infi-06 チームワーク
島のどこぞで帰郷を請う少年が悪い大人の口車に乗せられている頃、近海を巡回していた漁船は張り詰めた空気に転覆しそうになっていた。
荒波で胃の辺りをぐちゃぐちゃに弄ばれているような感覚に陥りながらも、秋幡辰久の副官を務める女魔術師はこの緊迫した空気を生み出している存在に目を向ける。
「――もう一度言ってみるがいい、雪女。貴様、王たるこの俺に向ってなんとほざいた?」
「何度でも言うわ。ロリコンの王。鷲獅子(笑)。威張るだけが取り柄のノロマ」
「……そうか、貴様がそこまで死に急いでいるとは気づかなかった。いいだろう。首を刎ねてやるからそこに直れ」
「嫌よ。私が死ぬ時は修吾が死ぬ時。そしてそれは永遠に来ない」
青筋を浮かべ、歴戦の兵士でも視殺できそうな圧力で雪女を睨みつけるグリフォン。雪女――六華はクスクスと笑いながらもその青い瞳は氷のように凍てついている。
言い争いの種は単純だった。近海に配備されていた幽霊艦隊を殲滅中、彼らはどちらがより多く撃沈させられるか競い合いに発展し、僅差だったことでなによなんだの問答となったのである。
漁船の後方にはまるで大嵐でも通り過ぎたかのように幽霊艦隊の残骸が無残にも海面を漂っている。瀧宮羽黒が潰した艦隊も含めると、恐らく敵の海洋戦力はほぼほぼ無力化したと思っていいだろう。
「ならばこの場で契約者諸共引き裂いてくれる」
「できるの? あなたごときに? ギャグ?」
種の遺伝子的ななにかがバグったとしか思えない規格外の幻獣二体がバチバチと火花を散らして睨み合う。荒ぶる海はピキピキと波ごと凍りつき、吹き荒ぶ風は空気摩擦でプラズマを発生させた。
「ハハハ、流石に僕も人間だから三百年も生きられたら上等だよ」
「三百年も生きる存在を人間のカテゴリーに含めないでもらいたいのですが」
能天気に笑う葛木修吾に、女魔術師は大きく溜息をついた。いや、高名な魔術師の中には三百年など余裕で生き抜いている猛者もいるわけだから修吾が特別おかしい話ではない。それでも一般常識的にはツッコミの対象である。
「それよりどうにかしてください!? このままじゃ船が沈み……いえ海が凍ったから沈まないのですがとにかく身動き取れなくなっているんですよ!?」
「口喧嘩くらい問題ないよ。仲のいい証拠じゃないか。それにここまで凍っていたら自分の足で歩くこともできるから、身動きという面では寧ろよくなったと考えるべきだね。うん、グリフォン君の風も丁度いい結界になっているし」
「このポジサイコ!?」
目の前で繰り広げられる天変地異を『口喧嘩』で済ませる修吾の神経が女魔術師には理解できない。一応上司なのに。
「というか私はあなたたちを送り届けるだけの任務だったのに、気づいたらガッツリ巻き込まれているんですけど!?」
幽霊艦隊に囲まれたせいで帰るに帰れなくなったのだ。よく考えたら女魔術師以外全員が島に上陸したのを見届けてから離脱する手筈だった気がする。それがいつの間にか討ち漏らし処理班になっていたわけで……情報共有の齟齬である。帰ったら思いっきり酒をかっ食らって酔った勢いのまま主任に文句突撃してやると心に決める女魔術師だった。
「……」
と、今まで黙って船の縁に座っていた日下部朝彦がおもむろに立ち上がった。油断なく視線を動かして警戒している彼は、周囲の空間に四本の宝剣を出現させる。
「どうかし――」
「皆、船から離れるんだ!」
女魔術師が訊ねようとした瞬間、修吾が大声で指示を出した。喧嘩中でも化け物クラスの幻獣たちはもちろん即座に反応し、女魔術師たちも一斉に船から氷の海原へと飛び降りる。
刹那――ドゴォオオオオオオオオン!!
