表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

お兄ちゃんの授業0

 それは学校の六年生の担任の先生方が計画されたらしい。

 僕ら六年生は四月から中学生になる。そこで中学生になる前に、卒業生の先輩に将来に向けての話をしてもらおう、それによって六年生たちに中学生になる心構えをしてもらおう、先生方はそんな風に考えられた。すると、じゃあ誰にその講演をお願いしようか、ということになる。この学校の卒業生で有名というか、出世している人はいるにはいるけど、それだとある程度のお年の方になってしまう。しかし話を聴くのは小学六年生だ。あまり年齢差があるのはどんなものか。話をする方だって難しかろう。それに中学生になる心構えだったら比較的近い将来に向けてのアドバイスなり何なりを期待したい。となると現在、高校生では荷が重いので、大学生の先輩を呼ぶのがよろしかろうということになった。

 では誰を?やっぱりそこは学校の行事だから、所謂いい大学に進学した先輩をという話になった。ところで何年か前、特に学力優良な生徒が多い年があった。だからその年代の連中から選ぶことになった。第一の候補になったのは現在東京大学の学生さん、先生方は盛り上がった。この卒業生に来てもらえたらこの行事にも拍が付くというものだ。早速連絡を取ってみる。ところが残念ながら断られてしまった。東京からは名古屋は遠いので、とのこと。仕方がないので、今度は第二候補として現在京都大学の学生さん、日本の大学のツートップの一角だ、全く不足はない、今度こそどうだ。けれどもこちらも断られてしまった。その時期は忙しいので、とのこと。先生方は落胆した。しかしそのうちの一人、ベテランの先生が、あの二人は駄目だ、東京と名古屋はそりゃ遠いが新幹線を使えば時間はさほどかからない、それに時期的に忙しいというのもあり得ない、体の良い言い訳だよ、と仰る。それはやはりそうだろう。如何に母校の後輩たちのためとは言え、そんな面倒なこと誰もやりたくないよね。それにこっちの方が問題なんだけどもう一つ理由がある。それは、これも如何に小学生相手であるといっても大勢の人の前で、加えて当然先生方も多くみえるんだから、そんな状況で話をするというのはなかなか度胸のいることだ。誰だって二の足を踏むに違いない。

 ならば、大学の格式だけで人選しても同じことの繰り返しになってしまう恐れがある。つまり、その人の性格的な向き不向きをも考慮に入れなければならないということだ。要するに、それなりの大学に入学した人で度胸満点、しかも気のいい奴を見つけ出さなければならないのだ。そんな卒業生がいるんだろうか。結論から言うと、いる、だ。そしてそれがお兄ちゃんだったのだ。

 お兄ちゃんの名前を出したのは僕のクラス担任の先生だった。この先生は、僕もこの時初めて知ったんだけど、かつてお兄ちゃん、お姉ちゃんのクラスの担任もされていたそうだ。こんな嘘みたいな偶然があって、先生はお兄ちゃんのことをとてもよく覚えておられていた、そして、こうなったらあいつに頼むしかない、と他の先生方に推薦されたそうだ。ただ、推薦と言っても消去法の結果なんだがな、と身も蓋もないような言い方をしてござった。ここいらあたり、うちの先生はお父ちゃんとよく似た性格だ。

 兎に角、話はそのままとんとん拍子に進んで行って、正式に講演会の依頼をお兄ちゃんにすることになった。しかしこの先生は、万が一にもお兄ちゃんに断られないように一計を案じられた。つまりお姉ちゃんからお兄ちゃんに頼んでもらうようにしたんだ。先生はお姉ちゃんの担任もされてたから、お兄ちゃんがお姉ちゃんには滅法弱いということをよぉくご存知だったのだ。この先生の卑怯な作戦は見事に成功した。どれ程気のいいお兄ちゃんだって、何でもかんでもお引き受けしますよ、というわけではない。お気楽そうに見えるけど、決して暇を持て余してなんかいないのだ。大学では去年の十二月からクラブの部長になっていたし、一応勉強だってしなくちゃいけない。去年いろいろあったせいで持ち越してきたことだってあるし、バイトだって大変だ。だから出来れば避けたかったようなんだけど、かつての担任の先生からの依頼を受けて(そして内心面白がって、ねえねえお願い、お兄ちゃん、なんて甘える風に)頼んでくるお姉ちゃんには逆らえない。それでお兄ちゃんは、仕方なく運命を受け入れることになったのだった。

