Cent-00 最悪で災厄なミッドナイトハイウェイ
「へっぶしっ!!」
「汚ねえ」
「……悪ぃ」
深夜の高速道路を進む黒塗りのスポーツカー。その運転席でハンドルを握る男はズズッと鼻を啜りながら助手席でだらりと面倒くさそうに脱力しながら携帯電話を弄る青年の様子を視界の隅で伺う。
「誰かが噂でもしたんかね」
「はっ、そんな迷信に影響される程度のタマが協会の接触禁止指定生物? どっちもレベルの低いこった」
「つくづく可愛げのねえクソガキだな」
ハンドルを微調整しながら、左頬に横一文字の火傷のような刀傷をつけた全身黒づくめの男――瀧宮羽黒は青年の悪態に悪態で返す。
とは言え、助手席に腰かける琥珀色の瞳と艶のある茶髪を持つ、異様なほど顔立ちが整った青年――疾が、羽黒が先にクシャミをしたために寸でのところで堪えていたのは目撃している。それを言及しないでおいてやるのが年長者の余裕という奴だ。
しかしタイミング的に、どこぞの異能者が羽黒と疾の両名を同時に噂したらしい。しかも無意識に発動した迷信級魔術がかかるほどの実力者だ。全く、心当たりが多すぎる。
「で」
「ん?」
「いつになったら目的地について説明する気になるんだ」
「…………」
疾の言葉に羽黒はしばし沈黙する。
しかしいつまで経っても疾から次の言葉が続かなかったため、どうやら惚けているつもりはないらしいと判断し、溜息を吐いた。
「メールに資料付けておいたろ」
「あの本文が暗号化されていた上に集合場所と時間、あと添付ファイル解凍のパスしか書かれてなかったメールか?」
「それだよ」
「あんなもん、本文開いて5秒で削除した」
「おい」
「クソ怪しいフリードメインの添付ファイルなんて開く間抜けがいるか馬鹿。件名にあんたの店の名前が入ってたから本文は開いてやったが、開いてやっただけありがたいと思え」
「何で俺がありがたいと思わねばならんのか」
そのくせ、記載していた集合場所にはきっちり5分前集合していた辺り、何がしたいのか分からん。
まあこの青年も「耳」がないわけではあるまい。このタイミングで羽黒から接触があった時点で、標的の大よそは絞り込んでいるはずだ。
「死霊魔術国家〈エーシュリオン〉」
今回の標的について口にするも、疾からの反応はない。やはり予想通りだったか。
「動きがあったのは半月前。エーゲ海の観光しか資源がない島の一つが一夜にして滅んだ。しかも島に近付いた地元の連中も悉く行方不明になるもんだから、普段は仲が悪い世界各地の魔術組織も珍しく連携とって異常事態体制整え、島の情報を隠蔽しながら調査を進めてたんだが」
「島に派遣された調査員も戻ってこなかった?」
「ま、そんなところだ。流石にそのレベルまで来ると周りの島の連中も気味悪がってあることないこと噂し始める頃合いだったんだが、それだけならまだいい。まだよかったんだが――」
羽黒はハンドルを繰りながら左手を懐に突っ込み、内ポケットから小型のボイスレコーダーを取り出し、それを疾に手渡した。
「何だ?」
「ノイズを混ぜちゃいるが、なるべく聴くな。意識的にスルーしろ」
「……?」
眉を顰めながら、疾はレコーダーの再生スイッチを押す。
すると型式のわりに異様に音質の悪い、ザラザラとノイズの混じった音が流れて来た。その音に可能な限り意識を向けないよう、自然音に対するように耳を傾ける。
『…… … 、こ…に死 魔術国 …エーシュリオン 建国…宣……… …』
「……っ!」
瞬時にレコーダーを電源ごときり、それだけでは足りないと判断し魔力を流し込んでショートさせ、破壊した。
「事前説明ナシにとんでもねえもの聞かせやがるじゃねえか、おい」
「おめーじゃなかったら聞かせるかそんなもん」
あちこちから部品が飛び出したレコーダーを握りつぶし、うっすら笑みを浮かべて睨みつける疾に、羽黒は飄々と答える。
「二十三の記録媒体と四十七の解呪術式を間に挟み、音質を限界まで悪化させてなお衰えない呪術を含んだ建国宣言だ。それを生で傍受しちまった上級調査員は発狂して施設一つ廃墟に変えちまったらしいぞ」
「それはそれは。いっそナマのを聞いてみてえな」
「やめとけやめとけ。……それがばら撒かれたのが約二十時間前。調査段階から運良く連携が取れていた各地魔術組織のおかげで、まだ表沙汰にはなってない。いやいや、この世界の連中もなかなか捨てたもんじゃないな」
