04. 帰り道の真相
「すみません…とてもじゃないけど、俄かには信じられないです…」
テトからの説明を受けた直後、茫然自失の秋史が独り言のように呟いた。
彼女の話を要約すると、どうやらこういう事らしい。
・秋史とレニは日本で命を落とした後にこの世界にやってきた転生者であり、二人からするとここは異世界に当たるということ。
・この世界には精霊や魔人、亜人種などといった人間以外の万物の霊長が複数存在しており、その中でもテトは魔人と呼ばれる種族であること。
・鎧の化け物はテトによって産み出された流動性金属型ゴーレムで、侵入者の排除を命じられていたために秋史を襲った。
・それを可能にしているのが魔術であり、秋史の治療にも使われている。
この説明を受けて言葉を失わない人がいたら連れて来てほしいと言いたいところだが、同時に、秋史にはそれを根本から否定することも出来ない。
その理由の一つがレニだ。
彼女は一晩早くテトから話を聞いており、今は初めて会った時に比べてだいぶ落ち着きを見せている。
それはつまり、彼女がテトの説明を大方受け入れていることを意味していた。
テトとレニに二人掛かりで揶揄われている可能性も考えたが、それはないと思う。
第一、そんなことをするメリットがない。
知り合って間もないが、秋史はレニのことを悪い子ではないと思っている。
そしてテトもまた、そんな彼女から信頼を寄せられている節があった。
しかし秋史が説明された話は、全てを信じ切るにはあまりに現実離れしている。
(ーーでも何でレニはこんな荒唐無稽な話を信じることが出来たんだろう。それこそ、おれが受け入れるよりもよっぽどハードルが高かったはずなのに。それに…)
肝心の部分の説明がまだだった。
「…あの、聞きたいことがあります。仮におれとレニが転生者だとして、何故二人いっぺんに転生してしまったのでしょう。気付いたらぬいぐるみの部屋で寝てて、その前の晩の記憶がほとんどないんです。テト様は何か知っているのですか?」
するとどういう訳か、その質問に対して反応したのはレニの方だった。
明らかに動揺している様子の彼女に、秋史はぬいぐるみの部屋での会話を思い出す。
「そういえばレニは、あの時何かを言い掛けてたけど…」
そう、突如鳴り響いた鎧の化け物の足音によって遮られてしまったが、確かにあの時、レニは昨日ーーこの時点ではすでに一昨日に当たるーーの夜に何があったのかを覚えていて、それを話そうとしていた。
「…何か知ってるんだね?」
そう問いかけると、意を決したレニが口を開いた。
「…ごめんなさい。秋史さんが死んでしまったの、私のせいなんです……」
「…どういう事?」
「私、あの夜…近所の子猫にご飯をあげに行ってて…そしたら他の子も集まってきちゃったから、ご飯が足りなくなって……」
ポロポロと連珠のような大粒の涙を零すレニの手をテトが優しく握る。
「それでっ…お店でご飯を買って来ようとしたら、チェシカが…子猫が後を着いて来ちゃって……」
ここまで説明されたら、あとの展開は秋史にも想像が付いた。
「ダメだよって言ったのにッ…でもずっと後を着いてくるのが可愛くて……大通り沿いだから本当はダメなのにっ……私がちゃんとダメだよって言ってたら…喜んだりしてないで、もっとちゃんとダメだよってチェシカに言ってたら……そしたらっ……」
「ーーうん。もう分かったから、この話はおしまいにしよう。勇気を出して話してくれてありがとう。レニ」
見兼ねた秋史がそう切り出すと、レニは堰を切ったように声をあげて泣き出した。
秋史と違い、彼女は自分が死んだ時の記憶を鮮明に覚えていた。だからこそ、テトの話をすぐに受け入れることができたのだ。
「がんばったね、レニ。こっちにおいで」
テトに肩を引き寄せられたレニは、そのまま彼女の胸に顔をうずめる。
よっぽど辛かったのか、彼女が泣き止むまでは随分時間がかかった。
そして泣き止むとほぼ同時に、テトの膝を枕がわりにして寝息をたて始める。
聞けば秋史が目を覚ますまでの間、レニは一時もベッドの側を離れずに看病をしてくれていたという。
この世界に来てから一度もまともに眠っていないのであれば、無理もない話だった。
「昨日も大変だったの」
そう言ったテトは、白金色をしたレニの髪を優しく梳きながら微笑む。
「おれが寝ている間に、一度テト様は話を聞いてらしたのですね」
「うん。結局、その子猫も死んじゃったみたいだし…それにしてもーー」
そこまで言って一旦言葉を区切ったテトは、視線を膝元のレニから秋史へと移した。
吸い込まれそうな紺碧の瞳に見つめられて、秋史の胸の鼓動が意味もなく早まる。
「ーーアッキーフミは死んじゃったって分かっても全然悲しそうにしないのね…?」
「えーっと…まだ頭が追い付いてないって言うのもあるんですけど、おれがあからさまに悲しんでしまったら、きっとレニは自分を責めてしまうと思って……」
「…そっか。でも良かった。アッキーフミが思っていた通りの良い子で」
(良い子って…今年で26歳になるんだけど)
10代後半から20代前半程度にしか見えないテトの発言に、秋史は心の中でそう突っ込む。
「ーーじゃあ、私はレニをベッドに運んで来るから。アッキーフミも今夜までは大人しく寝ていてね」
「分かりました。あ、あと…」
「おやすみ、アッキーフミ」
名前の発音について切り出そうとしていた秋史だったが、テトにくしゃくしゃと髪を撫でられたことでタイミングを失ってしまう。
「…おやすみなさい」
一先ず今日のところは諦めることにすると、頭まで隠れるように布団を引き上げたーー。
ーー部屋で一人になってからしばらく経ったが、秋史の目は冴えている。
昼間眠ってしまったからではない。
いや、それも関係しているのかも知れないが、眠れないことには別の明確な理由があった。
「あー。本当に情けない」
自己嫌悪の中、一人そう呟く。
渦巻く嫌悪感の根源には、レニを助けられなかった自身に対する怒りがあった。
自分がちゃんとしていれば子猫が大通りに飛び出すことはなく、それを庇った秋史が轢かれることもなかったと彼女は懺悔した。
それは確かにその通りなのかも知れない。
けれど秋史には、そのことでレニを恨む気持ちはなかった。何故なら彼の場合、結局は何もしていないのと同じだったから。
それどころか、何もしていなかった方がよっぽどマシだったとさえ思っている。少なくとも何もしていなければ、助けられなかった子に泣きながら謝られることや、不必要に彼女を苦しめることもなかっただろう。
自らを過信して取った行動が、レニに一生残るかも知れない負い目を作らせてしまったのだ。
(助けようとした女の子と揃って異世界に転生される間抜けがどこにいるんだよ…)
自らの不甲斐なさに秋史が大きくため息を吐いたその時。
ガギィィン!