 こうして講演会を開催する目途がついて、先生方はほっとされた。取り敢えず、あいつに任せておけば大丈夫。うちのクラスの先生は、言質を取った後お兄ちゃんに連絡を取り直接会って依頼した。いやいや快諾してくれて何よりだ、厭味ったらしい先生の言葉に対し、いえいえ大恩ある恩師からのご依頼ですからと、先生の企みを見抜いていたお兄ちゃんはこれも重複表現で嫌味を込めて返答をした。同席していたお姉ちゃんはこういう皮肉の応酬が大好きなので、その後お母ちゃんにこのことを話して二人してけらけらと笑っていた。お兄ちゃんもいい迷惑だったろう。


     *     *    *    *    *    *    *    *


 当日、会場は音楽室だった。お客は六年生だけだから体育館を使う程でもなかろうから。ただ先生方の中にも聴いてみたいという希望者がおられたので、六年生の担任以外の先生も多くみえた。何故か、あんな先生この学校にみえたっけ、というような顔もちらほらしている。そのため流石に少し混み合っていた。

 お客が皆席に着いてざわざわしていたら、やがて時間になりお兄ちゃんが入って来た。グレーの髪をオールバックにし、服装は真黒な礼服みたいな、スーツみたいな感じのもので靴も黒い革靴、すごい出で立ちだった。何となくヤクザ(の偉い人)みたいで、とんでもない存在感だ。皆わぁっと歓声を上げた。あのこなんて、キャーおにいさん、素敵!とはしゃいでいる。お兄ちゃんは背筋をピンと張って右手を上げながらにこやかな表情でやって来た。後で聞いたらバイト先での制服を借りて来たそうだ。怪しげなバイトだとは聞いていたけれど、これはもう怪しいバイトで確定だ。

 演壇に立つと盛大な拍手が起こった。これに対して、お兄ちゃんは調子に乗ってまた手を振る。それからうちの先生からお兄ちゃんの紹介があった。君たちのこの先輩は現在何々大学の何とか学部・何たら学科に在籍中、所属する邦楽クラブでは尺八をプロ並みに演奏し云々、最後に、この先輩は小学校六年生の頃、学力優秀、品行方正、君たちにはお手本になるような生徒であった、であるから今日の話をしっかり聴くように、こんなように紹介された。すると直後にお兄ちゃんが、今先生からご紹介いただいたが大方その通りである、しかしそれは先生の高潔なご人徳の薫陶を受けたためである、と相変わらず二人ともやりあっていた。それから二人とも笑顔を浮かべたまま睨み合った。

 そうしてお兄ちゃんの講演が始まった。話の内容はお任せだったのでお兄ちゃんは自由に喋っていた。緊張という文字はお兄ちゃんの辞書にはない。事前準備なんかしていないのによくもまあ、ああペラペラと、全く立て板に水だった。最初に自己紹介から始めて次に大学生活について話し出す。大学の講義や先生のこと、クラブのこと、食堂のこと、コンパのこと、休暇が長いこと、(詳細は省いて)バイトのこと、大学生活全般について面白おかしく語って行った。ここいらのところは非常に受けて大いに笑いを取っていた。それから今度は高校生活の方に話が移る。こちらも同じように学校の授業や先生のこと、部活動のことなどを楽し気に話し、次に今度は同様に中学校の話をした。こうして各学校生活の話を現在から過去の方へ順番に話し終わると、さて皆さん、とこうなった。お判りいただけたと思うが、各学校生活において、例えばクラブの関係について見てみると次第に段階が上がっていっている、特に大学のクラブとなると運営のために結構な額のお金までが動くほどである、だから前段階の高校でのクラブ活動をしっかりやって経験値を高めておくことが大切だ、さらに言えばそのまた前段階での中学校でのクラブの経験がやはり大事になってくる、このようにそれぞれの学校での様々な活動経験が大切なのだが、勉学においてはもっと重要になってくる、クラブというのは中高大と同じことをするとは限らないが、勉学は同じことを連続して行なっていくからである、勿論その過程で内容の深化があったり専門性の選択が必要になるがそこには明らかに一貫性がある、従って先ず目先のことを考えて頂きたい、皆さんが四月から入学する中学校、ここでは段階を一つ上がることになる、勉学の内容も小学校よりも一段階上がる、つまり少々難しくなるという訳だ、必要以上に心配することはないが学校生活を楽しんだりクラブの活動を一生懸命やりながら是非勉学の方もそれなりにやって行ってもらいたい、ここにおられる多くの人が少なくとも高校までは行かれると思う、次の高校生活を楽しむためにも、四月からの中学校生活を楽しみながら勉学の方もそれなりにやって行って頂きたい―――感心なことに、お兄ちゃんは先生方が期待されてた方向にこの話をちゃんと持って行った。ある意味担任の先生の見込み通りになったのだ。哀しいかな、やっぱりお兄ちゃんは気のいい男だ。

