門扉は固く閉じられた。
刻限は近づいている。
しかしべつに遅滞の常習者というわけではなかった。
昨晩のことを思い出しても、寝坊しそうな事由は見つからない。
就寝するときに、天井に嵌めこまれた時計は午後11時をちょうど回るところだった、
深夜放送を聴く習慣はあったが、月曜日は聴く予定の番組はなかった。
だからどうしてこんなことになったのか、少女は視えない妨害者に対して発しない声で
罵った。
だがよく思い出してみると、弟が泣く声が隣の部屋から響いてきたかもしれない。
帰宅したら文句を言ってやろうとおもったが、あいにくとそれは永遠に叶わなくなるが、よもや自分にそんなことが起こるだろうとは、少女は想像だにしなかった。
門扉は固く閉じられることが予想された。
その前に駆け抜けなければならない。
それがどうして少女にとって重要だったのか。
ただ言えるのは、その瞬間、少女が通過するはずだった空間は、鋼鉄の扉によって圧縮された。
虫一匹とはいわないが、鼠のような小動物ですら生き続けられないほどに押し潰された。
少女などひとたまりもあるわけがない。
門扉は固く閉じられてしまった。
もう誰もその空間で1秒も生きていられない。
たった一回の遅滞も受け入れられなかったのか?
ただ言えるのは、加害者も被害者の自動制御の人形になっていたこと。
その証拠に目撃者は、潰された肉体から流されるはずの赤い血をみることはなかった。
衝撃の激しさから言って、粉砕した骨片を目にしてもよかったが、その代わりに見たものは、壊れたネジ釘だった。
圧縮の激しさが有機体を無機物に変えてしまったのか?
母親が固い口を記者の前で開いた。
辛うじて無事だった顔の一部から判断すれば、苦痛の表情をまったく見せずに綺麗な死に顔だったという。
プラスティックの顔が、恐怖や苦痛で歪むはずがない。
歪まないのではなくて、歪めないのだ。
泣き声だって出せない。
その代わりと言ってはなんだが、まるで駒のように壊れたネジ釘がからからと回っていたという。
加害者は自らの行為に恐怖した。
彼がいた空間は圧縮されることはなかったが、生きたまま肉体をプラスティックに変えてしまった。
あれから、門扉は開かれることはない。
少女はあの時間と空間に閉じ込められてしまった。
彼女が死んでも学校自体が消滅することはないので、毎朝、きっと生徒たちが登校し続けるに違いない。
しかし開く門扉は違う。完全に別物でしかない。
圧縮された時空においてプラスティックになった少女。
プラスティックは永遠に腐ることはない。
それ自体がすでに生き物が腐敗したものだからだ。
肉体は腐るからこそ、魂は自由になれる。
プラスティックではそうはいかない。
永遠にあの瞬間に閉じ込められる。
固くなった脳であっても思考はできる。
その中に魂が閉じ込められているからだ。
自分が死んだという自覚はない。
というよりも、そんなことは信じたくない。
ただとんでもない目にあったことは知っている。
少女は記憶から鋼鉄の門扉の映像を探し出した。
あんなものが飛んでくれば、人間などひとたまりもないだろう。
だが死ぬとまでは予想できなかった。
状況から推測すれば、閉じられつつある門扉に衝突したことはわかる。
自分の身体が医師の手当てが必要な状態に陥っていることはわかる。
門扉にあしらったレリーフが笑っている。
どうして救急車のサイレンが聴こえないのか?
プラスティックと化した神経は音の信号を脳に送れない。
身体がまったく動かない。
けれども、こうして考えられるということは、きっとまだ生きているのだ。
また陽光の下ではしゃぐことができるはずだ。
狭い空間に閉じ込められた魂は際限無く思考を連鎖する。
いま、彼女が音として受け取っている、誰かの笑い声も彼女が想像したものにすぎない。
じっさいに、門扉はもう凶器に変じることはなくなった。
もうあの加害者は生きた人間としては、この学校にいないから。
先んじて生きる人間としては、永遠にその職業を追われたから。
きっと彼は門扉を閉じるために力を入れた瞬間に、少女と同じ時空に収監されることが決まったのだろう。
あの瞬間、何か柔らかいものが、潰れるイメージが加害者のなかに広がった。
あのとき、門扉は彼自身の一部と化した。
知らず知らずのうちに凶器と化した。
彼の足元にも壊れたネジ釘がからからと転がってきた。
笑っていた。
彼の耳もプラスティックと化していたので、救急車のサイレンを聴くことはできなかった。
しかし視覚情報として点滅する光を知覚することはできた。
ほんとうにプラスティックが腐ることはないのか?
加害者と被害者は永遠に同じ時空に囚われ続けるのか?
ありうるとしても、永劫の時間が必要だろう。
いまもなお、朝日はふたりの頭上に輝いている。
しかし時間が停止してしまった以上、熱も光も届かない。
門扉は固く閉じられた。