海の幸と商店と店先の揚げ物屋
「おっ!?ハインツの旦那か?あれ?そうだな!おーい!旦那!」
ハインツが船着き場を見渡し、顔見知りの漁師を探していると、少し距離があると言うのに向こうから目ざとく見つけ、此方に手を振ってくれる。
「む!ご無沙汰している!壮健そうであるな!」
「そっちこそ!旦那方!吸血鬼退治に廃城に乗り込んだって聞いてたけど…大変だったそうじゃねぇか!」
「もうそこかしこに広まっているな…」と思った以上に話題になっていることに少々怯みつつ、西方の字が読めない漁師にメモの内容を読み上げる。
漁師は一緒に網を整備していた若者に目配せし、注文の品物を持ってくる様に促す。
若者は景気良く引き受け船着き場の近くの調理小屋に向けて駆けだす。
小屋から漁師の妻達が此方を認め大きく手を振ってくれている。ハインツも両手で大きく手を振り返し応じながら、整備の終わった道具を片付けた漁師に噂話について詳しく問う。
「やはりヒノワ人にも話は広まっていたか…ジャスパー卿達から?」
「ああ。大騒ぎだったぜ!そもそも宴会の時に俺らがヒノワ料理振舞ってやったじゃねぇか!そしたらしばらく帰ってこないだろ!?噂では吸血鬼は討伐したけどジョーが重傷だとか…旦那が死んだとかまで尾ひれがついてさぁ…」
「そうだ!旦那!宴会の時に俺ら自慢のサシミに手ぇ付けなかっただろ!」と思い出した様に怒り出す漁師をなだめつつ心配をかけた事を謝罪する。
「す…すまん…生の魚は我輩まだ早いかなーって…それより町の者に連絡も入れずに申し訳ない…知っての通り我輩は最強だし不死身だがジョーの重傷と苦戦は事実でな…」
「うん…んで吸血鬼のお姫様がどうたらって話だろ?まぁ俺らは漁の仕事が主で森に近づく事は少ないが…生活ってのは色んな奴の事情が絡んでくるからな。廃城や森で仕事する奴が増えたら海の幸の販路も増えるかもしれん!」
無邪気に廃城の発展に自らの商売の繁盛を期待する漁師に、ハインツは思い出した様に懸念を伝える。
「その廃城の城主になる吸血鬼なんだが…曲がりなりにも魔族と取引する事に不安はないか?親父が良くても周りの人間の評判はどうだろうか?廃城の側として聞いておきたいのだが…」
「うーん…それは今のところ気にしてる奴は少ねぇかな…自分でも意外なんだが…もともと廃城の魔人は森を守ってるだけで人間に敵意がないって噂はあったからかなぁ…漁師としちゃ友好的に魚買って残さず食ってくれるなら人か鬼かは関係ない…かなぁ…誰かさんと違ってサシミを残さねぇならな…」
「悪かったよ…」と小さくなるハインツに、乾物を中心に品物を揃えて駆け寄ってきた若い漁師が丁度良かったとばかりに笑顔で声をかけてくる。
「あのサシミの話か!なら火の通ってる物ならどうだい!」
頼まれた品物を渡しつつ束に纏めた生の海老や小魚を渡してくる。
ワタ等を抜かれ下処理はされているものの「結局生では…」とその生臭さに顔を顰めるハインツ。
「おっ!あれかい!」と悪戯っぽく笑う漁師の親父に続いて、若者は「商店にも寄っていくんだろ?店先に間借りしてる奴に揚げてもらえよ!」と町側、商店が立ち並ぶ通りに戻る様に促す。
「揚げ物…」
ハインツはじゅるりと一気に分泌された唾液を飲み込み、漁師達に礼を述べ、調理小屋の婦人達に手を振るといそいそと砂浜を引き返していった。
商店。ジョーやハインツが唯そう称する時は大体この店の事である。ヒノワ人が比較的多く集まる漁港の海岸沿い小さな商店が密集するそこにある少し大きめのヒノワの調味料と漬物を中心に食料を扱う店。
「お!来たか!おーいおやっさん!ハインツの旦那だ!町の英雄のおかえりだぜ!」
店先で屋台を出し大鍋に油を煮立たせていた若者が店の奥に叫ぶ。奥からは「品を持って直ぐに行く!お待たせしろ!」と老人の大声が返ってきた。
「久しいなゴロウ!町を出る前に言っていた商売は無事に始められた様だな。」
「応とも!旦那とここのおやっさんのおかげだぜ!浜の連中に海老貰って来たみたいだな!よしよし貸しな!カリッと揚げてやるぜ!」
ハインツから受け取った海老と小魚を、ゴロウと呼ばれた若者が手早く串に刺し、溶いた衣に漬けてから油に放り込んでいく。
「ヒノワじゃあ油が貴重でねこんなに贅沢に揚げ物できるなんざ新大陸様々ってな!」
「そうらしいな…西方じゃ植物由来の油が豊富だが…まあ身分によって手に入る量も違ってくるし口に入るものは宗教的な禁則も関わってなぁ…」
裕福ではあるが身分の高さ故の不自由に思うところがあったのかごにょごにょと口ごもる。
