Cent-03 赤と白の衝突
疾によって巻き込まれた鬼狩りの二人――正確にはその片割れが悲鳴を上げている場所から見て島の反対側。
トラップの見本市と化していた市街地に対し、こちらは白い砂浜が美しい海岸線が続いていた。平時であれば海水浴客でにぎわっていたのだろうが、残念ながら今は腐臭を漂わせるゾンビが跋扈していた。
「「…………」」
わざわざ疾から最も遠い地点に降り立った白羽とウロボロスは、何とも言えないやるせなさを噛みしめていた。
「「…………」」
蔓延るゾンビの群れに絶望したわけではない。
もはや見る影もなくなったビーチを嘆いているわけではない。
どうせならちゃんと水着を揃え、想い人とキャッキャウフフしながら砂浜かけっこに興じたかったというわけではない――とは言い切れないが、そうではない。
「暇ですわ……」
「暇ですね……」
語尾こそ違えど同音でそう呟いた白羽とウロボロス。
現在、ビーチには彼女たち二人と、遠巻きに二人を警戒しながらも一向に近づいてくる気配のない十数体のゾンビが残っているだけだ。
最初はこうではなかった。
二人が降り立ったその瞬間には、確かにビーチはゾンビで埋め尽くされていた。だが対多戦に特化した八百刀流陰陽師の頭目と、己の神話すら残さず呑み喰らう埒外な存在であるウロボロスが、別段対立もいがみ合いもせず粛々と目の前の敵を排除した結果――襲ってくるゾンビがいなくなってしまった。
しかも二人は知らないが、島の反対側で疾一行――というか、帰りたい病患者がド派手に暴れまわって、もとい、トラップを起爆させまくっているもんだから、ゾンビたちは自然とそちらの戦場に投下されていったた。もちろんこちらにも追加で元上位術者と思しき強個体のゾンビは投下されていたが、知能が0になっていてもウロボロスの莫大な魔力量にビビッてしまい、近寄らなくなった。こちらから近寄ろうものなら地中に潜りあっという間に距離をとられてしまい、きりがない。そのくせ、〝従属〟の特性により完全に逃げることはない。
結果として、敵地にいながら特に襲われることなく、さっき会ったばかりでお互いよく知らない相手と延々ビーチ周辺を散策する羽目になっているのだ。
「「…………」」
二人は無言で歩き続ける。
時折沈黙がいたたまれなくなり片方が片方に何かを話しかけようとするそぶりは見せるが、結局何を話せばいいのかわからず黙り込んでしまう。
「(こんなことなら見栄を張らずにあのムカつくクソガキと共に行動すればよかったですね……)」
「(そうすればやつと敵対するという名目で結託して会話も弾んだでしょうに……)」
口にはせずとも、お互い似たようなことを考えていた。
と、二人同時にあることに思い当たる。
「「そういえばあいつの名前ってなんだっけ」」
思わずこぼれたその疑問は、今度は語尾まで揃っていた。
「「…………」」
二人で顔を見合わせる。
「え、ウロボロスさん、ご存じないんですの?」
「なんであたしが知ってると思ってんですか、今日初めて会いましたよ。むしろあんたの方が知ってそうでしたが」
「白羽も今日初めて会いましたわ。あと全知の蛇ですし、てっきり何でも知ってるおねーさんかと」
「何でもは知りません、知ってることだけ――っていうか、さすがにそこまで万能じゃあありませんよ。あと、あたしは蛇じゃなくってドラゴンです! リピートアフターミー!!」
