09. ありがとう
「テト様、もうちょっと弱火に出来ますか?」
「もっと?!えー、できるかな…」
生き生きとしている秋史とは対照的に、若干退屈そうなテト。
正直なところ、どうして秋史がこれ程まで火の加減に拘るのか、テトには理解できなかった。
さっきの魚の丸焼きも充分に美味しかったのだから、この魚も丸々焼いてしまえば良いのにと思うものの、隣に立つ秋史の楽しそうな顔を見ていると言い出すのが憚られる。
しかし、
「ーーテト様、あとちょっと。もう少しだけ弱火に…」
「…ねぇ、もう丸焼きにしない?」
「もうちょっとだけで良いんです!!ほんの少しだけ抑えてください!」
(これなら、さっきの大仕事の方がずっと楽だった!)
それでもテトは秋史の注文通り、細心の注意を払って火の加減を微調整する。
そもそも魔術師の力量が問われるのに術の威力を求められることはあっても、弱さを求められることなどそうあるものではない。基本的には大は小を兼ねるからだ。
繊細なマナの運用がものを言う魔術は存在するが、今回はそれともまた話が違う。
と言うのも、この場合一番の問題は、テトに秋史の求める正解が分からないことだった。
魔術師はこれから起こす現象を想定した上で式を構築し、そこに流し込むマナの多寡を決める。
その現象ーーここでいう弱火ーーがはっきりとイメージ出来ないことには、安定した魔術は発動しないのだ。
「テト様、良い感じです!あと10分このくらいの火加減でお願いします!」
何よりも先に、秋史にはまず自分で火を出せるようになってもらおう。
テトは一人頷くと、そう心に誓ったーー。
ーー料理を運んでいる秋史とテトの耳にレニの声が届く。
通路にまで響いてくるその楽しげな様子に、二人もまた顔を見合わせると嬉しそうに笑った。
「レニ、お待たせ。ご飯できたよ」
「秋史さん!すみません、何もお手伝いできなくて」
「そんなの全然良いよ。もちろんチェシカの分も用意したからね」
「ありがとうございます!チェシカ、良かったねっ!」
「キュー!」
ラヌゴレオの子どもーーいまは魂を転移したチェシカーーが元気一杯に鳴く。
そう、魂の転移は今から少し前に無事成功していた。
「秋史の注文が多くて疲れたわ」
「でも、おかげでいい感じに仕上がりましたよ!」
嫌味のつもりで言った言葉を満面の笑みで返されてしまったテトは、それ以上何も言えなくなる。
そんな彼女の様子など御構いなしといった具合の秋史がテーブルに料理を並べると、レニから歓声が上がった。
「わっ!美味しそう!」
秋史が作った品は鮮魚とキノコのカルパッチョ風と切り身のソテー、そしてあらで出汁を取った山菜の汁物の三品だ。
「チェシカにはこれな」
そう言って秋史が別皿に盛り付けた魚のすり身を差し出すと、一目散に食べ始めるチェシカ。
どうやらよっぽどお腹が減っていたらしい。
「チェシカ、美味しい?」
「キュー!」
「ふふっ。アッキーフミも作った甲斐があったんじゃない?」
「まあ、チェシカのご飯はすり身にしただけですけどね」
おでこを掻きながら照れ臭そうにした秋史は、それを誤魔化すようにテーブルに着く。
「それじゃあ、おれたちも食べましょう」
三人揃って手を合わせた後、テトとレニのフォークが皿に伸びる。
テトはソテーを、レニの方はカルパッチョを。それぞれ口に入れた瞬間、二人は目を丸くさせて秋史を見た。
「何これ!すっごい美味しい!!」
「秋史さん!ほんとに美味しいです!!」
その様子を眺めていた秋史は嬉しそうに微笑むと、二人にスープを勧める。
魚のあらで出汁を取ったスープは琥珀色に澄んでおり、彼の丁寧な仕事振りが伺えた。
スプーンを使って一口分をすくい上げたテトがそれをゆっくりと口元に運んでいく。
スープを飲むと、口の中に豊かな風味が広がって身体中に沁み渡った。
美味しいと零した彼女の声は先ほどソテーを食べた時のリアクションとは対照的で、まさにスープの優しさを表現するのにぴったりのトーンだ。
一方のレニはと言うと、最初はそのままお椀に口を付けようとしていたものの、テトの所作を見た後でそれをやめると、少し気まずそうに咳払いしてスプーンを手に取り直していた。
西洋料理ではないんだし、お椀から直接飲んだところで無作法ではなかったが、その様子が可愛らしかったので秋史は黙って見守ることにする。
「ーー美味しい…あったまるなぁ」
遅れてようやく口に入れたレニがそう呟く。
ほっとして、どこか安心したような彼女の表情に満足すると、秋史は自らもようやく料理に口を付けた。
一口スープを飲むと、上出来だと言わんばかりに頷く。
雑味はなく、しっかりと魚の旨さが引き出ている。時間をかけた甲斐があったと言うものだ。
ソテーやカルパッチョの方も、最低限の調味料と採ってきたあり合わせの材料で作ったにしてはかなり良い出来だった。
「秋史さんってどうしてこんなに料理が上手なんですか?」
