家族を奪われた英雄
エルス王国の地方都市サルサ、その隣にある小さな町サカリ。
私達は王都から馬車に乗り、1ヶ月を掛け、やってきた。
「アレックス様、着きました」
馭者は静かに馬車を停めた。
ここが今回の目的地、町外れに建てられた立派な屋敷が見える。
馬車の扉が開き、初老の男が数人の人間を引き連れ、私達を迎えた。
男はこの町の名主で、この屋敷の所有者。
緊張した面持ちで私達を見る。
「この度は、ようこそサカリに、私が...」
「挨拶は要りません。案内を」
「...は、はいこちらに」
男の言葉を制し、私達は裏口から屋敷内に入る。
無言のアレックス様。
その表情に、焦りの色が浮かんでいるのを感じた。
「この部屋です」
「分かりました」
男が案内したのは小さな小部屋。
部屋の中に数ヶ所の覗き穴が開いていた。
「外で待つように」
「か、畏まりました」
男に屋敷の外で待機する様命じる。
私達は部屋に入り、穴から隣の部屋を覗いた。
「さあ食べよう」
「そうね」
「旨そうだ」
穴から見える光景。
一見すると、仲睦まじい4人家族が楽しそうに夕飯を食べている様に見える。
しかし、彼等は本当の家族では無い。
正確には二つの家族が、人目を憚りながら貸別荘で家族ごっこをしているに過ぎないのだ。
近所の話によると、男の家族は早くに妻を亡くし、男手一つで17歳の娘を育てて来たと言っているそうだ。
そして女の家族は...
「なんという事だ...」
信じられない光景に我慢出来ず、覗き穴から目をそむけるアレックス様。
鍛え抜かれた大きな身体、本来ならば、他を圧倒する威厳を併せ持つのに。
彼が我が国の英雄アレックス将軍だと、誰が信じられようか。
「ミッシェル...ハロルド...」
呻く様に家族の名前を呟くアレックス様。
気配を消しているが、このままでは、いずれ奴等に見つかってしまう。
いや、アレックス様が壁を蹴破り、奴等を皆殺しにしかねない。
それでは駄目なのだ、尊敬するアレックス様を裏切り、苦しめた薄汚い雌ブタの最後をアッサリと終わらせては...
「行きましょう」
「...カリーナ」
私の名を呼ぶアレックス様の腕を取り、隠し部屋を出る。
元々は要人警護の為作られた部屋。
連中は見られてたとも気付かず、能天気な笑い声を上げていた。
隠し通路から外に出た私達は、先程の男を馬車へと呼び出した。
「申し訳ございません、知らぬ事だったとはいえ、まさかアレックス将軍の...」
男は馬車の外で平伏する。
全身から汗を流し、身体を震わせる態度は本当に女がアレックス様の妻だと知らなかったのだろう。
「奴等はどれ位前から、この屋敷を利用する様になったのだ?」
「は...は...はい」
「答えよ」
「し...しょれ...は」
「アレックス様、私が」
敬愛するアレックス様の全身から立ち上る殺気。
普通の人間である男に堪えられる筈がない。
部下として5年も仕えている私でさえ、身震いを覚える程だ。
しかしアレックス様はまだ本気を出して無い。
親愛なるアレックス様が本気で殺気を出したなら、相手は失禁し意識を保つ事等不可能。
それは幾多の戦場で目の当たりにしてきた。
「三年前からですね?」
「は...はい」
高圧的では、埒が開かない。
笑顔の1つでも浮かべられたら良いのだが、そんな愛想は持っていない。
出来るだけ丁寧に聞いてみた。
「そうか...三年前か...」
アレックス様はご存知無かったが、既に調べは着いている。
三年前から雌ブタが男と秘密の密会をする為、奴等の住む隣町の、貸別荘を使っていた事を。
「俺が家族と最後に会ったのが...」
「三年前です、アレックス様」
「あの紛争か...」
隣国との紛争に赴くアレックス様が、家族と会われたのは三年前。
その頃からアレックス様の妻は男と密会を始めた、そういう事だ。
「...家族をずっと、王都に住まわせるべきだった」
「それは、雌ブ...奥様が望まれ無かったのでは?」
「そうだが...しかし」
今更なのだ。
20年前に、18歳で結婚されたアレックス様。
相手は先程の雌...ミッシェル。
彼女の実家は結構な爵位こそ持っていないが、代々の素封家。
幼い頃に両親を亡くされたアレックス様の実家は伯爵家。
ミッシェルの実家は爵位に目を付け、才気溢れるアレックス様に16歳の娘を嫁がせたのだ。
王都の新居もミッシェルの実家が用意した。
『逆玉アレックス』
そんな陰口を周りに言われながらも、アレックス様は一途にミッシェルを愛し、懸命に軍功を上げられた。
しかし戦場から戦場を渡り歩くアレックス様にミッシェルは寂しいからと、10年前、自分の実家近くへの転居を申し出た。
ミッシェルの実家も、既に伯爵家の跡取りであるハロルドを産んだミッシェルを迎え入れ、アレックスは用済みと考えたのだろう。
対するアレックス様は、寂しさを紛らわせるならと、転居を許可された。
しかしミッシェ...あの雌ブタは、幼馴染みで、初恋の男とこんな事を...
