第19話 鋼鉄の薔薇
六輪の薔薇があしらわれた紋章。
「お母さん……」
全く自分は今日一日で何回失言するのだろう。
ぽろりと口から零れた言葉は戻らないと思い知ったばかりなのに。
セエラは母親が他人にどう思われているのかを知っている。
圧倒的な統率力で領土を拡大し、神が去ってから失墜の路を辿っていた教会の地位を押し上げた功労者。
神の御旗の下にあらゆる武力を召集した究極のカリスマ。
幾千もの戦場を駆けた不屈の戦乙女。
神や教祖の築き上げた平和を踏みにじった愚か者。
神々が去ってから最大の犠牲者を出した殺人者。
殺されても殺されても復活する生ける屍。
まあだいたいそんな感じで「武力ヤバい」という評ばかりを聞いている。無論、教会内ではそれは概ね肯定的に受け取られているのだが、対外的には凶悪犯を通り越して死神のような扱いを受けていることを、アイフレンド医師を通して知っていた。
内政を取り仕切る父親のトリエス主宰と併せて、独裁者として恐れられていることも。
彼等の娘であるエルシアニーとリディセエーラには家族団欒の時間など与えられていなかった。
彼等が家庭内に目を向けることは少なく、いや、家庭という概念すら存在していなかったのかもしれない。娘達は他の戦災孤児達と共に、教会内の孤児院での生活を強いられていた。
身内のいない他の子供達に自分達の出自を明かすわけにもいかず、本当のことを隠しながら生きてきた。
シアンが教主として擁立されるまでは--。
詳細は省くが、とにかく、セエラは母親をよく知らない。
母親個人に対する、主観的な印象が「ない」のだ。
そこに存在していただけの人物なのだ。
父親はまだ忙しい合間を縫って面会に来ていたから、彼の人柄は知っている。でも、母親に関しては、近くで生活していたはずなのに全くの無知に等しい。
ただただ侵略を繰り返す、セエラが幼い頃から何も変わらない日常のひとつ。
本当はそんな母親への殺意も愛着も「ない」と自覚している。
離れたいか離れたくないかすら望んでいないほど、印象の薄い存在なのに。
それなのに、興味のようなものが出てしまった自分自身とその言動に、セエラは静かに驚いていた。
いや、驚いている場合ではない。何とか誤魔化さないと。
「心配ねえ嬢ちゃん、必ず母ちゃんのもとに帰してやるからな」
「おいバカ、生きてるのかもわかんねえのに迂闊なこと言うんじゃねえよ」
セエラを庇っていた海賊達が何やら勘違いに勘違いを重ねている。もうそれでいいかもしれない。
それよりも女海賊の言葉の方が彼女は気になっていた。
「ゼクスレーゼがゼクスレーゼじゃないってどういう……?」
迂闊な発言で地雷を踏むよりも、見えている地雷を自ら踏みに行くのはもっと愚かかもしれないが、もう今更何を言っても自分の状況が良くなることはないだろう。そんな諦観が、逆に彼女の僅かな関心を後押しした。
「あんた自分が殺そうとしてる人間のこともろくに知らずに討ち滅ぼすとか言ってたのかい?話にならないね」
「知らない……そう、知らないんです」
「あんた幾つだい」
「19」
「物の道理もわかんないのかね、最近の若い奴は」
「これ、あなたにあげてもいいです」
「アホなのかい?そのうさんくさい石を頂戴してあんたの首を落とすかって話をしてんだよこのお花畑!」
「ゼクスレーゼは」
「ああもう!なんだってんだいこいつは!!」
女海賊が唾を吐き捨て、きっとセエラを睨む。
「あたいらのゼクスレーゼは、意味もなく他人を踏みにじったりしないんだよ!!」
大柄な海賊もゆっくりと口を開く。
「昔は俺達はどこにでもいる漁師だったのさ。だが、金に目をくらませた港の所有者が、法外な税を払えと脅してきたんだ。逆らった者は雇われた傭兵になぶり殺され、女子供は売られていったよ。そこに現れたのが教会騎士だった」
そのまま二人は、セエラにというよりは、互いに記憶を確認するように語り始めた。
「あたいは教会なんか大っ嫌いだったんだよ。うさんくさい女が高い塔のてっぺんでウフフ皆さん仲良くしましょうね~とかほざいててさ、片やあたいは家族を殺されてどん底だ。あの教祖の言葉を聞く度、どついたろうかと何回思ったことか」
「でもある日、また仲間がいたぶられていた時に何の前触れもなく教会騎士の軍勢が港にやってきたんだったな」
「ああそうさ。きんきらの見たこともない鎧を着けた集団が、あっという間に手練れの傭兵を追っ払いやがった。一番凶悪で手のつけようのないの奴だけがまだ暴れてたんだ。そこに、胸に薔薇の紋章がある鎧の奴が他の奴を下がらせて一人で前に出てきたんだ。あいつ死んだな、と思ったね。なにせ屈強な海の男を何人も絞め殺してきた奴だから」
「それにその騎士は、兜で顔が見えなかったが、体格的に明らかに女だった。勝てるはずないと、誰もが思っていた」
「なのにね、世の中わかんないもんだ。一突き、たったの一突きだよ。槍が閃いて、血が薔薇のように飛び散って……気がついたら、奴さんは死んでたんだよ。何が起こったのかもわからないような顔でね。そのままこっちに近付いてくるもんだから、あたいらもああなるんだと思ったよね。まさか頭を撫でられるとは思っていなかったからね。兜を外して、ニカッて笑って、『心配するな』って。『自分達が平和を守るから、安心して仕事に励みな』って言って、食べ物までくれてさ。あたいもガキだったからさ、帰ってくところを引き留めて、もっとここにいてって駄々こねたんだよ。そしたら『次はあんたが強くなってみんなを守るんだよ』って言われてさ。何かっこつけてんだよ、あんなの無理だよって感じだけどさ、その時は本当に痺れたね。真似して服の胸元に薔薇の絵なんか描いてさ」
「その後所有者から土地を没収して、港を常に教会騎士が警備するようになってから本当に平和だったよな」
「ああそうさ、平和だった。神がみんな死んじまうまではな」
セエラはただただ目を丸くしていた。二人の海賊が観念したように話し始めたこともそうだが、何より、母親がそんなにさっぱりした気風で正義を成す人物だとは思っていなかったからである。
「神が死んで、昔の教会が崩壊して、騎士団もばらばらになって。港どころか町中が略奪し放題になって、あたいらは漁で生計が立てられなくなった。教祖の女も歌姫もいなくなったしたぶん死んだんだろ。そしてゼクスレーゼも死んだと思ってた。随分長い間、誰も収拾つけられなかったからね。でも、ある時。急にゼクスレーゼがまた現れて、あっという間に教会を建て直していった。流石あたいらのゼクスレーゼだって思ったね。あれ以来会ったことはなかったけど、ゼクスレーゼなら納得の実力だし、またこのまま前と同じ平和がやって来るって信じられた。信じてたんだよ、あたいらは」
そこで女海賊は話を区切る。表情は苦々しいを通り越して、まるで激痛に耐えるかのように歪んでいた。
大柄な海賊は目を伏せる。
周囲の海賊もそれぞれ重苦しい雰囲気を発している。
「13年前」
女海賊のその言葉で、セエラは察しがついた。
いや、それ以外を思い浮かべるのは難しいくらいの出来事があると知っていた。
即ち、マートリーガ大陸の虐殺である。
みんなが知っている。