上空から降り注いだ禍々しい光が漁船を呑み込み、分厚く凍りついた海にえげつないほど巨大な風穴を穿った。
「んな!?」
天高く噴き上がる海水。その先に浮かぶ立方体を見上げ、女魔術師は驚愕に目を見開いた。
全体的に赤黒く、血管のように鮮やかな赤色が蜘蛛の巣よろしく張り巡らされてた立方体。九つに分割された面がルービックキューブのように絶え間なく組み変わり、一つ一つがドクンドクンと心臓のような脈動を行っている。
見るだけで恐怖を煽る立方体が、淡く輝く。
「次が来るぞ!」
修吾が護符から一振りの日本刀を取り出したのと同時に、立方体の各面から禍々しい光線が乱れ飛んだ。漁船を破壊した時よりは細いが、数が多い上に連射も可能な広範囲殲滅術式だ。
「フン、くだらん」
グリフォンを中心に風が吹き荒れる。降り注ぐ光線は氷上に届く前に軌道を曲げられ、全てがあらぬ方向へと飛んでいった。
「助かるよ、グリフォン君」
「ついでだ。礼などいらん」
修吾の言葉にグリフォンはつまらなそうに鼻息を鳴らす。
莫大な魔力が高まっていく。グリフォンからではない。見れば、日下部朝彦が前方に四本の宝剣を円状に浮かべ、地水火風のエレメントの輝きを放つ魔法陣を展開していた。
ぶっ放される極太の光線。オーロラのような美しい輝きのそれは、触れたもの悉くを塵と化す威力を秘めている。
「……お返しよ」
さらに六華が右手を翳し、白銀の魔法陣から絶対零度の吹雪を発生させる。雪の粒一つ一つが触れるだけで骨の髄まで凍らせるという凶悪な技だ。
しかし、どちらも立方体の寸前で見えない壁にでもあたったかのように防がれてしまった。
「反撃。無意味。時間。無駄。――死ね」
再び禍々しい光線を放ったきた立方体の、上。
そこには襤褸を纏い、目隠しをした緑髪の少女が立っていた。一目でアンデッドだとわかる青白い肌。だが、その辺のゾンビとは一線を画す存在だということは間違いない。
敵の幹部クラスだろう。
「あれは……?」
結界を張って光線を凌ぎながら女魔術師はアンデッドの少女を観察する。現在判明している敵の幹部は『ペプレド』『エニュオ』『ディノ』の三体。彼女はその誰かである可能性が高い。
その三つの名前については調べがついている。『グライアイ』と呼ばれるアンデッドの三姉妹だ。本来のグライアイは白髪であり、目と口を三人で共有している老婆の姿をしている。とはいえ幻獣はこの世界だと基本的に人化しているため、見た目だけで判断はできない。
「……業腹」
立方体からの光線を易々と防ぐ女魔術師たちにアンデッドの少女が忌々しげに呟く。
「さて、君はなんて名前なんだい?」
立方体に向って歩む修吾が爽やかな口調で問う。降り注ぐ光線は日本刀で斬り裂き、薙ぎ払い、まるで障害にすらなっていない。
問われたのが一般の女性だったら頬を染めて簡単に名乗ってしまうだろう魅力のイケメンに、しかし少女は相好を崩さない。
「回答拒否」
機械的にそう告げ、光線を止めて立方体の面を組み替えていく。
「強敵。判断。戦力温存。不可能」
立方体の周囲の空間が歪む。転移系と思われる魔法陣が出現するや、そこから白骨化したプテラノドンのような姿をした小型飛竜が無数に飛び出してきた。
「スカル・ワイバーン。投入」
少女の指示でスカル・ワイバーンと呼ばれた骨の飛竜が一斉に襲いかかってきた。
「続投」
さらに立方体の面が組み変わる。だが、周囲にはなにも起きない。立方体自体にも面が変わっただけでこれといった変化は見られない。
不発かと思ったその時――
「下だ!」
逸早く気づいた修吾が皆に警告する。メートル単位の厚さがある氷を食い破るようにして、海中から巨大なサメが飛び上がってきた。
「ひゃあ!?」
呑み込まれはしなかったものの、大きく揺れる氷の地面に女魔術師はバランスを崩して悲鳴を上げた。二十メートルはあろうかという巨大ザメは、全身が酷く腐食している。アンデッド・メガロドンとでもいうべきか。
それが、五体。
空と海中からの挟撃。アンデッドの少女という指揮官がいる以上、先程までの幽霊艦隊とは比べ物にならない厄介さがあるだろう。
「ハハハ、熱烈な歓迎だね」
「笑ってる場合じゃないですよどうするんですか!?」
圧倒的数と地の利の不利に女魔術師は堪らず叫んでしまった。非戦闘員ではないにしろ、この場にいる怪物たちと比べると次元レベルで実力差のある彼女にとっては絶体絶命な事態である。
「慌てるな、愚民が」
グリフォンがくだらなそうに吐き捨てる。
「雑魚がどれだけいようが関係あるまい。全て引き裂けばいい話だ」
「そうね。全部凍らせれば済む話よ。鷲獅子(笑)と意見が合ったことだけが癪」
「……やはり貴様とは後で決着をつけるべきだろうな」
「……望むところよ」
スカル・ワイバーンを捌きながら睨み合うという器用なことをやっているグリフォンと六華。そんな二体に緊張感皆無の笑みを浮かべる修吾。チームワーク? なにそれおいしいの? と言わんばかりに一人淡々と敵を処理していく朝彦。
「頼りになってるはずなのに、なんか不安しかないんですが!?」
独立秘匿遊撃隊の発足当時からわかっていて、今まで何度も口にしてきたことではあるが、やはりどうしても叫ばずにはいられない女魔術師だった。