「ウロボロスさんは蛇じゃなくってドラゴンです」
「…………」
「なんで急に大粒の涙をボロボロと流し始めたんですの!?」
「だ、だっで……初めで素直に復唱じでぐれだ人間に会えだがらぁ……!」
「人間関係の一端が窺えますわね……」
ウロボロスが泣き止み、落ち着くまで5分かかった。
「では第1回! あのクッソむかつく腹黒男の名前を勝手に決めてしまおうのコーナー!! ドンドンパフパフ!」
「わー」
何とも言えない気力の削がれた合いの手を挟む白羽。表情には、泣き喚く年上を宥めた精神的負担と「それいる?」という疑問の念がありありと浮かんでいる。
「やる気ありませんねー。あんたも梓っちの妹ならこのテの企画にはノリノリで食いついてこないと!」
「んなこと言われましても」
「それに白羽っちも陰陽師の端くれなら知ってますよね。名は体を表すという言葉を!」
「まあ、知ってますが」
「魔力のこもった言葉で何度もその名で呼び続けていると体の方が名前に合ってくるという意味です!」
「……名前はその実体をよく表している、という意味ではありませんの?」
「そんな細かいこたぁどーでもいいんです! このコーナーの趣旨はあいつに変な名前を付けておちょくってやろうってだけなんですから!」
発想が実に小学生レベルであった。
だが、そのまんま小学生である白羽はにんまりと笑い、「乗りましたわ!」と掌返して賛同した。
「ではエントリーナンバー1! あたし、ウロボロスさんから!」
「どうぞ!」
「『上から目線で罵っている俺様格好いいと思ってるイタイやつ』」
「おっと、名前を決めるはずのコーナーなのにいきなり純粋な悪口! ジャブとしては申し分ないですわ!」
「ふっふっふ、それほどでも」
「それではエントリーナンバー2番! 白羽ですわ! ――『原賀黒男』」
「くぅっ、分かりやすい! これは良いストレートが入ったんじゃないですか?」
「えへへ、それほどでも」
「では再びあたしのターン! 『垂太郎』」
「んっ!? ……ああ、これは音で聴いてもすぐに伝わらない! じわじわ効いてくるボディブローのようですわ!」
「ざっとこんなもんです」
「続いて白羽ですわ! 『諏深陽助』」
「なんて?」
「名前の上下入れ替えて別読みですわ」
「えっと……あ、ああ、なるほど! 確かに執拗に白羽っち虐めてましたしそっちのケがあるのかもしれませんね」
「……自分で言って身の毛がよだちますわ……」
「完全な自業自得じゃないですか。では続いて――」
ドォン!!
突如二人の頭上に飛来した何かの着地により、巨大な砂柱が立ち上がった。
* * *
「あれー? 外しちゃった?」
こてん、と首をひねる小柄な人影。おろしたての無地のシャツにスカートを合わせたごくありふれた服装のその少女は、燃え盛る炎のような明るい赤髪を砂浜を吹き抜ける風に靡かせていた。
両手には、精巧だが大ぶりの双刀が握られ、魔力を通わせているのか仄かに輝いている。
それを両手に持ったまま髪を器用にかき分けながら、ぐるりと体ごと回して周囲を見渡す。
「あ、いたー」
幼子のような無邪気な口調。
それとは裏腹に、赤い軌跡が虚空に残る速度でギュンッとその場から駆け出して太刀を振るう。
ガァンッ!
けたたましい金属音が一つ響く。
振りかざした双刀を弾かれた衝撃で体勢を崩した少女は、後方に飛びながら首を捻る。
「あれ?」
今、一撃で双刀を防がれた気がする?