「それこそヒノワも同じよ!殿様になって好き勝手する奴もいれば農民より質素な奴もいるしな。ま!故郷じゃこう言う商いはお膝元でやるもんだったって話よ!ほれ!一本目!ツユに漬けて食いな!」
きつね色に揚がった小ぶりな海老を醤油に似た色のツユに浸し齧り付く。その熱さに息を吐きながらもプリプリの海老の身と香ばしい衣が爽やかなツユと共に舌を撫でていくに頬がほころぶ。
その様子をゴロウが満足そうに眺めながら矢継ぎ早に残りの海老と小魚を揚げていく。
「お待たせして…!おっと早速召し上がっておりますな!」
バタバタと荷物を抱えて慌ただしく老人が店の奥から駆け出してくる。
「おお!|御主人!先日は世話に…本来ならジョーの奴が礼に来るべきですが…またぞろ重傷を押して鎧を展開しましてな!御主人にはショーユとミソの礼をくれぐれもと…」
「ははは!そうでござんしたか!しかし殿も相変わらず無茶をなされて…此方、御領主様から申し付かっていた品でございます。…それと」
ハインツは商店の店主から細い陶器の瓶を受け取り「これは…ショーユ?」と軽く掲げて問う。
「へい!この間はジャスパー卿がお急ぎだったもので、差し当たって店先にあった品を手当たり次第にお預けした次第で…そいつは搾りたてでね。モノが違いますよ!なんでも殿は差し上げた醤油を領主様達
に勧めて下さったとか。それと同じものを高く買い上げて下さいましたよ。」
「そのお礼でさ」と頭を下げる店主に促され封を切ると香ばしい香りがふわりと立ち昇りハインツの鼻腔をくすぐる。思わずゴクリと生唾を飲み「これは…確かに慣れぬ我輩にも上品だとわかりますな…」と呟く。
「ご主人…これはジョーの奴は飛んで喜びましょう。あいつはかつての私の様にジャスパー卿達が主人のショーユの見た目に好奇の目を向けるのを腹に据えかねてね。全部振舞ってしまったのですよ。空になった壷の底を見つめる奴と言ったら。」
「おお…おお!殿…この老いぼれの醤油をそこまで…」感極まって涙ぐむ主人にハインツは満足げに頷く。
かつて初めてこの店を訪れこの調味料を見た時、真っ黒な見た目を虫の搾り汁と例えてこの温厚な老人の機嫌を損ねてしまった事を思い出す。なんとも未熟な事だ。見慣れぬ物への偏見と侮蔑が過ぎては騎士としても領主としても命取りだと言うのに。これも遍歴騎士としての修行と言う事か。
思えば浜辺で責められたサシミにしても故郷では新鮮な生の豚のタタキが御馳走だった。サシミも挑戦してみるべきか。やはり魚の生は気が引けるので先ずはタタキやヅケとやらから…
そんな事を思い出しながらうんうんと唸り目をこする店主を見やる。
誇りをもって仕込んだ故郷の味を事あるごとにジョーに贈ろうとする老人に、かつての領民であったという以上の絆を感じ、ハインツはいずれは領主として民を率いる身として思う処がありつい野暮な事をしてしまう。
しかしとハインツは意地悪に笑う。ジョーの奴も悪い。ご老体にあまり心配ばかり掛けるものではない。少し足を運べば感謝を伝えられる距離にいるなら尚更だ。
「奴には我輩が強く言っておきましょう!親父の様に思っている同郷の民に挨拶もないとは何事かとね!」
「なんとそんな恐れ多い…ありがとうごぜえます…ハインツの旦那。」
品物を受け取りしばらく世話話に興じたあと。残りの揚げ物を油紙に包んでもらい荷馬車のジャスパー兵への土産にする。
「御代は貰わねえぜ!ただし城の連中に触れ回ってくれよな!野菜や根菜!肉に浜で獲れた新鮮な魚介!清潔なもんなら持ち込みも歓迎!安く揚げてやるってな!」
「お城のお姫様については聞いております。下世話な噂を流す様な輩がいればきつく言っておきますゆえ。是非当商店を御贔屓に…よろしくお伝えくださいませ。」
店先まで送ってくれる二人に別れを告げ、ジャスパー兵との合流地点へと身を返す。
「エバ殿に関しては肩透かしであったな。…それも市井の中での話かもしれぬが。」
先に立ち寄ったベンとジャスパーの弁に助けられた処も大きい。ともあれお隣が好意的なのが知れたのは願ってもない収穫である。
「ま!本番は夜会と言う事であるか!」
まだ先の事をここで思い悩んでも始まらない。全身に買い出した荷物を括り付けながらも軽々とした足取りで来た道を帰り。道の先に停車している荷馬車に揚げ物が入った油紙を掲げる。ツユの代わりに粗塩を振ってもらったヒノワのテンプラなるこの料理。
一日の買い出しで小腹が減っているであろう兵達も喜ぶに違いない。




