表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/27

02. 空洞です

錆びた蝶番の立てる不穏な音が止むと、足音の主が部屋の中へと入って来るのが分かった。

この部屋には絨毯(じゅうたん)が敷き詰められているため、先ほどまでの身の竦むような金属音が鳴ることはなかったが、床に伝わる振動によって秋史はそれを察知する。


一方、ベッドの下に隠れている少女の目には錫色(すずいろ)の金属製の靴が映っていた。

足元しか見えないのでそれ以上のことは分からなかったが、音の原因はどうやらその靴によるものらしい。



(ーー良かった。あの人も無事に隠れられたみたい)



ベッドの位置からは丸見えの秋史を視界の端に捉えた少女は安堵する。

でも、どうして別々に隠れたんだろう。そう疑問に思う彼女だったが、その理由は知る由もなかったーー。









ーー秋史はと言うと、間一髪のところで巨大なクマのぬいぐるみの陰に身を滑り込ませることに成功していた。


予想外のアクシデントの産物だったが、少女と一緒にベッドの下に潜らなかったことは結果的に良かったと思う。

少なくともこれで、2人いっぺんに見つかってしまう事態は避けることができた。



そもそも後ろめたいことがないのであれば隠れる必要もないのだが、悲しいことに秋史には昨晩の記憶がない。

足音の主のことは少女も知らないみたいだし、せめて何者かが分かるまでは身を隠しておくに越したことはなかった。


そしてその判断は正しかったと、巨大ぬいぐるみの陰から頭を出した秋史は思う。



(…なんだコイツは)



両開きの扉から現れた足音の主は、全身を西洋風の鎧で覆った大男だった。2mを超えであろう身長に加え、背中にはバカでかい大槌を背負っている。


これではとてもじゃないけど姿を現わす気にはなれなかった。

こんな格好で家の中を彷徨く異常者に、身の危険を感じない方がおかしい。


一先ずこの場は隠れてやり過ごそう。そう決めた秋史は、ぬいぐるみの陰から慎重に様子を伺う。



大男は部屋の中央まで来ると、その場で立ち止まって360度を見回した。

鎧のせいかいちいち動作が鈍い。


このまま部屋を出て行ってくれとぬいぐるみの陰から一心に祈る秋史だったが、そう上手くことは運ばない。

再び動き出した鎧の大男は、そんな彼を嘲笑うかのように少女が隠れているベッドに向かって歩き始めた。



(おい、そっちには行くな…)



依然として足並みは遅いが、まっすぐにベッドを目指している。



(行かないでくれ…)



秋史の願いもむなしく、鎧の大男の歩みは止まらない。



部屋を埋め尽くすほどの人形とぬいぐるみのせいで気がつかなかったが、この部屋には天蓋付きのベッドの他にはテーブルや椅子といった家具の類が一切見当たらない。

人が隠れられるようなスペースは、最初からベッドの下くらいしかなかったのだ。


しかし結果論とは言え、秋史の指示のせいで少女は危機に陥ろうとしており、原因の一端が自らにあることは言い逃れのできない事実だった。



隣に寄越した時に伝わってきた少女の怯えた様子が、秋史の自責の念をより一層強くする。

おそらく今も、隠れているベッドに刻一刻と近付いてくる鎧の大男に対して、少女は肩を抱いて震えているのだろう。


鎧の大男の止まらない歩みを見て、秋史は意を決する。



「あの…!すみません!」



クマのぬいぐるみの陰から飛び出した秋史がそう言うと、鎧の大男はようやく歩を止めてくれた。



(さて、どう話を切り出すべきか…)



とりあえず、昨晩知り合ったかも知れない女性云々の推測に関しては黙っておいた方が良いだろう。

もともとこの理解不能な状況に整合性を持たせるため、半ば無理矢理に作り出した妄想に近い推測だ。事実ではないかも知れない話をして、自らの首を絞めることもない。


昨日の記憶が殆どないこと、気が付いたらここで眠っていたことだけを正直に伝えよう。

最悪、警察を呼ばれても構わない。



鎧の大男が背中に背負った大槌の柄に手をかけたのは、秋史が考えをまとめ終えたまさにその瞬間だった。



「ち、ちょっと待ってください!とにかく一回それを置いて、話をーー」



しかし言い終わらない内に、鎧の大男が突進し始める。



「ーー話を聞いてくれ!!」



問答無用だった。

頭で考えるより先に体が動く。秋史は扉へ向かって一目散に走り出していた。



部屋を出て通路に出ると、まず最初にその長さに驚く。

一体どれほど大きい屋敷なのか、ここが日本かどうかも疑わしくなるほどだ。


通路は左右に伸びているが、考えている暇はない。勘で右を選んだ秋史は全速力で通路を逃げる。



鎧の大男の動きは先ほどまでと明らかに異なっており、大槌を持っていることや全身を鎧に覆われていることを考えると、信じられないくらいの速さで後を追って来た。

しかし、それでもまだ秋史の方が速い。



(とにかくこのまま外へ出て警察を呼ぼう…!そういえば、携帯や財布はどこに行ったんだ…!?)



