生物兵器
「…って事があったんだけど…」
廃城が野盗の総攻撃を受ける前夜。
寝室で暗示をかけられたカミラとオリヴィアは、野盗が城外に出るのを確認するやいなやすぐさまジョー達に報告事にした。
「…いや、すぐに話してくれたのは嬉しいが。それが本当ならあいつ等、暗示かけそこなったのか…?」
怪訝な顔で首を捻るジョーと「流石にそこまで粗忽者とは思えんが…」と頷くハインツの前でどこか呆けた表情で城主の間に座り、エバと目線を合わせる二人。
「むむむ…」とこの中で最も魔術や呪いに適正と知識があるエバが二人の瞳を順々に覗き込む。
「いやバッチリかかってるね、暗示。暗示って言ってもしっかり魔法が噛んでる厄介なタイプだねー。」
「それなら…」と口を挟もうとしたジョーを遮り、エバは悪戯っぽく笑う。
「より上位の指示が優先されているのさ!余計な事はするなってね」
ジョーとハインツはサッと青ざめ狼狽える。
「おい別口で暗示や洗脳をかけた奴がいるってのか!?」
「一体…いや何時から!?もしや最初から洗脳にかかった状態で…ん?何時…?」
そして同時に同じ犯人が思い当たった。
「おい…エバ…まさかさっきの…」
「エバ殿…魅了を…二人の魅了を解いておられないのか…!?」
無邪気なエバの笑顔がさらに深くなり吊り上がった口角が耳まで裂ける。
「うん!こんなにも素敵な少女達だ!この愛らしさにジョー達が奪われるのは気に入らない!この愛らしさがそこらのクズに奪われるのも気に入らない!だからさ!宝石は小箱にしまって錠前をかけておかなきゃ!」
吸血鬼らしい歪んだ警戒心と独占欲。ジョーとハインツが危惧していたエバの精神性が結果的に致命的な危機を未然に回避していた。
吸血鬼の魅了と野盗による暗示の矛盾した命令が干渉した結果、少女達は術としてより強力なエバの魅了の影響下に置かれた。
「エバ殿のわがままが結果的にここにいる全員を救うとは…」
こうなってはエバを非難する事も出来ずハインツは頭を抱える。これに味を占めて吸血鬼としての能力を乱用し始めたらどうしたものか…そう言った事を考えると眩暈がしてくるのだった。
「それは置いておくとしても…エバ。魔法による暗示ならお前さんの魔力で解除出来るか?」
「それが問題なんだけど…」
ジョーの問いに一層目を見開き少女達を覗き込むエバ。
何やら問題が大きいのか目を血走らせぐぬぬ…と唸り声さえ上げている。
「指示は単純そうなんだ…暗示と野盗の事を話さない…後は合図に乗じて二人で野盗の…馬車かな…に乗り込む…そんな感じなんだけど…」
神経を集中しているのか眉間に青筋を立て褐色の顔を耳まで真っ赤に染めてプルプル震えだす。その有様にジョーが「おいあまり無理は…」と心配し声をかけた瞬間、エバが大声をあげてばったり後ろに倒れこむ。
「ぶっはー!駄目だぁ…!肝心の魔法の部分が単純な上丁寧で…ちゃんとした魔術師がかけたか、精巧な魔法の道具使ってるよぉ!これ私だと時間かかるよ?」
ジョーは顔を顰めて考え込む。カミラの話を聞く限りは暗示は時間経過で解ける。内容が分かった以上何処かの部屋に閉じ込めておけばとりあえず二人の安全は確保できるのではないか。
そんなジョーの考えを読んでか、ハインツも口を開いた。
「仮に…この状態で合図が来たら二人の精神にどんな影響がある…?」
ジョーの渋面はますます渋くなり。エバも「はっきりとした事は言えないかも…」と少し小さくなる。
「今の状態で、すでに上の空になっているし…ちょっと心配…」
「だが現状では地下にある牢にでもエバ殿と引きこもって解除を続けてもらうしかない…か?」
悩みながらもなんとか少女二人の精神へのダメージを最小限にするべく思案を続けるハインツだったが。
「ちょっとまって!それも困るよ!途中で野盗の指示が実行されたらちょっと危ないし、この状態の私が繊細な解除中に寝落ちしても不味いし…」
と申し訳なさそうにエバに反対されてしまう。
「…そもそも合図を送っても二人が動かない場合の野盗の動きが…撤収されたら逆に面倒だ…敵の戦力を減らさずに城を離れるのは…」
ブツブツと呟きながらいよいよ頭を抱えてしまうハインツ。
「なぁ…指示が矛盾しなければいいのか?」
