4 歩
創は恙なく成長し、今年で三歳になる。顔は相変わらず、妻そっくりだ。が、ぼくに良く懐いている。もちろん妻と仲が悪いわけでもない。典型的な、幸せな家庭ができあがっているようだ。
創が幼稚園に入園する。入園式には、ぼくも参加する。整列した子供たちは皆可愛い。が、親の欲目か、ぼくには創が一番可愛く感じられる。
けれども、それは何処の家の親でも同じかもしれない。子供が一番可愛い時期なのだから……。
ついで反抗期があり、子供が親の所有物から離れ、個人となる。その前に、それぞれ子供に人格/個性が目覚め始める。同じ子供など一人もいない。落ち着いている子供、落ち着きがない子供、そわそわしている子供、泣き出しそうな子供、いつでも笑顔な子供……。
赤ん坊のときには親か、親戚にしかわからなかった子供の個性が、大勢の他人に見分けられるようになる。その中には良くない個性もあるが、それも人格と認めつつ、是正していかなければならないだろう。
幼稚園にはスクールバスで通う。大人なら歩いて通える距離だが子供には辛いからだ。街区としては結構離れている。近隣にある学校の数にもよるが、同じ中学への通学範囲といったところか。だから三キロメートルくらいだ。
創は乗り物に弱い。ガソリンの臭いが苦手のようだ。それでも、その距離ならば、問題は生じない(ことが多い)。幼稚園の友だちと話しているうちに幼稚園に着いてしまうので、バス酔いに気づかないのかもしれない。
創のバス酔いは、ぼくからの遺伝だ。今では平気だが、ぼくも子供の頃には常にバス酔いをしたものだ。自家用車ならば不思議と平気だ。その理由は今もってわからない。
自分のバス酔いを自覚してから、ぼくはできるだけ、バスの前部座席に座るように心がける。ガソリンの臭いという弱点に、バスの予期せぬ動きが加わると必ず酔うためだ。誰に教えられたのか忘れたが、バスの前方の席で外を眺めていれば、バスの動きに身体が付いて行き易い、と習ったことがある。これが、後ろの席ではバスがどちらに曲がるかわかり難い。バスの車長が長いからだ。自分で判断できない事柄に人はついていけない。逆に言えば、自分で漕ぐ自転車で酔う人がいないのと同じ理屈だろう。
そういえば、創も補助輪が付いた小さな自転車に乗っている。補助輪がコンクリートの路面に当たり、ガリガリと鳴る音は大人には煩い。が、遊んでいる子供たちは気にならないようだ。思い返せば、ぼくも当時、まったく同じことをして遊んだはずだ。
ぼくは運動神経がない方なので補助輪なしの自転車デビューは小学校三年生だ。が、創の場合は妻の運動神経(元バレー部)が勝り、すぐにも補助輪が取れるだろう。
今でも、近くの公園ならば、創と妻とぼくの三人で遊びに行っている。将来的には皆で近くない公園や河川に自転車で行けるようになるだろう。とても愉しみだ。
そんな創が今は部屋の中で眠っている。日曜日の午前中に冒険をしたので疲れたのかもしれない。創の冒険とは家から幼稚園まで歩くことだ。どうして、そうしたいと思ったのか、ぼくにはわからない。けれども血は争えないと感じている。
実は、ぼくも嘗て同じことをしているのだ。距離が少し近かったが……。それでも二キロメートル以上はあった、と思う。ぼくの初冒険だ。
子供の歩ける距離は、一歳で一キロメートル、二歳で二キロメートル、三歳で三キロメートルが目安らしい。歩く速さは、三歳児で、約一メートル/秒という研究がある。二十三歳では約一・五メートル/秒だそうだから、そう変わらない気もする。が、歩く距離を考慮に入れれば、もっと差が開くのだろう。
元気な二歳児は二キロを三〇分で歩くという。これは驚きだ。宅建業法では、女性にヒールを履かせて歩かせたとき、一分間に歩ける距離が八〇メートルであったから、それを根拠に『徒歩○分』と不動産情報を記載しているという。二キロメートルは二〇〇〇メートルなので、これを八〇で割ると二十五(分)と計算される。五分の違いはあるものの、ヒールを履いた女性に近い歩速だ。
それはともかく、創は一時間弱で幼稚園まで辿り着く。妻とぼくが一緒に歩くのを創が拒んだから、ぼくたち二人は創の後方から付いて行くしかない。創も、それまでは拒まない。子供なりの不安があったのだろう。
大人でもそうだが、長距離を同じ速度では歩けない。だから創も徐々にペースを落とす。けれども挫けることなく、最後まで堂々と歩き切る。さすがに、そこからまた歩いて帰るとは主張しなかったが……。
『つぎは、ようちえんから、いえまで、あるく』
けれども妻とぼくに、創は、そう宣言したのだ。
が、所詮、子供は子供、帰りはぼくの背中におぶられる。冒険が与えた興奮なのか、創は家まではしゃぎ続ける。が、家に辿り着くと行き成りトーンダウンだ。可愛らしい寝顔を妻とぼくに見せ、眠っている。