こんな状況だからか、妙なタイミングで冷静になった秋史は走りながらズボンのポケットを探る。しかし中には何も入っていない。


いや、と言うよりも、ズボン自体が昨晩履いていたそれではなかった。

ズボンだけではない。上のシャツも靴も、身に付けているものすべてが変わっていることに今更ながら気付く。



(…なんだこれ。もしかして、思ってたよりもずっとまずい状況なんじゃないか……?)



ここに来てようやく何らかの事件に巻き込まれた可能性に思い当たる秋史だったが、何れにしても外に出て助けを呼ぶことが先決には変わりなかった。




200mほど走った頃、ようやく10mほど先に突き当たりが見える。

唯一の進行方向である右手に曲がる直前、秋史の脳裏に嫌な予感が過ぎた。



(頼むぞ…)



突き当たりを曲がってすぐ、彼の表情に翳りが見え始める。しばらくして、それは絶望の色に変わった。


ずっと先に見える通路の突き当たりに、左右どちらの道も見当たらなかったからだ。



「クソ!…ふざけんなよ!!」



想像しうる最悪の展開に思わず激昂する。

走りながら辺りを見渡すも通路には一切の窓がなく、何か手を打たなければこのままだと袋小路だった。


そうしている間にも、角を曲がった鎧の大男が秋史と同じ一直線に入る。

これでどこかの扉に入ってやり過ごし、隙を見て今来た通路を戻ることも出来なくなった。



(いや、これだけでかい屋敷なんだ。部屋の中に2箇所の扉があって、別の通路に抜けられる可能性もあるんじゃないか?)



どちらにしろ、このまま走ったところで通路は行き止まりなのだ。

一縷の望みに賭けた秋史は、そばにあった両開きの扉を体当たりするようにして開けると、その勢いのままに部屋へと転がり込む。



「はあ、はあ…何だよこれ……」



部屋に入った秋史は、目の前の光景に思わず立ち竦んだ。

そこに並べられてあったのは西洋風のサーベルや槍、鎧の大男が装備している物によく似た甲冑、盾などいった武具の数々。そしてその中には、歴史の教科書で見たような中世風の銃まで並べられている。


その光景に一瞬思考が停止するものの、通路から聞こえてくる大男の足音によって我に帰ると、急いで部屋を見渡した。

しかし出入り口はさっき入ってきた扉の他には見当たらない。



(…項垂れている暇なんてない)



幸い、鎧の大男とはまだ少し距離がある。

すぐに気持ちを切り替えて通路へと戻れば、次の部屋にも間に合うだろう。


しかし、考えとは裏腹に秋史はその場を離れられない。



本当にそれで良いのだろうか?

突然降って湧いたもう一つの選択肢に、彼の心臓の鼓動が早まる。


それは最初から選択肢の中になかった。

相手は2mを越す大男で、全身を鎧に包まれており、おまけに武器まで持っているのだ。素手の秋史が敵う道理はない。



(でも、今なら闘えるかも知れない…)



視線の先にある数多の武器を見つめながら、秋史は一人頷く。



鎧の大男と対峙することを決断した秋史は、まず最初に開けっ放しにしていた両開きの扉を閉めにかかる。

そこで初めて扉に閂持桟(かんぬきもちざん)が取り付けられている事に気が付くと、横木の代わりとして槍を差し込んだ。

これで多少は時間を稼ぐことができるはずだ。



続いて部屋の奥へ進むと、無造作に並べられている銃の内の一つを手に取る。

手に取って、その想像以上の重みにたじろいだ。子供の頃に友だちから借りたエアガンとは、比べものにならない重厚感だったからだ。



(あれ…これって引き金を弾いたらそのまま撃てるのか……?)



