疣
私が高校一年生のときの話だ。学校の昼休みに、友達の麻由美から奇妙なことを言われた。
「ねえ、それニキビ?」
麻由美が私の右の頬を指さして言う。
私は頬に触れてみた。しかし、ニキビらしい膨らみなどなく、麻由美に尋ねた。
「え、ニキビできてる?」
「うん。結構でかいから、ニキビじゃないかもしれないけど」
「膨れてるところなんかないけどな……」
「いや、どう見てもあるよ」
そう言われ、私は不思議に思って自分の手鏡で顔を見てみた。やはりできものなど映っていない。
「ほら、なんにもないじゃん」
そう言うと、麻由美は訝しげな顔で言った。
「本気で言ってるの?」
「それこっちのセリフだから。冗談でしょ?」
「いやいや、冗談じゃないから」
麻由美は首を振った。
たしかに、麻由美が冗談を言っているようには見えなかった。むしろ私を心配してくれている様子だ。
その後、麻由美はこの話題に触れてはいけないと思ったのか、私の顔のできものについて何も言ってこなくなった。次にその話題に触れられたのは、一週間ほど経った頃だった。
その日の朝、学校に来て麻由美に挨拶すると、すぐにこう言われた。
「ねえ、病院行った方がいいって」
麻由美は心底心配そうな顔をしている。
私は何のことか分からなかった。
「病院って何? 私元気だけど」
「いや、顔のできもの相当ひどくなってるから。それ絶対ニキビじゃないよ。ほっといたらダメだって」
そう言われても、顔は洗面台で今朝見たばかりだが、できものなんて無かった。
一応、私は手鏡をポケットから取りだし、自分の顔を見てみた。やはりできものなど一つも無い。
「ねえ、できものって何のこと? 麻由美の目が変なんじゃないの?」
そう言うと、麻由美はもどかしそうな顔になり、口をぱくぱくと動かした。何かを必死で説明しようとしているが、言葉が見つからないらしい。結局、麻由美は何も言わないまま私の腕を掴んで、教室の外へ連れ出した。
「ちょっと、どこ行くの?」
「保健室!」
私は麻由美に腕を掴まれながら、駆け足で保健室に向かった。
部屋に着いてドアを開けると、中には保健室の先生がいた。落ち着いた雰囲気の女の先生だった。
麻由美が先生に言う。
「この子の顔を見てほしいんです」
先生は私を見て、顔色が変わった。
「どうしたの? その顔」
先生の反応を見て、私はようやく自分が間違っていることに気づいた。麻由美の言う通り、本当に顔にできものがあるらしい。
私はとりあえずこう答えた。
「いや、分からないんですけど、一週間前くらいからあるらしくて」
先生は私の顔に手を当てて、右の頬をまじまじと見ながら言った。
「痛いの?」
「いや、痛くはありません。何も感じないんです」
麻由美が横から言った。
「最初はもっと小さかったけど、どんどん広がっていったんです」
先生が私の顔から手を離して言う。
「ウイルス性の疣かしらね。とにかく詳しく検査しないと何も分からないし、ここじゃできることもないから、親御さんに病院に連れて行ってもらいなさい。できるだけ早くにね」
「はい。ありがとうございました」
私はそう言って麻由美と保健室を出た。そして麻由美に謝った。
「ごめんね。麻由美が正しかったみたい」
麻由美は心配そうに言った。
「そんなことどうでもいいんだって。それより今日帰ったら、ちゃんと病院に行きなよ」
「うん、分かった」
私はそう答えたものの、肝心の疣が見えないので、あまり危機感を持っていなかった。
その日、学校から帰ると、すぐに母親に顔を見せた。
母は「どうしてもっと早く言わなかったの!」と怒鳴った。予想以上の反応だったので私は驚いた。母によると、私の右頬の上半分には、直径五ミリ程度の赤黒い疣がびっしりとできているのだという。
私は母に連れられて、すぐに近くの総合病院に駆け込んだ。
診察した医師は私の顔をまじまじと見た後、困った顔をして腕を組んだ。病名が特定できないのだという。とりあえず、疣の表面を少しだけ削り取り、詳しく調べてもらうことになった。