「あの...直ぐに追い出しますので」
男は立ち上がり、自分の配下を呼ぼうとする。
アレックス様は静かに首を振りながら私を見た。
私の気持ちはアレックス様と同じと言う事か。
「家族全員で過ごす最後の晩餐になるでしょうから、楽しませて上げて下さい」
「いや...ですが」
「一切の手出しは無用に願います。
決して功を焦り、先走った行動に出ないよう」
「...わ...分かりました」
「では行きなさい」
「は...はい」
男はふらつきながら部下を連れ、姿を消した。
アレックス様は黙ったまま腕を組み、動かない。
心の中に様々な感情が渦巻いているのだろう。
「...ミッシェルの実家は」
ポツリとアレックス様が呟かれた。
何を言おうとしているか、もちろん私は直ぐ分かった。
「全て知っております」
「...そうか」
悲し過ぎる事実。
娘の不貞を知りながら、見過ごす実家。
許される事では無い。
「あの者達に如何様な罰を?」
アレックス様の考えを聞きたい。
私にも一応のプランは有るが、やりすぎは禁物。
腐りきっても雌ブタはアレックス様の妻。
妻に不貞を働かれ、私怨で一族を皆殺にしたとあれば、アレックス様の名声が更に傷つく。
「罰か...」
静かに目を瞑られ、何やら考えておられるアレックス様。
「来月から振り込みを止める様に」
「分かりました」
アレックス様は毎月振り込んでいた生活費の差し止めを命じられた。
随分と放蕩な生活をしてきたみたいだから、雌ブタは困る事になるかな?
いや、まだミッシェルの実家は金がある。
娘や孫が困窮するとあらば、援助をするだろう。
「ハロルドの徴兵免除取り消しを」
「はい」
アレックス様の子息、ハロルドは18歳。
我が国の男性は15歳から徴兵の対象となる。
実際に徴兵されるかは運次第、しかし三年前から紛争を抱える我が国。
健康な男性なら徴兵されても不思議では無い。
120キロを超える肥満体であっても。
「ミッシェルの実家には?」
「ありのままを伝えよ、あの者達に関わる町の人間全てにだ」
「それは...しかし」
「かまわぬ」
「...畏まりました」
鋭い視線に息を呑む。
異議を唱える事など副官ならば、してはならない事だと分かっているが、これではアレックス様のスキャンダルを皆が知ってしまう事になる。
「俺は利用され、捨てられた。
この国に全てを捧げ、民を国を護ってきた俺をな。
薄汚い奴等によって...」
「は...はい」
アレックス様は多くの民衆から憧れの存在。
彼の存在無くして、我が国の現在は無いとまで言われている。
そんな英雄たるアレックス将軍を貶めた今回の所業...
もうミッシェルの実家に明日は無い。
町を歩けば石を投げつけられ、唾を吐かれるだろう。
助かるには国外にでも逃げるしかない。
もちろん海外に出る許可なんか、出させるものか。
「...何が悪かったのだ」
アレックス様の瞳から流れる一筋の涙。
激しく苦悶されるアレックス様の心中に、私の心までも乱された。
「何が悪かったんだ?
俺は俺なりに妻を...息子の為に...」
「...アレックス様は何も悪くありません」
「そんな筈は無い!
妻は醜く変わり果て、息子までもあの様な...」
「...ブタ」
しまった、心の声が!
「...そうだな...あれは豚の親子だ」
私の失言を咎めること無く、アレックス様は呟く。
ブタ親子の以前はどんな姿だったか、詳しく知りたくもない。
「あの男が...初恋のあいつが...忘れられなかったのか?」
「...それは」
ブタとあの男は幼馴染み、恋仲だったのはアレックス様も知っていた。
実家の命でアレックス様との結婚を決められ、男と別れる事になったのは、僅かに同情すべき点かもしれない。
しかし、嫌なら拒否すれば良かったのだ!
本当に好きなら、あの男と手を取り、どこにでも逃げれば、そうすれば...
私だって初恋は実らなかった。
しかし、今となってはアレックス様と出会えた幸せの方が...
