Cent-13 圧倒的な力
「よくもやってくれたな、貴様ら」
古めかしいがよく整えられた黒いローブとは対照的な、生気のない青白い肌に窪んだ眼窩に何とか収まるぎょろついた眼球の男――アスク・ラピウス。ようやっと姿を見せた不死者の島の主に、白羽はごくりと唾を飲む。
その身に纏う万物を腐蝕する桁外れの濃度の瘴気に対し、彼自身からは微塵も魔力を感じない。そのギャップが白羽の鋭すぎる感覚を狂わせ、いまいち距離感がつかめない。
「やっとお出ましか」
それに対して敬愛する兄・羽黒は全く意に介さずいつも通りの軽薄な笑みを浮かべ、一歩、右足を踏み出す。
「言うまでもないだろうが、油断するなよ」
羽黒が白羽にだけ聞こえる声量で呟く。
「仕留めそこなった幹部格が四体もいんのに、親玉が単身表に出てくるなんざありえねえからな」
「も、もちろんですわ!」
白羽は己の魂が封じられた白刃を構え直し、視線を外さないようキッとアスク・ラピウスに切っ先を向ける。
「お前さん自身に恨みの類は特段ねえんだがよ。不死者至上主義ってこの国の理念も理解に苦しむし、何より仕事だからな。とっとと死んでもらうぞ。……っと、もう一回死んでんだっけか」
「我が崇高なる理念を解せぬとはなんと愚かな。だがしかし、愚者でも腕の立つものは嫌いではない。殺した後ゆっくりと忠実なる僕へと教育すればよいだけだからな」
「おいおい、この状況でまだ勝つ気でいるのか。脳みそ腐ってんな、アンデットだけに」
「無論だ」
コツンとアスク・ラピウスが杖の先で床を叩く。
すると即座に魔法陣が展開され、ほぼノータイムでその中央に人影が召喚される。
「あれは――」
白羽は眉を顰める。
土気色の肌にくすんだ緑色の髪の毛、目元をぼろ布できつく縛られたその少女は、間違いなく白羽とフージュが戦ったグライ・アイだった。しかし、その身から発せられる瘴気と魔力は先ほどの比ではない。うっかり見続けると目が腐り落ちそうなほどの異様な濃度だ。
「ウロボロス!!」
「言われなくても分かってんですよ!!」
その少女を目にした瞬間、羽黒とウロボロスが同時に動く。白羽達その場にいた全員の体を不可視の力が通り抜ける感覚が奔った。
それが、ウロボロスが展開した防護と封印を兼ねた〝無限〟の固有結界であると理解した時には戦況はすでに終わっていた。
「が――」
いつの間にか喚び出していた闇より深い漆黒の大太刀を片手にアスク・ラピウス目掛けて突っ込んだ羽黒が、その間に割って入った少女の細腕に抑えられ、吹き飛ばされた。
――ドォン……
瑠依とドビーが開けた大穴から窺える遥か遠くの瓦礫の山に土埃が舞い上がる。それが砲弾のように飛ばされた羽黒によるものであると認識する前に、パリン! と薄ガラスが割れるようなあっけない音が耳に届く。
「が、ふっ……!?」
膝から頽れる金髪の少女姿の最強種のドラゴン。彼女は目鼻口から赤黒い血を流しながら瓦礫の上に倒れ込んだ。
「え、え……?」
未だそろばん状態で瓦礫の塊を抱えたままの瑠依が、愚直にも視線を外とウロボロスの間を行ったり来たりさせる。
「アッチャー、やっぱアレやりやがったかー。こいつは流石に笑えないゼ」
瑠依の隣で何故か自主的にそろばん状態になっていたドビーが瓦礫を捨てて立ち上がる。ノリとテンションの権化と言っても過言ではなかったはずのドビーが、笑みを引っ込めて真顔で瑠依の前に立った。
拳銃を構えたまま動かず――動けず、疾がドビーに尋ねる。
「おい腐れドラゴン。アレが何なのか知ってること全部吐け」
「ペルシス――ドチャクソ簡単に言うとグライ・アイ三姉妹を一体のアンデッドにぐちゃぐちゃに混ぜて作り変える術だな」
「聞いたことねえ、そんな無茶苦茶な術……!」
アンデットの少女――ペルシスの登場で強烈になった悪臭に鼻を摘まみ涙目になった竜胆が狼狽える。
「それに元はグライ・アイだろ!? 俺もさっきやり合ったが、三体混ぜただけであんな強化されるか!?」
ちらりと倒れたままのウロボロスに視線を投げる。死んではいないようだが、未だに気を失ったままだ。恐らくはペルシスの瘴気の毒がウロボロスの〝再生〟を上回り、毒気が〝循環〟してしまっているのだろう。解毒が完了し復活するまではしばらく時間がかかりそうだ。
「ウン、そこがちょいと分かんないナー。ウチも計画を話半分に聞いただけだけど、単純な足し算でウロボロスの固有結界ぶっ壊せるだけ強くなれるとは思えない。もしかしたら他にも混ぜてんじゃねーの? クッソおもんねー」
「――喋りすぎだ、ドラゴンゾンビ」
コツン、とアスク・ラピウスが杖で床を叩く。するとそれに応えるように、ペルシスが手の平に瘴気の塊を生み出し、ゆっくりと掲げた。
「……っ! やっべ!!」
ただでさえ青白い顔をさらに蒼白にさせ、ドビーが駆け出す。そして瑠依たち全員を庇うよう、朽ちて骨だけとなった翼を大きく広げて撃ちだされた瘴気を背中で受け止めた。
――じゅぉぉぉぉぉっ……!
