「人食い森の魔人」
化け物が出ると噂の廃墟に近づいていけない。
古今東西そんな所に遊び半分で近づいて碌なことになった試しがない。
化け物や幽霊、呪いの類い。そんなものがなくても浮浪者や盗賊、追い剥ぎ、表沙汰に出来ない密命を浴びた密偵。そういった者たちの隠れ家になっている事が多い。そうでなくても老朽化でそこら中が悪意の無いトラップと化している。
この世の中で魔物や呪いを真っ先に心配しているのならそれは世間知らずと言うものだろう。
もっともこの辺は廃墟に辿り着くまでもなく魔物だらけなので例外なのだが。
ぐちゃり、と血を滴らせながら魔物の腹から手刀が引き抜かれる。
全身を膿が滲んだ不潔な包帯で包んだ男がオオカミを思わせる小型の魔物の群れが作った血溜まりの中から立ち上がった。
人食い森と呼ばれる魔物の縄張り、その奥地の打ち捨てられた廃城には魔人が住み、軽々に森に踏み入った人間に襲い掛かると言う。
まさしく魔人と言った風体の包帯男は廃城から一直線に、道々に襲い掛かる森の魔物を恐るべき膂力で引き裂きながら獣道を進む。
目的は森の入り口付近に仕掛けられた魔法の鳴子。侵入者を術者に知らせるそれに反応があったのだ。全身の真新しく爛れた火傷跡から汁を滲ませながら包帯男は今も複数の鳴子から馬車と多数の人間と思われる森の中へ向け移動する反応が返ってくる。
「めん…どうな…」
喉も負傷しているのか男はしわがれた声で苛立たしげに呟き、反応に向かって草木を掻き分ける。
「何かに…追われているのか…?こんな森に逃げ込む事も…あるまいに…」
白濁した眼球を擦り焦点を合わせる、辛うじて木々の奥に目的の一団を認める。
「あれが…避難民でも…敗残兵でも…ないな…」
ボロボロの馬車と壊れかけた剣や斧など不揃いな武器、頼りない薄汚れた装備、明らかに粗暴な振る舞い。近場で魔族を食い止めている戦線の兵でもなくまして堅気の人間でもないだろう。
男が神経を集中するとビキビキと乾いた音を立て額の包帯が盛り上がる。
「く…くそ…やはり感度が悪い…」
毒づきながらも視界を含めた五感が、まるで世界が広がる様に拡張されていき、馬車の中のやり取りまでおぼろげながらも知覚できる。
『こんな事をしてなんとするのです!こんな子供まで巻き込んで!どんなに生活が苦しくても人から奪う道理がありますか!』
凛とした少女の声を人間離れした感覚が拾った。
『貴方方、領民が正道を外れたのは領主である父にも、娘であるわたくしにも責任があります。悪いようには致しません、わたくしがお父様に口を利きますわ、罪を償いやり直すのです。』
「りょ…領主…?チャップマン家の…?」
この辺りを治める小領主ベン・チャップマンの息女が野盗の類に囚われているらしい、口ぶりからすると他にも子供が囚われているようだ。
「兵隊や…避難民なら城に招くのも…やぶさかで…なかったが…」
領主令嬢と他にも囚われている者がいるならぐずぐずしている暇はなさそうだ。馬車の中で不穏な空気が一気に高まっているのを感覚で捉える。
「こ…この森の中で領主令嬢が…殺害されるなどごめんこうむる」
包帯の男は半身になり脚に力を溜める。バキバキと破裂音のような乾いた音を立てて脚の筋肉が包帯を押し上げ膨れ上がる。
ドンっ!と鉄塊が土に落ちた様な重苦しい足音を残し包帯の男の姿が掻き消えた。
「へへっ!お頭に噛みつくとはお転婆なこって…」
「なぁ殺しちゃダメか?ガキの癖に生意気な口利きやがって!バレなきゃ身代金位取れるんじゃね?」
領主令嬢が囚われている馬車の周りでは野盗の一味が見張りのつもりなのかたむろしていた。
まるで緊張感の感じられない緩み切った様子で地べたに座り込んでいる者すらいる。
「身代金なぁ!なんに使う?幾らもらえるんだっけ?まずは酒だな!」
「ばーか!まずは博打で増やすんだよ。そうすりゃ酒なんぞ幾らでも買える!」
貰えるかどうかもまだわからない報酬の使い道を熱く議論し周囲に注意を払う気など一切ない。
領主の一人娘を誘拐するという大罪を犯している真っ最中であると言うのに既に成功したも同然とばかりの態度であった。
故に、真っ先に狙われ、目の前で友人の頭が馬車に叩き付けられ果実の様に握りつぶされて初めて、見張りとしての使命を果たすべく声を張り上げる。
「魔人だぁぁぁぁぁ!!」
そう目の前で刃を振りかぶる敵の存在を一味に告げ、そしてそのまま尻もちを付いて寄りかかった馬車の車輪ごと首を断ち切られる。
膿の滲んだ包帯をグルグル巻きにしたミイラ男の様な異様な出で立ち。
その中で最も目を引くのは大きくゴツゴツと、硬質に肥大化した両腕だった。
まるで魔導甲冑のガントレットの様な威圧的なシルエット。しかしよくよく見るとその表面は金属と言うよりも生物の殻。
そう、ちょうど甲虫の殻の様な印象を受けるだろう。そしてその前腕部からは先程、賊の首を刎ねた凶器が、巨大なカギ爪が鋼の様な鈍い光沢を纏って突き出していた。
両腕を蟲の魔物に変化させた怪人。その恐ろしい姿は人食い森の奥、廃城の主だと言う魔人に違いない。
