被害者:アヤメ、職業:刺青師
朝の8時。まだ街の空気が昨夜の酒気を引きずってる。
俺は組長に紹介されて、このタトゥーショップを訪ねた。
場所は裏通りの奥、シャッター通りのさらに裏にひっそりとあった。
扉を開けると、染料と金属と皮膚の混じったような複雑な臭いが俺の鼻を突いた。
「いらっしゃい」
低く通る声に振り向くと、長い金髪を赤いヘアゴムで結んだ、ポニーテールの女が立っていた。
タンクトップからこぼれ落ちそうな胸元が、まるで獲物を誘う罠みたいに揺れていた。
「お前が…… アヤメか?」
「あんた、紹介の?」
「ああ、組長から聞いてるだろ」
「あー…… はいはい。名前は?」
「名前なんか、どうでもいいだろ」
俺が胸元に手を伸ばした瞬間、アヤメの手が閃いた。
ビンタが頬を打ち、カツンと骨に響く音がした。
「汚ねぇ手で触んじゃないよ!」
その瞳の奥に、獣のような光が宿っていた。
気の強さが肌から伝わってくる。
「いったい何の用だい?」
「背中に龍の刺青を入れてくれ」
「着いてきな」
彼女が踵を返した瞬間、青いタンクトップから覗いたその背中に、威風堂々たる毘沙門天が彫り込まれていた。怒りに満ちた表情の仏像。
それなのに、彼女の背中はどこか——無理をしてるように見えた。
奥の椅子に座ると、アヤメは道具を並べ、静かに柄を転写する作業を始めた。
「なあ、お前、彼氏いるのか?」
「……あんたには関係ないよ」
「女として、見てもらったことないんじゃねえか?」
アヤメは黙ったまま作業を続けた。
図星だったのか、それとも、関わる気もなかったのか。
気づけば俺は眠っていた。
目を覚ましたときには、夜の8時を回っていた。
「ちょっと、起きな」
アヤメがスマホの画面を差し出す。
そこには、転写された龍の絵が映っていた。
鱗ひとつひとつが息をしているような、見事な出来だった。
「すげえな、お前」
「明後日また来な。彫ってやるから」
明後日、俺は再び店を訪れた——。
アヤメは相変わらず無愛想だった。
俺は彼女に1本の赤いチューリップを差し出す。
「お前にやるよ」
彼女は満更でもないかのように受け取った。
俺は台の上にうつ伏せになり、アヤメがノミで彫り始める。
「いたっ」「男でしょ、情けないわね」
アヤメが慣れた手付きで染料を入れていく。
「花、受け取ってくれないかと思ったぜ」
「あたし、花受け取るの初めてだった」
「まあ、お前にプレゼントするなんておっかねえもんな、いっ!」
アヤメはノミに力を入れた。
「静かにしなさいよ」
「なあ、今度海に行かないか?」
「……11日の午後だけよ」
「絶対だぞ」
そして、またしても俺は眠りに落ちてしまった
11日当日——。
「は? にけつ?」
「クルマ買う金ねえんだよ」
俺はアヤメにヘルメットを放り投げると、彼女は渋々被った。
アヤメは俺の背中に張り付いた。
「事故んなよ」「舐めんなよ」
アヤメが含み笑いする。
俺たちは都会を離れ、潮風が流れてくる海岸線にやってきた。
俺がミラーを覗くと、ポニーテールをはためかせながら、海を見つめるアヤメの姿を見た。
俺は防波堤の近くにバイクを止める。
アヤメはじっと青く輝く海を見つめる。
「あたしの親父は漁師だった。無口だったけど、一緒にいると安心した」
俺も海をじっと見つめる。
「親父が高潮に飲まれて死んじまって、それを追うようにお袋も死んじまった。それから親戚を転々としたよ」
アヤメは赤いヘアゴムを外す。
潮風が長い金髪をなびかせる。
俺はアヤメを後ろから抱きしめた。
俺たちが店に戻った後、貪り合うようにキスを交わした——。
俺は上半身裸になり、アヤメをキツく抱きしめた。
アヤメの甘酸っぱい汗の臭いが俺の下半身を刺激する。
俺がアヤメのタンクトップを脱がせようとしたその時、数人の男がチャカを持って入ってくる。
奴らは俺たちを引き離し、銃を俺の頭に突きつけた。
「チンピラがよ、俺の弟をバラしたのはお前だな?」
俺は黙った。アヤメを巻き込みたくなかった。
「平和なもんだなぁ、こんなべっぴんさんとこれからヤるとこだったんだろ?」
男がアヤメの脇を嗅ぐ。アヤメはためらわず平手を飛ばした。
「てめぇ、このアマ!」
「よせ!そいつは関係ねえ!」
「関係なくねえんだよ。てめえのせいで弟は死んだんだ!」
アヤメが匕首を取り出し、男に飛びかかろうとする——だが、あっさりとかわされ、首に手刀を食らった。倒れ込んだ彼女の手から、匕首がこぼれた。
男はそれを拾い上げ、ニヤリと笑った。
「そいつだけはやめてくれ。俺を殺せ!」
「それはできん相談だな」
男はアヤメの腹に匕首を突き刺す。
ブスリ
「うっ!」
「アヤメーーー!」
大きく見開いた目が俺に恐怖を訴える。
彼女の足元は血で真っ赤に染まっている。
男は嗤いながら、ズブッと匕首を抜くと、もう一度彼女の腹に刃を突き立てる。
ズブリ
「がはっ……! うぅ……」
アヤメの身体はくの字に曲がる。
白目を剥き、口から涎を垂らす。
俺は飛びかかろうとしたが、背後から銃声が響く。
——真っ白な光が、視界を染めた。