ジョーが何事か思いついたのかハッとした表情で呟く。
「エバの魅了は余計な事はするな。野盗の暗示は合図が来たら逃げて馬車に乗れ…そうだよな?」
エバは「…え?うん…」と困惑し、ハインツは無言で先を促す。
「なら一度野盗の馬車に乗ってもらうのはどうだ?カミラ!オリヴィアも聞こえるか?作戦はこうだ!」
「やってやったぞ!これで満足だろうな!?ジョーっ!!」
「そうとも!文句なしだぜ!カミラ!」
木の陰に隠れていたカミラが鼻水をたらしながら絶叫し、野盗達をけん制するジョーが応じる。
「一つ聞きたい…暗示はお前が解除したのか…?」
サムの問いにジョーが挑発を含んだ声色で愉快そうに応じる
「いんや…?ウチのお姫様が二人を大層御気に召してね!唾を付けといたのさ!お前さん吸血鬼の対処に一家言あったそうだが…それにしては詰めが甘かったなぁ!」
「魅了か…あらかじめかかっていた強い魔法で弾かれたな…」
サムは周りで態勢を立て直しつつあるジャンや仲間にナイフを振って合図する。
「聞いての通りだ!こちらの馬車は全て破壊された!最早こいつを殺さずに撤退は出来ん!ぼやぼやしていると城の奴らもこっちに来るぞ!」
「サム…あいつの異様な能力…」
じりじりと間合いを詰めながらジャンが警告を発する。
「分かっている…サムライとか言ったな…変身能力かと思っていたが…ならそれは魔導甲冑の類か…」
合点のいったようなサムの言葉に、つまらなそうに鼻を鳴らし、そして不敵な笑みを浮かべ、ジョーは叫ぶ。
「なぁんだ!驚かせようと思ったのに。大体知ってる様な素振りじゃないか!やっぱり唯の賊じゃねぇな?元々、間諜の類だろお前さん方!」
ベキベキとジョーの身体から破裂音が鳴る。
真っ黒に染まった眼球を剥き、顎は左右に裂ける。肌がひび割れると徐々に光沢を持った蒼へと変色していく。腕が足が不快な音を立てて伸びる。関節が節とも呼ぶべき形状に変化し盛り上がった筋肉が硬質な、殻の様な質感へと変化していく。
「だが!折角だから自慢させてもらおうか!俺の故郷のヒノワって国はな!大昔、人の脳と脊髄を喰らって操る寄生虫に悩まされていてね!困りに困った偉大な先達は考えたのさ!蟲の中にもはぐれモノはいるはずだと!」
ボコボコと丸めた背中がのたうち回る。
「蟲の中の嫌われ者、脳を奪えない半端者、何かしら弱った奴!そんな奴らと契約したのさ。終生の住処を与えようぞ!そうして身体を差し出して!蟲の力を得た者が!」
背中の肉と包帯を裂いて、背骨が飛び出す。いやそれは白い骨の様に擬態した長く節を持つ蟲型の魔物。ガチャガチャとあばら骨の様な脚を振り回し身体をくねらせ。ジョーの話を遮り殺そうと飛びかかって来た野盗をけん制する。
「武士となった!それから武家の子供は物心付くとお家お抱えの蟲を入れられる!すなわち侍とは支配階級にして戦士階級。そして…その身を魔物に変ずる!生物兵器である!」
蟲がまるで獲物の身体を喰らう様に勢いよく、再びジョーの身体に潜り込む。
全身が一層大きく膨れ上がり、身に巻かれた包帯すら飲み込んで一気に収縮する。
全身から魔力を帯びた蒸気を吹き出し、それは立っていた。
丸みを帯びた兜から目線を隠すように張り出す鋭い庇とその下で黒真珠の様に輝く二つの複眼。口は複数の顎と牙が複雑に組重なり大鬼を模した面頬の様である。両頬から後頭部までをぐるりと五段に重なったしころが覆う。
左右非対称な両肩は、左側のものがやや大きい内側に反った袖が段々と裾に向けて広がり、肘までをすっぽりと覆い守っている。両腕は籠手の様に前腕部が甲殻に覆われカギ爪の様な凶悪な刃が張り出す。
胴は胸と腹で別れておりそれぞれ蛇腹状の甲殻で覆われている。腹から膝までをスカートの様な草摺が防護し、その下から覗く鳥脚を思わせる様に少々歪に見える両脚は引き絞られた臑当を纏っている。
背中は左右の肩甲骨辺りが大きく張り出し、先程跳躍した際に炎を噴出していた器官だろうか。薄く透明な翅の様な物を纏った二発の噴射口をそれぞれ突き出した甲殻が覆う。
蟲の魔人の如きその威容。東方にて外法により自らの肉体そのものを魔導甲冑へと変貌させる戦士。
侍が誇る大鎧。
装甲骨蟲である。
「我こそは城 下百合守 永衛。推参!」