怪人は馬車の周りで間抜けにもきょろきょろと周りを見回して自分の姿を探す野盗達を捨て置き、馬車の中に飛び込もうとして。
少女二人が扉を蹴破り、転がり降りてきた。
そのまま脇目も振らずに駆け去っていく。
それで良い。手間が省けた。怪人は内心そう安堵し、今更此方の姿を確認し、怒声を上げる野盗達を始末しようと飛びかかり。
横合いから振りぬかれた大斧を身体を捻り躱す。
「おお!ジャンか!」
頭をぶつけたのか額を抑えながら、短刀を手に馬車から降りてきたリーダー格と思わしき野盗が大斧の男に歓声を上げる。
「へいお頭!下がってて下せえ…直ぐに始末しまさぁ!」
大男、ジャンは振り返りもせずにツルツルに剃り上げた頭を撫でつけ、落ち窪んだ眼で怪人を見下ろす。
その後ろではすっかり勝利を確信したのかお頭と呼ばれた男が心配そうに駆け寄ってきた小柄な野盗の頭を馬車に叩きつけていた。
「馬鹿野郎てめぇサム!どうせてめぇがぼさっとしてたから敵に気づかなかったんだろう!」
得物を構えた敵を目の前にして抜けた歯の隙間から唾を飛ばして部下を殴打する野盗の頭に呆れながらも、怪人は目の前の大男から目線を外さず、中腰でジリジリと後退する。
次の瞬間ジャンの巨体が一瞬浮いたかと思うと、目の前まで踏み込んできていた。
大斧が怪人の頭蓋を割らんと勢い良く振り下ろされる。
ギィィンと、鼓膜を引っ掻く様な不快な金切り音が響く、斧を横合いから弾く様に怪人の右カギ爪が振りぬかれていた。
その勢いと交差する様に今度は左腕が勢いよくジャンの顔面目掛け伸びる、カギ爪での攻撃ではない。ガントレットの先、蟲の様な節だった指先から鋭く突き出た正真正銘の爪がジャンの両目を狙う。
堪らず顔を逸らし、弾かれたままいなされ地を抉った斧を引き抜いて後退しようとして。
目の前に迫った怪人の指が、いや、腕が一瞬で引っ込められる。向かう先は勢いよく引き戻される斧。
左腕のカギ爪が未だ右カギ爪の添えられている斧を打ち、そのまま二本の刃で巻き取られるかの如く器用に拘束され再び地面にめり込む。
「ぐっぅ…!」
後退しようと逸らした背を、斧を引っ張られた事で無理な姿勢で引き返され、ジャンの巨体が勢いよくつんのめる。
すかさず怪人はジャンの懐に入り込む様に体当てをかます。
がっちりと斧と身体の重心を抑えられ、体制を変えられない。
迂闊に引くも押すも出来ない。自慢の怪力で無理やり組み伏せようにも、自分より遥かに矮躯のこの怪人の何処からそんな力がでるのか。絡め取られた斧はピクリとも動かない。
「ゴボゴボゴボ」
それは唸り声なのか、息のかかる程密着した怪人の喉から痰の絡んだ様な音が鳴る。
このままでは不味いとジャンに焦りが生じる。
力は互角か怪人が上。その上両腕のカギ爪の切れ味は車輪を切断され無残に擱座した馬車を見れば一目瞭然。おまけに腕力だけで言えば蟲の様に変化した両腕は見た目通り魔物並みの力を発揮出来るのだろう。
そうでなければいくら刃が鋭かろうと車輪を軸ごと斬りとられたりはすまい。
ジャンの焦りを滲ませる表情がフッと緩む。
それと同時に怪人の身体がガクッと揺らいだ。
ジャンが斧を手放したのだ。
次の瞬間怪人の身体が後ろにはじけ飛ぶ。
全体重を乗せた前蹴り。一か八かの賭け。ジャンは膠着状態を打開する事に成功した。
蹴りの効果を確認もせず、転がる怪人に全力で駆ける。
斧は拾わない、腰に差していた鉈を引き抜く。このまま滅多打ちにするつもりだ。
しかし、吹き飛び転がる怪人はその勢いを殺さず、背筋の力で身体を跳ね上げるとそのまま脱兎の如く逃げ出した。
進行方向にポカンと突っ立っていた野盗が二、三人。あっと言う間に首を刎ねられ崩れ落ちる。
ジャンは全力で加速し、すぐにゆっくりと小走りに戻り、停止した。
ここは人食い森。このまま追いついても味方は追ってはこれないだろう。
どんな魔物が、罠があるかもわからない森を単独で追撃するのは自殺行為だ。
野盗に似つかわしくない冷静な状況判断で追撃を中止し、馬車まで戻る。
「やぁお頭!面目ねぇ!逃がしちまいました。」
「おお!おお!良いんだそれよりコイツだ!コイツのせいでガキを逃がした!」
お頭は未だにサムと呼ばれた若者を殴りつけ、周りの野盗共もジャンに加勢する事無くそれに加わっていた。
「お前からも言ってやってくれ!おら!ジャンは俺の様に優しくないからな!危ない目にあったジャンにしっかり詫びいれることだ!」
「へいお頭任せてくだせぇ!コイツのせいで危うく怪人に殺されるとこだったんだ!こういったクズの躾かたはよぉく知ってまさぁ。」
ジャンはお頭から突き出されたサムの胸倉を掴み片腕の力だけで勢いよく持ち上げる。
ごめんなさいごめんなさいとうわ言の様に繰り返すサムに噛みつける程顔を近づけ目を剥いて睨み付けると低い声でボソボソと何事か早口で捲し立てる。
お頭はその光景にこの誘拐の主眼である人質に逃げられた事などすっかり忘れ。満足そうに何度もうなずくのだった。
もし気に入って頂けたら評価、ブックマーク、感想など頂けたら自室で五体投地して喜びます。