MACCHI売りの少女
さる繁華街。
「……マッチ、マッチは要りませんか?」
積もりこそしないがそぼ降る雪の中。よれたコートを着た少女が、か細い声で道行く人達に声をかけます。
上着の襟からネクタイをのぞかせた男達は、けれど彼女には目も合わせようとせず足早すれ違っていくばかり。
「……マッチ、マッチは要りませんか? ……あの、すごく良いマッチなんですよ」
すれ違う人達とは会話さえ成り立たず。
なので彼女が手に持つバッグの中身は減る気配はありません。
これが少しでも売れなければ、彼女は夕食にありつくどころか、暖を取ることさえできないのでした。
「……マッチ、マッチは要りませんか? ……あの、おひとつ。如何ですか?」
夜の街へと出勤する途中なのであろう若い女性に声をかけてみるが。
女性は多少眉をひそめて彼女を見ただけで、その後。
慌てて目をそらすと、ヒールをならして足早に立ち去ってしまいました。
「……マッチ、マッチは要りませんか? ……ちょっとその辺では売っていませんよ?」
今までは遠慮していましたが、雪も強くなりもうなりふり構っては居られません。
多少余裕を無くした彼女は少し派手目の、明らかにサラリーマンでは無い男にも声をかけますが。
男は一瞥さえせず彼女から距離を取ります。
「困ったわ。このままでは……」
ビルとビルの隙間に入り込んでエアコンの室外機にもたれ、ため息の彼女。
現金の持ち合わせは皆無、当然カードの類いも持っては居ません。
鞄の中には食べ物も暖を取る道具も無く、ただ大量のマッチのみ。
今の彼女には、寒さを和らげるための手袋一つ。買うことはできないのでした。
「……いけないことだけど、少しなら」
彼女はかじかむ手で売り物のマッチをこすります。
白い煙を纏って炎が燃え立った瞬間、彼女の目の前には。
雪の中、優しそうなおばあさんが彼女に微笑みかけ。
自分のストールを外して彼女の頭に巻き付けようと手を伸ばしたところで。
彼女は室外機のうなりの中に戻されてしまいました。
「一時だけでも寒くないなら、とか?」
再度彼女がマッチを擦ると、周りは暖かそうな部屋の中に変わります。
大きな暖炉と小さなテーブル。
そして向かいに座る優しい目をしたおばあさんの姿。
――あのね、わたし……。
彼女がおばあさんに話しかけた瞬間。
その幸せそうな空間は立ち消え、ゴミとエアコンの室外機。
彼女は、それ以外には何も無い壁に挟まれた空間に佇んでいました。
「あぁ、なんてこと……」
彼女はさらにマッチを擦ります。景色は先ほどの部屋の中へと戻り。
先ほどのテーブルには、湯気の上がったマグカップ。
――ありがとう!
マグカップに手を伸ばしたところで、彼女はまたしても現実へと引き戻されてしまいます。
「もう、公園の水道だけで二日目……。わかってはいるけど、せめて……!」
彼女は半ばムキになってマッチを擦ります。
先程来のテーブルには、質素ではあるけれどいかにもおいしそうな食事が並んで、テーブルの反対側。
おばあさんがうれしそうな、困ったような顔で座ります。
――運が無かったね。あたしに拾われちまった以上、遠慮しないで。食べな。
当然にココでも食事に手を伸ばした彼女の意識は現実へと帰ります。
但し、先ほど数回と違うのは、自分で強引にトリップを解いて現実へと戻ったこと。
そして彼女にそうさせた気配の主は、たばこをくわえて彼女を見下ろしていました。
「ウチのシマで、勝手にマッチなんか売ってもらったら困るじゃねぇか。こう見えて清廉潔白がウリなんだよ、この街はさ」
「ま、マッチくらい。……売ったって」
「良いわけねぇだろ! おい、くそガキっ! MACCHIの偽物売りさばくたぁ良い度胸だな、あぁ?」
「本物です!」
「なお悪い! 今や誰も作れねぇはずのMACCHIなんて、どこで手に入れやがった!!」
Mind AttaCk CHemIcal smoke。通称MACCHI。
煙を吸い込むことで即効性があり、かつ深くトリップできるとして人気になり、存在が明らかになった瞬間に危険ドラッグの指定を受けた麻薬の一種です。
一方、本来は拷問用に開発されたそれは、異常なまでに体に負担をかけることでも知られます。