部屋の外から聞こえてきた鎧の化け物ーーあらためマギンーーの足音に秋史は体を起こす。
立て続けに鳴り響く足音は、マギンがどこかへ移動していることを意味していた。
(…ということは、侵入者か?)
テトの説明では、マギンは対侵入者用に産み出されたゴーレムとのことだった。
気になってそわそわしていた秋史はその直後、蝶番の軋む音に飛び上がる。
「やっぱり起きてた。ちゃんと寝てなくちゃダメじゃない」
扉から入ってきたのはテトだった。
でも何故だ?
「部屋の前を通ったら起きてる気配がしたから、心配になって覗いてみたのよ」
いま何で考えてることが分かったんだ!?
心が読めるのだろうか?
「緊急時以外には使わないから安心して」
そう言われてほっとする秋史。
テトはと言うと、さっきからずっと廊下の一点を見つめており、何らかの方法で侵入者とマギンの位置関係を確認しているようだった。
彼女の集中力を切らせては申し訳ないと思った秋史が無言でいると、会話をしながらでも平気だと返答がある。
確かに便利な力だ。
「ーー侵入者って結構入ってくるものなんですか?」
「うーん、そんなことはないはずなんだけど。私が眠っていた100年間と起きてからの半年を合わせても、侵ってきたのはあなたたちだけだし」
「100年!?何でそんなに長い間…って、テト様はいま何歳なんですか……?」
「150歳くらいよ」
魔人という種族が何歳まで生きるものなのかは分からなかったが、子供扱いされたことには納得がいく。
(それにしても、100年の間の侵入者がおれとレニの2人だけってことは、それって実質0だよな。魔法の結界でも張っているのか?でも、そんな優秀な結界がこのタイミングで破られるって…いや待てよ、もしかしてーー)
「ーー確かに。その可能性は高いかも」
またテトに心を読まれる。
いや、でも、もしも本当にそうだとしたらーー。
「おれ、レニを呼んできます!」
自分でも声が弾んでいるのが分かる。
ベッドから降りた秋史がテトのもとへと駆け寄ると、最初の何歩かはふらついたが、踏ん張りも効くし走ることも出来た。
想像以上に回復している体に秋史は驚く。
「だめよ。アッキーフミは大人しく部屋で待ってなさい」
「体ならもう大丈夫です!テト様のおかげですっかり良くなってます!」
「うーん…でも……」
どうしてもと言って聞き分けのない秋史に困った顔をするテトだったが、数秒考えたのち、仕方ないといったようにため息をつくと微笑んでくれる。
「分かった。レニは私が呼んでくるから、アッキーフミはマギンと一緒に先に向かってて」
「やった!ありがとうございます!」
マギンと一緒なのは少し怖かったが、それよりも留守番を免れた喜びが勝る。
「通路を出て左に行けばあとは足音で分かるわ。いい?大丈夫だとは思うけど、必ずマギンの後ろに隠れているようにね」
「はい!」
「それと、万が一本物の侵入者だった場合」
テトの顔から微笑みが消える。
「これを着てその場から絶対に動かないって約束して。このローブは纏った者の姿を隠してくれるの。ただし、声をあげてはダメ。すぐに私が助けに行くから、それまではローブを被って出来るだけ小さくなっていること。私が着いたら、ゆっくりとその場から離れて。約束できる?」
「わ、分かりました。約束します」
その真剣な顔付きに、秋史はつい気圧されてしまう。
すっかり決め付けていたが、いま思い浮かべている侵入者はあくまでも秋史とテトの推測でしかなかった。
その万が一を想像すると、先ほどまでの嬉々とした気持ちが蜃気楼のように消え失せてしまう。
すると案の定テトから、
「やっぱりアッキーフミはここで待ってる?」
「…テト様、もうその魔法は使わないって約束して下さい」
顔を赤くして部屋を出た秋史の耳に、後ろからくすくすと笑いながら謝るテトの声が聞こえてきた。