05. 2人と1匹
通路を小走りに進んでいるとすぐにマギンの姿が見えた。
スピードを落とした秋史は、その背中に恐る恐る近付いていく。
するとそれに気が付いたマギンが立ち止まって後ろを振り返った。
一瞬心臓が止まりそうになる秋史だったが、もちろんマギンが襲ってくる気配はない。単純に守る対象を確認しただけのようだ。
「えっと…よろしくね。マギン」
「ガシャン。」
秋史の呼び掛けに対して、コクリと頷いてくれるマギン。
その際、兜と鎧が当たって小さく鳴った金属音に秋史は思わず笑ってしまう。
それは喋ることが出来ないマギンにとっての、他ならぬ返事の代わりに聞こえたからーー。
ーーしばらく通路を歩いていると、ある扉の前でマギンが止まる。
どうやら侵入者はこの部屋にいるらしい。
(あれ、ここってもしかして…)
不用意に扉に近付こうとした秋史を、上から伸びてきたマギンの腕が遮る。
その際またしても心臓が止まりそうになる秋史だったが、遮られた意図はすぐに理解できた。
扉に近付き過ぎると危険が及びかねないから、ちゃんと後ろに居てね。マギンの言わんとしたいことは大体こんな感じだろう。
「ごめんごめん。この辺で大丈夫?」
安全な位置まで下がってそう確認すると、再びマギンが首肯する。
「ガシャン。」
そして今度も小さな返事付きだ。
この時点で、秋史の中にあったマギンに対する恐怖感は殆どなくなっていた。それどころか、このチャーミングな鎧の化け物に愛着すら湧き始めている。
そんな彼の好感度の変化を他所に、扉を開けたマギンが中へと入って行く。
慌ててあとに続いた秋史が見渡すと、そこは最初に目を覚ましたぬいぐるみの部屋だった。
「思った通りだ」
自らの予想を秋史は半ば確信する。
その時、唐突に伸びてきたマギンの手が彼を突き飛ばした。
思わず目を瞑って尻餅をついてしまった秋史の耳に、ガシャンと小さくも大きくもない衝突音が届く。
「マギン!」
マギンに体当たりしてきたのは、秋史が隠れ場所に選んだ巨大なくまのぬいぐるみだった。
座っている状態であっても3m近い高さの天井に届くほど大きく、そのため隠れ場所にはうってつけだったのだが、
(どうして急にぬいぐるみが動き出したんだ…?)
予想外の展開に秋史は戸惑う。しかし、相手は考える時間を与えてはくれない。
前足を床に着いた状態、つまり四足歩行の体勢を取ったくまのぬいぐるみは、間髪を入れず再びマギンに飛びかかってくる。
しかしいくら巨大だからと言っても、所詮ぬいぐるみに使われる素材ではマギンに背中を付けることは出来なかった。
何しろマギンの全身は金属で出来ており、質量で比較すれば圧倒的な差で軍配が上がる。
攻撃を受けても微動だにしない鎧の化け物を警戒してか、くまのぬいぐるみは一度距離を取ると部屋の隅へと逃げ込んだ。
その一連の動きを見ていた秋史は、ぬいぐるみの姿であることはひとまず置いておくとして、やはり自分の推測は間違っていなかったと確信する。
「マギン!その子は傷付けたらだめだ!なるべく傷付けない方法で、床に押さえつけて!」
「ガシャン。」
フェルトの体に痛点があるとも思えなかったが、念のためにそう指示を出す。
すると次の瞬間、どういう訳かマギンの背負っていた大槌が徐々に縮み始めた。
最初は自分の目を疑う秋史だったが、大槌が2/3ほどの大きさになったところでようやくその意図を理解する。大槌に使われている分の金属を、鎧の本体に回していたのだ。
そうしてあっという間に消えて無くなった大槌の代わりに、気付くとマギンの体は横にも縦にも育っていた。
標的を傷付けずに捕縛するためには、少しでも本体の体躯が大きい方が良いと判断したのだろう。自分の指示を忠実に守ろうとしてくれるマギンの行動を秋史は嬉しく思う。
大槌を形作っていた全ての金属を鎧に移し終えると、マギンはゆっくりとくまのぬいぐるみに近付いていく。
頭を低く下げ何やら威嚇している様子のぬいぐるみは、マギンが間合いに入ったと見るやいなや、前足を使って攻撃を仕掛けた。
しかし、その程度では鎧の身体はビクともしない。
侵入者の攻撃は大したことがないと判断したのか、一気に距離を詰めたマギンがぬいぐるみの懐に潜り込む。
右手をかち上げるようにして喉元に入れると、すぐさま身体を反転し、仰向けにひっくり返ったぬいぐるみの腹部を左手で押さえつける。
こうしてあっけなく決着はついた。
マギンの完全勝利だ。
「マギン!良くやった!!」
「ガシャン。」
勝利の雄叫びを上げる秋史にマギンが応えたーー。
ーーぬいぐるみは依然としてバタバタと暴れているが、マギンに押さえ付けられていてはどうすることも出来ない様子だ。
いとも簡単にぬいぐるみを捕縛してしまったマギンを見て、秋史は改めてテトのすごさを感じる。