「普段は碌でもねえことしかしないがな」
「おいおい、言ってやるな。……ともかく、だ。その碌でもない〈エーシュリオン〉対策連合が呪いの拡散を防いじゃいるが、次動きがあったら間違いなく瓦解する。その前に〈エーシュリオン〉そのものを無かったことにせねばならん」
「で、依頼が入ったのかよ」
「ああ。最初に指名されたのは俺一人だが、お前とのコネがあることがどっかから漏れて、めでたく道連れだ。ありがたく思え」
「そーか、そりゃありがたいとでも言うかボケ。自分から情報漏らして巻き込んでねえかてめえ」
「はっはー。俺とお前さんなら万一しくっても誰も損しないって思われてるからこその人選だな」
実際の所、羽黒の身に万一のことが起きた時、もう一つの脅威がこの世界に復活してしまうのだが、そんなこと世界は知ったこっちゃない。
「クソ魔術師共の考えそうなこった。で、今回のターゲットは〈エーシュリオン〉国王ということになるわけだ」
「そ。今のところ、建国宣言の際に名乗ったアスク・ラピウスという名前以外何もわかってない。が、某魔術組織に残っていた百数十年前の所属記録から、死霊魔術を研究して禁忌の領域にまで踏み込み、制裁をうけ死んだと思われていた魔術師の名前と魔力が一致した。名前はともかく、魔力の波数は誤魔化しようがねえからほぼそいつと断定していいな」
「死霊魔術……自分の死体をでっち上げてどこかに逃げおおせたってところか。研究分野を考えたら、それくらいのことは息をするよりも容易いだろ。そのことにも気付けなかった当時の連中は無能だな」
「それについては全く同感。おかげで百数十年後の俺たちが面倒に巻き込まれることになった」
「本来巻き込まれたのはあんた一人のはずなんだがな」
「何のことやら」
軽薄な笑みを崩すことなく、羽黒は車を走らせ続ける。もう随分と経つが、高速道路を下りる気配はない。
「しかし死霊魔術を研究していた魔術師が、百年の時を超えて表舞台に舞い戻って来た……ねえ。ま、予想を裏切る真似はしねえだろうな」
「だな。間違いなく、自分をアンデッド化――リッチになってるだろ」
「何だって今更出てきやがったんだろうな、それもえらく派手なご登場だ」
「さあな。でも建国宣言の内容を見る限り、どうせしょうもない理由だろうぜ。『我を見よ、我を見よ。我、斯様な力を得たり。世界はこの力の恩恵を受けるべし』ってな」
「……百年前の死にぞこないとは言え、なんだってそんな古臭いこと考えられる」
「頭が腐ってんだろ」
「アンデッドだけにか?」
車内に失笑が漏れる。
しかしすぐに疾は笑みを消し、軽く目を眇めてハンドルを握る羽黒に視線を向ける。
「しかし妙だな? 相手はリッチ――死者の王だ。王とかご大層な肩書きはあろうと、つまるところはアンデッドだ。瀧宮羽黒。何故あの埒外の吸血鬼ではなく、こんなガキを連れてきた」
疾は親指で後部座席を指す。
バックミラーで確認すると、時間が時間なだけに限界だったのか、十歳にも満たない小さな少女が静かに寝息を立てていた。しかしその幼い外見と仕草に反して、その髪は羽黒と対極のような純白であった。
「ガキ言うな。これでも『瀧宮』の現当主様だぞ。あと、俺の賢い方の妹」
「シスコン撒き散らすな気持ち悪ぃ。ガキを連れてきた理由を言え」
「だからガキ言うなって。起きてたら斬り殺されるぞ。これで、どっかの魔力タンクと接近戦なら互角以上に戦える実力はある。が、如何せん演武はともかく実戦不足でな」
「それで、死者の国に放り込んで鍛えようってか? 随分とお優しいこった」
「本人が望むと望むまいと、八百刀流を引っ張っていかなきゃならん身だからな。これくらいの死線は潜ってもらわねば困る」
そんな兄の思惑を知ってか知らずか、白い少女はふらふらと首を揺らしながら窓ガラスにごんごんと頭をぶつけている。全く起きる気配がないが、どんだけ熟睡してるんだ。
「ま、このガキを連れてきた理由はそれでいいだろう。だがあんたの飼ってる吸血鬼を連れてこなかった理由は何だ。島は間違いなく、アスク・ラピウスにアンデッド化された島民が跋扈してるはずだ。不死者の王たる吸血鬼がいりゃ、そいつらまとめて片付けられるはずだろう。上手くいけばアスク・ラピウスも諸共葬れる」
