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無黒語  作者: 吾桜紫苑&山大&夙多史
20/54

Cent-06 Re:悪い大人の口八丁

ぱちり。

 ひときわ大きく爆ぜた焚火の音に、ようやく瑠依の意識は現実に戻ってきた。

「……は?」

 視界いっぱいに広がる瓦礫の荒野に、一瞬、周囲の状況を掴めずに茫然とする。何故自分はこんなところで気を失うように寝ていたのか。さっきまで愛すべき自室のオフトゥンにくるまれながらぬくぬくと惰眠を貪っていたはずなのに。

「おやすみ!」

 ――そんな、複雑な思考をする前に再び意識を手放そうと瞼を閉じた。これはきっと噂に聞く悪い類の夢だ。幸いなことに、オフトゥンの中で見る夢でこのような荒野に放置されるなどという悪夢に出くわしたことはこれまでなかった。しかしたまにはオフトゥンだって見せてくれる夢を間違うことだってあるだろう。そういううっかり屋さんなところも含めて愛おしい!

「すげえ、この状況でまだ寝ようとするか」

「……?」

 だが、そんな都合のいい妄想を聞き覚えのない男の声が現実へと強引に引き戻す。

 不承不承瞼を持ち上げ声のした方に視線を移すと、男が焚火を枝でつつきながらこちらを見ていた。

 座っているため背格好はわからないが、結構大柄。疾ほど細長くはないし、竜胆ほどがっしりしている風に見えないのに、二人より大きく見えるのが不思議だった。色の濃いサングラスに焚火の光が反射して目元は全く見えないが、口元は何が面白いのかにやにやと軽薄そうに笑っている。

「よくそんな瓦礫の上で寝れるな。首痛くなんねえの?」

「痛いけど、そんなことよりオフトゥン欲の方が上だから」

「何だそれ」

「睡眠は人間の三大欲求の一つだし」

「なんか違くね?」

 小首を傾げながら、男は足元に転がっていた缶詰に手を伸ばし、ポケットから取り出した十徳ナイフでカキカキと器用に開封していく。

 一見するとただの不審人物。しかし、何故だか知らないが男の一挙一動が瑠依の僅かばかりの不信感と警戒心を解きほぐしていく。

「睡眠も大事だが、腹減らねえか?」

 缶詰から出てきたのはぎゅうぎゅうに押し込まれたコッペパンだった。しかし缶から出た途端見る見るうちに膨張し、ふかふかな見た目に戻った。そう言えば、最近の非常食のパンはいつまでもふかふかなまま保存されていると、お袋様とのチャンネル戦争に負けて垂れ流しされていた情報バラエティ番組で見たことがあったかもしれない。

 男はそのパンにナイフで横から切れ目を入れると、焚火の近くに突き立てていた枝を拾い上げる。

 さっきから何やらいい匂いがしていると思ったら、枝の先には厚切りのベーコンが吊るされて火で炙られていた。脂がジュクジュクと音を立てて溢れ出るベーコンをパンにはさむ。

 さらにそれだけでは飽き足らず、別の枝を拾い上げると今度はチーズの塊が焚火で温められていた。柔らかくなったチーズをベーコンにこすりつけ、仕上げに胡椒の瓶を逆さにして軽く振りかける。

「ほれ、食うか?」

「いただきます!!」

 仮にも男子高校生。しかも疾と竜胆の策略によってめちゃくちゃ走り回った後だから、胃袋が急速に栄養を求めて雷のような音を発し始めていた。

 そこに来てこのような香りとさせられては止めることなどできず、瑠依は一心不乱にベーコンサンドに齧り付いた。



          * * *



「はーん、そりゃ大変だったな」

「そうなんっすよ! ホントなんなのあの鬼畜外道!」

「そういや俺もあいつと初めて会ったとき、いきなり発砲されてな。運よく外れたが、何考えてんだろうなマジで」

 瑠依が疾について愚痴を連ねると、瀧宮羽黒と名乗った黒い男は苦笑しながら「超分かる」と深く頷いた。

 ちなみに、瑠依にしては大層珍しく覚えていた魔術業界のルール――「姓名どちらかしか名乗らない」について羽黒に追及したところ、「ほう、よく知っているな」とこれまた珍しく褒められた。