「あ、ぎ、ぃやあああああっ!!」
じゅくじゅくと耳を覆いたくなるような音が周囲に響く。ドビーが間に割り込んだおかげで全員何とか無傷で済んだが、彼女の後ろ半身が腐蝕に耐え切れずに惨たらしく削り取られていた。
「お、おい!? なんであんたがコイツを攻撃したんだ!? ドビーは……ドラゴンゾンビはあんたらの仲間じゃないのかよ!?」
「……不思議なことを聞く」
両足の大部分を失い、地面に倒れ込むドビーを見て瑠依が叫ぶ。しかしアスク・ラピウスは本気で意味が分からないという口振りで首を傾げた。
「そいつは駒の分際で私を裏切った。処分するのは当然だろう」
「なん、っで、そうなる……!」
ヒュオ、と白い影が瑠依の横を駆け抜ける。視線を向けると、白刃を振りかぶった白羽がペルシスの周囲を飛び回るように斬りかかっていた。あまりの速度にその小さな体が何人も存在するかのようにブレまくっている。
「首魁としては当然の判断ですがね……胸糞悪ぃなテメェ!!」
「……ほう」
人智を超えた速度で振るわれる刃がペルシスの肉体を細切れにする。しかしそんな攻撃など意に介さず、刃が通り抜けたと同時に斬られた場所が癒着していた。
「ちっ……水か何か斬ってるみたいな感覚ですわね……!」
ペルシスは虚無の表情のまま棒立ちし、アスク・ラピウスの指示を待っている。
「貴様は確かホムンクルスだったか。見たところ不死性は皆無のようだが、ペルシスの瘴気をその距離と運動量で浴び続けて涼しい顔とは大したものだ。どれ、サンプルとして採取すればしばらくは退屈することもなかろう」
「御意」
「……っ!」
突如動き出すペルシス。瘴気を籠手のように纏ったペルシスの腕が白羽に伸びた――が、タァン! と一発の銃声が響き、瘴気の籠手を打ち砕く。
「ちっ、猪武者が……」
突如飛び出していった白羽に舌打ちしつつも、疾もまたじんわりと嫌な汗が滲み出るのを自覚する。本体ごと消し飛ばすつもりだったのだが、ギリギリ籠手を掻き消すのが限界だった。
「……あ、ハハ……」
と、視界の隅で何かが動いた。
見ると、既に下半身が完全に腐り落ちたドビーがズリズリと這いずりながら瑠依の近くまで寄ってきていた。
「っ! ど、ドビー!?」
「……ゴシュジン、なぁにウチなんかのためにマジギレしてんの……? チョー、ウケる……」
「おい、喋るなって!」
立ち上がり駆け寄ろうとするも、膝の上の瓦礫が邪魔で動けない。
「……アハ……元々ウチは面白けりゃ、何でも良かったからサー……碌な死に方はしないと思ってたけど……こんなふざけた奴がこんな感じで死ぬって、マジでシュールで超ウケると思わね……?」
「思わねえよ! ふざけんのも大概にしろって! とっとと再生してうざったく笑って立ち上がれよ!」
「アハハ……そいつは、無理な相談だナー……」
ヘラヘラと力なく笑いながら、ドビーの指先が瑠依の膝に触れる。
「マ……最期のゴシュジンがアンタで良かったヨ……チョー楽しかったゼ……?」
「おい!」
「……ンー……アレ……? アンジェ……?」
ドビーの濁った白い瞳が、瑠依ではない虚空を見つめる。
「アンジェ……アンジェじゃん……アハハ、やっと帰ってきた……聞いてくれよ、チョーウケる話がいっぱい、ある……ん、ダ――」
「……っ!!」
ザアっと音を立て、ドビーの体が崩れ落ちる。魔力の粒子すら腐り落とす瘴気に侵され、それでもただ唯一、醜く捻じれた竜の爪だけがその場に残された。
「――、ぅ、ぐっ……!?」
それを目にした瞬間、瑠依の視界が反転する。膝の上の瓦礫に顔面をこすりつけるように前に倒れた瑠依はそのまま意識が遠のき、そのまま動かなくなる。
契約幻獣の消滅による強烈な精神的過負荷――竜胆としか契約経験のなかった瑠依にとって、初めての感覚だった。
「クソ! おい竜胆! その馬鹿出来るだけ遠くに連れ出せ!」
「え、だが、アレ相手に二人じゃ――」
