に受け入れられないところもあった。
昨日は全てが終わって、せつなが家の前まで転移で送ってくれる時に、
「長男であるあなたがリーダーとなってみちる様を護ってください」
そう託された。能力に目覚めたばかりの俺に出来るだろうか―めずらしく勇一郎は弱気になっていた。
みちるたち4人が裏山から無事に帰ってきた時は、父も母も祖母も自分たちが必ず戻ることを信じていたのだろう。感激して泣くこともなく、いつも通りに迎えてくれた。
せつなに言われた通り、祖父である龍之介の話は避けたが、せつなに出会ったことを話すとユリはうれしそうに目を細めた。
それから順番にバタバタとお風呂へ入ると疲れたのか、4兄弟はすぐに寝入った。
みちるはいつも通りに身支度を整えると、母が朝食の準備をしている食卓へ向かう。卵焼きを焼く甘くていい匂いがする。平日の朝食は和食と決まっているのだ。
「おはよう」
みちるが台所に顔を出すと、飛鳥はいつも通り翔太のお弁当を作っているところだった。
「おはよう。よく眠れた?」
「うん。昨日は本当に疲れたみたいだったから、一度も途中で目が覚めなかったわ」
「そう、よかった」
「これ持っていくね」
そう言って、みちるは綺麗に切って並べられた卵焼きを食卓へ持っていく。朝食の準備をしているとみんな次々と食卓へ来た。
「おはよう」
まずは父と勇一郎がやってきた。父は新聞を小脇に抱え、勇一郎はテレビを点けて朝のニュース番組で世間の動向をチェックしている。
「おはよう。みんな昨日はよく眠れたかい?」
ユリもやって来た。それぞれに挨拶をして、うんとかはぁとか答えている。そうこうしている内に隆哉も寝ぼけ眼をこすりながら来る。
「おはよーっす…」
まだ疲れが抜けないのか大あくびをする。
「もう。今日は仕事ないの?」
みちるが呆れながら聞く。
「今日は休み…」
「いいなぁ。私も休みだったらご飯のあともう一眠りするのにな」
「寝るときは本当にすぐ寝たんだけどさ、興奮が冷めなかったのか1度4時くらいに目が覚めて…なんだか寝た気がしないよ」
本当に半分寝ているような目をしながら隆哉が言った。
「さぁご飯にしましょうか」
飛鳥がいつも通り全員分のご飯を持ってくる。
「あら、また翔太だけ起きてないのね」
「昨日はがんばったから…」
まだ寝かせてあげようという感じで口の前に人差し指を立てるが
「学校あるんだろう。起こしてくるよ」
勇一郎が容赦しないという雰囲気で席を立った。
「勇兄ちゃん…」
みちるが呼び止めると
「気持ちはわかるが、あいつの本業は高校生だろ」
そう言って廊下に出ると、ドタドタといういつもの音に反応が遅れたのか、翔太のおでこと勇一郎のあごが見事に衝突した。
「痛ってぇ…!」
「―っ!」
翔太は頭を抱えてしゃがみ込み、勇一郎はあごを押さえて声にならないようだった。
「ちょっと朝から…大丈夫?」
飛鳥が慌てて2人の元へ駆け寄る。
「痛いけど…大丈夫」
「起きるならさっさと起きて来いよ…」
2人とも若干涙目である。
いつものようにみちるは玄関を出る。翔太も慌てて靴を履いていた。
「ほら翔太。また遅刻しちゃうよ?」
「なんとか間に合うよ!最近また抜け道見つけたから、よし、いってきまーす!」
いってらっしゃい、と奥から飛鳥の声が聞こえる。翔太は今日はみちるより先に走って行ってしまった。
「本当に間に合うんでしょうね…」
「みちる」
後ろから勇一郎に呼び止められた。この時間に出ることは珍しい。
「珍しいね。今日は手術あるの?」
「そうじゃないが…石、持ったのか」
「ちゃんとここに」
胸元から石を出してまた仕舞う。
「すぐには何も起きないかもしれないが…気をつけろよ」
「もちろんよ。ありがとう」
「じゃぁ…」
少々照れながらも、みちるのことが心配なのだろう。勇一郎はみちるとは逆方向へ歩いていった。
会社に着くと、在席表のあるホワイトボードに向かう。在席表を見れば、だいたい誰がいるのかいないのかがわかる。
みちるは自分の名前が書かれているマグネットを赤地から白地へひっくり返した。ふと氷室の名前を見ると、赤地のままだ。名前の隣には「休み」とだけ書いてあった。どうしたのかしら―と気にかけながら自分の席へ戻った。
その時、社内がにわかにざわつく。ざわつきが気になってきょろきょろすると、山田が出勤してきたのだった。ほとんどの人は山田を疑惑の目で見ている。しかし、証拠は不十分ということで警察からは釈放されているのだ。みちるは同じ働く仲間として温かく迎えようと思った。
「おはようございます」
山田がみちるに挨拶をして自分の席に向かう。
「おはよう。今日からまたがんばろう」
「あ…はい」
山田の強張った顔もみちるのひとことで少しほぐれたようだった。
朝の最初の1時間ほどはざわざわとしていたものの、いつまでもそうしているわけにいかないので会社はまた元のように動き出す。
