はじまりの朝
血がいるんだ―
俺には…いや、俺たちには血が必要なんだ―
聖なる乙女の血が…!!!
「おはよう」
身支度を済ませた、すっかり社会人の姿が板に付いたのは、凪野みちる・なぎのみちると言った。
おはようと先に食卓についていた家族が口々に挨拶する。
「おばあちゃん、おはよう」
「おはよう。今日もみちるは化粧のノリがいいね」
「もう、おばあちゃんったら」
凪野家は7人で住んでいる。みちるの祖母・ユリをはじめ、母の飛鳥、父の光司、長男の勇一郎、次男の隆哉、みちる、三男の翔太という構成だ。
つまり、みちるは4人兄弟のうちで3番目の子となる。兄が上に2人、弟が1人。
父と勇一郎はすでに朝食を食べ終わっていて、食後のお茶をすすりながら新聞やテレビを見ている。隆哉とユリは先ほど食べ始めたようだった。
「さぁ、私たちも食べましょう」
母の飛鳥がみちるのお茶碗にご飯をよそって自分の分と一緒に持ってくる。
「ありがとう。いただきます」
桜が描かれた淡いピンクのお茶碗を受け取り、母の作った卵焼きを頬張る。甘くておいしい。
「翔太はまた遅刻するんじゃないのか」
父の光司が新聞を読みながら不機嫌そうに言う。
「ほっとけよ。甘やかすとロクなことないぜ」
いつの間にか朝食を食べ終わった隆哉が自分の手鏡で髪を整えながら言う。
「タカ兄に言われたくないわよ。髪の毛は洗面所でセットしてって何回も言ってるじゃない」
「うるせぇな、みちるは。誰に似たんだか」
ぶつぶつ言いながら185センチある長身を昔からの日本家屋独特の低い鴨居をぬっとくぐって洗面所に向かう。すると、縁側でどたどたと音がした。
「痛っ。急に現れるなよ!タカ兄は」
「お前がギリギリまで寝てるから慌てんだろ」
いつもの兄弟喧嘩が始まった。お互いに悪態をつきながら隆哉は洗面所へ、翔太は食卓へ現れた。
「お前何時間寝たら済むんだよ」
呆れた顔で勇一郎が翔太を頭のてっぺんからつま先まで眺めた。翔太は今時の高校生といった感じで、ネクタイはゆるめて、ズボンは腰で履き、シャツは腰からはみ出ている。髪は明るい茶色だし、両耳にピアスをつけている。飛鳥はため息をつき、
「お母さんまた学校に呼ばれるの嫌だからね」
「とりえは明るくて挨拶がよくできるぐらいだな」
父が新聞越しにちらっと見る。
「基本だろ。それ」
いただきますも言わずに出されたご飯に生卵と醤油をかけて、かきこむ。
「まぁ、やりたい放題できるのも今のうちだからな」
勇一郎が時計を見ながら立ち上がる。行ってきます、と玄関へ向かう。また家族が口々にいってらっしゃいと答える。
「私もそろそろ行かなきゃ。ごちそうさま」
みちるが立ち上がる。小走りに洗面所へ向かうと、まだ隆哉が髪の毛をいじっている。
「ハミガキさせてよ。もう気になるなら坊主にしたらいいじゃない」
「俺みたいな看板男は見た目が大事なの」
隆哉はみちるの一つ上の23歳。みちるの勤めている会社の近くでカフェの店員として働いている。
「気楽でいいわね。もう」
さっさとハミガキを済ませて、みちるは玄関へ向かった。
「行ってきます!」
またみんながいってらっしゃいと答える。
「みちる」
祖母のユリがみちるを呼びとめる。
「なあに、おばあちゃん」
「石は持ったかい」
「もちろん」
みちるの首にかかった少し長めのペンダントを持ち上げて、みちるはウインクして答えた。持ち上げたペンダントはラベンダー色のカットソーの胸元に吸い込まれた。
みちるが地下鉄の駅へ向かっていると、後ろから足音がする。振り向くと弟の翔太だった。
「学校、間に合うの?」
「1時限目自習だってさ。友達からメールがきた。ゆっくり行くよ」
「だめよ。急ぎなさい」
「てゆうかさ、みちるちゃん最近『つかれてる』よ」
翔太は「みちるちゃん」と呼んでくる。
「どうしてよ。お肌だってこの通りプリプリしてるし…」
「違うよ。『憑かれてる』の」
「なによそれ…。朝からやめてちょうだい」
ちょっと膨れてみせるみちる。
「だからあえてばあちゃんは石持ってるか聞いてきたんじゃないのかよ」
「そうね。そう言われると、あえて聞かれたような…」
「なんでそういうところ鈍いんだよ。凪野家の女なのにな」
凪野家には代々、女にだけ受け継がれる能力がある。祖母のユリは霊感とでもいうのか、直感力や、予知能力に長けていて、朝出かける家族に何か予兆があると必ず声をかけてくるのだ。母の飛鳥はみちる達を産んでからはそういう能力がすっかり弱まってしまったのだが、未だに治癒能力だけは健在で、家族が少し怪我をしたくらいだったら母の力で治してしまっている。
当のみちるはというと、まったく現在まで何の力があるかわかっていなかった。
「変な霊感なんてあるだけ面倒よ。なんであなたは男の子なのに霊感があるのかしらね」
「突然変異だよ。きっと。これからはうちも男の時代だぜ」
翔太は凪野家史上初の能力があると思われる男なのだ。感じ取るだけでなく、悪霊を封じたと翔太は武勇伝をよく語ってくる。
「この石、翔太にあげようか」
「ダメだよ。何かあった時が困るだろ。俺にはコレがあるからね」
といって、制服のポケットからマイお札を取り出す。
「本当に大丈夫なの?それ」
思いっきり疑うみちる。
「だってこれ、屋根裏からたくさん未使用で出てきたんだぜ。ばあちゃんも使っても大丈夫って言ってた。高校のトイレの霊だって封じたしね」
「それを使いこなせるのがすごいわよ」
と、ここで地下鉄の駅に着く。
「じゃぁ、急いで学校行くのよ」
「みちるちゃんもその"変なの"に気をつけて!」
大きく手を振ってチャラチャラした弟は高校へと向かった。弟の後姿を見送って、あれで高校3年生って大丈夫かしら、とみちるは頭を抱えた。




