コニー・アイランド・ベイビー
もうすぐ閉演するとしまえんのメリーゴーランド「カルーセル・エルドラド」と、ルー・リードの名曲「コニー・アイランド・ベイビー」から。
それは、どこかの雑誌から切り抜いたセピア色の写真。古いアメリカの、遊園地にある何やら豪華なメリーゴーランドと、その手前に少女が立って手を振っている。私が惹かれたのは少女の方だった。年齢は今の私と同じぐらいか。かわいらしいがやや不機嫌そうで、それでも微笑している。私もこんな表情ができないものかと、鏡の前でやってみたが、似てもいない。私が無理に微笑むと、何やら卑屈な少女みたいになってしまう。
私はその写真を定期入れに入れて、学校にいる時もたまに見ていた。もちろん友達に何か訊かれると困るので、一人になった時にこっそり見ている。家でも枕元に置いて眠った。まるでお守りのようで、その少女は自分にとって女神のようなものだった。
学校はつまらなかった。あと一年以上もあるのに、どの授業でも受験の話ばかりだった。将来役にも立たない勉強なんて人生に何の意味があるのか。その疑問を親にぶつけても、親は進学のためだとか、そういうシステムなんだからしかたがないと、笑ってごまかすだけだった。それを分かっていて変えようともしない大人とも話す気が失せた。
友達も世の中に疑問を持っている人があまりいなくて、とにかくみんなと仲良くうまくやることに労力をかけていた。私は嫌気がさしていたが、そんな時にも、その少女の写真を見ていた。
私が間違えているのだろうか? 夜中に目が覚めると、ふとそんなことを思う。自分が世の中でたった一人のようで。時々底知れず寂しい。でもこの少女なら、そんな自分でも許してくれる気がする。この少女もきっと世の中が嫌で、それでもどうにか笑って手を振って生きろと教えてくれているのだ。
ある日、友達に誘われて遊園地に行くことになった。東京の練馬区にある遊園地で、あることは知っていたが、行ったことはなかった。友達数名と電車を乗り継ぎ、駅に着いたら、そこはもう遊園地の入口だった。
中に入ってしばらく歩くと、私は驚いた。あの写真と同じメリーゴーランドがそこにあったのだ。それは複雑に回転していて、電飾が豪華で、まるで芸術品だと思った。何より、写真の中から現実に出てきた不思議に打たれていた。
私が呆然と見とれていると、友達が声をかけてきた。
「どしたの?」
「あのメリーゴーランド……すごい」
「えー? 知らなかったの、あれ有名じゃん。でもあれただ回るだけだよ。それより絶叫マシン行こうよ」
私はあのメリーゴーランドに乗りたかったが、友達に引きずられるように絶叫マシンの方に連れていかれてしまった。あとで絶対、一人ででも乗ろうと思った。
絶叫マシンをいくつか乗って、休んでいるところ、私は一人友達と離れて、メリーゴーランドまで戻ってきた。しばらくその場に立って、不思議な回転を見ていた。一番外と、二番目と、一番内側で回転速度が違う。それで複雑に見えるのだ。確かに、馬が上下動などしないので、回っているだけといえばそうだった。でも、全体を見ると装飾も凝っていて美しい。乗り口に行こうと思った時、同じように立ってメリーゴーランドを見ている少女がいて、その顔を見て驚いた。写真と同じ少女だった。あまりに驚いてしまい、声を上げてしまった。すると少女がこっちを見た。そしてこちらに近づいていた。何か話しかけてきたが、英語で聞き取れない。私は知ってる限りの英語で、私はあなたを知っている、というようなことを言い、そして定期入れの写真を見せた。今度はその少女が驚いた。
「これは、私の祖母よ!」
そんなことを言った。何となく聞き取れた話では、この写真は昔のコニーアイランドにあった遊園地で、写真に写っているメリーゴーランドは、今目の前にあるものと同じものだという。遊園地が閉園する時に解体され、日本の業者に引き取られ、ここに設置された。
私達は目を見合わせ、少女はおもむろに私の手を引いて、メリーゴーランドの入口に連れて行った。私達は一緒に馬車に乗った。
電飾に囲まれた回転、豪華な馬車。馬もいれば豚までいる。動物達の表情は豊かだった。速度の違う回転の中で、飛び回る電飾に囲まれているようで、私は今までに、こんなに美しい乗り物に、乗ったことはなかった。そして隣には、私を見守ってくれていた少女がいる。私は涙がこぼれてきた。時間は長くはなかったが、夢のようだった。回転が止まって、私達は手をつないで降りた。少女は自分の名前と住所を書いて教えてくれた。ニューヨーク近郊に住んでいて、名前はジェーンと言った。私は必ず手紙を書くと言って別れた。
友達のところに戻ると、非難を浴びた。
「どこまで行ってたのー? 日が暮れちゃうぞ」
「ごめん、ちょっと迷ってた」
「あーやっぱり。そんなことだと思ったよ」
そう言って友達は笑った。
辞書を引きながら、ジェーンに英語で手紙を出したら、十数日で返事が来て、日常のことなどが書いてあった。ボーイフレンドとアメリカンフットボールを見に行ったそうで、応援しているチームのことがいろいろ書いてあったが、私にはよく分からなかったし、アメリカンフットボールにはあまり興味もなかった。文通は何度か続いた。
写真は……もう定期入れに入れていない。どういうわけか、写真の魅力が日に日に消えていくみたいだった。実在のジェーンと重なるからかもしれない。それはもう女神ではなかった。
ただ、鏡を見たら、私も妙な笑い方ができるようになっていた。
あれから何年も経ち、この夏で、あのメリーゴーランドがある遊園地が閉園してしまうという。メリーゴーランドは歴史のあるものだから、廃棄はないだろうけど、行き先はまだ決まっていない。メリーゴーランドの名前は「カルーセル・エルドラド」という。