第31話 翼なき者達
飛べないんだ。
「ほら早く帰るぞ」
「……」
それは紛れもなく、スードリーガでセエラを裏切り、正体をフィナに暴露し、そして命を奪おうとした人物である。
「ギウスもどこにいたの!先生とーっても心配してたんだからね!」
駆け寄ろうとするシアンの腕をセエラは無言で引っ張る。
「セエラ?どうかしたの?」
「ああシアン、気にしなくていい。色々疲れてるんだ」
ギウスは溜息混じりに淡々とした口調で話しながら、一歩一歩近付いてくる。
その声色に殺意は表れていない。スードリーガで見たあの敵意に満ちた目もセエラには向けられていない。そもそも両手に何も持っていない。
数日前のあれは何だったんだろう?
確か、ものすごく罵られたし、今にもナイフで喉元を掻き切られそうだった筈なのだが。
それともあれはギウスの勘違いか何かで、今ここで和解できるんだろうか?
唯一の友達を失うなんて、そんなことは悪い夢だったのかもしれない。
そう思い、セエラはちらりとギウスの目をもう一度見る。
その目に殺意は全く籠っていない。
だけど。
「シアン、駄目。話も聞かないで」
シアンに耳打ちする。
何かが違う。自分の方を全く向いていない。その目はシアンにしか向けられていない。
自分への感情が全く読めない。
そんな不気味さをセエラは感じ取った。
「セエラ、どういうこと?ほんとどうしたの?」
「ラウフデルからの抜け道を見つけたんだよ。でも外は広すぎて……ほんっと疲れた」
ギウスがいつもの飾り気のない口調で続けながら歩いて来る。
「そうなの?すごいね!いいなあ、次はわたしも連れていってよセエラ!」
「今も街の中、竜巻の後だからゴタゴタしてるだろ?今のうちにちょっと外出てみないか、シアン」
「えっいいの?ギウスがそんなこと言うの珍しいね!三人で出掛けるなんて、こーんなちっちゃい時に脱走した時以来じゃない?」
「シアン、あそこ見えるか?あっちだ。ほら見てみろよ」
「触らないで」
自分でも驚くくらい低い声でセエラはギウスにそう告げた。
「シアンに触らないで。私にももう関わらないで」
シアンは目をぱちくりさせ、セエラとギウスの顔を交互に見ている。
ギウスはまた大きく溜息を吐く。
「あのなあ」
「裏切ったのはこの女だぞ」
「殺そうとしてきたのはあなたじゃない」
「こいつはいずれお前の身に危険が及ぶと知っていたんだ」
「私の身に及んだ危険はだいたいあなたのせいなんだけど」
「スードリーガ軍を教会にけしかけたのはこいつだ」
「今確信した。やっぱりあなたが仕組んだ海戦なんだね」
「どれだけの犠牲が出たと思ってるんだ?お前の大事な大事な友達が、騎士達が海に沈んでいったのを見た」
「あなたのお仲間のスードリーガ軍もね。あなた何者?目的は何?何のために軍ひとつ動かしたの?」
「シアン、こいつの話を聞くな」
「ギウス、他のスードリーガ軍は?」
「こいつは嘘しか言わない」
「あなたシアンに嘘を吐くの?」
「離れろ、こっちに来い」
「離れて、来ないで」
瞬きも息継ぎもできないくらいのスピードでの応酬が目の前で繰り広げられ、シアンは固まっている。
その時。
路地から大勢の足音が聞こえ、シアンは振り向く。
「エルシアニー様!こちらにいらっしゃいましたか!」
「今がどんな時かお分かりですか!早くお戻りください!」
数名の騎士が走り寄ってくる。
「あっ、行方不明の子供もいるぞ!」
「児童一名確保、保護しました!」
ギウスもまた騎士に取り囲まれる。
「えっセエラ……?」
シアンの側に、もうセエラはいない。
「また逃げやがったか……」
ギウスは忌々しそうに呟く。
「まって!今ここにセエラがいたの!」
「エルシアニー様、お控えください。トリエス主宰がお待ちですよ」
「リディセエーラ様?どこにも姿が見えませんが……」
「お戯れを。今は本当に大変な時なのですよ、エルシアニー様」
教会騎士に窘められながらシアンは教会に連れ戻される。
「セエラ……セエラどこ!?」
「シアン……」
ギウスも同じように、行方不明の児童として教会に連れて行かれる。
「いやだ!はなして!セエラを捜さなきゃいけないの!セエラ!どこにいるの!返事してってば!セエラ!」
目の前で喚くシアンが早々に騎士達によって馬車に押し込まれ遠ざかっていく様子を見て、ギウスは呆然と立ち尽くす。
「怪我はないか?歩けるな?」
「施設の先生が診てくれるからな、もう少しの辛抱だ」
横から聞こえる騎士達の声は、ギウスの頭には全く入っていなかった。
シアン。
太陽のように明るいシアン。
俺達をいつも光の方へ引っ張っていってくれるシアン。
誰にでも優しいシアン。
ずっとその笑顔を見ていたかった。
見ているだけで幸せだった。
自分自身のルーツが握り潰されて何もわからなくても、シアンがそこにいるだけで、シアンの友達のギウスになれた。
シアンの存在が俺を照らして、一人の人間にしてくれた。
もうそれだけで、俺は幸せだ。幸せだ。幸せだったんだ。
気付いてしまうまでは。
いつも最初に話しかけられるのはあいつ。
いつも最後に笑いかけられるのはあいつ。
あいつにも俺や他の子供達と同じように接しているけど、シアンにとっての特別はあいつなんだ。
誰にでも平等なら納得できた。
みんな同じなら何も求めないままの俺でいられた。
でも、シアンにとっても特別な人間がいる。
暗くて陰気でいつも一人でいるのを気にかけているのかもしれないと、あいつに俺から何度も話しかけた。
あいつとシアンが二人になるのが嫌で、そうなるくらいならあいつと二人で過ごした。
見た目通り面白くない奴で、思った以上にどうしてシアンの関心を引くのかわからなかった。
なんだよ、妹とか。知るかよ。
シアンはみんなの姉だからいい。でもあいつは違うだろ。何でもないし、何もできないだろ。
親がいるのに施設で暮らして、俺のこと内心憐れんでたんだろ。その他大勢だと思ってただろ。
親が近くにいて、シアンの特別で。何もできなくても自分が一人の人間であることに疑いなんかなかっただろ。
目障りだ。あいつがこの世に存在していること自体が目障りなんだ。あいつが生きているだけで、シアンがあいつの名を呼んでしまう。
みんなにじゃなくて、誰かに笑いかけてしまえるのなら。シアンにそれができるのなら。
こんなこと知りたくもなかった。そんな顔見たくなかった。
それなら俺が、その笑顔の正面に立ちたい。
君の放つ光と熱に焼き殺されたって良いんだ。
例えば、俺があの裏切り者からシアンを守る唯一の騎士なら。
例えば、動乱の中、シアンとふたりきりでどこか遠くに逃げ切ったら。
例えば、あいつを目の前で殺したら。
例えば、遠い場所で死んだあいつの遺品を持ち帰ったら。
例えば、戦争の引き金を引いて軍事力を用いてあいつを抹殺したら。
例えば、あいつからシアンへの遺言を聞き出せたら。
例えば、何でもいいからあいつの死因を作ったら。
例えば、不倶戴天の敵としてシアンの前に立ちはだかったら。
そしたらシアン、俺が君の特別になれる?
シアン。
シアン。
シアン。
俺のこと見て。
ギウス、嘘が下手だね。




