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珍しいお茶が手に入ったので一緒に試してみようとイーサンを誘った。実際、義母である王妃から東方のお茶をもらったのだ。もし惚れ薬が変わった味がする場合、慣れたお茶だと味の変化から気付かれてしまうかもしれないと思ったため、タイミングが良かった。
また、イーサンとソフィアはたびたび、食べたことや飲んだことのない地方の産物や他国の輸入品を一緒に試すことがある。将来国を治める王太子夫婦として、知見を広めるためだ。
そのようなこともあり、イーサンは疑問も持たずに二人だけのお茶会にやってきた。
女官たちから道具を受け取って下がらせ、部屋にはイーサンとソフィアの二人だけになった。間違えて女官に惚れさせるわけにはいかない。
イーサンは比較的リラックスした様子で椅子に腰掛けている。
「このお茶はどこから?」
「王妃さまから頂いたのです。最近は東方からの輸入品も多く国内に入ってきているようで、これは特に港町で流行しているそうですわ。これ、説明書きです」
ソフィアはお茶に付属していた説明書きの紙をイーサンに渡した。イーサンがそれを読み始めたのを確認して彼に背を向け、懐から小瓶を取り出した。
二つ並んだカップの一つに小瓶の中身を素早く垂らした。瓶の色でわからなかったが、薬は透明で、やはり若干とろみがある。それからティーポットで蒸らしておいたお茶をカップにゆっくり注いだ。
「ソフィア」
急に声をかけられてビクッと驚いた。お茶を注ぎ終え、ティーポットを戻して振り返る。
「このお茶は東方のこの地域…この地図のところ、だけでしか育たないんだそうだ。昨年の外遊ではこの辺りは行けなかったな」
イーサンが先ほどの説明書きに描かれている地図を指している。
「そ、そうですわね、行けませんでした。確か陛下たちは外遊で行かれたことがあるはずですよ。ただ、あまり整えられていない道も多いようで行くまでが大変だそうです……お茶が入りましたのでどうぞ」
イーサンがまだ説明書きを読んでいるのでお茶を出そうと後ろを向いたが、トレーを見たところで頭が真っ白になった。
ーー私、どちらのカップに薬を入れた?
カップの中身は両方とも全く同じに見える。
ソフィアは目を閉じて深呼吸した。
ーー落ち着け、どちらに入れたかを思い出すのだ。懐から瓶を取り出して、蓋を開け、確か右側のカップに…、ああ、でも左に入れたかも。
「ソフィア?」
イーサンが訝しげに声をかけてきた。あまり待たせると不審だ。きっと右側だ。そんな気がするし、確率は二分の一だ。
ソフィアはトレーを机に移動させ、右側のカップをイーサンの前に、もう一つのカップを自分の前に置いた。
「お待たせしました、少し変わった香りがしますわ。どうぞ」
イーサンは視線を説明書きに落としたままでまだ読んでいたが、目の前のカップを持ち上げてあっさりと一口飲んだ。
ーーイーサン、私を見て!!
