06. エルズ・コレクション
幸せな夢を見ていた気がする。
半分だけ起きている秋史の意識は、それを名残惜しんで再び夢の中へと戻りたがっていた。
秋史には二度寝をすると稀に、夢の続きを見られるという特技がある。
それが特技と呼べるかどうかは一先ず置いておくとして、彼自身はこれをとても気に入っていた。
今日は夢の続きを見られるだろうか。見られたらいいな。
そんなことを考えながら微睡んでいると、おでこの辺りを誰かに優しく撫でられた。
目をつぶっていても分かる繊細な指先、柔らかい手のひら。触れられる度に気持ちがくすぐったくなって、心が暖かくなるような。
半分だけ起きていた秋史の意識は、その指先に惹かれるようにしてあっという間に覚醒する。
「おはよう。アッキーフミ」
「…おはようございます。テト様」
何故、テトが隣に。
鼻尖と鼻尖が触れ合うほどの近さに秋史が固まっていると、ベッドに取り付けられた天蓋が視界に入る。
入って、思い出す。
(そうだ。昨日はあのままぬいぐるみの部屋で寝てしまったんだ)
レニの姿を探すと、彼女は秋史の想像通りの場所にいた。
巨大なくまのぬいぐるみ、それを容れ物に転生してきた子猫のチェシカに寄り添うようにして、すやすやと寝息を立てている。
風邪を引かないようにというテトの配慮だろうか、布団に包まれて頭だけが出ている姿はてるてる坊主みたいだった。
「…それで、何でテト様が隣で寝ているんですか?」
「何でって。ちゃんと訊いたじゃない」
レニがチェシカの側で眠ってしまった後、部屋へ戻るのが面倒くさいという理由で天蓋付きのベッドに横になった秋史は、私もここで寝ようかなと呟いたテトに対して、確かに「そうしたら」と返事をしたと言う。
しかし、秋史が覚えていたのはベッドに横になるまでだった(そして仮に覚えていたとしても、ここというのが同じベッドの上を意味しているとは露にも思わない)。
「なぁに。その顔は」
不満気なテトが口を尖らせる。
何でもないですとはぐらかす秋史だったが、彼女は納得が行かない様子である。
(どうもテト様といると調子が狂う…)
もちろんそれは一緒にいるのが嫌という意味ではない。
ただテトといるといつもの自分でいられなくなるというか、変に気持ちが浮ついてしまうのだ。
客観的に見れば、その姿はかなり間抜けに映っているのだろうと秋史は思う。
「ねえ、何の夢を見ていたの?」
「え?」
「むにゃむにゃ言ってて聞き取れなかったけど、すごく幸せそうな顔をしていたわ」
そう言って笑ったテトに、勘弁してほしいと思いながら秋史は苦笑いしたーー。
ーー起こしてしまうのが忍びないほどよく眠っているレニを部屋に残し、秋史はテトの案内でお手洗いへと向かっている。その途中。
「そういえば、テト様はどうして日本語をーーえっとつまり、おれとレニが元いた世界の言葉を使えるんですか?最初にマギンを止めてくれた時は日本語じゃなかったですよね?」
「私があなたたちの世界の言葉を使えるんじゃなくて、あなたたちがこの世界の言葉を話せるようになったのよ」
「…ちょっと意味が分からないんですけど」
「異世界からの転生者はあなたたちが初めてではないの。例えば、大賢者エルナーダがそうだと言われているわ。彼が産み出した八十八の宝具って呼ばれる宝具の一つに、転生者の必需品ってアイテムがあってね。アッキーフミが寝ている間にそれを使ったの」
「へー、エルズ・コレクション…」
そう言われると、テトの発音のうち"秋史"のイントネーションだけがおかしいのも納得だった。
固有名詞や人名など、この世界にない言葉に関しては上手く発音出来なくて当然だ。
(そのエルナーダって人も多分日本人なんだよな…)
テンセイシャノヒツジュヒン。テトの発音はその部分だけ完全にカタコトの日本語だった。
「もしかして、昨日テト様が貸してくれたローブもその宝具だったりするんですか?」
「良く分かったわね。あれはテングノカクレミノって宝具よ」
天狗というワードが出たからには、そのエルナーダという人物は日本人で決まりだろう。
いつか会うことができたら、お礼の一つでも言いたいものだと秋史は思う。
「着いたわ。その部屋がそう」
「ありがとうございます……って、うわあ!!!」
お手洗いに入るやいなや、正確には洗面台に取り付けられてある鏡を見た秋史が叫び声を上げる。
「アッキーフミ!?どうしたの??」
