Infi-03 ラッフェンの子狼
島の南西に位置する港にモータージェット付きのゴムボートが一隻、到着した。
ボートを操縦していた瀧宮羽黒は、相乗りしていたはずなのに気を抜くと一人で来たような感覚に陥ってしまう相方に問う。
「着いたが、あんたはどうするんだ?」
「さっきも言っただろ? 陰ながら助力してやる。だが、チャンスがあれば遠慮なく敵の大将を討ちに行かせてもらうぞ」
天明朔夜は先に陸地に飛び移り、ロープで縛ってボートを固定させながら答えた。黒のトレーナーにジーパンという『どこにでもいそうなラフな格好の兄ちゃん』的な姿は、流石にこの島においては普通過ぎて逆に目立ちそうだ。
「手ぶらに見えるが、妖刀はどうした? まさか忘れたなんて言わないだろうな?」
「ん? こいつのことか?」
天明朔夜は背中に手を回すと――いつの間にか、抜き身の刀がそこに握られていた。妖しい朱色の淡い光を宿す刃はしかし、魔術を用いて取り出したものではない。
「いやどっから出したし」
「普通に背負ってたが?」
「マジシャンかよ」
妖刀なんていう存在感溢れる物品を魔術も使わずこうも完璧に隠されるとは、暗器の収納術も怪物の領域である。
「まあいい。で、そいつにはどんな効果があるんだ? 仮にも妖刀だっつうならなんかできるんだろ?」
これは単純な羽黒の好奇心だ。一応『刀』に関係する家柄に生まれた身として、興味がないと言えば嘘になる。
「ああ、こいつの銘は〈朱桜〉。斬り殺した生物の血を吸ってゾンビのように操れるらしいが、まあ、オレには魔力がねぇからその力は使えねぇんだわ」
「宝の持ち腐れじゃねえか」
力の使えない妖刀なんてただの刀だ――とまでは言わないが、少し期待しただけげんなりする羽黒である。とはいえ、島の瘴気を無効化している点を加味すれば持ち腐れではないか。
「そうでもない。妖刀ってだけあって、どんだけ斬っても錆びるどころか切れ味が増していくからな。それとこいつはつい最近までオレも知らなかったんだが――」
刹那、天明朔夜の存在が羽黒の感覚から消えた。
彼の背後から三体のゾンビが迫っていた。羽黒も咄嗟に臨戦態勢を取るが、ボートから飛び移る前にゾンビたちの首が一瞬で斬り飛ばされた。
ゾンビたちは膝を折って倒れたが、すぐにむくりと起き上がる。それから自分の頭を拾って首にくっつけると――さらに後方からにじり寄って来ていたゾンビの集団へと殴りかかって行った。
「あ?」
ゾンビにしては機敏な動きと仲間割れな行動に羽黒は思わず眉を顰めた。すると天明朔夜の気配が先程と寸分違わぬ位置に出現する。
「こんな感じで、既にアンデットになってるもんを斬ればその制御を奪えるらしい。そいつの意志力にもよるが、こいつらみたいな低能なら余裕だな」
くるりと手元で妖刀を器用に回して血を払う天明朔夜。
「なるほど、魔力が必要なのは斬った相手をゾンビに変える部分だけか」
「そういうことらしい。オレはクソ魔術師じゃねえから仕組みなんてどうでもいいが、制御するだけならただ持ってりゃいける」
「フン、暗殺云々を抜きにしても確かに『適任』だ」
羽黒は今度こそ陸地に飛び移ると、無数の【無銘】を精製して天明朔夜が操っている三体ごと全てのゾンビの頭を斬り潰した。首を斬り落としても動くゾンビだが、頭さえ潰せば機能は停止するのだ。
「にしても、暗殺者にしちゃあずいぶんとお喋りじゃねえか?」
質問すれば必要以上の言葉数で返ってくる。同じ漁船に乗っていた日下部朝彦の方がまだ暗殺者らしいと羽黒は感じていた。
「寡黙キャラでも想像したか? 生憎と、オレらはその気になりゃ談笑しながらでもターゲットに気づかれず近づいて殺れんだ。黙る必要なんてねぇよ」
「そいつは怖いな」
今、天明朔夜は『オレら』と言った。
仲間がいるわけではないだろう。葛木修吾は彼の経歴を語らなかったが、おおよそ検討はつく。十年ほど前に秋幡辰久が殲滅した組織の中に魔術師専門の暗殺集団――確か、『ラッフェン・メルダー』とかいう名前があったはずだ。
暗殺集団という肩書だが、その実態は無法な魔術師どもが対魔術師兵器を研究開発する機関だった。未成熟な赤子を攫い、研究と称して洗脳と魔改造を施し、五歳になる頃には魔術師にとって驚異的な暗殺者に仕上げるという外道組織。
天明朔夜は、その組織に属していた暗殺者の生き残りだろう。
なるほど、となれば表沙汰にできないのも頷ける。そういえば秋幡辰久の息子の周りにも一人、似たような感じの奴がいた気がする。もう羽黒は顔を思い出せないのだが、あの意図的な影の薄さは天明朔夜のそれに近かった。
「……『ラッフェンの子狼』だったか」
「その呼び名、オレの後輩たちの前で口にすると八つ裂きにされっから気をつけな」
天明朔夜の目がすっと細くなる。羽黒は初めて彼から殺気らしい殺気を感じ取った。ラッフェン・メルダーで使役されていた暗殺者の子供たちは、言うなれば被害者だ。当時のことは思い出したくもないだろう。魔術師そのものを恨んでいても不思議はない。
邂逅時に羽黒を殺そうとしていた天明朔夜だが、全ての魔術師を目の仇にしているわけではなさそうなところは救いだ。
天明朔夜は妖刀を背中に仕舞う。やはり目を凝らしてもそこに収納されているとはわからなかった。
「オレはしばらく消えておく。先に島に突入した連中と合流するかどうかはあんたに任せる」
「おいっ」
羽黒が呼び止めるも虚しく、再び天明朔夜の姿と気配が消失する。
「マジか。ガチで気配を感じねえ。あの野郎、今までは本気で隠れてなかったな」
だが、仮に羽黒を狙って動こうとすれば流石に気づくだろう。魔力も闘気も殺気も敵意もないステルス人間を意識的に感知することは難しいが、そこにいるとわかっている相手に後れを取るほど羽黒の直感は鈍っていない。
「とにかく、クソ蛇どもと合流すんのが先か」
天明朔夜を羽黒が紹介しないといけないのかと思うと、少々気が滅入りそうだった。