元魔王クラスの吸血鬼――白銀もみじ。羽黒によって力の大部分を封印され、飼い慣らされているものの、全盛期の搾りかす程度の力でさえ箍が外れると手に負えない埒外の存在。彼女が一言発するだけで、島を徘徊しているであろう有象無象程度ならば一瞬で片付けられるはずだ。
どこかの歩く原発じゃあるまいし、島単位の掃討戦なんぞ完全に疾の専門外だ。あんな便利なもの何故置いてきた。
「……まあ、大きく分けて理由は三つだ」
羽黒はハンドルを握りながら指を三本立てた。
「まず何よりも、吸血鬼とリッチは相性が悪い」
「へえ?」
「吸血鬼の力の根源は吸精――いわゆるエナジードレインだ。あいつクラスの吸血鬼になると、わざわざ牙を立てずとも、お前の言う通り一言発するだけでアンデッドを動かす魔力を徴収し、自分のものにできる。だが――リッチ。リッチだけは、駄目なんだ」
「根拠は?」
「リッチには、その吸収すべき魔力が、エナジーが存在しない。何故ならやつらは死体だからだ」
「…………」
「死霊魔術を極めた魔術師が、自身をアンデッド化した存在がリッチ。その過程で、やつらは魔力という呪縛から解き放たれる。魔術は使うが、それは大気中の極微量の魔力を手足のように操えるようになるからだ。故にリッチに魔力切れという概念は存在しない。魔力がないから、吸血鬼は魔力を徴収できない」
「……疑問点は幾つかあるが、取り敢えず説明は付くな。で、二つ目は」
「一つ目の理由にもかかることだが、これはどちらかというとあいつ自身の問題だな」
羽黒は渋い表情を浮かべる。
「昔、あいつはリッチに支配されたことがある」
「は?」
「魔力は今以上にかっすかす、しかも封印から解かれたばかりの寝惚け眼状態。そんな状態でも支配は実質一分間も続かなかったが、それでも間違いなくあのリッチはあいつを支配下に置いた。今と違い、吸血鬼の自尊心バリバリの時代のあいつを、だ」
「はっ、そりゃ大層おもしれえことになったろ」
「面白いなんてもんじゃないぜ。相当はらわた煮えくり返る思いだったんだろうな。意識が覚醒した後、自力で支配をぶち破ってリッチを肉片も残らず喰い殺した。……それから、相手がリッチと分かると俺の封印も無理やり振り切って、相手を滅ぼすまで止まりやしねえ。ここ数年はリッチとは縁のない生活を送ってるから、今はどうか知らんが、またあんなことになったらどうしようもねえ。対〈エーシュリオン〉包囲網がそのまま吸血鬼討伐隊になりかねん」
「むしろそっちの方が世界のためなんじゃねえの?」
「そこで三つ目の理由。魔法士協会の動きがきな臭い」
「…………」
軽口を叩いていた疾も、羽黒と同様に渋い顔をした。
「この世界はあいつも関与している。まさかドンピシャで〈エーシュリオン〉に出張って来てるとは限らんが、万が一、リッチ相手に理性吹っ飛んでるもみじとあいつが鉢合わせてみろ。冗談でなく世界が半分ずつ吹っ飛ぶぞ」
「…………」
珍しく閉口する疾。吸血鬼に異様な執着を見せるあの男を知っているだけに、世界が消し飛ぶという言葉は非常に現実味を帯びて聞こえる。
「と、言うわけでだ。用心に用心を重ね、俺たちは吸血鬼の力に頼らず、少数精鋭で〈エーシュリオン〉をぶっ潰しに行かねばならんのだ」
「あっそ……」
深い溜息を吐く疾。心の底から面倒くさいという感情が滲み出ている。
「意外だな、気乗りしねえの? 戦艦でのテンションが嘘のようだな」
「もっとイベント性の高い仕事持って来い、つまらん。……ちなみに? ぶっ潰すのレベルはどこまでだ」
「お前仕事に何求めてんだ。……アスク・ラピウスの討伐。これは最低限やらねばならん。あとは奴がこの世にいた痕跡の抹消。最悪、島全体を沈める必要があるな」
「空中戦艦の次は島とはな。要塞落としを趣味にする気か」
「スカイダイブからの命懸けの飛行芸なんて経験をして趣味にするかよ。あと奴が残しているだろう魔導書も何とかせんといかん。だが建国宣言の時もそうだったが、恐らく目を通すだけで発狂するクラスの呪術がかけられてるだろう。現物が残るような処理――瓦礫の下敷きとかはもってのほかだし、下手に焚書なんかしたら呪いが灰に乗って世界中にばら撒かれる」
「存在そのものの消滅か? そんな芸当、俺はできんぞ」
「俺だってできん。が、アテはある。途中で拾っていくぞ」
いうと羽黒は左折のウインカーをつけ、減速を始めた。
疾が目を凝らすと、暗闇でもライトを反射する道路標識の白い文字は「蒼谷」と指していた。