Noir-05 灰色の魔女について
「そういえば、フージュさん。その幹部と思しき人達について、何かご存知ですの?」
「んー?」
勢いよく走るは良いが行き先はどこだと、そのまま突っ走っていきそうだったフージュを引き留めて歩きだした白羽は、今更のようにそう聞いた。
「いえ、確かに白……露も、刃を交えて相手の力を知り、その上でねじ伏せるのは大好物なのですわ。けれど、これはお兄様の作戦ですし、より確実に敵を倒すために、少しくらい情報が欲しいと思いまして」
「???」
丁寧な白羽の説明に、フージュが思い切り疑問符を頭上に飛ばしまくる。白羽は溜息をついて、投げやりに纏めた。
「……取り敢えず、その人達について、白露気になりますわー」
「あっ、そうだよね!」
ぱあっと顔を明るくするフージュに、白羽は乾いた笑いを浮かべた。もうヤダこの幼児、なんでこんなのに負けたのだろうか。
「あのね、あのね」
「はいはい?」
「緑色の髪の毛でー、目隠ししてる女の子が3人!」
「ふんふん」
「えっと、1人、私、捕まったことがあるんだけどね。なんだかすっごく笑顔がきみわるいよ!」
「へえ、そうなんですの」
「うん、そうなの!」
「……それで?」
「え?」
「……え?」
ぴっかぴかの笑顔で語ってくれた子どもは、心底不思議そうにこてんと首を傾げているが、白羽は声を大にして言いたい。こいつヤバイ。
「……どんな風に戦うとか、能力とか、そういうのは分かりませんの?」
「んー、わかんない。何か、気付いたらぐるぐる巻きにされて、すっごく痛かったの。血も出たんだよー。ノワが治してくれたけどね!」
「……ノワという方が治癒魔術を扱えることしか分かりませんわね」
敵の能力を探るどころか味方の能力をべらべら喋るとは……と、白羽はまだ見ぬこの少女の保護者に心底同情した。この馬鹿をちゃんと教育しろ。
「まあ、お兄様にとっては、カモなのでしょうけれど」
「なにー?」
「いいえ、なんでもありませんわ。ところで、その女の子というのはどこにいるのでしょうか?」
「んー、どうだろうねー。とりあえず、ノワの所に戻ったら、ちかくにいるんじゃないかなあ?」
「お待ちやがれですの」
白羽は、苛立ちのあまり口調が乱れかけた。
「なあに? 白露ちゃん」
「……。白露、思うのですけど、ノワさんが極秘で進めている作戦なのですから、ノワさんと合流すると作戦が上手くいかないのではありませんか?」
「あっ、そうかも! 白露ちゃん頭良いんだね!」
「あははは……」
きらっきらの笑顔と死んだ目の虚ろな笑顔が交わされたのだった。切実に、兄でも誰でも良いからこのお子様を押しつけて1人で戦いたい。
そんな白羽の願いを余所に、彼らを取り囲むようにゾンビが集まりつつあった。
「……こうなったらこいつらでストレスを発散いたしますわ! いきますわよ、フージュさん!」
「おー!」
***
「ネズミがこちらにやってくるようだな」
アスク・ラピウスが唸る。目を剣呑に細めて、ノワールが残した映像を睨んだ。
「白いガキ……、確か、瀧宮白羽だったか。ジャパニーズマフィアのヘッド……ホムンクルスだとは言え、あんなガキがな」
舐めたものだ、とアスク・ラピウスは舌打ちを漏らす。たかだか10にも満たないような子どもでこの国を落とせると思っている不遜さも、実際に多くのゾンビを屠っている事実も、アスク・ラピウスの神経に障った。
なにより。
「……どういうつもりだ」
白い子どもが狂気の笑みを閃かせてゾンビを狩る傍ら、楽しそうに双剣を振り回す赤い少女の姿が、アスク・ラピウスを苛立たせる。
「小僧が……」
ノワールが見せた恭順の姿勢は、やはり形ばかりだったのか。どうやら顔見知りらしいし、情でも湧いたのか。
「あの組織の人間は、感情で仕事を放り出さないと聞いていたんだがな」
トップが身内すらも切り捨てられる冷酷な人物であるが故に、情に流されて任務を疎かにしない、出来ない。そんな情報を聞いて、アスク・ラピウスは魔法士を国に招き入れたのだ。
魔法士の統率性の根幹が恐怖心であるのは、馴染みやすく信頼も置けると判断していたのだが、若者はいつの時代も無謀だと言うことだろうか。
「フン、良いだろう。それならそうと、利用させてもらうだけだ」
ぱちん、と金の錫杖を手に叩き付けると、どこからともなくペプレドが現れた。
「エニュオをあのガキ共の所へ送り込め。あれならガキ共との戦いを楽しめる」
「……質問をお許し頂いても?」
「許す」
「あのガキ共如きに、エニュオを使う必要は無いかと。ワイトで十分では?」
