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夜会を終えて三日目の朝、朝食の後に息子に呼び止められた。イーサンは急ぎの仕事があるのか朝食を共にせず、娘たちはすでに部屋へ戻っている。
「母上、なにかあったのですか?」
「え?なんのこと?」
息子が少し心配そうに見上げてくる。反抗期に入った息子は口数が減り、話しかけてくることも少なくなったので珍しいことだ。
「今朝、執務に行かれる前の父上にお会いしたのですが、母上のことを心配なさっていました。様子がおかしいと。心当たりがないかと聞かれたのです」
昨夜の夜会のことだろうか。確かに自分でも喋り過ぎてしまったように思う。止められなかったのだ。
優しい夫に心配をかけてしまったが、惚れ薬の効果は今日でおしまいだ。明日以降は少し落ち着くだろう。
「なにもありませんよ。昨日は夜会でいつもよりたくさんの人とお話しする機会があったので、いつもと違って見えたのかもしれません。あなたも心配してくれてありがとう」
「いえ、なにもないのなら別に良いのです」
ほんの少し照れた息子が可愛らしく、頭を撫でて抱きしめようとしたら、スルリと腕から逃げられてしまった。
これだから反抗期は。
♢
今日はソフィアの実家領地の隣を治めている侯爵夫妻との昼食会だ。久々に王都に出てきたので、と面会の申し入れがあったのだ。
ソフィアはこの侯爵が苦手だった。領地が隣で父と同世代であることもあり、幼い頃から交流はあったものの、不躾な物言いと尊大な態度が嫌だったのだ。
しかし実家の爵位では相手の方が上だ。渋々面会を受け入れた。
「妃殿下におかれましてはお変わりなく」
「ご無沙汰しております。変わりありませんわ」
昼食会は表面上、和やかに進んだ。領地の話が主で、今年の作物の出来や輸出入の推移を聞いた。
侯爵家には息子と娘が一人ずつおり、娘はソフィアよりも5歳ほど下で、イーサンの婚約者探しの王宮でのお茶会にも共に参加したことがある。その後、嫁いだと聞いていた。息子は侯爵家を継ぐようだ。
「王子殿下や王女殿下方はいかがお過ごしですか?田舎にいると王族の皆様のご様子がなかなか聞こえてこないのです」
食事が一通り済んだところで、侯爵が切り出してきた。
来た。王子の縁組の話だろうか。侯爵の孫娘が息子と同世代の可能性はある。
「おかげさまでみな元気にしておりますわ。楽しく学校に通っておりますし、王子は少しずつ公務にも出席させるようにしていますの」
「それは良かった。我々は妃殿下が幼い頃からの仲です。家族ぐるみと言ってもいい。王子殿下や王女殿下方は親戚の子どものような気になっているのですよ」
ソフィアはなにも言わず苦笑すると、侯爵は身を乗り出して続けた。
「ただ、お子さまが三人で、その内、王子はお一人でしょう。心配ではありませんか?」
「それは…、どういった意味です?」
「王位継承権のある王族は一人でも多い方がリスクを減らせると思うのです」
この国の王位継承権は男女の優劣なく、長子優先だ。そのため、イーサンの次の王太子は息子だし、もしも息子が王位継承から外れる場合には次は上の娘だ。
「私たちの子どもは三人もおりますし、殿下のご弟妹の王子王女様方もたくさんおります。現在、王位継承に不安は少ないように思いますが?それとも私たちの子どもの万が一のことをご心配くださっているのかしら?」
王子たちの万が一の場合を匂わすなど不謹慎だろうと言外に示したつもりだったが、侯爵は悪びれずに続けた。
「何事も不安要素を減らしておくというのは国を運営する上で重要だと思うのです。もちろん王子殿下に万が一なんてあってはなりませんが、可能性はゼロではありません。王女殿下もいらっしゃいますが、まだまだ男子が王位を継ぐべきと考える貴族は少なくないものです」