「俺の場合、名前隠しても意味ねえんだよな。『瀧宮』と言えば俺か俺の生家のことを指すし、『羽黒』と言えば『瀧宮』の人間であることがすぐにばれる」

「……? つまり?」

「本名がそのまま呼び名になってるってこった。気を遣わなくて楽だぞー」

 かかと気楽に笑う羽黒に、瑠依も苦笑して手についたパンくずをなめとる。

 見てくれは怪しいが、話していてこんなに気が楽な術者は初めてだった。周りにいるのは良心をどこかに不法投棄してきたような人外か外道か雲の上の人だったりするから新鮮だった。

 何より瑠依と話して溜息を吐かなかったやつは羽黒が初めてだった。飯もくれたし、仕事したくない帰りたいって話もしても笑うだけだった。

「でもよ」

 羽黒は煙草を一本取り出し、百円ライターで火をつける。しかしすぐに瑠依(みせいねん)の前だったのを思い出してか、一口吸ってすぐに火を握りつぶした。どんだけ手の皮厚いんだ。

「聞いてる話、お前さん、別にやりたくて鬼狩りやってるわけじゃないのな」

「当たり前でしょう!? 誰があんなド深夜勤務の超危険な仕事したがるんですか! 夜はぬくぬくオフトゥンさせろ!」

「まあ土地柄、誰かがやらにゃならんことではあるがな」

「でも別に俺じゃなくてよくない!?」

「ま、それも然り」

 ふむ、と羽黒は小さく頷いた。

「じゃあ辞めればいいじゃん。やりたくない奴に無理やりやらせても効率悪かろ」

「……そうホイホイと辞めれたら今こんなところにいないっすよ」

 そもそも今この島に瑠依がいるのは疾に巻き込まれたからなのだが。その疾を巻き込んだのが目の前の男であるということは瑠依は知る由もない。

「鬼狩りになった時――させられた時、印を付けられるんです。裏切ったり脱走したりできないように、呪いをかけられるんです。俺はまだ左手だからいいけど、疾なんて首につけられてんですよ」

 ほらこれ、と瑠依は羽黒に自分の手の甲を差し出した。

 一見するとそこには何もないように見えるが、確かにそこにある。自身が鬼狩りであることを証明する身分証兼枷となる術式が埋め込まれている。

「それに冥府の連中、人手不足らしくって。素質はなくても才能さえあれば良い見たな感じで、もうなんだかブラックすぎて帰りたい! こんな才能もいらないからオフトゥンと心置きなくイチャイチャさせろ! ほかに望むことはない!」

「ふーん……」

 瑠依の手の甲をまじまじと観察していた羽黒が頷く。何度か火を消した煙草の吸い口を噛みながら沈黙した後――にぃっと、軽薄に笑った。


「だったらお前は運がいい」


「え?」

「冥府の手枷だっつーからどんなえげつないもんかと思ったら、なんだこの程度か」

「え、ええ?」

 すくっと立ち上がり、羽黒はおもむろに周辺に転がっていた瓦礫を片付け始めた。ゴロゴロと転がっていたコンクリート片を足で蹴って脇に寄せ、狭くとも何もない空間を作り出していく。

「なあ、瑠依くんや」

「は、はい?」

 火のついていない煙草を咥えながら、羽黒は軽薄に笑い、尋ねる。


「お前さん、鬼狩り辞められて、その力も消すことができると言ったら、どうするね?」

「お願いします!!」


 即答だった。



        * * *



「何これ」

「んー、神殿?」

 瓦礫を積み重ねた四つの小さい搭。その上に器用にも煙草を垂直に立たせ、それぞれ火をつけていく。

「本当なら蝋燭がいいんだが、ないもんは仕方ない。こいつで代用する。悪いね、少し煙いかもしれんが」

「はあ」

 不思議と風はなく、煙草の煙は真っすぐと厚い雲で覆われ薄暗い空に向かって昇っているため、瑠依の方には流れてきていない。羽黒が作り出した謎の空間の中心に座らされた瑠依は何もすることがなくてただただボーっと羽黒の作業を眺めていた。

