08. ラヌゴレオ
「わっ!秋史さん!!」
「おっ。また来たかーー」
急いでレニの元へと駆け寄る秋史。
二人で一緒に竿を引くと、手に伝わる重みがそれまでの引きとは明らかに異なる。
「レニ、これは大物だぞ!がんばれ!」
「はいっ!」
竿が折れないように注意を払いながら格闘している内、やがて湖面に大きな魚の影が映る。
テトはというと、その様子をちょっぴり寂しそうに見つめていた。
「いいなーレニばっかり…二人ともー、力を抜いて良いわよー」
ここまで来ればもう釣れたも同然だった。
魔術を使って魚を宙に浮かせたテトが、そのまま陸地まで運んでくれる。
これでもう四匹目の収穫だ。
「すごいぞレニ!大物だ!」
秋史がそう言うと、目をキラキラさせたレニが嬉しそうに答える。
「私、釣りって初めてやりましたけど、たのしいですねっ!」
「お陰で飢え死にしないで済みそうだよ」
「ねーレニ。何かコツってあるの?」
早々に自らの釣竿を持ち直しているテトを見て、秋史から思わず笑顔が溢れる。
彼女は意外と負けず嫌いだし、子供っぽい性格をしていた。
たった今釣り上げた魚は、それまでに釣れていた三匹(すべてレニの釣果)とは違う種類の1m近くある立派な大物だった。
それならばと、秋史は近くに落ちていた太めの木の枝を手に取る。
まず最初に頭を叩いて魚を失神させると、テトから借りたナイフをエラの内側に差し込む。
血抜きが終わるまで待った後、完全に血が止まったことを確認してから軽く水で洗い流して布に包んだ。
「テト様!魔法で氷を出せたりしますか?」
「これで足りる?」
ドスンッ。
秋史のすぐ横に岩のように大きな氷の塊が落ちる。こちらを振り返りもしないほど、彼女は魚釣りに夢中の様子だ。
「…充分です」
氷の塊をナイフで突くと、砕けた中から手ごろなサイズのものを選んで布を敷いたカゴに敷き詰める。
途中で魚を入れ、その上からまた氷を乗せれば即席のクーラーボックスの完成だ。
これで城へ着いてからも魚の鮮度が落ちる心配はない。
ーーそして、こっちの方も良い感じだった。
「テト様!レニ!魚が焼けましたよ!」
「やったー!わっ、良い匂い」
「私、まだ一匹も釣れてないのに…」
「おれも釣れてないですし、とりあえず一緒に食べましょう。焼き立てが一番美味しいです」
そう促されて渋々釣竿を置くテト。
手ごろな石の上に座ると、各々串に刺さった20cmほどの魚の丸焼きを手に取る。この串は秋史が木を削って作ったものだ。
「それでは…」
「何それ??」
食べ始めようとした寸前、秋史とレニが取ったある所作にテトがそう尋ねた。
元いた世界で食事の前に行われている習慣だとレニが教えてあげると、それを気に入ったテトも一緒にやりたいと言う。
「じゃあ今度こそ…」
仕切り直して、今度は三人揃って手を合わせる。
代表して音頭を取る秋史に、タイミングを計るテトとレニ。
「「「いただきます!」」」
一斉に魚にかぶりつくと、思わず全員で顔を見合わせた。
「美味いじゃん!」
「おいひー!!」
「ほんとっ。すっごい美味しい」
三人とも大絶賛だ。
その後はしばらく無言で食べ続ける秋史たち。
特に秋史とレニは、久しぶりの食事ということもあって夢中になってかぶりついた。
こうしてあっという間の完食と相成る。
「はー、美味しかった。私、こうやって川魚を食べたの初めてです!」
「レニは東京の生まれだもんね。おれは地元にいた頃、たまに釣りしてたよ」
「トウキョウって??」
「私たちの住んでた街の名前です」
「でも、ほんとに美味かったな。何となく虹鱒に似てるかもーー」
「ニジマス??」
「ーー前の世界に、そういう名前の魚がいたんですよ」
「へー。よしっ。レニ!もう一回ニジマスを釣りに行くわよ!」
「あっ。テト様、待ってください!」
再び釣竿を手に立ち上がったテトとレニの満足そうな様子に、秋史も顔を綻ばせる。
見事この美味しい魚を釣り当ててくれたレニはもちろんのこと、何と言っても一番に褒められるべきは塩を保存していたテトだろう。
なんでもこの島には塩化物泉の温泉が湧き出るスポットが存在するらしく、そこから食塩を作ることが出来るとのことだった。
いくら魚自体が美味でも、それは調味料あっての話だ。