 そしてその後、折角大学生である自分が呼ばれたのであるから具体的に大学での勉強の実例として、これはおまけですが、と自分が専攻しているインド哲学の話を始めた。とは言え変に専門的な話ではなく仏教の話だった。皆さんもお盆にはご先祖様をお迎えするんだし、大晦日には除夜の鐘の音を聞くでしょう、お仏壇のあるお家もおありでしょうし時々お墓参りにも行かれるでしょう、ですから皆さんにとって案外身近なものなんです、という枕を語り、―――仏教は他の宗教とは異なったところがある、世界の創造であるとか奇跡であるとかそういった話がまるでない、仏教を開いたのはゴータマ・シッダールタ、日本で言うところのお釈迦様である、そしてこの人も宗教の開祖とは言え奇跡などとは無縁である、例えばこんな話が伝わっている、昔ある村にキサー・ゴータミーという穏やかで優しい若い女がいた、この女には幼い子どもがいたがある時急な病で亡くなってしまった、女は子どもの亡骸を抱いたまま村の家々をまわり狂ったように生き返らせてくれと訴えた、それは無理だと村人は彼女に言い聞かせるのだが女は聞く耳を持たない、これを不憫に思ったある村人が、この近くに最近名の知られるようになった偉い行者が来ている、その人なら何かそういう秘法を知っているかも知れない、女はこれを聞くと喜んで直ぐに会いに行った、これがお釈迦様だった、お釈迦様は女の話を聞くと、それはお気の毒だ、私がその子を生き返らせてあげよう、あなたの村へ戻って芥子の実を二三粒もらってきなさいと言う、当時のインドでは芥子の実などごく普通にあるものだった、女はきっとこの人が芥子の実を使った秘術を知っているんだろうと合点して村へ引き返そうとする、その女の背中に向かってお釈迦様は、ただしその芥子の実は死者を一人も出したことがない家からもらって来なければならない、と呼びかけた、女はその言葉を聞き流し急いで村へ帰る、村人はこの話を聞くととても喜んでくれた、それで芥子の実を用意しようとするが、二番目の条件を聞くとうちでは駄目だと言う、この間母親の葬式を出したところだ、とっくに祖父母の葬儀を終えている、若いころ弟が亡くなってなど、中には最近子どもの葬式を出したという人までいる、女は村の家々全てを訪ね尽くしたが、その頃には以前の穏やかで優しい女に戻っていた、女はその後お釈迦様のもとで尼になった―――お釈迦様は奇跡で解決することはない、言葉で促すのだ、相手が自分自身で考え真理を悟るよう。