「ただただ邪魔だ! 俺を殺す気か!!」
瑠依が気を失ったことで再び溢れ出す、強力な呪術という名のジャミング。それがアスク・ラピウスの魔術構築を妨害しているおかげでペルシスに指示を出すだけに留まっているようだが、この距離でのこれ以上のジャミングは疾だけでなく白羽にも影響が出かねない。
「あ、はい。邪魔にならないところまで連れていきます……」
鬼の形相で睨まれ、思わず敬語で従う竜胆。手早く瑠依の膝の瓦礫を投げ捨て、小脇に抱えると王宮の壁に空いた大穴から飛び降り、人外の脚力で遠くへと避難していった。
「ふむ。良かったのかね? 彼らを外してしまって」
不遜な態度で瑠依と竜胆を見送り、ニタリと笑みを浮かべるアスク・ラピウス。ジャミングが遠のいたことにより解禁された巨大な魔法陣が足元に浮かび上がっている。
「はっ……全く問題ねえな」
タン、と一発の銃声が響く。その瞬間、アスク・ラピウスの魔方陣が水に浮かべた雪のように消え去った。
「ほう……!? 術式の破壊……いや消滅か? それもマナレベルの根源からの消滅とは、妙な力を使う。人が元来から持つべき力ではないな――どこで手に入れた?」
「うるせぇ」
もう一発、引き金を引く。
銃口から放たれた異能の銃弾は吸い込まれるようにまっすぐアスク・ラピウスの額に飛んでいき――着弾の寸前、発生したキューブ状の瘴気塊と相殺されるように弾け飛んだ。
「ちっ……!」
「無駄」
白羽に切り刻まれながらも瘴気を操る手を止めないペルシスに舌打ちをする。防御を完全に己の再生力に任せているため、逆に全く隙がない。
アスク・ラピウスは周囲に無数の魔法陣を漂わせながら喉の奥で笑う。
「クク……呪術師の少年が遠ざかったことでジャミングがなくなり、そちらもある程度動けるようになったようだが……それはこちらも同じことだ。やはり彼を引かせたのは間違いだったようだな。少なくとも、そばにいた人狼は残すべきだった。数の優位を自ら捨てるとは、勝機が万に一つから億に一つへと下がったぞ」
「だったら、これで勝率五分どころか巻き返せるな」
ゴトッ!
音を立てて、床に零れ落ちるアスク・ラピウスの頭部。
「……そう言えば、まだ貴様がいたな」
悠々と首を拾い上げ、傷口を合わせる。それだけで当然のように再生した傷口の調子を確かめながら、アスク・ラピウスは視線を巡らせる。
「へっ……え!? どなたですの!?」
「嬢ちゃんの兄ちゃんのトモダチのトモダチ。それよりも、ちょいと下がってな」
「――っ!」
突如すぐ隣に出現した謎の青年に戸惑う白羽。しかしすぐに青年が太刀を解き放つ構えをとっているのを見て、猫のような反射速度で後ろに下がった。
「ふっ……!」
怪しげな気配を放つ太刀を鞘から抜き、一振り。何かを斬ったようには見えなかったが、白羽も疾も、ふっと呼吸が楽になるのを感じた。
「ふん……瘴気払いか」
「魔導具持ってようが瘴気に強い体だろうが、少しずつ蓄積されてくのはどうしようもねえんだ」
「……あは♪ どなたか存じませんが、感謝ですわ♪」
白刃を構え直し、白羽は青年の横に立つ。
「白羽、未だ脇が甘いと説教される身ですゆえ、お手数ですが少しばかりお手伝い頂けたらと」
「会ったばっかのオレにフォロー頼むのか? はっ、随分と豪胆な」
「これでも瀧宮家当主ですので、人を見る目はあるつもりですわ」
「目に見えないをモットーにしてる奴に対して『人を見る目』とは、なかなか気の利いた嬢ちゃんだ」
「ふふんっ」
「小馬鹿にされてんだ、クソガキ」
背後から疾の悪態と同時に拳銃を構える気配がする。普段なら噛みついてやるところだが、白羽は広い心で受け止めてやることにする。鬱憤は目の前の斬り放題の死体人形にぶつけてやればいい。
「さて、さっさと終わらせますわよ」
全身に魔力を巡らせ、白羽は引き絞られた弓矢のようにアスク・ラピウスとペルシスに突撃していった。