 と、羽黒が比較的大きくて平べったい瓦礫を持ってきて瑠依の前に置いた。

「ほい、これが本殿」

「テキトーすぎない!?」

「いいんだよ、こういうのは形がそれっぽければ。田舎の道端の古ぼけた地蔵だって似たようなもんだろ」

 無礼極まりないことを吐き出しながら、羽黒曰く本殿らしい瓦礫の上に二本煙草を立て、それにも火をつけた。

「はい完成。これで下準備が整った」

「ええ……こんなんで本当にできんの……?」

「何だ、俺を信用してないのか」

「さっき会ったばっかりだもんで……」

「じゃあこの話はなかったってことで。俺は一足先に疾たちに合流させてもらうわ」

「待って待って信用してる信用してる! わー羽黒さんすげー尊敬しちゃう!!」

「おいおい、褒めすぎだぜ」

 お互い掌をくるりとひっくり返し、お互い本殿を挟んで改めて向き直る。二人が騒いでも、煙草の煙は相変わらず天に向かってまっすぐ伸びている。

「で、俺は何をすればいいんですか?」

「まあ、簡単に言えば『お願い』だな」

「お願い?」

「そ。お前さんはこれから、カミサマに対してお願いごとをするんだ」

「…………」

「あ、その目、信じてねえな」

 だっていきなりカミサマとか言い出しちゃうんだもの。羽黒の見た目も相まって、怪しさ3割増しだ。

「お前さん、あの街に住んでいながらカミサマ信じてないってどうなの? 正月とか、初詣くらい行くだろ」

「なんで正月にあんな人ごみにわざわざ突っ込んでいかないといけないんですか! 俺は断然寝正月派です! 昼までオフトゥンとイチャコラして、腹が減ったら温かい炬燵でおせちの残り食べて、代わり映えしない内容の正月特番を垂れ流しながらうたた寝! これが至高ですよ!」

「そう言えばそういう奴だったな」

 苦笑を浮かべ、羽黒は「だがそういう風習は知ってるだろ」とこぶしを握り、寝正月の魅力について語る瑠依を諫める。

「そりゃ、まあ。何だかんだオフトゥン邪魔されて連れていかれたりしますけど」

「それに疾にまとわりついてる虎とか見たことあんだろ。アレもカミサマの類だろう」

「あー」

 竜胆や疾に言わせると厳密には違うらしいが、そこまで詳しくは知らないため曖昧に頷いておく。確かに、あの迷惑などーぶつたちもカミサマと言えばカミサマか。願いをかなえてくれるとは到底思えないけど。

「で、話を戻すと、お前さんのその力は言ってしまえばカミサマからの恩恵――贈り物だな」

「うわ、いらね。別に頼んでないのに……」

「ああ、だからカミサマにお伺い立てて、わざわざこちらまでご足労おかけし、恭しく返上する。この簡易神殿はそのための舞台だ。なんせ相手はカミサマだからな。何もないところにポンと降って湧いたりはしないわけよ」

「ほえー」

「まあ細かいところまで突っ込んでいくと色々面倒だから省略する。とりあえず、個人の異能を返却するって願い事くらいならこれくらいで十分だ」

 さて、と羽黒が瑠依の反対側に座り、懐から取り出した神を本殿の上に置く。それに何やら瑠依は理解できない小難しい文字を書き連ね、綺麗に折り畳む。

「始める前にいくつか注意しておかないといけないことがある」

「何ですか?」

「まず俺はこれからお前さんに質問をする。それに対し、お前さんは滞りなく、すっと即答するように。聞き返すのもなしだ。分からないなら分からないと素直に答えるように。ま、答えに困るような質問はせんが」