 お兄ちゃんはこんな話から始めた。だからだろうか、その後の理屈っぽい話も皆静かに聞いていた。

 お釈迦様は神話を語ることはない、そうではなく世界の構造を説明する、例えば有名なところで般若心経の中の色即是空というのがある、ここでいう“色”というのはこの世界の諸々の物と考えていただければよろしい、それが空であるということだ、“空”とは何か、これは相対的、関係性によって成立しているということである、絶対的ではないということだ、西洋の哲学における実体ではないということである、実体とは――いろいろな定義があるが――それ自体で存在するものとでも考えてもらえばよろしい、だから色即是空とは諸々の物は実体ではないという意味になる、ところで“諸々の物”の中には勿論我々も含まれる、すなわち我々もまた相対的な存在であるということになる、私というもの自体で存在しているのではなく、私でないものとの関係性において存在しているもの、実体ではないということだ、皆さんは“無我”という言葉を聞いたことがおありだろう、無我の境地というように使ったりする、この“我”というのが仏教における実体のことである、それが無いということで、無我とはそれ自体としての存在ではなく相対的な存在であるということだ、ちなみにこの実体というもの、西洋では昔から様々に解釈されてきた、しかしとある事情により近代以降はほぼ“私”という意味内容で語られるようになる、つまり“我”ということである、興味深いことに近代以降西洋の哲学が紀元前からの仏教の考え方に歩調を合わせることになったのだ、話がそれたがこの“我”についてである、先ほど相対的なものと言ったがそれは、例えば皆さんが因縁果の道理によって生まれた存在であるからだ、どういうことか、一般的には皆さんはお父さんお母さんの子供として生まれてきた、つまりその昔、将来皆さんのお父さんお母さんになる二人が出会うという“因”が生じた、そして二人が結婚するという文字通り“縁”で結ばれる、そしてその“果”としての皆さんが生まれるわけだ、皆さんは元々皆さん自体として存在していたわけではない、因縁により果として生じてきた、つまりこの世の中に遍く働いている因果の法則の中から生まれてきた存在なのだ、だから遠い将来皆さんにまた何らかの因と縁が生じ皆さんが生まれた時から持っていた“因”と“縁”の結合が解かれるという“果”が生ずることにもなるだろう、このように皆さんは相対的な存在なのであり、またこの世界のありとあらゆるものは相対的にのみ存在しているものなのである、またちなみにこのような無数の因縁・果が生じては解けて行く舞台としてのこの世界であるが、仏教では無限であるとしか語られない、空間的にも時間的にも、限りがないということだ、計り知れないということだ、逆に言えば我々を含むすべてのものは有限であるということになる、それでは世界というものは無限なものとのこと、ならば相対的なものではないので絶対的なもの、実体ということになるのだろうか、残念ながらそうではない、ここでの誤りは無限なもの、絶対的なものという表現なのだ、世界は無限で計り知れないのだから“もの”ではない、“もの”というのは矛盾のない存在のことである、ところで“無限なもの”という表現は矛盾を含んでいる、従って世界はものではない―――再び話がそれてしまった、申し訳ない、さて自分はこんなようなことを大真面目に大学で勉強している、ここにおられる皆さんのほとんどは、何とまあ、酔狂な、と呆れておられるだろう、確かに浮世離れした話ではある、しかしこんな風にも考えてみていただきたい、大学というのはどんな物好きな、粋狂なことでも堂々と行なう自由があるというような具合に、実際大学には色々な好事家がうようよしているのだ、もしこうした自由を経験してみたいと思われるなら皆さんにはこれから中学高校の六年間がある、ゆっくりと考えてみていただきたい、ただしその自由というものは四年の期限付きである、そのことはお忘れなく―――

 お兄ちゃんの話はこんなようなものだった。またしても先生方の期待されていた方向に持っていった。どうせやるのならとことん、ということだろう。お疲れ様でした。時間的にも申し分なかった。与えられた時間を五分ほど残して終わったのだ。これで後は、大きな拍手があってそしてうちの担任の先生から、これで先輩からの話は終わりである、何か質問があったら挙手を――当然あるはずもないから――はい、無いようだったらこれで終了とする、最後に先輩に対し盛大な拍手を、でもってパチパチパチパチ、解散、ということになるわけだ、僕は何となくほっとした。

 お兄ちゃんの話が終わって拍手が一斉に鳴り響いた。諸先生方も安堵の表情だ。それからうちの先生からお話があり一般常識に基づく台本通り質問の受付の段になった。しかし質問などあるはずがないのでこれでお開き―――となるはずであった。ところがそうは問屋が卸さなかった。あるはずのないことがあったのだ。挙手をしたものが一人いたのである。先生も一瞬ポカンとされた。でも直ぐに気を取り直し挙手した生徒を指名した。その生徒は立ち上がる。それは何と、うちのクラスの級長だった。えらく真剣な面持ちだ。壇上のお兄ちゃんは興味津々といった表情で級長を見つめていた。