くるりと猫のように空中で一回転して砂浜に着地する。不安定な足場を物ともせずしっかりと地に足付けた少女は、藍色の瞳をぱちぱちと瞬きさせる。
「はー……はー……!」
少女が視線を向ける先――白羽は、その小さな体には不釣り合いな太刀を右手に構え、その純白の切っ先を赤毛の少女に向ける。
「ゾンビ……いえ、生者ですの……!?」
少女の持つ子供らしい張りのある瑞々しい肌つやは、とても死者であるようには見えない。それに彼女の手首に巻かれているブレスレットからは、今白羽が身に着けているそれと同等かそれ以上の清浄なる気配が漂っている。
この島に自分たち以外で生きている人間がいたことにも驚きだが、それが突如襲い掛かってきたというのは意味が分からない。疾のように方々に敵を作っているならばともかく、白羽にはとんと心当たりがない。
ちらりと白羽の左肩にもたれるウロボロスに視線をやる。
彼女の左肘から先はすっぱりと途切れ、壊れた蛇口のように鮮血が流れ落ちている。
先ほど白羽をかばって受けた傷だが、人化しているとはいえドラゴン族の中でも最強個体の一人と言えるウロボロスの腕を斬り落とせるような怪物を、羽黒以外に白羽は知らない。
左腕を斬り落とされたウロボロスが顔をしかめながら凭れ掛かっている。
「くっ……何なんですかあいつの刀……! あたしの龍鱗なんてあってないような切れ味なんですけど!?」
「……違いますわ」
白羽はこちらを警戒してかすぐには反撃してこない赤毛の少女をじっくりと観察する。
少女のまとう魔力の質、そして流れ――多少時間はかかったが、その解析眼は幼い頃より兄に鍛えられてきたため、狂いはない。
「アレ、どうやら本質は身体能力強化みたいですわね。それが得物にまで影響を与えている点では八百刀流と近しいものを感じますが、どうもそれだけではない気も……」
「龍鱗ぶった切る身体強化って何それ怖い。……ふんっ」
ウロボロスが気合の声を上げると、ずるりと生々しい音を立てて斬り落とされた左腕が生えてきた。調子を確かめるように掌を閉じたり開いたりするも、ウロボロスは浮かない表情のままだ。
「……なーんかしっくりきませんね。戦るには問題ありませんが、なんだか肩こりみたいな違和感が……」
その呟きに白羽は耳を傾ける。
魔力を巡らせ――‟循環„させることで驚異の再生力を有するウロボロスが「しっくりこない」ということは、その‟循環„の一部が断ち切られている?
で、あれば、あの赤毛の少女の力とは、言うなれば「切断」という概念が妖怪化したような、縁切の山神の成りそこないに近――
「えい」
「「……っ!?」」
瞬きの間に、少女の燃えるような赤が二人の眼前まで迫っていた。
お互いをお互いで押しのけるように横っ飛びし、頭上から振るわれた双刀を躱す。再び舞い上がった砂柱から視界を守りながらウロボロスが舌打ちする。
「身体強化で切れ味がどうのよりも、まず何なんですかこの速度! ってちょおおおっ!?」
標的をウロボロスの方に定めたのか、少女が再び眼前まで迫ってきていた。それを蹴りで押しのけようとして、既に刃が向けられているのを見てやむなく後ろに跳ぶ。それと同時に背中に翼を展開し、空中で一旦体勢を立て直した。
「あ! ずるいー!」
少女がぷっくりと頬を膨らませて抗議する。その緊張感のなさに、ウロボロスは気味悪さを感じた。
と、少女の背後に白い影が迫る。
「――抜刀!」
「およ?」
周囲に柄も鍔もない無数の太刀を漂わせながら突っ込む白羽。全てを同時に複雑に繰りながらの全方位攻撃。姉直伝のその技は避けることは困難――
「じゃまー」
「っ!?」
少女は両手の双刀を振り、足元をステップでも踏むかのように動かす。舞でも踊るかのような滑らかな動きに、白羽の太刀はバキバキと音を立てて全て叩き斬られてしまった。
「……ったく! 人の得物を紙切れか何かみてぇに……!」
口調が素に戻っているのにも気づかず、白羽は歯噛みしながら全身に魔力を通わせる。
小手先では話にならない。
地に足付けて、出し惜しみせず、一刀もって切り結ぶべきか。
しかし、文字通りの意味で魂が込められている妖刀【白羽】を叩き斬られると良くて行動不能、下手したら魂ごと消滅の可能性も――
「……ん?」
ふと気付く。
いや、別に太刀を折られようが肉体真っ二つにされようが死ぬことには変わりないのだから、気にしなくていいのでは? 肉体が壊れるか魂が消えるかの違いしかない。むしろ慣れない小技に頼って敗れるほうがみっともないのでは?
