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托卵?  作者: り(PN)
7/12

7 涙

 それから数日は残業が続いたので男の探索がままならない。それで、ぼくの気持ちがジリジリする。が、止むを得まい。我慢するしかないだろう。

 会社の人間もそうだが、ぼくの妻に、この焦りを気づかせてはならない。けれども、ぼくは不器用な人間だ。そういった人目を騙す器用な真似が苦手なのだ。

『木村さん、最近少し可笑しくない』

 会社の人間から面と向かって言われたわけではない。が、噂はやがて本人の耳に入る。

『心配事でもあるのかね』

『あそこは両親も元気なはずだけど……』

『賭け事をやる人でもないしな』

『まさか、美人の奥さまが浮気をしたとか』

『いや、それはないな。木村のところは相思相愛だよ』

 会社の同僚に夫婦仲が良いと思われているのは幸いだ。何度か家に食事に来て、そう感じたのだろうか。今のところ、上司に注意される事態にまでは陥らない。が、早晩、そうならないとも限らない。

「あなた、本当に大丈夫ですか」

 家に帰れば妻がぼくを心配する。妻の表情に嘘は見えない。

「難しい案件を抱えていて気持ちがピリピリしているだけさ」

「そうですか。それならいいのですけど……」

 創は、誰に似たのか鈍感な性格らしく、ぼくのそわそわに気づかない。暇さえあれば、ぼくと一緒に遊びたがる。ぼくにとって唯一の救いだ。

 他人の子供かもしれない、というのに……。

 ぼくには全然似ていない、というのに……

 そう思っても、ぼくは創が愛しい。疑惑は残るが、妻にしても、それは同じだ。

 感情のアンバランスゾーンを、ぼくが漂う。心臓の辺りがジクジクと重く、いつまでも気持ちが悪い。

「今夜、早く帰れるようなら、電話をください。あなたの好きな料理を作りますから……」

 出がけに妻に言われ、ぼくが首肯く。が、心の中ではチャンスを奪われたとも感じている。あるいは妻の妨害なのだろうか。ぼくが、あの男を調べる行為の……。

 まさかと思うが、真相は藪の中から出てこない。ぼくが男を追うように、あの男もぼくのことを追い、ぼくが自分の浮気相手の夫だと知り、妻に連絡を入れたとか。あるいは妻が『ぼくが男のことを知った』と悟り、用心しているのか。

 疑い始めればキリがない。

 妻の浮気が本当なのか、それともぼくの勘違いなのか、あの男の身元がわからなければ知りようがない。それで、ぼくは探索を再開する。

「申し訳ないけど、今日も遅くなるよ」

 妻に嘘の電話をかけてまで……。

 二社目の『(株)S電気工務店』はビル内のテナントだ。勇気を振り絞り、架空の案件を相談しに入る。受け付けと応接室は旧いが掃除が行き届き、相手をしてくれた人間も愛想が良い。ぼくの家から近いわけではないからエアコン修理を頼むのは不自然だ。が、会社から近いので、『ネットで調べ、相談しに来た』と説明すれば、少しは不自然さが減るだろう。

「今年の夏は暑かったので、エアコンが毀れた家や会社が多かったと聞きます。それで、フロンガスでしたっけ、その確認というか、点検をお願いする時期的なご相談をしたくて伺いました」

 架空のぼく案件だ。が、そんなに嘘には聞こえないだろう。

「お客様がエアコンを購入されてから、どれくらいの年数が経っていますか」

 相手が商談に入り、ぼくに幾つか質問をする。ぼくはそれらに答えながら工務店の中を探り続ける。暫くすると作業員が一人帰って来る。来ていた作業着が、ぼくが見たものと明らかに異なる。だから、ぼくは早々に商談を切り上げる。

「お手間を取らせてしまい申し訳ないですが、もう少し考えてみます」

 そんな、ぼくの言葉に営業の男は気を悪くした様子も見せず、

「またのお越しをお待ちしております」

 と、ぼくを気持ち良く工務店から送り出す。

『(株)S電気工務店』にいる間、ぼくはずっと作り笑いを浮かべている。が、外に出た瞬間、それが消える。結果は先送りだ。ぼくの心は半ば安堵し、残り半分が不安で揺れる。試験の結果を先送りされたときのような心境だろうか。結果を早く知りたいが、知りたくない。おそらく良い点数ではない、と思うから……。

 それにしても、次の一社に、あの男はいるのだろうか。それとも、そこも違う会社で、あの男が務める本当の『(株)S電気工務店』はネットに広告を出していない、経営者が年寄りの会社なのだろうか。

 そんなことを考えながら夜道を歩く。家に辿り着く時間を計算し、妻に電話を入れる。

「今日は本当に、ごめん。あと四十分くらいで家に着くと思う」

「気にしないで。あなたの好きなものを作ったから……」

「ありがとう。愛しているよ」

「あら、珍しい。わたしも愛していますから……。それに創も、愛している、だって……」

 ついで創が電話に出る。

「パパパパパパパパパパ……。」 

 興奮しているのか、次の言葉が続かない。が、暫くすると、

「ぼく、きょう、かけっこで、いっとうしょう、だったよ」

 早口で、ぼくに自慢する。

 そんな創の声を聞き、ぼくは思わず、じわっ、と涙を流す。


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