「…うん、いつものものよりも少し酸味が強く感じるな。ソフィアはどう思う?」
イーサンは視線を上げ、ソフィアを見た。
ソフィアはどきりとして目の前の夫を見つめたが、いつもと同じようにも、なんだか違うようにも見える。薬が効いたのかどうかが分からない。
「ソフィア?」
固まってイーサンを凝視していたソフィアは、はっと我に返り、手の中のカップを持ち上げてお茶を一気に呷った。
飲み込んだ瞬間、自分の失敗に気付いた。
強い酒を飲んだ時のように、喉がカッと熱くなり、そこから熱がじわじわと胸に広がっていく。
「ソフィア?」
カップを机に戻すと、心配そうに再度声をかけてくるイーサンと目があった。
すると鼓動が一気に上がり、ソフィアは思わず胸を押さえた。身体中の毛穴が開いて、汗が滲んでくるような感じがする。手先が熱く汗ばんできたため、ぎゅっと握りしめた。
具合でも悪いのかと、イーサンがソフィアの顔を覗き込んでくる。
その上目遣いがたまらなく可愛い。マリンブルーの瞳は窓からの光を取り込んでキラキラと輝いている。自分の茶色い瞳とは大違いだ。
それに少し寂しくなってきた前髪も愛しい。柔らかそうな産毛は息子が赤ん坊だった頃の頭にそっくりだ。あの産毛を撫で回してキスを落としたい。
かさついているように見える唇は薄く、しかし綺麗な桃色をしている。それを見ていると自分の頬に熱が集まるのを感じた。
「…失礼しました。確かに少し酸味を感じますね」
「どうしたのだ、何か変だぞ、熱でもあるのではないか」
とろんとした目でうっとりと自分を見つめてくる妻に異常を感じ、イーサンはソフィアの額に手を当てた。
ソフィアはたまらなく嬉しくなり、額を包んだイーサンの手に意識を集中した。自分とは違う骨張った手も素晴らしく魅力的だ。
「大丈夫ですわ。一気に飲んでしまったので少し暑くなってしまいました」
イーサンはソフィアの額から手を離すと、また説明書きを読み始めた。ソフィアは離れてしまった手を名残惜しく感じた。
その後、お茶の感想を語り合ったが、ソフィアはよく覚えていない。目の前の夫が魅力的すぎて頭がぼうっとしていたためだ。ソフィアはふわふわとした気分のままお茶会を解散した。
♢
「そ、それで、いま王太子殿下に惚れちゃっているのですか」
二人きりのお茶会の後、ソフィアはすぐにオリヴィアを呼んだ。
事の顛末を話すと、オリヴィアは腹を抱えてひいひいと笑い出したため、いくらなんでも失礼ではないかとソフィアはムッとした。
「そもそも、なぜカップが分からなくなってしまったのですか?」
「ちょっと目を離したら頭から抜けてしまって…よくあるのよね…、お茶に砂糖を何杯入れてたか途中で分からなくなったり、数を数えてて今いくつまで数えたかしら、ということが」
「妃殿下、おっちょこちょいすぎやしません!?」
オリヴィアは涙を浮かべながら机をバンバン叩いて笑っている。
「それで効果はいかがです?」
「抜群だわ。夫の頭を撫で回す衝動を抑えるのに必死だったもの」
ソフィアは飲んだ瞬間の体の変化を思い出した。
「でも効果が劇的すぎるわよ。飲んだ瞬間に効果が出たのが分かったから、あれでは飲まされた人が何かを盛られたことに気付くと思うの。もう少し、効果の立ち上がりを緩やかにした方が良いわ」
「惚れ薬を飲んだ人から感想を聞くなんてことがないので、貴重なご意見ありがとうございます」
これが惚れ薬の効果だと分かっていても、イーサンを好きだという感情に変化はなく、魔術師の作る薬の威力を体感している。まあもともと自分は対象である夫を好きなのだが。
「それで、今後どうします?」
「とりあえず効果が切れるまでの間はこのまま普通に過ごすわ」
「では私は妃殿下の感想を踏まえて、もう少しバレにくいようなものを検討してみます」
その日の夜、ソフィアが夫婦の寝室へ入ると、イーサンはいつもと同じようにくつろいだ格好でベッドで本を読んでいた。こんなに好きな相手と同衾するなどという幸せを享受してバチが当たらないか、ソフィアは不安になった。
「昼は様子がおかしかったが、体調に問題はないのか?」
イーサンが心配して声をかけてくれた。なんて優しいのだろう。ソフィアは出来るだけ普通に聞こえるように声色を抑えた。
「ご心配をおかけしました。問題ありませんわ」
「それなら良かった。早く休め」
ソフィアは布団をめくってイーサンの隣へ入った。心配して声をかけてくれたイーサンだが、それ以上は話しかけてこない。
視線だけでこっそり隣を見ると、疲れた表情で本に目を落としている。夫がこのように本を読んでいるときは話しかけられたくないときだ。そっとしておいた方が良い。
ここのところ、ずっとこんな様子なのだ。自分のなにがいけなかったのだろう。嫌われてしまうようなことをしただろうか。
いつもなら悲しくなって涙が滲んでくるところだが、今日は違った。せっかく大好きな人が夫なのだ。出来るだけ彼の邪魔はしないようにするが、こちらはこちらで楽しませてもらおう。
ソフィアは目の下まで布団を被って思いっきり息を吸い込み、いつもの夫の匂いを堪能しながら眠りについた。