「え、どういうこと?」

「この世界に人間が何十億いると思う。俺たち人間よりも遥かに高次元の存在であるカミサマにとって、俺たちゃ蟻んこみたいなもんよ。つまり、個体識別ができない。だから質問を重ねて、『伊巻瑠依』という存在をカミサマに特定してもらわねばならん」

「名前だけじゃダメなんですか?」

「日本全国の伊巻瑠依さんが力を剥奪されてもいいなら。ただし日本全国の伊巻瑠依さんはお前さんと違って返上する力なんてないから、命ごと持ってかれるかもしれんぞ」

「物騒な!?」

「だからお前さんを特定してもらうんだ。そして即答しろって言ったのは、言い淀むとはつまり淀み――穢れだ。カミサマが一番嫌いなもんだ。多少噛むくらいなら許してくれるだろうが、あまりにも酷いと怒られるから気を付けろ」

「カミサマのお怒りって何それ怖い」

「だから怖いんだよ、カミサマってのは。ま、正しく付き合ってりゃ、気のいい隣人だがな」

 ぱん、と羽黒は一つ柏手を打つ。

「他に何か質問はないか? 一度始めたら止められんから、聞きたいことがあるなら今のうちだぞ」

「うーん、まあ、ないわけじゃないけど……これで本当に異能も消えて、鬼狩りもやめれんの?」

「ああ。俺の実家もカミサマ祀ってる一族でな、扱いは慣れてる。それにその枷も、見た感じお前さんの異能に依存して効果を発揮しているらしい。お前さんから異能が消えたら枷も消えるさ」

「はあ……」

「安心しろ。俺は約束は守る男だ。大人だしな」

「まあ、羽黒さんがそう言うなら……」

 瑠依は小さく頷き、改めて姿勢を正す。それを見た羽黒はポンポンと本殿の上に置いた紙を指で弾き、瑠依に声をかける。

「それでは、これよりお前さんの異能祓いを始める。目を伏せて、頭を下げなさい」

「…………」

「返事は」

「あ、はい!」

 慌てて返事をし、目を伏せる。すう、と息を吸う気配と衣擦れの音が瞼の外側から伝わってきた。

 どうやら羽黒も居住まいを正したらしい。

「では、お前さんの名前は」

「伊巻瑠依です」

 まず最初の問いに答える。

 さすがに十七年共にしてきた名前だ。噛まずに言える。

「年齢と誕生日を教えてくれ」

「十七歳……誕生日は十月十日です」

「通っている学校は」

「公立錬秋高校」

「クラスと出席番号は」

「3組、2番です」

 その質問本当にいる?