「ああ、おれ飲食店で働いてたんだ」
「そうだったんですね!何てお店ですか?」
「居酒屋だよ?…そう言えば、レニっていま幾つなんだっけ?」
「14歳です。中学3年生でした」
それじゃあレニは知らないと思うよと苦笑しつつも、働いていたお店の名前ーーちょっぴりふざけた屋号ーーを伝えると、今度はどういう漢字を書くのかを尋ねられる。
「サンズイじゃない方の暖かいに、日暮れの暮で暖暮だよ」
「知ってますそのお店!商店街を一本入ったところですよね!コンビニの角のところを曲がった!そっかー。だからこんなに料理が上手なんだー」
納得した様子のレニにそう言われて、秋史は少し照れる。
彼が働いていたお店は地元では知らない人がいないほどの人気店だったため、未成年のレニでも存在だけは知っていたのだ。
「アッキーフミのお店?」
「まさか。おれはただの従業員です」
実を言うと秋史はこのお店で副店長を任されていたのだが、あまり持ち上げられても居心地が悪かったので黙っておく。
「へー。アッキーフミが働いていたお店かー」
レニは行ったことないの?と不思議がるテトに、秋史が居酒屋という飲食店の営業形態と共に前の世界での飲酒のルールを教えてあげる。
その直後、しまったといったような素振りを見せたテトは、助けを求めるように秋史に視線を送った。
と言うのも、当然ながら彼女にとっては日本こそが異世界にあたり、秋史やレニの暮らしぶりには興味津々の様子だった。
しかし、今の今まで日本でのことをあまり話題に出さなかったのには理由がある。
テトと秋史が横目でレニを窺うと、やはり少し寂しげな表情をしていた。
無理もないと秋史は思う。
レニはまだ14歳の女の子なのだ。家族や学校の友人が恋しくならないはずがない。
秋史がレニの年齢を正確に知らなかったのも、テトが日本での暮らしについて積極的に質問することを遠慮していたのも、二人が彼女を慮ってのことであり、何となくそれを暗黙の了解にしていたからだ。
何か話題を変えようとして、秋史は自分の懸案を思い出す。
「テト様。言いそびれていたんですけど、秋史の発音難しいですか?」
「…やっぱりちゃんと言えてない?」
「正直、言えてないです」
レニみたいな名前だったら良かったのにと文句を付けてくるテトに対して、おれにそう言われてもと苦笑する秋史。
すると、ようやくレニが小さく笑ってくれる。
「ふふ。テト様も言いやすいあだ名を付けるのはどうですか?」
「それ良いわね!どんなのが良いかなー?」
「ベタだけど、アッキーとかあっくんとかですかね?」
「うーん、アッキーはなあ…」
「嫌ですか?秋史さんはどんな風に呼ばれることが多かったんですか?」
幼少の頃の秋史のあだ名は、決まって"史"から取られるものだった。
同学年に秋人という名前の子がいたことから、周りが彼との区別を図った結果、フミちゃんやフミくん、あるいはそのままフミと呼ばれることが定着していたのだ。
そのため彼の中では、アッキーやあっくんといった類のあだ名は今でも秋人くんのものであり、そう呼ばれても今ひとつピンと来なかった。
「フミちゃん!私、フミちゃんが良いと思います!かわいくて!」
「おれはあだ名に可愛らしさを求めてる訳じゃないぞ?」
「ねぇ、その"くん"とか"ちゃん"ってどこから来るの?」
日本語の敬称に馴染みがないテトにとって、その疑問は当然だった。
"様"や"さん"はこの世界における同様の言葉に翻訳されたものの、"くん"や"ちゃん"は意味を持たないただの音として彼女に伝わっているという。
「クンやチャンみたいに、フミの後に何か音を足しても良いものなの?」
「良いんじゃないですか?友だちになっちゃんってあだ名の女の子がいたんですけど、最終的にその子のあだ名はちゃそになりましたよ。だから、何でもありです」
「ふふっ。なにそれっ。全然関係ないじゃない」
「"ん"が"そ"に変わっちゃったんですね」
ちゃそという同級生のあだ名の変遷をテトに理解してもらうためには、まず日本語の片仮名をマスターしてもらう必要がある。
「うーん、じゃあね…フミルなんてどう?」
「あっ。私もそれ良いと思います!」
「何か意味でもあるんですか?」
「ううん。音で選んでみたんだけど、どうかな…?」
「フミルか…」
日本にいた頃だったら、断固として拒否していただろうと秋史は思う。
というより、転生する前の自分にそんなあだ名を付けてくる人がいたら、悪意があるとしか考えられない。
しかし今の容姿となれば話は別だ。
レニと瓜二つの白金色の髪をした少年の容姿を思い浮かべると、寧ろ秋史よりもフミルの方が合っているようにさえ思える。
そして何よりも、
「ーーじゃあ、テト様の案をもらおうかな」
ぱぁっと笑顔を咲かせると、自分の案を採用してくれたことに安心したのか、大きく息をつくテト。
秋史は彼女のがっかりする顔を見たくなかった。
「良かった!気に入ってくれてっ」