テトが食事を摂らないと聞いた時に半ば諦めていた分、塩を持っていると知った時の秋史の喜びはひとしおだった。
「ん〜、これでビールがあったら…最高だな」
伸びをした秋史からつい欲望が漏れ出てしまう。
もちろん贅沢な悩みだということは分かっているが、思わずそう零してしまうほど魚の丸焼きは美味しかった。
(そうだ。忘れないうちに塩が入った小瓶をしまっておこう)
テトが背負って来たリュックーー今は採ってきた山菜でいっぱいになっていたーーのポケットから巾着袋を取り出す秋史。
これも八十八の宝具の一つで、長者の宝石袋というマジックアイテムだった。
長財布を縦に入れれば1/3が飛び出てしまうであろう大きさの見た目と裏腹に、巾着袋の口に入るサイズのものなら無限に収納することが出来る優れ物だという。
何を隠そう、秋史たちが使っている釣竿もこの宝具から取り出した物だった。
そのまま袋に入れるだけできちんと収納出来るのか、念のためテトに確認しようとしたその時。
秋史の視界の端で、草むらの茂みの奥がガサガサと揺れた。
「テト様ーー」
「なぁに?どうしたの?」
「あっ!テト様!釣竿が引いてます!」
「わっ!ほんとだっ!!」
「ーーテト様!茂みに何かいます!」
秋史が叫び声を上げると、手放した釣竿が地面に落ちるよりも早くテトが飛んでくる。
飛んできて、彼を庇うように屹立した。
「ーーレニ、ゆっくりとこっちへ来て」
「は、はい」
「アッキーフミ、どこの茂み?」
「…あそこです」
秋史が指差した先、茂みの奥から再び音がする。
「アッキーフミは少し下がって。そこでレニと二人で固まっててね」
さっきまでの和気藹々とした雰囲気から、打って変わって張り詰める空気に秋史の心臓の鼓動が早まる。
テトが茂みに向かって歩き出した、次の瞬間。
「キュー」
小さな子猫が茂みから頭を出した。
「…猫?」
「か、かわいいー!!」
その愛くるしい姿に、真っ先に飛びつこうとするレニ。しかし、
「近くに親がいるはずだから、近付いたらダメ」
すでに秋史の隣まで来ていたレニは、テトからの制止を受けると口を真一文字に結んで直立不動になる。
その姿は、ご主人様からの「待て」の言い付けを忠実に守る小犬みたいだ。
(親がいるはずだから来たらダメって、ただの猫じゃないのか…?)
テトの言い付け通り警戒を解かずに身構える秋史だったが、一向に子猫の親が現れる気配はない。
子猫は何が面白いのか、さっきから地面に落ちている石と戯れるのにご執心な様子だ。
「…親、現れませんね」
「あれー?」
「テト様っ」
お預けを食らっていたレニが、今にもよだれを垂らしそうな勢いでテトに訴えていた。
「まぁ…大丈夫みたいだし。いいよ、近付いても」
その瞬間、ぱぁっと笑顔を弾けさせると、子猫の元へと駆け寄っていくレニ。
「…大丈夫なんですか?」
「うーん、あのくらいのラヌゴレオが群れを離れることなんてまずないんだけど、でもレニの目が…」
「…ああ。確かに」
「うわー!ふあっふあだー!」
レニはと言うと、さっそく子猫を膝に乗せて遊ばせていた。そのはしゃぎっぷりを見た秋史は、完全にテトに同意する。
仮に秋史が彼女の立場でも、レニを長く引き止められる自信はなかった。
「テト様っ!秋史さんも早く!ふあっふあです!ふあっふあですよこの子!!」
当然、レニからのお誘いを二人は断れない。
むしろこの場に水をさせる強者がいるならその厚顔を拝んでみたいと思うほどだ。それくらいレニのテンションは高く、向けられた満面の笑みには相手に有無を言わせない多幸感に満ちていた。
「ーーチェシカもくまのぬいぐるみじゃなくて、こういう子猫に転生して来たら良かったのにな。そしたら巨大な身体に苦労することもないし、ご飯だって食べられるのに」
「出来るわよ?」
殆ど無意識の内に口から出た秋史の独り言に対して、平然とそう答えるテト。
何か信じられない物を見るような視線を二人から向けられていることに気付いた彼女は、少し困ったように笑ったあとで改めて言う。
「ーー魂の転移は理論上可能よ。実際にやるのは初めてだけど、何とかなると思う」
その言葉に秋史とレニからわっと歓声が上がる。
しかし、直後に何かに気付いてハッとした素振りを見せると、一転レニが顔を曇らせた。
「…あの、仮にこの子にチェシカの魂を移すことが可能だとして、この子の魂はどうなりますか?」