ここに来て重大な問題に気付く。

当然のことながら、秋史が本物の銃を触るのは今回が初めてだ。ましてや手に持っているのは現代式の自動拳銃ではない。

そもそも玉が入っているのかどうかさえ分からないし、それを調べる方法も彼の知識の中にはなかった。



(威嚇には充分だと思うけど。いや…撃ち方が分からないことを鎧の大男に気付かれたら……)



その可能性は充分考えられた。

ひとまず銃をお守りがわりに抱きかかえ、もう一度辺りを物色し直していた時、秋史の目にあるものが映る。


それとほぼ同時に鎧の大男の大槌が扉に向かって振り下ろされると、横木として差し込んでいた槍が激しくしなった。



(まずい!急がないと…!)



秋史の目に映ったもの、それは(おおゆみ)だった。


備置きのタイプの弩はボーガンよりも遥かに大きく、弓の長さは広げた両手ほどある。

これを打ち込まれれば鎧の大男とてただでは済まないだろう。


弩を引き摺るようにして扉の方へと向けた秋史は、近くにまとめてあった槍ほどの大きさの矢を一本引き抜く。


幸い弩の仕組みは何となく理解できた。

横に取り付けられた歯車を回すと、想像通り結び付けられた紐によって弦が引かれていく。

ある程度回すとーー銃で言う撃鉄のような部分まで弦が達するとーーそれ以上歯車は回らなくなる。

後は台に矢を取り付ければ準備完了だ。


おそらく撃鉄の下、台の両翼から飛び出ているレバーが銃でいう引き金に当たるのだろう。



秋史が準備をしている間も、大槌は扉に向かって絶え間無く振り下ろされていた。

そしてついに横木代わりにしていた槍が折れると、その衝撃によって蝶番が音を立てる間も無く両開きの扉は全開になる。



「そこで止まれ!!一歩でも動けば矢を撃つ!!」



鎧の大男が部屋に入って来るより先に秋史はそう叫んだ。


備置きの弩には小回りが利かないという弱点がある。

部屋への侵入を許せば大男に左右のスペースを与えることになり、そうなれば簡単に標準を変えられない弩は一気に無力化されてしまう。

つまり弩が威嚇として通用するのは、鎧の大男が扉の外にいる状況に限られた。


念のために足元には銃を置いているものの、万が一部屋の中に入ってきたらその時点で矢を撃たなければならない。しかし、



(…幾ら何でもそんな無茶はしてこないだろう)



この状況を作り上げた時点で秋史は自らの優位を半ば確信していた。これでようやく話し合いに持ち込めると、そう踏んでいたのだ。



「手に持ってる大槌を床に置くんだ!!いや、出来るだけ遠くに投げ捨てろ!!そのあとに両手をーー」



その為、平然と部屋の中へ入ってくるという予期しない鎧の大男の行動に、秋史は思わず自分の目を疑う。

動転した彼は殆ど無意識の内に弩の引き金に手をかけていた。


一瞬引き金の固さに背筋が凍るものの、全体重をかけてそれを下に引くと、放たれた矢が鎧の大男の胸に深々と突き刺さる。

突き刺さって、ようやく秋史は我に返った。



とんでもないことをしてしまった。

自分がしてしまったことの重大さを脳が認識すると、全身が恐怖によってガタガタと音を立てて震え始める。



(とにかく、外へ出て、助けを…それに救急車も、呼ばないと……)



しかし考えとは裏腹に、秋史はその場から動けない。

頭では今しなければならない事が何なのか分かっているのに、体が言うことをきかなかった。


そしてついには崩れるようにして床に座り込んでしまった彼の視界に、毀れた鎧の破片が映る。

映った、その時だった。



「…え……?」



床に散らばった金属片が一斉にスライムのような流体へと変化し始めたのだ。

何が起きているのか分からず唖然とする秋史を他所に、それらはズルズルと床を這って鎧の大男の元へと集まろうとしている。




ーーガシャン。と音がした。


釣られて視線を上げた秋史の目に、胸に刺さった矢を引き抜こうとしている鎧の大男が映る。



(…何でまだ動けるんだ……?)



矢は確かに大男の胸を貫通していたが、奇妙なことに血が流れてくる気配がなかった。

それは引き抜かれた矢も同じで、鈍色の(やじり)には赤く染まるどころか、血の一滴さえ付着した様子がない。


すると、その穴から視線を反らせずにいた秋史があることに気付いて飛び退くような悲鳴を上げる。

彼の目に映っていたのは、鎧の大男の胸に空いた穴から覗く通路の壁ーー。


そう、信じられないことに鎧の中は空洞になっていた。甲冑を着込んだ大男など最初から存在しなかったのだ。



秋史は一度見上げた(こうべ)を再び垂らすと、震える声で力なく呟いた。



「そうか…これは全部夢なんだ……」



目の前で起きている光景は理解の範疇をとっくに超えており、そう思い込む以外、秋史にはまともでいられる術がなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