(何となくテト様は魔術師の中でも優秀な気がするけど、他の魔術師でもこれくらいは出来るものなのかな)
ようやくーーとは言っても転生してからまだ2日も経っていないがーー自分が別世界にいることを実感しつつある秋史は、ぼんやりと今後の身の振り方を考える。
当面はテトが面倒を見てくれそうだったが、いつまでも甘える訳には行かなかった。
いずれは自立して、1人で生活が出来るようになる必要があるだろう。
まずはこの世界の成り立ちや職業について、明日になったらテトに質問してみようと思う。
そして出来ることなら、魔術についても。
「それにしても、テト様とレニはまだかな?」
二人の到着を待ちわびていた秋史がそう呟いた。
マギンを見ると、何故か少し困ったように俯いている。
どうやら、いまの独り言を自分に尋ねられたものと勘違いしているようだった。
「ごめんごめん。マギンだってそんなことは分からないよな。独り言だから、気にしないで」
「ガシャン。」
マギンを励ました後、手持ち無沙汰になってしまった秋史はおもむろに天蓋付きのベッドに移動した。
そこに腰掛けていると、すぐに横になりたい欲求に駆られる。
(…まずい。落ち着いたら、本格的に眠くなってきた……)
マギンには申し訳ないと思いつつも、この部屋には気を紛らわせる話し相手がいない。
睡魔の波は次第に強烈になっていき、とうとう堪えるのが辛くなっていた時だった。半ば船を漕いでいた秋史は、蝶番の立てる音によって覚醒する。
「ずいぶんと大きな容れ物に入ったのね」
「テト様!」
部屋へと入ってきたテトの声に秋史の眠気も一気に飛ぶ。
続いて姿を見せたレニはというと、誰が見ても分かるくらい泣き腫らした目をしており、憔悴し切っていた。
起こしてしまったことは悪かったと思うが、レニにはこの場に居てもらわなければならない理由がある。
「くまのぬいぐるみの姿だけど、多分この子がそうです」
「ふふっ。アッキーフミの予想通りね」
「あの…どういうことですか?」
ここに呼ばれた理由を未だに分かっていないレニは2人の会話に首をかしげる。
すると大人しくなっていたくまのぬいぐるみが再びマギンに抵抗し始めた。
その様子に、レニの視線も自然とぬいぐるみの方へと向く。
数秒間じっとぬいぐるみを見つめていたレニは、次に信じられないというような顔を一瞬したあと、最後はやはり泣き顔に変わった。
「もしかして…チェシカなの?」
レニがそう呼びかけると同時に、くまのぬいぐるみはより一層激しく暴れ出した。
頭を上下に動かしている姿は、彼女に向かって必死に鳴き声をあげているように見える。
「チェシカッ!!!」
ぬいぐるみの元へ駆け寄ったレニは、その巨大な頭を体全体で抱きしめる。
「マギン、もう大丈夫だから離してあげて」
テトの言葉を受けたマギンが力を緩めて立ち上がると、くまのぬいぐるみはすっかり大人しくなっていた。
「ごめんね…ちゃんと怒ってあげられなくて、守ってあげられなくて…本当にごめんね、チェシカ……」
数時間前に泣き疲れて眠ってしまったはずが、それでも彼女の涙が枯れることはなかった。
ひとしきりその様子を見守ったあと、ベッドから降りた秋史はレニの元へと近付いていく。
「ーー守ってあげられなかったって言われたら、おれだって同じだよ」
「…秋史さん?」
「守ってあげられなかったこと、いや、そうじゃないな…おれが自分の力を過信して、軽率な行動を取ったこと。そのせいでレニを傷付けてしまった」
「それは違います!!私がちゃんと考えてたらーー」
「おれもちゃんと考えてなかったんだ。だからレニと同じだよ」
違います。
消え入りそうな声でそう言ったのを最後に、そのまま泣き崩れてしまうレニ。
「ーーでもおれたちが幸運だったのは、神様にもう一度チャンスをもらえたことだ。神様がくれたものかどうかは分からないけど…少なくとも、おれはレニのせいだとは思ってないよ」
レニが抱きしめるのをやめてしまったからか、くまのぬいぐるみーーチェシカという名前の子猫ーーは巨大な頭を何度も彼女に擦り付けて、撫でて欲しいとせがんでいた。
どうやらよっぽど彼女に懐いているらしい。
「ほら、チェシカだってレニのことを恨んでなんかいないだろ?だから頼むから、そんなに自分責めないでくれ」
秋史が言い終わらぬ内に、レニは声をあげて泣き出した。
後悔と自己嫌悪だけの涙ではない。今回はそこにチェシカと再会できたことへの喜びも混じっているはずだ。
一生分の涙を今日一日で使い果たしてしまいそうな勢いのレニを二人と一匹が囲む。
すぐには無理でもいつの日か、彼女が自分のことを許してあげられる日が来ることを願って。
読んで頂いた方、どうもありがとうございます。
本日の投稿はここまでです。
明日も20〜21時くらいに投稿する予定なので、気が向いたらまた覗きに来てやって下さいね。