第1話 上陸
えびはおいしい
「死ぬかと思ったね……」
「死ぬかと思った……」
先程まで隠れて無断乗船していた貨物船から、これまた隠れて抜け出して、二人の若者は3日ぶりに地面に足を下ろした。
ただでさえ不意な揺れが生じやすい船旅だというのに、急な暴風雨に巻き込まれては疲労感は倍増どころの騒ぎではない。
しかも、悪天候のため急遽目的地を変更した上に、乗客でも何でもない彼等にはまず、ここがどこなのか知る由もないのであった。
「でもラウフデルからやっと抜け出せたんだよ!もうあの教会にも施設にも帰らなくていいんだよ、ねえギウス!やったね!」
赤髪を高めの位置で結わえた小柄な少女が飛び跳ねながら傍らの少年に話しかける。
「セエラ、それよりここの地名くらいは把握しといた方がいいんじゃないか?どう振る舞うにしろ、ここに最初から来るつもりだったということにしておかないとまずいだろ」
ギウスと呼ばれた黒い短髪の少年は少女を窘めるように声を潜めながら周囲を見回した。
小さな港の周辺は漁船や魚市場で賑わっていた。
少し離れた場所にはなだらかな山々がそびえているのが見える。
「それなりに人がいるから普通に歩いてたらバレないと思うし、奥の方に街があるか見に行こうよ」
「ああ、でも変に目立つことするなよ」
セエラの提案にはギウスも反対する理由は特になかった。賑わっているとはいえ、彼らの故郷であるラウフデルほどの巨大都市ではない。
それを言ってしまえば、アレイルスェン教の聖都であるラウフデルほどの規模の都市は世界広しとてなかなかないのだが。
それはそうと、中小規模の都市の片隅で見慣れぬ少年少女が長くとどまっても良いことなど特にない。
なぜならーー
「お嬢ちゃん!とれたてのエビだよ!今ここでゆでたやつ!おいしいよ!ひとつどうだい?」
「えっいいの!?ありがとうお兄さん!」
「お兄さんだなんて気ィ遣わなくていいんだよこんなオッサンに!ほらボウズも食いな!」
「あっ……いただきます……!お代は……」
歩いているだけでも気のいい現地の人達が食べ物を勧めてくれるからである。
「念のため持ってきた通貨が使えるみたいだね」
セエラがギウスに耳打ちする。
アレイルスェン教は今や経済をも手中に収めつつあり、教会発行の通貨は世界でも一定の価値を認められ流通しているが、もちろんそれが適用されない地域もある。
「先生のアドバイス通りだね、ギウス」
「あの先生何者だよ」
先生というのは、二人が暮らしていたアレイルスェン教会内で運営されている、孤児等を対象とした福祉施設に定期的に往診に来る医師、アイフレンド氏である。
医師としては年若いがその腕は確かで、教会内でも専用の研究室が与えられる等、一目置かれる存在であるようだ。
そして、二人の逃避行を手引きした人物である。
アイフレンド医師の故郷であるアイルマセリア行きの客船……ではなく、アイルマセリアを経由する貨物船で人目の少ない時間帯に到着し、医師の知人に数日匿ってもらい、アレイルスェン教があまり普及していない街に向かう手筈だったのだ。
その旅の道中での不測の事態に備え、数種類の通貨を持たされていたのだった。
「今使ったのってどれだ?」
「エビなら8リガーだよ」
「リガー!?」
「エビひとつでそんな驚く?ギウスってお金には細かいもんね」
「いや、そうじゃなくて」
リガーという名の通貨。
それが何を意味するか。
それがどの地域で流通しているか。
アレイルスェン教会で育った二人が決して使う機会のなかった通貨。
ここは教会通貨が使われない地域。
「スードリーガ……」
それがこの地域の名前。
かつて教会に蹂躙された国。
マートリーガ大陸の海の玄関口。
そしてーーーーもうひとつ。
二人に近付く影が不意に声を出した。
「お前達」
二人が振り向くのも待たず、その声は少し上から注がれる。
「どこから来た?」
スードリーガ。唯一アレイルスェン教会と渡り合えるほどの軍事力を誇る国。
出逢ってしまった話