 級長曰く、今回の先輩のお話とても面白く聞かせていただいた、特に後半の話は大変興味深かった、しかし同時に失望もした、それは“私”というものに関すること、因果律に関すること、有限無限に関することである、これらに対してもう少し突っ込んだ、先輩自身が考察された話を期待していたからだ、自分はこれまでこういったテーマに関心を持っていた、そしていろいろな本を読んできた、しかし、自分の理解力の不足もあるが、よく分からなかった、その説明は納得いかなかった、はぐらかされているような感じもした、そこで改めて先輩にお聞きしたい、“私”というものは相対的で実体的なものではないというお話だったが自分にはそうは思われない、日々自分がこれこれのことを行なうんだと考えたり自分自身のことを省みたりということからして、その起点となるべき自分というものは確実なしっかりしたものであると考えねばならないと思うからである、次に因果律に関してだが、先輩のお話だとそれを当然の前提として扱われていた、勿論仏教に関する話であったのでそこで前提とされているのなら仕方がないが、この因果律についてその法則としての絶対性を疑うような考え方もある、自分はそういう議論を読んで成程と思った、であるからこの因果律を少なくとも何の検証もなしに用いるというのは少々納得し難い、是非その妥当性を説明していただきたい、最後に無限とか有限についてであるが、これも仏教ではそのように考えているということでさらっと触れられたに過ぎない、これもそんなに軽々しく扱われるべき問題ではないと自分は思う、折角の機会である、詳しくご教授いただけると有難い―――こんなような、とても小学生の質問とは思えないようなものだった。

 担任の先生は驚きやら困惑やらがないまぜになったような様子だ。何となく先生の“あちゃぁ、やってまった”という呟きが聞こえてくるような気がする。参観されている諸先生方も似たり寄ったり、当然僕ら生徒たちもざわざわしている。その中で級長はお兄ちゃんを正面から見つめ、そして当のお兄ちゃんはどこか嬉しそうな笑みを浮かべながら級長に目を向けている。それから暫くして、お兄ちゃんは先生に時間のことを訊ねた。先生は、感心なことに既に落ち着きを取り戻されており、質問に答えるための時間なら使っても良いと言われた。お兄ちゃんは級長に席に着くよう促し、それからゆっくりと話し始めた―――先程のご質問、誠に恐れ入った、自分の話の中のあの部分については大学における勉強の実例として挙げたもので、ざっとした話で済ませてしまった、そのためより詳しい内容を期待しておられた諸君に対しては失礼なことをしてしまったことになる、本当に申し訳ない、それでも質問者が疑問点を具体的な質問の形で提示してくれたので、つまり自分の落ち度を帳消しにする機会を与えてくれたということだ、是非そのご厚意にこたえたいと思う、先生からの許可も頂いているのでこれからこの質問に対する回答をしたいと思う、少し時間がかかるかも知れないがご容赦願いたい、それからお話しする前にちょっと頭の中を整理しておきたいので―――お兄ちゃんは立ったまま少しうつむき加減で右手人差し指をこめかみに当て暫く考えている様子だった。そのまま古代ギリシャの彫像の様に化石する。近くにいたあのこは隣の女友達に、ねえ、おにいさんって剽軽な人っていうイメージだったけど案外イケメンだよね、なんて囁いていた。その時間はどれくらいだったか、十五秒程だったか、三十秒程だったか、いずれにしても長くはなかった。僕らが静かに見守っていられるくらいの時間だ。お兄ちゃんは人差し指をゆっくりとこめかみから離し頭を上げた―――皆さん、考える時間をいただき感謝する、おかげで頭の中の整理がついた、そこでこれから先程の質問に対する回答を行なっていきたい、繰り返しになるが少し時間がかかると思う、ご海容頂きたい―――こうしてあの質問に対するお兄ちゃんの回答が行なわれることになった。これはあくまでも回答だったんだけど、その内容は全く持って、授業だった。内容は以下の通り、要約なんてとても無理だから、お兄ちゃんの語りをそのままで、よろしく。


     *    *    *    *    *    *    *    *

     *    *    *    *    *    *    *    *

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