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第12話 悠久なるセルシオール

歌よ、歌よ、風に乗って

「見つけた」

その声の主は、昼間にセエラが市で出会った老婦人だった。


誰かに見つかることは予想していたのに、うまく息ができず走り出すこともできない。

だが、そんな葛藤など構わず老婦人はセエラの手を引いて近くの家屋の扉を開けた。


「お嬢ちゃん、こっち。早く」


状況が呑み込めないセエラを連れて、一見空き家にしか見えない暗く静寂に包まれた家屋の奥まで老婦人は進んでいく。


奥の部屋の壁に老婦人が体重をかけると、壁が回転し空間が開けた。そしてそれはそのまま地下への階段に繋がっていた。


「あの、あなたは……」

「説明は後!早く入るんだよ」


老婦人が更に重い扉を開けると、暖色の光が二人に浴びせられた。




「酒場……?」


その空間にはいくつかのテーブルと椅子、そして奥にカウンターがあった。

何人もの客が酒を飲んだりその場にうずくまったりしている。何人かはセエラの方をじろじろと見ている。

彼等はセエラがいつも昼間に港や市で出逢った人間とはいくらか違う点があった。



いわゆるスードリーガらしい、金や薄茶の髪を持つ者が少なく、黒やその他見たこともない色の髪色の人間。

手足があるべきところにない人間。

顔を包帯で覆っている人間。

よく見れば、端の方に小さい子供をあやしている、不思議な構造の服を纏った母親の姿もある。


その様子を見て、セエラの頭の中にある仮説が浮かぶ。

「ねえ、おばあさん……」

しかし、それを確かめようと老婦人の方を見ると、口に人差し指を当てて、静かにするようにと合図される。

そしてそのまま彼女の視線を追うと、この空間の中でもひときわ異彩を放つ人物の存在に気付く。





若草のような緑色の髪を後ろでまとめた、艶かしい衣服を身に纏った女性。

それに反して、清楚さを感じさせる顔立ちに、氷を思わせるほどの無表情。

しかし何よりもセエラの心を捉えて離さなかったのは、その歌だった。



清廉にして透明。伸びやかであり強か。流麗でありながら不思議なほどに耳に馴染む、包み込むような声。

この暗い、社会から打ち捨てられたような狭い酒場には不釣り合いなほど、優しく神秘的な音の連なり。


きっと聞いたこともないはずなのに、どうしてか記憶の奥をくすぐられるような感覚に襲われる。





ささら葉のゆれるところに

楔をうちて

ひとこと告げよ

やすらうものよ

セルシオール、神の名を賜りしもの





歌詞の意味は全くわからなかったが、これまで耳にしたどの言葉よりも、何か深い意味があると思わせるような歌声に、セエラは一瞬、意識のすべてを奪われるような感覚に陥る。


まるで世界から隔離されたように。


鬱蒼とした森の中にいるかのように。

どこまでも高い木々の隙間から漏れ出づる光はあれど、目に見える世界が照らし尽くされることはない。

ただ水の流れる音を頼りに、奥へと踏み入ってみれば、更に深い緑に視界のすべては包まれる。

強い孤独感。

しかし、不安よりはむしろ安らぎを覚えるような、清らかな空気。




そんな光景が脳裏をよぎり、呆然としていたセエラの意識が現実に戻ってきたのは、まさに彼女に夢を見せていたその声で呼ばれたからだった。


「セエラ。何ぼうっとしてるのよ」


そうして、はっと現実感を取り戻す。

「どうして私の名前……」

彼女はその問いには答えず、セエラの顔を興味深そうに覗き込む。

「へえ、やっぱりどんくさそうな顔」

「え、ええっ……?」


初対面の人間にいきなりそんなことを言われてはセエラとしては困惑しかない。しかし歌い手は話し続ける。

「私はキエル。たぶん二度と会うことはないから覚えなくても良いわ」

「キエルさん、あの、ここは……」

「お嬢ちゃん、わかるかい?ここがどんな場所か」

側にいた老婦人が尋ねてくる。




「えっと……スードリーガの社会で……その、生きていくのが難しい人達の集まる……」

「いいんだよ、はっきり言ってくれて。ここは表でのけ者にされてる連中の溜まり場さ、あたしみたいなね」

「おばあさんは……」

「あたしみたいな遠い土地から流れてきた上に使い道もない穀潰しの老いぼれ。めくらやつんぼ。貧乏な上に身寄りもなくお上から切り捨てられた怪我人。そういうのが身を寄せ合ってどうにか生きてるのさ」

「……そんな」

「冷たいと思うかい?世の中なんかそんなもんさ。痛めつけられたら軍を大きくしてやり返そうとする。その中で、戦えない奴、働けない奴、味方として信用できない奴はいなかったことにされるのが普通さ。どこにでもあることなんだよ」

「……」


それを口にするに至る老婦人の置かれた環境に思いを馳せ、その重みにセエラは口をつぐむ。


「でもキエルさんは、どんなときだってあたしたちを慰めてくれる。場末の酒場で稼いだなけなしの金で、更にみじめなこの酒場とも言えないような溜まり場の住人のために食べ物を買ってきてくれて歌まで聴かせてくれる」

「すごい……」

「お嬢ちゃんがこの街に来てすぐに、あたしたちにはもう情報が回ってたんだよ。教会領生まれらしき若い子がやって来たってね。あたしたちの中でも、捕まえて突き出せばそれなりに金になるって話にもなったんだよ。でも、キエルさんが手を出すなって。軍に連れて行かれそうになったら絶対に邪魔してって、あたしたちに頼んできたんだよ。恩人のキエルさんに言われたら、協力するしかないもんねえ」

「そう……だったんですか……」

「でもね、お嬢ちゃんがこの一週間、必死にここで身を隠しながら居場所を守ろうとしてたことはわかる。そんな中でも人を思いやれる子だって、あたしは知ってる。あたしがお嬢ちゃんを気に入ったから、助けたいって思ったんだよ」

「ありがとうございます……」



怒濤の時間を過ごし、ここで死ぬかと思ったのに。

ずっと見守られていて、自分よりひどい境遇の人に助けられて。

安らぐ時間さえも与えられて。


今の状況を鑑みると、安堵とは言えないかもしれないけれども。

それでもセエラにとっては、緊張の糸が緩むくらい優しい時間だった。

老婦人に取られた手は震え、視界も歪み、息はできているのに上手く声が出せない。





「きったない顔。ちゃんと拭いときなさいよ、そろそろだわ」

そうキエルに言われてセエラはきょとんとする。

「そろそろって何が……」

疑問を口にしようとしたその時、入口の扉が開かれる。




そこには、この街に来てから幾度となく顔を合わせた、金髪の軍人--

クロスタが息を切らせて立っていた。

あなたに届けたかった。






一部、登場人物に合わせた言葉遣いによって、現代においては差別的とされる表現を含みます。

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