「……は……」
「……?」
「……あは♪ あはは♪」
「???」
突如笑い出した白羽に、少女は不思議そうに首を傾げ、立ち止まった。
「あははは♪ あははははは♪ あはははははは♪ あははははははは♪ あはははははははは♪ あははははははははは♪ あはははははははははは♪ あははははははははははは♪ あははははははははははは♪」
「……!?」
しかし、続く筆舌しがたいほど愛らしく――狂気を孕んだ笑い声に、本能的に危機を察知したのかさらに大きく後ろに跳んで距離を開ける。
が、着地と同時に少女は藍色の瞳を見開く。
「あは♪」
既に目の前に、白い少女が立っていた。
「なぁんだ、ビビり損ですわ♪」
愛らしく笑い、白刃を一度振り下ろす。
ガガガガガンッ
「うわっ!?」
少女が防御のために持ち上げた双刀にいくつもの衝撃が叩き込まれる。
早すぎて一撃にしか見えない連撃――それに勘だけで対応しきった少女も大概人間離れしているが、白羽の猛攻は止まらない。
「あは♪ あはははは♪」
幾十幾百と続けられる斬撃。しかし白羽は息を切らすどころか高らかに、愛らしく笑い続ける。
「楽しい! 楽しいですわ! 斬っても斬っても歯ごたえのない式神や妖でもなく、何だかんだ全力で命を獲りにくるわけでもない身内でもなく! 誰にも邪魔されず! 白羽と同等以上に戦える相手との命の獲り合いがこんなにも楽しいなんて!」
「なに言ってるのか、ぜんぜん分かんないよー!」
白羽の斬撃を弾き飛ばすと同時に少女も双刀を振るう。
それを最小限の動きだけで紙一重でかわし、少女の懐に潜り込む。
再び振るった連撃も防がれたが、構わない。
今は、この謎の襲撃者と少しでも長く斬り結んでいたい――白羽はにんまりと笑みを浮かべた。
* * *
砂浜で白と赤が激戦を繰り広げている上空。
ウロボロスは金色の翼を羽ばたかせながら何とも言えない表情で地上を見下ろしていた。
「あーあー、何かあたしのことすっかり忘れ去られてません? それにあの感じ、間違いなくあの兄妹の末っ子ですわ……」
かつて一緒に戦ったことのある少女の顔を思い出しながらウロボロスはそう呟いた。
「ていうかどうしましょう、これ。あたしだけ先行してリッチ倒してさっさと帰るのもアリなんですがねえ」
あの背後を顧みない無鉄砲な戦い方をする白い少女が気にならないと言えば嘘になる。腹黒男と同じ考えというのははらわた煮えくり返る思いだが、正直、白羽の戦士としての評価は未熟も未熟。自身の強大な力を無理やり振り回して戦っているようなものだ。そこに鋭さはなく、全く研ぎ澄まされていない。今まではそれで何とかなってきたようだが、今後どこかで圧し折られかねない。
放置して死なれるのは夢見が悪い――クソ龍殺しの妹と考えると、正直助けようとか言う考えすら起きないが、奴のもう一人の妹の下の子と考えるのであれば、ウロボロスが動く理由としては十分だ。
ちらりと海の方に視線を向ける。
まだかなり距離があるが、龍殺しの胸糞悪い魔力が少しずつ近付いてきているのが分かる。そして海をひしめき合っていた幽霊船の気配は消えている。本当にどうやら海の方は片付けたらしい。……その前に、なんだか記憶に新しい威圧感のある魔力を感じた気がするが、きっと気のせいだろう。
「……ま、見守るだけですよ。奴が到着するくらいまでなら見ていてあげますよっと」
言いながら、ウロボロスは砂浜に視線を戻した。