 そう疑問を挟む暇もないほど、羽黒は本当に矢次早に問いを重ねる。

「得意科目は」

「……強いて言うなら、体育」

「嫌いな科目は」

「数学と英語、あと国語と社会。理科も苦手」

「最近読んだ本は」

「異世界邸の日常外伝~マジカルナース☆ユーキちゃん~」

「音楽は聞くかい?」

「無料で聞ける範囲でなら、たまに。CDとかはあんまり買わない」

「好きなテレビ番組は?」

「お笑いかな。特に何も考えないでいい、バカバカしいやつが好き」

 質問に答える。

 今のところ返答に困ることは聞かれていない。

「何人家族?」

「竜胆を含めると、5人。でも父さんは仕事で家にいない」

「家にいるときは普段何をしている?」

「可能な限り、オフトゥンの中でゴロゴロしてる。でも『宿題しろ! 勉強しろ!』って周りがうるさい」

「ゆっくりしたいのに周りが許してく ないのか?」

 ん? と、一瞬だけ思考がそれる。

 今、羽黒の声が少しだけ遠のいた気がした。

 しかし答えるのに支障があるわけではない。瑠依は答える。

「そう。俺はオフトゥンの中でぬくぬくゴロゴロできればそれ以上は何も望まないのに」

「鬼狩 になったきっかけを教えてもらって いいか」

 また、音が飛んだ。

 しかし大丈夫だ。答えられる。

「話すと長くなるけど、簡単に言うと成り行きで。俺の異能をフレア様に見つかって、半ば無理やり鬼狩りにされた」

「抵抗はしたのかい 」

「したけどできなかった。本気で死ぬかと思った」

「一番最初 仕事を覚えて るか?」

「あー……んまり、覚えてないです。とにかく怖かった記憶しかない」

 まだ、答えられる。

 少し記憶が怪しいけど、まだ大丈夫。

「仕事  失敗したこと  るか?」

「たくさんあります」

「そ 中 一番辛か た とは?」

「人鬼狩り。アレのせいで疾にも目を付けられるようになったわけだし」

「何 その 事を請け  たんだ 」

「いや、アレはもともと契約違反の仕事だったんだ。俺は人鬼狩りは嫌だって言ったのに、フレア様が無理やり……」

「これか そん 仕事を押し付   ると

                   思 と辛くて仕方な か?」

 段々と音飛びが酷くなってきた。

 けれど大丈夫。

 まだ、答えられる。

「辛いです。すぐに辞めたいです。こんな力も別にいらない」

       

「力を し 、普通の人

        として当た 前に生きて  る したら、ま 何を

                          したい?」

「もう何もしないでずっとオフトゥンして気ままに過ごしたい。できることなら一週間でいいから一切邪魔されず寝ていたい」


「その願  鬼

   りをや ること

     が

         できたら叶 と思  ?」


「正直難しいとは思うけど、夢見るくらいはいいかなって。だって学校には行かなきゃいけないわけだし」


 答えられる。

 まだ、答えられる。


 と、本殿に何か温かな気配が降り立った。

 目を開けることも顔を開けることもできないが、それほど大きくはない。

 犬猫よりも少し大きいくらいの、獣の気配。


「学 は

      楽

   しい

          か?」

「楽しい楽しくないかで言ったら、楽しくはない。授業は分からんしつまらないし、眠いし、帰りたいし」


 答える。


「      は 

        はない    か?」

「そうでもない。友達と話をするのは嫌いじゃないぞ。最近はどっか行ったまま帰ってこれてないみたいだけど、気の合う親戚も同じ学校だし」



 答える。



           で

  は

                  だ?」


「さあ、よく分からない。ま、どうせあいつらのことだから、オフトゥン欲には勝てないだろうからそのうちひょっこり帰ってくると思うけどね」


 答える。


      心 

               いの

   か?