「私もフミルさんって呼んでいいですか?」
「…呼びたいの?」
「はいっ!」
「まあ、テト様がせっかく付けてくれた名前だし…」
濁しつつも肯定してあげると、レニとテトは抱き合って喜んだ。
何だかなと思いながら、まさかこの歳にもなってあだ名が増えるなんて考えもしなかった秋史は、テーブルに頬杖をついてその様子を眺める。
こうして秋史は異世界での新しい名前を得た。
そして今まさに、彼の運命は大きく変わってしまったのだが、それはまだ誰も知らない物語ーー。
ーー食器の片付けを終えた三人は、今は食事を取った部屋で思い思いの時間を過ごしている。
自分のベッドに腰掛けた秋史は今日採ってきた山菜や木の実、キノコといった食材を図鑑で調べており、その横でテトは彼の質問責めにあっていた。
レニはというと、チェシカの相手をするのに幸せいっぱいの様子だ。
チェシカの魂の転生に成功したいま、ぬいぐるみの部屋に行く理由がなくなった三人は、寝るまでの時間をどこで過ごそうかと考えた結果、自然な成り行きでここに集まっていた。
元々居間に当たるこの部屋に秋史のベッドがある理由は、彼がマギンの大槌を受けて意識を失っていたためだった。
看病がしやすいようにとテトによって持ち運ばれたものが、そのままになっている形だ。
しばらくすると、遊び疲れたチェシカがうとうとし始める。
それを見たレニが自分の寝室へ戻ろうとした時、おもむろにテトが口を開いた。
「ーー私ね。ある理由から、子供を産むことをお父様に禁じられているの」
突然の告白に、紡ぐべき言葉が見つからない秋史とレニは押し黙ってしまう。
レニにこっちへ来るよう手招きしたテトは、ぽんぽんとベッドの空いているところを叩いてそこに座らせると、緊張した面持ちの二人にふわりと微笑みかける。
「二人の体を作ったのはそのためよ。本当は魔術による生物の生成はいけないことなんだけど…それに、魂だけは私にも生み出す事が出来なかったから。だから魂の転移魔術を学んだの。結局今日まで実行に移すことはなかったけどね」
秋史の疑問が一つ解けた瞬間だった。
この容れ物は、子ども作ることを禁じられたテトが、その代替物として用意したものだったのだ。
「お母様とお父様が死んじゃったあと、私はこの城でずっと一人だった。アイルはよく遊びに来てくれたけど、彼は忙しい人だったから……だからね、フミルとレニが転生してきた時、私本当に嬉しかったの。本当に、本当に嬉しかったんだよ」
突如として現れた異世界からの転生者である秋史とレニ。テトはそんな二人に対して心から良くしてくれている。
当初秋史はその理由を、間接的に怪我を負わせてしまった罪悪感から来るものか、あるいは自分とレニの境遇に同情しているのだと思っていたが、どうやらそれは違ったようだ。
その後に続いた、あなたたちは転生したせいで辛い思いをしているのに、そのことを喜んでしまってごめんなさいと言う言葉は、最後まで言い終わらない内にレニによって遮られる。
「そんなことないです!!前の世界のことは私が原因ですし、テト様は何も謝ることないじゃないですか!少なくとも、私は転生した先がテト様の元で良かったって思ってます!秋史さんだってきっとそうです!!」
レニの口調は、今までにテトが聞いた彼女のどの言葉よりも強かった。
それには秋史も驚いてしまったほどで、おれもテト様の元で良かったと思ってますと後に続こうとしていた彼だったが、言い出すタイミングを失ってしまう。
すると、
「…キュイー」
「あ…」
「…レニが大きい声出すから」
レニの膝の上で寝息を立てていたチェシカがもぞもぞと動き出す。
「キュー!」
「レニ、チェシカがうるさいって」
秋史に揶揄われて顔を赤くしたレニは、チェシカを抱き上げると、その小さな体に顔を埋めるようにして誤魔化した。
その様子に秋史とテトが笑い声を上げると、チェシカの体に隠れきれていない部分から、レニもまた照れ臭そうに笑っているのが見える。
「ーーレニ、ありがとね…もちろんフミルも。二人とも、私の元に転生してきてくれて本当にありがとう」
恥ずかしげもなくそう言ったテトに、秋史とレニは思わず顔を見合わせると、今度は二人して照れ笑いを浮かべた。
その後、今日は三人一緒に寝ましょうと頑ななテトを秋史が説得している間、すっかり目の覚めてしまったチェシカは部屋中を駆け回る始末で、結局お城に静けさが戻ったのはそれから2時間ほどが経ってからだった。
いつもありがとうございます。
やっと序章が終わりました。
4話ほど挟んでいよいよ物語が本格的に動き始めます。タイトル詐欺じゃないですか?アクションの要素はどこにあるんですか?
そろそろそんな声も聞こえて来そうですが、安心してください、書いてます!これからあなたの不満を一挙に解消する予定です。
まだまだ物語は始まったばかりですが、引き続きお母さんは魔王妃様!をよろしくお願いします。