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神聖なる彼岸花

挿絵(By みてみん)


この修道院に足を踏み入れた瞬間から、僕は世界が沈黙する音を聞いた。

鐘の音も、鳥の声も、風さえも止んでいるような錯覚。

石造りの回廊、聖母像の影、冷たい空気。

だが、それらすべてが脇役でしかなかった。

——あの人が、そこにいたのだから。


修道女はマリアという。年齢はおそらく20代。

いつも慈悲深い柔和な表情をしている。

信仰が厚いシスターで礼拝堂で祈る姿をよく見かける。

祈る後ろ姿は神聖な何かを纏っている。


透き通るような白い肌。

昼の光がステンドグラスを通して彼女の頬に色を落とす。

その肌は、まるで聖書の紙のように柔らかく、淡く震える。

僕はその震えを、毎日観察していた。


祈りの時間、奉仕の時間、沈黙の時間

スカプラリオの下に隠し切れない豊かな胸が、ゆさゆさと揺れる。


あのシスターを手にかけてみたい——。

悪魔が僕の心に黒い実を植え付ける。

その実は甘く熟れた果実の香りがする。


ある晩、彼女は廊下に一人立っていた。

蝋燭の光が彼女の輪郭を金色に縁取る。

黒いヴェールの下から垣間見えるうなじ、白磁のような指先。

彼女はこちらを見て微笑む。


「お祈りに来られたのですか?」


僕はただ頷く。

甘い物を久々に口にした時のような痺れを感じる。

甘美な背徳が全身を這いずり回る。


彼女が最も美しくあるとき——その一瞬を、この手で永遠に閉じ込めたい。

生の極限にある刹那、それこそが最も純粋な美だと、悪魔が囁く。


そして、また夜が来た。


その夜の空は、異様に澄んでいる。

星が一つ一つ、まるで天の針で刺されたように鋭く光っている。

僕は礼拝堂の奥、古びた聖母像の陰に身を潜めて彼女を待つ。


彼女は礼拝堂に入ってくる。静かな足音、祈りの習慣が刻まれた身体のリズム。

彼女は膝をつき、胸の前で両手を組む。


「主よ…… この身を、あなたの御手に委ねます」


僕はそっと、彼女の背後に回る。

修道院の蔵から盗み出した短剣を握る。

中世のものだろうか、刃が冷たく鈍く光っている。


彼女が振り返る。目が合う。

その瞬間、僕の呼吸が止まる。

彼女は怯えず、驚かず、ただ優しく微笑む。


「あなたも、迷える子羊なのですね」


「許してください」


ブスリ


刃を、彼女の腹へと押し込んだ。

礼拝堂に刺突した鈍い音が響き渡る。

彼岸花が咲くように、白いスカプラリオの中央から、血が広がっていく。


彼女は苦しみの声を上げなかった。

ただ、息を吐いた。その吐息が、僕の耳元を優しく撫でる。


「主よ…… 赦し給え……」


僕の耳元でそう呟いて、彼女の両手が落下する。

今、彼女は天に召された。

僕の腕の中で、その柔らかな身体は静かに冷えていく。


僕は彼女を見下ろした。その顔には、苦しみの影一つなかった。

まるで、救いを受け入れた者のように、柔和な表情を浮かべている。


礼拝堂の木の床が、彼女の血を飲み込む。

彼女は僕のために屠られ生贄になった。

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