「いや、え…?これ誰……?」
自らの顔をペタペタと触る秋史。
鏡に映る見ず知らずの少年もまた、彼と同じく茫然とした表情で頬に手をやっていたーー。
ーーこの話題で弄られてから、もうかれこれ30分は経つだろうか。秋史はとうとう恥ずかしさで顔が赤くなることもなくなる。
「ごめんなさい!もう本当に笑いませんから!」
目尻の涙を拭き取りながらレニが言う。
しかし、その台詞はついさっきも聞いたばかりだった。
「レニにも見せてあげたかったわ。あの時のアッキーフミの顔。ふふっ」
「そんなこと言ったらまた…」
それ以上の言葉を続けられなくなったレニがまた笑い始める。
さっきからずっとこの調子だ。
テトと一緒にぬいぐるみの部屋へと戻って来ていた秋史は、持ち込んだ手鏡に映る自分の顔ーーレニと瓜二つの少年ーーをまじまじと見つめる。
白金色の髪に淡い紅藤色の瞳。
日本で言えば中学生か高校生ほどの年齢に見えたが、年相応のあどけない雰囲気の中にも凛々しさや気品と呼べるものが備わっており、それだけで一芸があると言っていい顔立ちをしている。
秋史が26年間共にしてきた顔とは、似ても似つかない美少年がそこにいた。
「アッキーフミってちょっと抜けてるのね」
「ふふっ。天然さんですよね」
「…仕方ないだろ。レニと違って、髪もこれだし」
そう言ってオールバックに固められている自らの頭を指差す。
これでは髪色が変わっていることにも気付きようがないという秋史の主張だった。
「確かに私の場合は、最初に髪を見ておかしいと思いましたけど。でも、私がこの顔で"田井中れに"って言った時は、変だなって思わなかったですか?」
「…いや、れにって名前だから、てっきりハーフなのかなって……」
そう、元の姿でこの世界に転生されていると思い込んでいた秋史は、今の今までテトの部屋にあった人形ーー彼女によって産み出された人型のゴーレムーーを容れ物にしていることに気付いていなかったのだ。
気付いて、色々なことに納得する。
例えば最初にレニが動き出した時のこと。元々は秋史の想像通り、やはり彼女はただの人形だったのだ。
安易な言い方になるが、レニの魂が入ったことによって、当初感じていた気味の悪さや違和感は急速に消えたのだろう。
当然、何で一番最初に言ってくれなかったのかをテトに問いただす秋史だったが、
「初めの説明の時に言ったわよ。アッキーフミって全然人の話を聞かないんだから」
そう呆れられてしまう。
確かにその指摘に関しては、秋史自身も思い当たることがあった。
前の世界から数えても今までに何度友人から指摘されたか分からない、自らも認める短所の一つだったからだ。
「…以後気を付けます」
「よろしいっ。それにしてもアッキーフミって変な子ね。侵入者のことをチェシカかも知れないって言い当てた時はすごい感心したのよ?」
せっかく上がった株を自ら暴落させてしまったという訳か。
と言うより、そもそもあの巨大なくまのぬいぐるみにチェシカが入っていた時点で気付くべきだったと、秋史はまたしても遅まきに思う。
「でも、秋史さんが気付いてくれて良かった」
「そうね。アッキーフミがマギンの隣で指示してくれたおかげで、チェシカを傷付けずに済んだわ」
「本当にありがとう!秋史さんっ」
一転して二人から褒められた秋史は、思わず照れ笑いを浮かべる。
すると、目を覚ましたチェシカが3mにもなる巨体を起こした。
「おはようチェシカ。ぐっすり眠れた?」
レニの呼びかけに、チェシカが頭を擦り付けて答える。
昨日は憔悴し切っていたレニだったが、一晩明けてだいぶ元気になったみたいだ。
自らの天然ぷりもそれに一躍買っていると思えば、秋史は悪い気がしないでもない。笑われた甲斐があったと言うものだ。
「なぁに、チェシカ。お腹減ったの?」
チェシカに激しく甘えられていたレニが、その巨体にバランスを崩しながら尋ねる。
「ーーそういえば」
レニの言葉に秋史は思わずお腹をさする。
言われてみれば、この世界へ来てからまだ何も口にしていなかった。
秋史がレニを見ると、彼女も同様にいま気付いたという表情をしている。
二人はほぼ同時にテトへと視線を向けた。
「…魔人はその名の通り、魔素があれば何も食べなくても生きていける種族だから……えーっと、ご飯のこと忘れてたわ」
しまった。という表情を浮かべながら、テトは照れ臭そうにそう言った。