アスク・ラピウスの唯一の幹部、『灰色の魔女』たる矜恃に触れたか。ペプレドの声は僅かに硬い響きを帯びていた。
「あのガキは、私の罠で捕まるくらいの雑魚です」
「ああ、ガキを捕まえた手腕は褒めてやるとも」
アスク・ラピウスの賞賛に、ペプレドの口元がほんの少し上がる。しかし、続く言葉にはその口元を少しひくつかせた。
「だが、あの若造曰く、瀧宮というのは対多数戦に特化しているらしい。貴重なワイトを無駄に消耗してしまうのは勿体ない」
「……」
「何より、エニュオにとってはあのガキ共、極上のエサだろう。見ての通り刀での戦闘で、かつ決して頭脳派ではないからな」
アスク・ラピウスがにやりと笑う。釣られたようにペプレドも口元に笑みを浮かべて頷いた。
「消耗戦が狙いでしたか」
「その通りだ。なにより、あのガキ共を殺せば、両陣営にダメージを与えられる。鬱陶しい連中を、いい加減死者の国の住人にせねばな」
「両陣営……ということは」
ペプレドの声が、僅かに高揚する。アスク・ラピウスはにやりと笑って頷いた。
「そうだ。お前には別の任務をやろう」
「ご命令を」
ぱしん、と金の錫杖を1度掌に叩き付け。
「未だ魔術書の解読に手間取っているあの魔法士の若造を、罠に落とし込んで潰せ」
***
「……これは」
一通り魔術書を読み込み、考察と幾つかの実験を行っていたノワールは、ふと周囲を取り巻いた魔力に気付いて顔を上げた。
「迷宮化……いや、空間捻転といったところか。アスク・ラピウスか、いや『灰色の魔女』だな」
呟いて、ノワールは髪を軽く掻きむしる。一つ溜息をついて、相棒へと連絡を取る。
『フウ、そっちはどうだ?』
返事は、ない。ノワールは軽く眉を寄せた。
「結界が裏目に出たか」
外の音が入ってこないようにと、与えられた部屋に結界を敷いていた。外で見張りをしているフージュと連絡は取れるようにしていたが、空間を捻り対象を閉じ込める魔術と相互作用を起こしてしまったらしい。何度か声を送るも、1度も返答が返ってこなかった。
「……面倒な」
ノワールは顔を顰める。待機を命じたら大人しくしている位は何とか出来るものの、行動においては命令すら満足に遂行出来ない少女と連絡が取れないとなると、今後の動きはまるきり予測不可能だ。
「マスターがよく「じゃじゃ馬」と言っていたか……アスク・ラピウスは分断でもしたつもりなんだろうがな」
正直、ノワールの監視から解き放たれた舞姫は、魔法士協会ですら関わりたくないレベルの危険個体なのだが、知らないとは恐ろしい。そして、骨身に染みてその危険性を知っているノワールは、その全責任を負わされる。
「まあ、今回は何をしでかしても良い任務だからこそ、マスターも連れて行けと言ったんだろうが」
最初の予定では、時間を掛けて島を調査するつもりだった。瀧宮羽黒と疾を確認してからは、出来る限り時間を引き延ばして連中の暴走に便乗するつもりだった。あの連中の大暴れに振り回されれば、アスク・ラピウスとて大層苦戦して、時間と戦力を削られるだろうと計算していたのだが、どうやら鬱陶しい敵には鬱陶しい輩をぶつけて共倒れさせようと思ったらしい。
「俺を、ゾンビ化して、あいつらにぶつける……ときたか。ったく」
どうやらアスク・ラピウスは、とことん自分を──魔法士協会を、侮っているらしい。よりにもよって闇属性を相手に、空間操作で罠に嵌め、死後も操る気でいるとは。
もう1度溜息をついて、ノワールはゆっくりと立ち上がった。周囲にある魔術書や書き散らし、実験器具の類は、全て虚空間に消し去る。
ひとまず空間捻転を仕掛けた輩の相手をしてから、アスク・ラピウスに真意を問わねばならない。もし、本気でアスク・ラピウスらが仕掛けてくるのならば、見て見ぬ振りをするわけにはいかないのだ。こちらも、もう1つの任務を進めなければならなくなるのだから。
『どこにどんな魔術が仕込まれてるのか根こそぎ調べてね、それで──君が一通りの調査が終わったなって感じるか、ちょーっとあっちが調子に乗りすぎてるなあって感じたらさ』
『その時は、僕の膝元で死者の国なんて汚らしいものを、僕の許可なく作ろうだなんて、連中が2度と馬鹿げた思い上がりを思い付かないように、ね、ノワール』
『──跡形も残さず、叩き潰しておいで』
「……御意」
豊富な魔力量と膨大な知識量、高度な魔法技術。それら全てを兼ね備え、魔術師の上位職とも呼ばれる魔法士──その幹部たるノワールは、総帥の命令を反芻して、うんざりと呟いた。