「カリーナ?」
「も...申し訳ございません」
私が呆けてしまうなど、あり得ない失態。
しかし、それだけアレックス様が愛しいのだから仕方ない。
気持ちを切り替え、話を続けよう。
「あの男の事ですが」
「あの男?」
「先程アレックス様の元家族と食事を共にしていた男です」
次はあの男に対する処罰だ。
雌ブタがアレックス様の妻と知りつつ、幼馴染みで、初恋だからと密会していたのだ。
調べてみたら、とんでもないクズだったが。
「ああ...なんと言ったかな?」
「...マンフです」
脳裏にはニヤニヤとした笑みを浮かべ、雌ブタにすり寄るマンフの姿が頭に甦り吐き気がした。
「マンフの元妻は生きてます」
「何だと?」
アレックス様は妻が昔の恋人と密会しているとしか聞いて無い。
しかし、私は調べ上げた。
軍の諜報機関を使い、徹底的にだ。
そして、遂に掴んだのだマンフの正体を。
「マンフの妻は死んで等おりません。
数年前に商売に失敗したマンフは妻と別れ、三年前に生まれ故郷の町に戻って来たのです。
あと、マンフに娘は居ません」
「だとしたら、先程マンフと居た娘は?」
「マンフの情婦です」
「...バカな」
アレックス様は絶句された。
自分の子供くらい離れた愛人を娘と偽り、密会に同席させていた。
もはや正気の沙汰で無い。
「なぜそんな事を?」
「.......」
アレックス様の質問に答えられない。
調査結果は全て頭に叩き込んだ。
しかし、これは...
「答えよ」
「は...はい」
意を決し、腹を括る。
またアレックス様を傷つけてしまう事になるだろう。
しかし、私が居る。
私が支えるから大丈夫だ!
だからアレックス様も現実に向き合うと決めたに違いない。
「...ハロルド様を落とす為です」
「あの馬鹿が...」
女を使い、金だけでなく、全てを毟り取る。
既にハロルドはマンフの情婦によって骨抜きにされていた。
「マンフと女は直ぐに捕らえよ。
軍の...そうだな内偵機関に頼もう。
全部吐かせるのだ」
「...は」
内偵機関。
別名、自供機関。
彼等に引き渡された人間は全てを自白する。
例え、どんな優れたスパイであっても。
そして、聞き終えた人間は全員処分されるのだ、一切の例外なく。
「以上だ、ミッシェ...女とその息子はマンフの自供と、女の実家が終わるまで捨て置け」
「畏まりました」
アレックス様に躊躇いは無い。
命令は速やかに実行された。
そして1ヶ月が過ぎた。
マンフと女は全てを自供した。
ミッシェルを落とし、アレックス様の財産を全て奪うつもりだった事。
ハロルドに女をあてがい、その身体を使って、妻に迎えさせ伯爵家を乗っとるつもりだった事を。
二人は死罪と決まったが、刑は執行されなかった。
取り調べの最中、既に命を落としてしまっていたのだ。
ミッシェルの実家は更に悲惨だった。
屋敷は毎日の様に投石に遭った。
被害を訴えるミッシェルの実家だったが、誰も手を差しのべなかった。
親族にも見捨てられ、最後は屋敷の中で飢え死にしているのが見つかったそうだ。
更に2ヶ月が過ぎたある日、私はアレックス様の執務室へ向かった。
「アレックス様」
「なにかな?」
「女が来ております」
「...来たか、応接室に通せ」
アレックス様の執務室に女の到着を告げる。
静かに立ち上がるアレックス様は、ゆっくりと応接室に向かった。
「...アレックス」
「お前に名を呼ばれる筋合いは無い」
応接室に入るアレックス様の姿を見た女。
すっかり窶れ、別人の様で額の文字が惨めだ。
ここまで歩いて来たのだろうか?
傷だらけの足は裸足だった。
「そんな...私達は夫婦でしょ?」
「元夫婦だ」
既に離婚は成立している。
そこに女の同意など必要は無かった。
「...私が愚かでした」
「今更だ」
冷たい瞳のままのアレックス様。
言葉に一切の感情が無い。
アレックス様は元妻であるミッシェルから、全てを奪った。
金、実家、男、そして息子も...
「...ハロルドだけは、せめて後方勤務に」
掠れた声で訴える女。
息子は徴兵を拒否し逃走を図ったが、忽ち衛兵に捕まり、連行された。
「役に立たなかった」
「え?」
「あんな男...何の役にも立たなかった」
初めてアレックス様の言葉に感情が宿る。
しかし辛そうで、見ていられない。
「貴女の息子は新兵の教練中何度も逃げ出しました。
現在は軍の精神病棟に」
「アアアァァ!」
あの息子は『俺はアレックス将軍の嫡子だ、貴様等は父上に言って処刑してやる!』
何度も喚き散らし、無視されると、泣き出すを繰り返した。
現在はベッドに拘束されている。
体内からは薬物も検出された。
どうやら以前から乱用していた様だ。
「俺はやり直す」
「アレックス私は...」
「我が名を呼ぶな!」
「ヒェッ!」
怒りを露にさせたアレックス様は女を睨み付ける。
腰が抜け、気絶した女は水溜まりを床に作った。
「連れていけ」
「は!」
アレックス様の命を受け、数名の兵士が女を応接室から引き摺り出す。
このまま、外に投げ捨てるのだ。
女の額に彫られた[不義]の文字。
それは兵士の妻が不貞を働いた証。
女の後ろ姿をアレックス様は静かに見送った。
「こうしなければ...戦争で命を懸ける兵士達の居場所を奪った奴等を赦す事など、あってならないのだ...」
呻くように呟くアレックス様の背中をそっと抱き締める。
「大丈夫です、今度こそ幸せになりましょう。
私と一緒に....」
震えるアレックス様は静かに頷いた。