                    」

「あいつら心配するだけ無駄無駄。だって俺よりよっぽど優秀だもん。優秀すぎてもう一周回って馬鹿だもん。死ぬようなことは絶対しないって」


 答える。


「そ

          、最

 後

               問 

                  備は

    い

       い

    か           ?」

「あ、はい。大丈夫です」


 答える。

 最後か。

 意外と長かった。

 本殿に降り立った獣の気配を感じながら、頷く。


「     」


 羽黒が、小さく咳払いする。


「その力を失うと、これまで関わってきた異能の持ち主の記憶が消えるが、それでも構わないな?」


「…………」


 急に鮮明になったその問いに。

 瑠依は、答えられなかった。



        * * *



「……え、その質問、どういう……!?」

 最初にされた忠告など一切頭から消え去っていた。

 瑠依が勢いよく顔を上げると、目が合った。

 羽黒ではない。

 そう誤認させるほど氷のように冷たい瞳をサングラスの奥に隠した、異能の男が軽薄に笑っていた。

「あーあ、やっちゃった」

「……!?」

 ずるり、と。

 瑠依の顔を何かが撫でた。

 そのあまりにも気色の悪い感触に、悲鳴も上げられずに手で振り払おうと腕を上げる。

「ひっ!?」

 しかし、その腕が上がらない。

 ぎこちない動きで首を傾け、腕に視線を落とす。

 そこに、知らない腕があった。

 青白く、血の気のないやけに細い腕が、何本も、瑠依の腕を掴んでいた。

「な、何だこれ!? じ、人鬼の腕……!?」

「ほう、お前さんにはそう見えてんのか。俺には何にも見えんがね」

 などと惚けたことを言いながら、いつの間にか半分の長さまで減っていた蝋燭代わりの煙草を手に取り、口に咥えた。

 一息吸い、怪しげな薄紫色の煙を吐き出しながら羽黒は笑う。

「な、なんだこれ!? た、助けて!!」

「助ける? 誰を、何から」

「!? 何を言って……! 俺を、この人鬼の手から……!」

「人鬼ぃ? 生憎、俺にはお前さんが一人パントマイムみてぇに暴れてるだけに見えるがね」

「……!! こんな、こんなの聞いてない!」

「言ったよぉ? 俺はしっかり言ったよぉ? しくったらカミサマのお怒りがあるって。それなのに、お前さん、言い淀むどころか顔まで上げて、聞き返して。約束も守れない悪い子にはカミサマからのお仕置きが必要だろうなぁ」

 にやにやと笑いながら、煙草をふかす。

 そのたびに、瑠依を掴む腕の力は強く、数も増えていく。

「聞いてない! 力を……神力捨てたら皆のこと忘れるなんて! 聞いてないぞ!!」

「ああ、そっちか。うん、言ってない。聞かれなかったからな」

 聞きたいことがあるなら今のうちだぞ。

 確かに、羽黒はそう言った。

 けれど。

「そんなピンポイントな質問、できるわけないだろ!!」

「疾ならしただろうよ」

「俺ができるわけないだろ!」

「はあ? そんなん知らんし。だって会ったばっかりだもんなあ」

「ふざけんな!」

 叫ぶ。

 その時、ぎりぎり保っていた体制を崩してしまった。

 これ幸いと、無数の腕が瑠依をさらに押さえつける。

 地面に体が押し付けられる。

 沈む。

 地面に――影に、体が沈んでいく。

「た、たす、け……!」

「自分で招いたことだろうが。自分で責任取れよ。クソ虫みてえな人間が、無礼千万にもカミサマから賜った祝福をいらんと突っぱねるだけでなく、最低限のちっぽけな約束も守れなかったんだ。もう自己責任だろ」

「そもそも、あんたが……!」

「俺は提案しただけ。お前の目の前に食材を置いただけだ。それをそのまま食うか、料理するか、料理してもらうか、どうするかはお前の勝手だ。お前はそのまま食って、中毒(あた)って吐いて、ゴミにしちまったみたいだが」

「そんな、屁理屈……!」

 もう体が半分以上影に飲み込まれた。

 それでも瑠依は助けを求めようと、腕を――左腕を羽黒に伸ばす。

 と、羽黒は何かを思い出したようにポンと手を叩いた。

「ああ、そう言えば」

「っ!?」

 ぐいと、羽黒が瑠依の左手を掴む。

 肩に全体重がかかり傷んだが、影に沈む体が止まった。

「ぅ、たす……」

「そう言えば、俺も約束は守らんとな」

「へ……?」


 ぽきん


 小枝を折るような音がした。

 羽黒の右手に、瑠依を飲み込む影などと比べるものもおこがましい、闇より深い黒刀が握られていた。

 その反対の手には、途中から先しかない――左腕。


「ほら、枷は取ったし、術式も封じといたぞ。よかったなあ、鬼狩り辞めれて」


 羽黒は軽薄に笑い、ぽいと、煙草の吸い殻と一緒にその辺に放り投げた。

「あ……」

 瑠依はその光景を理解できず。

「あぁ……」

 全てを拒絶するような悲鳴を。

「……ぁ……」

 上げることもできず。


 とぷん、と。


 影の中に落ちていった。



        * * *



「はーっ……はーっ……!」

 大きく息を吐き、流れ落ちる冷や汗を袖で拭いながら、羽黒は瓦礫の上に腰掛ける。そして()殿()()()()()()()()()()()()()()()を構築していた残り少なくなった煙草を震える手を無理やり動かして拾い上げ、咥える。