その上、始末に負えないほどの常習性があることで、裏の世界でさえ取り扱いには気を使うという特殊なクスリ。
それが彼女の持つ紙マッチの様なものの正体です。
精製に特殊な技術や器具が必要であるため、市場の要求に応えられるだけの数は現状、全く流通していません。
末端価格は、ひと束五本で最低五〇万といわれるほど。
そんなものを場末の街で、少女が鞄に詰めて街頭販売をしていて良い道理がありません。
道行く人達はみんな、関わりになったら不味い。もしくは偽物である。
と、初めから決めてかかっていたので彼女を相手にしなかったのです。
但しこの男は、彼女の持つ燃えさしがホンモノである。
と、プロの直感で見抜いたのでした。
「どこで手に入れた? ……。おまえ、フリーなのか?」
「……?」
「販路とか、そう言うのは持ってねぇのか? あんな売り方したって、警戒して誰も買わねぇよ」
――な、お嬢さん。ウチと組もうぜ。そう言うと男はたばこを投げ捨てる。
「持ってるそれ、何個あるんだ? 一億はくだんねぇだろ」
「普通の値段ならこの鞄一つで一〇億円分くらい、かな?」
一〇億のお宝も換金できなければ、ただのツキの悪いすぐ消えるマッチです。
煙を吸うのですから当然なのですが。
そして少女は、見た目通りにそれを売りさばくルートなど持っては居ませんでした。
それが故の街頭販売です。
……但し街頭販売の理由はもう一つあるのですが。
「他には持ってないのか?」
「全部でこの鞄10個分くらいは、持ってる」
――決まりだ。男はそう言うといつの間にか右手に銀色に輝く拳銃を握って、少女に向けていました。
「置いてある場所、一緒に行こうぜ? キミの命だけは間違いなく保証する」
男はそう言いながら拳銃を向けたまま彼女に近づき、華奢な肩へと手を回します。
但し、男は見落としてしまいました。彼女の右手の指にマッチが挟まれていたことに。
ぢっ。何かの擦れる音とともに、男の顔の前に突き出される彼女の右手。
次の瞬間には男は正体を失い、ぼんやりと立ち尽くします。
「この街もハズレかぁ。……本物がどれほどか、なんて。知らないよね。普通は」
本来は拷問用の自白剤。麻薬として使用するためには、初めに中和剤が必要なのです。
先程から彼女がほんの数秒のトリップで済んだのも、意思の力だけで意識を取り戻したのも。
事前に中和剤を服用していたからこそなのでした。
「トカレフ、ね。別に欲しくはないな。危ないんだよね、これ。……三万も入ってない、しょぼいの。カードは、誰かにATMから引っ張らせるかなぁ。――ね、番号は?」
男の手から取り上げた拳銃を懐へとしまい、体をまさぐって財布を取り出した彼女は現金とカードを抜き出すと、財布を男へと返します。
「最終まであと二時間はある。……コイツはもう朝までこのまま、気にしなくて良い。服だけ買ったらATM用にバカっぽい高校生ひっかけないと。普通にマッチが売れた方が率が良いのだけれど」
――良い? ここに朝まで座ってるのよ? 男を室外機の奥へと座らせると、少女はまた繁華街へと向かって歩き出します。
「おばあさん、待っててね。そのうち助けに行くから。……今日は私、もう閉店だから明日以降だけど」
――でも現金も無し、拳銃と予備弾倉一個しか残さないで助けに来い、って言う方が間違ってると思うの。そう言いながら彼女は鞄の口を締め、また繁華街へと戻っていきます。
「ここでも無かった……、本当に、どこの組織に捕まったの……?」
ある冬の日に彼女を拾ったおばあさんは知る人ぞ知るマッドサイエンティスト。
そしてMACCHIの開発者。
そのおばあさんはある日、謎の組織にさらわれてしまったのです。
現状、警察と日本中の裏組織が、彼女とそして。
精製されたはずのMACCHIの現物を血眼で探しているのです。
彼女の頭の中の地図。今居る街の上に赤で×印を付けます。
マッチをチラ見せしながらおばあさんを探す旅。
路銀は当然、現地で調達しなければいけません。
彼女はため息を一つ。
「せめてどの街に居るかくらい。誰か、教えてくれないかしら」
いかにも女子高生風の鞄を――よいしょ。とかつぎ直すと。
彼女は今度こそ人混みの中へと消えて行くのでした。
――もしも、マッチ売りの少女が裏の世界の住人だったら――