診察室のベッドに寝かされ、局所麻酔を打たれる。医師が針のような器具で頬の辺りを突いた。麻酔のおかげで痛みはない。
施術中はずっと目をつむっていたが、採取が終わったときには取られた疣の一部が見たくて目を開いた。だが、医師は銀のトレーに採取したものを乗せて看護婦に渡すと、看護婦はそれを持ってすぐに部屋を出て行ってしまったので、疣の一部を見ることはできなかった。
その後、自分では疣を視認することができないことも医師に伝えた。脳に異常があるのかもしれないということになり、CT検査を受けた。しかし、変わったところは何も見つからない。医師からは「原因は心理的なものでしょう」と言われたが、私は納得できなかった。
結局何も分からないまま、その日は病院から帰宅した。
後日、検査結果が出たと連絡があったので、また病院に行った。検査の結果、疣は細菌やウイルスが原因でできたものではなく、悪性のがん腫瘍でもないとのことだった。つまり良性の腫瘍で、おそらく遺伝子異常によるものだと医師は言った。命にかかわるものではないが、これ以上広がる前に、手術で切除してもらうことになった。
手術当日、私は病院のソファーに座って、時間が来るのを待っていた。手術を受けるのは初めてだったので緊張した。それに、この日になっても私にはまだ自分の疣が見えなかった。手で触れてみても、皮膚に異物感はなく、指はなめらかに滑っていく。切り取るものなど本当にあるのだろうか。もしかしたら、なんの異常も無い肌を切り取られるのでは……。
私は不安になって、近くを通りかかった看護婦さんに話しかけた。その看護婦さんは検査時の担当者だったので、顔なじみだった。
「すみません、私の疣、どれくらい広がってますかね」
看護婦さんは立ち止まって答えた。
「えっと、右の頬全体に広がってるわね。でも今日全部キレイに取っちゃうから大丈夫よ。それに手術跡もほとんど残らないし、しばらくすれば元通り。大丈夫大丈夫」
看護婦さんはやさしい笑顔で言ってくれた。
そのとき、女の子の声が聞こえた。
「なんにもできてないのにね。お姉ちゃんの顔」
私は声がした方を見た。看護婦さんのうしろに、知らない少女が立っている。背丈を見るに七歳くらいのその少女は、顔と首の全面が赤黒い疣に隙間無く覆われていた。よく見れば子供服の長袖から覗く手も、疣に埋めつくされている。
私は悲鳴を上げそうになったが、少女を傷つけないように辛うじて堪えた。そして少女に尋ねた。
「あなたは誰なの?」
すると、看護婦さんはうしろを振り向き、また私に視線を戻すと、不思議そうに言った。
「誰に言ってるの?」
信じられないことに、少女は私にしか見えていないようだった。
私は言葉を失い、じっと少女を見つめた。
少女は「お姉ちゃんの顔、キレイだよ」と言うと、こちらに背を向けて、廊下の奥に駆けていった。
私は呆然とそれを見ていたが、少女が角を曲がって見えなくなると我に返り、急いで看護婦さんに言った。
「すみません、誰かに話しかけられたような気がしたので。空耳でした」
「手術前で気が立ってるのよ。リラックスしててね」
「はい、ありがとうございます」
私がそう言うと、看護婦さんはニコリと笑顔を返して、向こうの病室へと歩いていった。
それから10分ほどして、私は手術室に入った。手術台に寝かされ、麻酔をかけられる。全身麻酔ではなかったので、施術中意識ははっきりしていた。
医師は私の顔に包帯を巻いた後、「無事に終わりましたよ」と言った。
私は医師に頼んで切り取った疣を見せてもらった。銀のトレーに乗せられたそれは、私の目にもはっきりと見えた。一つ一つが蛙の卵くらいの大きさの疣で、血のように赤黒かった。そしてそれは、手術前に見た少女の顔にできていた疣と、まったく同じだった。
手術を受けてからもう五年以上経つが、疣は今のところ再発していない。あの少女は、いったいなんだったのだろうか。




