第25話 ハバネラ
船乗りの音楽
「なんで、あなたが」
それだけは言葉にできたが、そこからは涙と混乱が合わさって声にすらなっていなかった。
辛いときに彼のことを思い出せる、それだけでよかった。それ以上の接触など望んではいなかったし、すべきでもないと思っていた相手が今、目の前にいて、二度も助けられた。
心身ともに疲れきったセエラの頭ではそんな状況を処理しきれず、必死に何かを言おうとするも何もまとまらず、ひたすら嗚咽していた。
「うわ最低。クロスタ、泣かせてんじゃないわよ」
「俺が泣かせた訳ではない」
「出会い頭に怒鳴ってたじゃない」
後方から、若草色の髪の女性が現れる。
「きえるざん、どうじで……わだじ……」
「喋る前に鼻かみなさい。ほら涙も拭いて。みんないるから」
キエルの後ろには、スードリーガの溜まり場で出会った人々がいた。
「なんだいお前ら!勝手に人の船に乗ってきて!」
「何って、海戦に巻き込まれたから保護してほしいんだけど?さっき乗り移った時もあなたたち止めなかったじゃない。今更何言ってるのよ。あっ荷物ここに置いていいのかしら」
「ここは移民船じゃないんだよ!ていうかさっきって、ほんとにさっきかい!?なんか不自然に揺れたとは思ったけど、あんたらなんで止めなかったんだい!」
「いやなんか普通に挨拶して乗り込んできたからお頭の知り合いかなって」
「んな訳ないだろうが!」
「お嬢ちゃん」
「おばあさん!」
そこには老婦人の姿もあった。
「おばあさん、あの、これ……」
「飛竜がたくさん吹き飛ばされているのを見て、ああここにお嬢ちゃんがいるんだってわかったんだよ。無事でよかった」
「ありがとう……ありがとうございます……これ返します……ひっく」
「ちょっとセエラ!それあたいらに渡すって約束だったじゃないか!破るのかい!?殺すよ!」
「奥さんもしかして、ああ本物だ……!長老の奥方……!よくぞご無事で!」
「あっあんたはうちの一族の若いのじゃないか!生きてたんだね!」
「俺のこと覚えてるんですか!?」
「当たり前じゃないか、大事な家族なんだから」
「それはそうと君、いつまでセエラにくっついてるの?」
ラディがどこからか現れて、セエラとクロスタの間に割って入った。
「くっついてなどいない。一切くっついていない」
「変なこと言わないでよラディ!クロスタは、クロスタは助けてくれたんだから……うぅっ……ぐすぐす」
「へえ、あなたラディって言うの。珍奇な格好してるわね」
「お姉さんこそ一度見たら忘れられないような頭の色してるね、どうぞよろしく」
「お前らここは同窓会でも懇親会でもないんだよ!!!!!!」
デニアが怒鳴るが、老婦人の他にもスードリーガで差別されていた人々の中に海賊達と同郷の人が何人かいたようで、それぞれに再会を喜んでいて収拾がつかない。
「俺から説明させてもらう」
見かねてクロスタが口を開いた。
「セエラが去った後間もなく『何者か』が軍上層部に口添えしたようで『スパイを送り込んだことへの報復をすぐに開始するべきだ』との強硬派の決定が採択された。進軍と同時に、国内での被差別民族や障害者への迫害も一気に激化した。今まではせいぜい物を売らない、暴言を吐くといった範囲だったが、直接的な暴力が各所で発生し、とても俺一人の根回しで対処しきれないほどに。だから、乗れるだけ乗ってきた」
クロスタが指差す先には、古い小型の貨物船が浮いていた。
「できるだけ民間船を装い戦場を避けてきたが、海戦も予想以上に泥沼になっていたからな。それからは、その婦人が言った通りだ」
「スードリーガは、もう平和じゃないの……?」
セエラの問いにクロスタは眉をひそめる。
「お前の言う平和が何を指しているのかによる。少なくとも、スードリーガで一般的なこの髪色で、かつ教会への敵対心が強い人間にとっては、仲間と一致団結し絆を実感できる機会だろう」
「フィナは?……ギウスは?」
「フィナは技師の仕事がある。軍にとっては欠かせない人材だ。お前の連れは」
クロスタは躊躇うように一瞬息を止める。
「確かな情報がない」
セエラは目線を落とす。切り傷の痛みを思い出した。あの時の彼の声と表情と、教会で共に過ごした日々が交互に脳裏をよぎる。
「あなたがいなくなるのって、結構なおおごとじゃないの?」
「この状況では大差ない」
よくもまあ、行き先もないのに大胆な判断をしたものだとセエラは思う。最も、セエラが言えた話ではないのだが。
「おい、何だあれは!?」
海の様子を窺っていたヤシューが大声を上げる。その場にいた全員が目を向けると、水面から巨大な柱のようなものがせり立つのが見える。
「あれは……サメ……!?」
仲間を殺された怒りだろうか。見たこともない巨大なサメが突如現れ、水面が激しく揺れる。
仮に、キング・オブ・サメと名付けよう。
キングは怒りの咆哮を上げ、暴れ回る。その激しい動きは波どころか竜巻を発生させた!いくら大きいからと言って、普通のサメにはそんなことは不可能だ。しかし、きっと神のいた時代から生きていたであろうキングには、それくらいのことが可能なのだ!
撤退していくはずの両軍を巻き込んだその竜巻は、セエラ達の乗るレディ・ヴァルモント号に接近している。
悲鳴や絶叫が聞こえるが、立つこともままならない突風で誰がどこにいるか全くわからない!
そのまま、レディ・ヴァルモント号は巻き込まれ、他の船と同時に天高く舞い上がった。
そのままセエラの意識は途切れ--
…………!!
……ラ……!
「セエラ!!」
目を開けると、先程まで近くにいた人間が一人だけ側にいた。
「クロスタ……?クロスタ!?」
セエラは飛び起き周囲を確認するが、他に誰かがいる気配もない。
「どこが痛む」
「全身痛い!でも歩けないってほどじゃない……他の皆は?」
「俺が目を開けた時にはもういなかった。他の場所に飛ばされたのかもしれない」
「ええ……大丈夫かなあ……しかもここどこなの……」
見渡す限り荒野が広がり、人気どころか文明すらないように見える。
ふと、自分の真後ろを振り替えると、セエラは目を見開き、そして膝から崩れ落ちた。
「そんな……ことって……」
聳えていたのは新アレイルスェン教会の尖塔。
セエラの故郷、ラウフデル市のシンボルである。
「久々に会ったと思ったらあなた何やってるんですか」
「君こそ元気してた?」