 紫煙を無理やり吸い上げ、ほっと一息つく。

「……ったく、どんな精神構造してやがる……」

 羽黒は眉に深い皺を作りながら、瓦礫の上で悪夢でも見ながらうなされるように眠る小柄な少年――瑠依を見下ろした。当然、五体満足である。

「気絶している間に調べられるだけ調べた。信用させるよう無理やりだが心に捻じ込んだ。幻覚を見せる煙草も使った。名を縛った。過去も縛った。それでも――」

 それでも、このガキを完全に制御下に置くまで、何度も引っ張り落されそうになった。

 一瞬でも気を抜けば術が暴走して台無しになる。そんな針の穴に糸を通すような作業を一言発するたびに行わねばならず、流石の羽黒も心身ともに疲弊していた。

 これが伊巻――世界の不具合と名高い血筋か。

 話を聞くだけならただただ迷惑な連中だと思ったが、本当にただただ迷惑な連中だった。こんなのがまだ何人もいるとか、羽黒でさえ血の気が引く。

 しかし苦労は実を結んだ。

「くく……何なんだこの呪術、頭おかしいんじゃねえの」

 放置すれば暴走し、破滅を自ら呼び込む呪術。それをどうこねくり回したのか知らないが、瑠依の操る呪術は魔術と見間違うほどの万能性を秘めていた。しかも基本は呪術なだけあって、大規模な術式の展開に魔術のような莫大な魔力は必要ない。きっかけと法則さえ揃えてやれば、あとは勝手に広まっていく。

 何が埋まってるか検討もつかないこの島の魔術を、瑠依が生み出し、羽黒が制御する呪術が呑み込んでいく。

 そのために、羽黒は瑠依に分かりやすい単純な「恐怖」という感情を発現させたのだが、流石にやりすぎたかと反省する気は全くない。だって今もうなされながらも「帰りたい……」とか口走っている。同情するだけ無駄である。

「さて、あとはもう一人を『暴走』させればいいんだが……」

 と、咥えていた煙草がついに燃え尽きた。

 仕方なく懐から追加で煙草――こちらは幻覚を見せない普通の方――を取り出し、ライターで火をつける。しかし。

「……? あぁ?」

 さっき神殿を作るときに使った分でオイルが切れたのか、カチカチと音を立てるだけで火はつかなかった。まあここに来るまでさんざん海水被ったし、さっきまで使えただけ良しとしよう、と諦めて懐に戻す。

 とは言え、久々の面倒くさい作業を完了し、口が寂しいところである。

「…………」

 あまり期待はせず、ポケットから古いジッポを取り出す。

 普段から持ち歩いているが、別にオイルが切れているわけでもないのに滅多なことでは火がつかない一品。これまでも何度か普段使いしようとしたが、結局()()()()()()()以外、火がつかなかった。

 そんなジッポが。

 ポシュッと。

 一回で()()()の火を灯し、煙草に火をつけた。

「……ちっ」

 舌打ちし、一口大きく煙を吸い上げて口から外す。

「ちょっとくらい休憩させてくれよ。身が持たねえだろうが」

 まだ火のついたままの煙草を足元に落とす。

 すると羽黒(と、ついでに瑠依)を守るように黄金色の炎が壁を作り、後方から飛んできたソレを焼き尽くす。


「あらあら、防がれてしまいました。骨だけにして寝室に飾っておこうと思ったのに」


 女の声がした。

 黄金色の壁を小さくし、羽黒たちを狙ってきたくせ者の姿を確認する。

「あら、でも肉もなかなかイイオトコ……これは腐敗処理して本書のコレクションに記そうかしら」

 ウフフ、と笑うのは襤褸を編んで作ったようないびつなドレスの妙齢の美女。化粧はしているが、紙のように薄気味悪い顔色がその下から薄く覗いている。

 パチンと女が指を弾く。

 すると彼女の周囲に禍々しく輝く無数の魔法陣が出現し、それぞれの魔術が羽黒に狙いを定める。

「でもラピウス様の国土をそんな薄汚い呪術で侵そうなんてワルイコね。お仕置きだわ。残すのは首から上だけでいいかしら」

「やれやれ、モテる男はつらいねえ」

 羽黒は新しい煙草を口に咥え、金色の炎で火をつける。

 軽薄な笑みで冷や汗を隠しながら、羽黒は臨戦態勢を整えた。

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