昼時になると、いつものようにみんな散り散りばらばらと昼食へ行く。みちるも今日はひとりだったので、どこか喫茶店で簡単にすませ、あとは本でも読もうと思っていた。社員用の通用口に繋がる階段を下りていると、前を山田が1人で階段を下りていた。
「山田君」
「…あ、凪野さん」
みちるに呼ばれて、山田は振り向いた。昨日、給湯室でみちるを呼び止めたことをまだ気にしているのか、少し居心地が悪そうだった。
「今からお昼なの?」
「はい…」
「よかったら一緒に行かない?」
「僕とですか?でも…」
「あ、ご迷惑だったかしら」
「いえ僕は全然迷惑じゃないです。むしろ僕と行くことで凪野さんに迷惑がかかるんじゃ…」
「私のことなら気にしないで。じゃぁ決まりね」
ニコっと微笑むと、みちるはあまり会社の人間が来ない店を選んで入ることにした。昨日は洋食だったから今日は和食にする。山田に聞くと、僕もそれで大丈夫です、とだけ答えた。
みちるは店員に頼んでなるべく入り口から見えにくい席にしてもらった。
料理は2人とも日替わりランチにした。注文を終えると山田が口を開いた。
「あの…」
「どうしたの?」
「すみませんでした」
「なにが??」
みちるは不思議そうな顔をする。
「昨日の事です。給湯室で凪野さんを呼び止めてしまって」
「あぁ。気にしなくていいのよ。…でも、『あいつ』って誰だったの?」
「それは…」
山田が答えようとすると、サラダが運ばれてきた。いつも料理で会話を遮られる―とみちるは思う。
「私の勘違いだったら忘れて欲しいんだけど―」
そう言ってみちるは自分の首から下げられている石をつまんで服の襟元から半分だけ出す。
「コレって、関係していたりする?」
ちょっと冗談で聞いてみたのだが、山田はみちるの石を見るなり目を見開き、唾を飲み込んだ。そして石とみちるの顔を交互に見た。みちるは適当に言ったつもりだったのだが、山田の反応を見て、しまった、と思った。もしかしたら、山田君が敵?―そう思い、慌てて石を仕舞う。
「…なんちゃって、意味わからないこと言ってゴメンね!」
「あ、いえ…そういえば今日は氷室さん休みなんですね」
「そうみたいね。どうしたんだろう…後でメールでもしてみようかな」
不自然なくらい突然別の話題になった。今朝勇一郎に気をつけろと心配されたばかりだったのに、気安く石を見せてしまったことにみちるは後悔した。それが例え相手が山田でも。
それからはなんだか気まずいような、微妙にお互いを警戒しているような、なんとも言えない雰囲気で食事がすすんだ。ご飯の味なんて覚えていなかった。
それでもみちるはこれは自分の軽い気持ちが引き起こしたことでもあるので、何も起こらないうちは山田を信じることにした。もしかしたら珍しくてそんな反応をしたのかもしれない…それは苦しい言い逃れだが、敵であればこんなにすぐそばにいるのだから…何もないわけがない。
今日は仕事がとんとん拍子に片付いた。複雑な案件もなかったし、今日は定時で帰ることにした。
ホワイトボードの自分の名前が書かれているマグネットを赤地にひっくり返すと、周りに挨拶をし、会社を出た。
今日もよく晴れている。家に帰る頃にはまた月が空へ昇ってくるのだろう。オレンジと紫がグラデーションになっている西の空を一瞥すると、みちるは地下へ潜った。
定期をかざして改札を抜け、更に地下へ潜るとタイミングよく地下鉄がやってくるアナウンスが響く。暗闇から勢いよく地下鉄が走ってくる。ちょうど帰宅時なので地下鉄に乗っている人も並ぶ人も、今日1日をこなしたとホッとした表情の人が多い。みちるもその中の1人だ。
自宅と会社の間は地下鉄で5駅。会社は地下鉄駅の割とすぐそばだが、自宅は駅から10分ほど歩く。
考え事をしていると、5駅なんてすぐに着いてしまう。しかし今日はいつも降りる駅で降りずに、1駅手前で降りた。たまに早く帰れるときはこうやって歩くのだ。
地下から地上へ上がると、空は先ほどよりも濃紺が広がっている。オレンジ色は西の空の隅に追いやられていた。1駅といってもそこからは家まで20分くらいの距離なので、大した距離ではない。そしてもうひとつ、みちるは好きな道がある。住宅街の路地で、車は進入できないほど狭い。昔ながらの石垣があったり5月頃になると藤の花が咲く家もある。なんだか秘密の道という感じで自分では気に入っていた。今日もそこを通るために1駅手前で降りたのだ。
元々ひっそりとしている場所というのを加え、夕方にもなるとみんな夕食の準備に取り掛かるのだろう。人通りはいつも通り少ない。夕方の空気を吸い込みながら歩いていると、春先に相応しくない、纏わりつくような生ぬるい風がゆっくりと吹いた。その瞬間、みちるは直感的に危険を感じ取った。振り向いてはいけない―そう思い、大通りに出る道を急いで歩き出す。後ろからなにかが必死にではなく、余裕を持ってゆったりと追いかけてくる。その余裕を持ったところが余計にみちるを焦らせた。
「今日はなんか知らないうちに墓穴掘っちゃってるわね…」