ソフィアは話を聞くのが面倒になってきた。王子の縁談目的ならさっさとはっきり言えばいいものを。ソフィアは心を落ち着かせるためお茶を一口飲んだ。
「それで、なにをおっしゃりたいのですか?」
「…恐れながら、妃殿下から殿下に公妾を勧めていただけませんか」
「なんですって!?」
ソフィアは驚愕し、がちゃんと音を立ててカップをソーサーに戻した。完全に王子の縁談だと思っていた。まさかイーサンへの公妾とは。
あまりのことに体が震えてきた。頭に血が上ってきているのがわかる。
「なぜそのような…」
「我が家の娘を覚えていらっしゃいますでしょうか。娘が離縁して嫁ぎ先から戻っておりまして。男の子を3人ももうけました。男子を宿しやすいのです。ぜひ殿下にお仕えさせて頂けないかと」
「妃殿下、母の私から見ても気立ての良い娘なのです。必ず殿下の癒しになることができます」
それまで侯爵の隣でだんまりだった夫人が急に前のめりになって話し始めた。この話が面会の目的だったのか。
ソフィアからイーサンへ話を挙げるのが最も効果的と考えたのだろう。確かに後継者問題がある場合には公妾を検討する必要は出てくるかもしれない。しかしイーサンにはすでに三人の子どもがいるのである。無茶苦茶ではないか。
「なんてことを…、殿下や私への酷い侮辱だと思わないのですか」
「もちろん、妃殿下はこれまで王太子妃として充分やっていらっしゃいました。ただ、ご結婚から十年以上も経っていらっしゃいます。少し息抜きされてはいかがですか?」
「親戚筋に芸術分野を嗜んでいる若い男がおりまして、実は妃殿下に思慕の念を抱いております。美しい男なのです。もし娘を公妾に勧めて頂けるようでしたらその男を妃殿下にご紹介できればと…」
怒りで息が上がり、めまいがしてきた。
この夫婦、イーサンに娘を公妾として召し上げさせ、その代わりに得体の知れない男を私にあてがおうとしている。
イーサンは私のものだ。誰にも渡すつもりはない。それに自分がイーサン以外の男と関係を持つだなんて絶対に嫌だ。絶対に。
「ーーふざけないで!!」
ソフィアは勢いよく立ち上がり、目の前のテーブルを力いっぱい、思いきりひっくり返した。ごとりとテーブルが倒れ、茶器が宙を舞い、お茶やティーポットのお湯がフロアマットを汚す。
侯爵夫人が悲鳴を上げ、侯爵は椅子を倒して立ち上がった。そばに控えていた女官たちも悲鳴を上げ、狼狽えている。
「ありもしない継承問題を捲し立ててイーサンに公妾などと、なにを考えているの!?イーサンは私のもので、私はイーサンのものです!あなたたちのような輩が国を腐らせていくんだわ!」
そこからは大乱闘だった。
ソフィアは侯爵に掴みかかった。侯爵の髪の毛を引っ張ったら鬘が簡単に取れてしまったため、それを開いている窓から外に放り投げた。
侯爵は負けじとソフィアの腕を取ろうとしたが、全く鍛えられていないのが丸わかりの体で、力もない。子供を三人育てている母であるソフィアに勝てるはずもなく、防戦一方だ。鬘が取られて残るわずかな髪がボサボサの頭をソフィアから守っている。
侯爵夫人は夫に襲いかかるソフィアを止めようとドレスを引っ張るものの大きな阻害にはならず、反撃したソフィアからネックレスをひきちぎられた。ソフィアはそれも窓から放り投げた。
「妃殿下がご乱心です!誰か騎士を呼んで!」
女官らはどうにかソフィアを止めようと周りを囲んだがどうにも手出しができないため、応援を要請した。それを聞いたソフィアは、もうどうにでもなれと声を張り上げた。
「もう騎馬隊でも鉄砲隊でも、なんでも呼べばいいわ!!」
騎士団が部屋を制圧したときには、三人とも服は破れ、髪はボサボサ、部屋にはあらゆるものが散乱し、一部は窓から投げ捨てられて庭に散らかっていた。
ソフィアは騎士に連れられて部屋を後にした。