言われて初めて秋史も気付く。
チェシカの魂の転移がこの子猫の犠牲の上に成り立つ類のものであれば、おそらくレニはそれに合意しないだろう。
「一つの肉体に二つの魂が同時に存在した例もあるらしいけど、あくまでそれは特例。チェシカの魂をこの子に転移すれば、基本的にはこの子はチェシカになる」
「じゃあ…」
レニの言葉を優しく制すと、テトは続ける。
「でもね、この子の魂が完全に消えてしまうという訳ではないの。イメージとしては、チェシカの魂と一つに混じり合う感じかな。チェシカとなったこの子の中で、この子の魂も共に生き続けるの。それとねーー」
一旦言葉を区切ったテトは、一呼吸を置いた後、少し悲しそうな表情をしてさらに続けた。
「ーーあのね、レニ。さっきこの歳のラヌゴレオが一人でいるなんてあり得ないって言ったのを覚えている?」
「はい」
「おそらくだけど、この子の親はもうこの世にはいないわ」
「…どういうことですか?」
テトの話によると、ラヌゴレオという動物の群れはそれを率いる一匹の雄の成獣と、その雄を取り巻く複数の雌の成獣、そしてその血統を持つ子供たちのみで構成されると言う。
ラヌゴレオの成獣がこの子を探しに来ない理由は一つしかなく、それはつまり、この子の父親は群れのリーダー争いに敗れており、すでに絶命していることを意味していた。
「レモーナ島には代々ラヌゴレオの群れは一つしか存在しないの。そして、群れを率いるリーダーは自らの血を引く子はとても大切にするけれど、それ以外の血を決して認めない」
「そんな…」
思いもよらなかった話を聞いて、レニの大きな瞳が涙で滲む。
自らの過酷な運命のことなど露にも知らない子猫は、もっと遊んで欲しいと言わんばかりにレニの膝の上で鳴いていた。
そんな子猫の無邪気な様子に、レニの目から涙が零れ落ちる。
「レニ、泣かないの。この子はとっても運が良かったんだから」
「でもっ…テト様ぁ…」
「通常は親が争いに敗れた時点でその子供も同じ道を辿るけど、この子はアッキーフミに見つけてもらえた。そして、レニとチェシカのどちらかが欠けていても助からなかった命よ」
放っておいたらいずれは亡くなる命だと、いくらそう説明されたところでレニには決断を下すことが出来ないだろう。
テトの予想は当たっており、しばらくの間無言の時間帯は続いた。
そして空が暗くなり始めた頃だった。沈黙を破ろうとしていた彼女より、僅かに先んじて声が一つ。
「日も落ちてきたし、そろそろ城へ帰りましょう」
誰に言うでもなくそう切り出した秋史が子猫を抱き上げる。そんな彼の行動にテトは驚いた。
何故ならそれは、今まさに自分が為そうとしていたことだったから。
レニにはこのままで居て欲しい。他の誰かの気持ちになって考えたり、涙を流せる優しい子のままで。
きっと秋史も同じことを思っていて、だからこそ代わりに子猫を抱き上げたんだ。
そう思うと、テトは心のずっと奥の方が暖かくなるのを感じた。
「秋史さん…」
本当にいいのだろうかーーレニの目がそう訴えている。
秋史はあえて何も言わずに微笑むと、視線を腕の中の子猫に戻した。
すると両手のふさがっている秋史の代わりと言わんばかりに、テトの手がレニの頭に伸びる。
伸びて、その柔らかい猫っ毛を梳くように撫でた。
「秋史さん、テト様、二人ともありがとう…」
小さくそう零したレニにテトが微笑む。
一方の秋史はと言うと、照れ隠しからかここへ来て急にラヌゴレオの子どもに夢中になっている風を装っていた。
そんな彼の元へと悪戯っぽい笑みを浮かべたテトが近付いていく。
「…なんですか?」
近付いて、澄まし顔でとぼける秋史の頭をくしゃくしゃに撫で回した。
「何するんですか!?」
「ふふっ。レニがありがとーって言ってるよ?」
「聞こえてますよ!」
あの日も、心の同じ場所で暖かい何かに触れた。
一瞬遠い目をしたテトは、子猫を抱きかかえて抵抗出来ないのを良いことに、嫌がる秋史の頭を思いっきり撫で回すのだった。
今日も一日お疲れ様でした。
明日もこのくらいの時間に更新する予定です。
読んで頂いた皆さん、どうもありがとうございました。引き続き「お母さんは魔王妃様!」をよろしくお願いします。
それにしても、レニはちょっと泣きすぎ笑