元勇者、山から降りる
今から数百年前、勇者と呼ばれた男がいた。勇者の名に相応しいだけの強さと優しさ、勇気を持っており、その当時人類を脅かしていた沢山の魔族、そして彼らの親玉である魔王をも打ち破ったという。
しかし、あるときを境に勇者はふと姿を消した。それ以来勇者の姿を見たと言うものは誰一人としていない…………
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「……ふぅ……」
切り立った崖や急激な流れの谷、道と呼べる道すらないような険しい山の中で、白い和服を着た少年ー勇者ーは朝日と共に目を覚ます。もうどれ程の間ここで過ごしたかわからないほどの長い期間を、勇者は山の中で過ごしていた。
(まあ新しい一日が始まるのか……とは言っても、毎日毎日座禅を組んで座っているだけなんだが)
立ち上がった勇者は東の方角を向く。こうして朝日を眺めていると、世捨て人のようになる以前の日々を思い出すのだ。
(人を助けても結局人と魔族に何も違いは無かった。どちらも結局他者から何かを奪う。それに呆れて世捨て人になったが……久しぶりに人に会いたくなってきた)
そう思った勇者は、普段身につけている服と武器一式を持って、木に登った。
「東に行けば小さな村、北へ行けば大きな街、か。確かアイツは北の街で学院を運営していたはずだな。行ってみるか」
こうして勇者は、数百年ぶりに人の世界へ足を踏み出した。
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ヘリヤル剣術・魔術学院、学院長室。ロット・スタル学院長は、椅子に座って外を眺めていた。眼下の運動場では剣術科の生徒たちが剣を振るい、模擬戦を行っているのが見える。
「……よぉ、久しぶりだなロット」
不意に後ろから、よく知っている声がかかる。二百年程前に知り合った、かつて勇者と呼ばれていた少年の声だ。振り返ると、出会った頃と変わらず十五歳ほどの姿のままの少年の姿があった。
「レイか。君から私の方ににくるとは珍しいね。何かあったかい?」
「久しぶりに学院に通ってみたくなったからな。入れさせてくれないか?」
「……ああ、そういうことか。それは構わない。私の方から推薦入学させておこう」
要件の内容に多少面食らいながら、スタルは答える。『世界滅亡の危機の知らせ』か、もしくは「今夜飲みに行こうぜ」といった遊びへの誘いだと思っていたのだ。
「それはありがたいな。じゃあよろしく頼むぜ。制服なんかはまた一週間後くらいに取りに来る」
「分かった。それまでに普段着なども用意しておこう。流石にその格好では悪目立ちするからな」
「おう、よろしくな」
そう言って少年は姿を掻き消した。相変わらずの馬鹿げたスピードに呆れながら、スタルは『推薦入学 書類』と書かれたプリントを取り出し、色々と書き込み始めた。